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 ラディスラーオは謁見控えの間に入り、私は見届けたあと待ち合わせ場所へと向かった。
 そこにはエヴェドリット王国未来の艦隊総司令閣下が待っていた。
「ハーフポート伯爵閣下。お待ちしておりました」
「レフィア……今は中将だったか」
 連戦連勝のエヴェドリット軍の艦隊部門の立役者。死んだジルニオンやベルライハ総帥に及ばないが、この国の軍の重鎮の一人ではある。
「はぁ、別に少佐でも全く構いませんよ。ご案内いたします、どうぞ此方へ」
 私は一年半経って、やっと皇后陛下にお会いする覚悟が決まった。
「そういう訳にはいかないだろう。それにしても一年少々で少佐から中将か。素晴しいな」
 皇后陛下にお会いしたいとレフィア中将に依頼したところ、私が拍子抜けするほどあっさりと許可された。

『我らが勝利……いえ、そちらの皇后陛下が搭乗なさっている艦隊の総合警備が私ですので。どうぞおいで下さい』

「いえ、タナボタってか偶々、勝っちゃって……ってくらいでして。勝ち貰ってばかりで。勝つと階級あがっちゃうんで」
 困ったように笑う“天才”。この軍事大国で他人から勝利をもらえるわけがない。
 そして未だ征服されていない国が、この男をどれ程恐れているか本人は知らないのだろう。征服軍の先陣を切るアウリア・レフィア。
「伯爵閣下、此方です。私は扉の外でお待ちしておりますので」
 そういって頭を下げた男の中に慢心の一つもない。この先もこの国は勝ち続ける、多少の侵攻速度の停滞はあったとしても勝ち続けるに違いない。
 重い扉の向こう側、祭壇の上に飾られている白い箱。
 近付いてその中を覗きこむと、
「お久しぶりです、皇后陛下」
 それ以上言葉は出てこなかった。
 私は……皇后陛下、貴女の事が好きでした。ほとんどお会いする事の出来なかった貴女でしたが、私は愛しておりました。
 口にした所で誰にも理解してはもらえないでしょうが、貴女ならばわかっていただけるのではないでしょうか?
 共に在る時間などなきに等しかったラディスラーオを愛した貴女なら……
「後でラディスラーオもお顔を拝見しに来ると言っていました」
 私はずっと恋をしていた。名前しか知らぬ少女に、ずっと。
 姿も声も知らない貴女にずっと、ずっと。
 貴女に会えた一時は……生涯忘れる事はないでしょう。そして、貴女が望んだ事はこの私が叶えましょう。
「この命が続く限り、私が必ずやラディスラーオを守ります。ご安心ください」

 お前を生かし続ける事が私の復讐であり、お前を生かし続ける事が皇后陛下の望み。お前を生かし続ける為に、私も生き続ける。

*


白亜の宮殿の奥深くでカレイドスコープを持った少女を見つけた
噂通りの真紅の髪を持った少女
「綺麗よ」
椅子に座っている少女に膝を付いて話しかけた俺
一緒にみましょう、ラディスラーオ
そこから覗いた世界
その眩しさに目を手で覆った、その眩しさに目を閉じた
あの時、泣くほど嬉しかった
その自分に気付くのが遅すぎた

後悔などするものか
お前の一族を皆殺しにした事を
全て殺さなければお前は手に入らなかったのだ、俺の手には入らなかったのだ
理由は後から付いた
ああそうだ、お前が手に入れられない
お前を手に入れるためならば、全てを殺しても構わない

あとはお前と共にあるだけだ

*


 俺の人生でたった一度の邂逅

 忙しく戦争している男に再会する事はなかった。
 会いたくなどはなかったが、いつかは顔を合わせると覚悟だけは決めていた、その時は冷静に対処しようと自分に言い聞かせていたが無駄になった。
 俺がハイゼルバイアセルスから見送った一年半後、あのクレスターク=ジルニオン十六世、ニーヴェルガ大公が戦死する。
 むろん、ただの戦死ではない。クレスターク=ジルニオン十六世は一人で三十兆もの人間を道連れにして、歴史に残る死に方を選んだ……あの王は大国をたった一人で滅亡させた。
 宇宙で最も“人間”を殺した男として、その名を残す。
 細大は語るまい、道半ばで倒れたクレスターク=ジルニオン十六世の無念は……あの男は、インバルトと約束した『皇帝』となる事はなかった。
 あの男の中では、全ての国を統一してこそ皇帝であって、宇宙の半分を征服した程度では皇帝と名乗る事は出来ない。それが、大帝国の遺志を引き継ぐ者。
 俺は新国王に呼ばれ、葬儀へと向かった。遺体もなにもないその葬儀へと。偉大なる父王の跡を継いだのは、17の少女。
 彼女は父の遺志を継ぎ、全ての国を父に捧げる為に征服すると高らかに宣言した。
「我が父の送り名に相応しいのは覇者皇帝。我等シュスターの末裔は、全ての国を征服してこそ皇帝と名乗る事を許される。よって父を皇帝とする為に、私は全ての国に対して宣戦布告します」
 あの男がインバルトを友人にしたいと言っていた娘は、征服王と恐れられていた父王以上に派手な宣戦布告を行った。
「陛下はお前の良い友達になってくれただろう、インバルト」

 私はその新国王に呼ばれ一室に通された。
 あの男によく似ている美神ケシュマリスタによく似て堂々とした若き新国王に、任されていたターセンの代理統治を褒められた。
 そして唐突に『意思』を問われた。
「激戦区に向かう覚悟はありますね」
 激戦区とは最前線、インバルトは必ず前線にある。覚悟がインバルトを指すのなら問いただしてくださる必要もない。
「あります」
 俺は征服軍の幕僚となった。
 あれ程自分に似合いではないと感じていた軍隊に再び編入され、軍の後方支援を任される。そしてもう一つ、
「我らが勝利の護衛をも任せてあげましょう」
 俺は深く頭を下げた。
「ご慈悲に感謝いたします。そしてあれの望み通り宇宙の皇帝とおなりください、ハウタ=クロナージュ十七世。微力ながらこのラディスラーオも尽くさせていただきます。インバルトの隣で」
 金髪を背もたれに預け散らし、背後には軍旗。指を組み俺を見据える姿はインバルトであっても到底敵わない迫力と威厳を持っていた。
 あの男の娘もまた、偉大なまでの力量を持った娘。娘というのは失礼だな、既に宇宙の半分近くを統治している大国の王であらせられるのだから。
「ハウタ=クロナージュ十七世陛下! テクスタード王婿殿下!」
 父の遺言だと、葬儀の三日後に婚約者であったテクスタードとの挙式が執り行われる。その席にも参列する事が許された。
『折角集めるんだから、一度に終わらせちまいな』
 あの人はそういう人でしたと十七世は語られた。
 噂は多数聞いたがどれも本当で、どれも嘘だったような男。一度しか会った事はないが、そういう事を言いそうな男であるような気はする。
 深い部分は知らないが。……深い部分は誰にも解らな……あの総帥は知っていたかもしれないが、俺には関係のない事だ。
 地上の紙の全てを使うかのような紙吹雪が舞うそこで、最高の意匠を施されたウェディングドレスを着た十七世。通常王であれば、挙式も軍服を着るのが慣わしだった筈のエヴェドリット王国。
『白いウェディングドレスを着るように』父の遺言だと十七世は“俺”に言った。その事を俺に告げるよう、遺書にあったのだという。
『あの人の遺書は意味が解からない事が多いのですが……言われた相手は解るようです』
 痛烈なジルニオンの皮肉なのか、それとも本当に娘の白いウェディングドレス姿を観たかったのか? 白は彼等にとってかつての主だけが着用を許された色、それを着て皇帝を取りに行くと高らかに宣言する為のものなのか? それとも……。
 もうあの王に問いただす事は叶わない。そしてインバルトに望みを聞く事も叶わない。
 腕を組み歩く、その似合いの二人を貴賓席から見ながら、俺は泣きたくなった。

「貴方は誰?」
あの春の日の事を思い出す。
「ラディスラーオ。貴方の夫となる男だ」
白い可愛らしいドレスを着ていた娘。

 発狂したくなる程の大歓声の中、一人呟く。

「インバルト、そっちは寂しくはないだろう? 両親もいれば、老女ディアヌも可愛がってくれているだろうし、デイヴィットもいればヴァルカもいる。リガルドもいるから雑事には困らなかろう。……そうそう、ファドルもそっちへ逝った。病院に収容したのだが、どうも生きる気力をあの色男が持っていってしまったようだ。俺が行くのはもう少し後だ、死ねば付いていくといって聞かないのばかりでな。アグスティンも”あの”アーロンもメセアもリドリーも……まだ死なせたくはない」

 最も死なせたくなかったのはお前だ、インバルト!

『そうですか、貴方が私の夫なのですね。私の名はインバルトボルグ。皇帝の勝利、貴方の妻の名よ』
 二十九歳の時、十歳の世間知らずな王女を手に入れた。
 
「ハウタ=クロナージュ十七世陛下! テクスタード王婿殿下! エヴェドリット王国万歳!」

 笑った。生まれて初めて向けられた、何の邪気も蔑みもない笑顔。
 物の解からぬ赤子とは違う、言葉言う娘のその笑み。知ればこの笑顔も別のものになるのではないかと、恐怖した。
 人と接しなければ、何も知らなければこのままでいてくれるのではないか?

「国王陛下! 副王殿下! 王婿殿下! 皇帝の勝利よ! 我等の王に皇帝の勝利を!」
 弾かれて列を見る。
 副王となったベルライハが棺の横を歩いて足を止めた。俺に向かって少しだけ頷く、躊躇いはあったが俺も頷いて棺の隣に立ちそれに手を添えて歩く。

 それは愚かな望みだった。あの娘は育ち、あの時以上に美しい笑みを向けて死んだ。俺に向けて死んでいった。手を添えている棺を見た。
 中に眠る”皇帝の勝利”その表面を覆うガラスに日の光が反射し、舞い落ちてくる紙吹雪があの日、お前が見せてくれたカレイドスコープに似ている。

十年前小皇帝となった愚かな男が手に入れた“小さな勝利” それが”勝利”ではなかったと気付いた時に 貴女はもう居なかった 

「一緒にみましょう、ラディスラーオ」
共に覗いた小さな世界
「綺麗でしょ」
もう共に観る事は叶わない
「そうだな」
最早、共に未来を見る事は叶わないが、俺をお前の傍にいさせてくれ
「こうするとね、また変わるの」


この手をすり抜けて逝ってしまった貴女の名 それはもう俺のものだけではないが その時は確かに俺のものであった 気付くのが遅すぎて貴女に向かって言えなかった 伝える事の叶わない言葉ではあるが心の中で何度も繰り返そう 愛している インバルトボルグ


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