繋いだこの手はそのままに − 210
「ケシュマリスタ王に帰還許可を出せ。機動装甲にて速やかに帝星に戻るように伝えろ」

帝国宰相が通達を出し、

「王、帝国宰相より機動装甲にて単身で早急に帰国せよとの命令が下されました。オーランドリス伯爵の許可も下りました」
「そうか。では行くとしよう」

ケシュマリスタ王ラティランクレンラセオが受ける。

「おかしな行動は取らないだろうけれども、警戒しておこうか」

 キャッセルが機動装甲に乗り、ラティランクレンラセオに備えた。もちろん何事も無く、帝星に無事帰還し、罪に問われることなく式典に並ぶ。

**********


 式典の最初の一山を越えて、ロガを休ませ、シュスタークは「ザロナティオンの腕」ことキーサミナー銃の前へとやってきた。
 長い銃身は上を向き、銃口が帝星の夜空を貫こうとしているかのようにも見える銃。
「陛下」
「デウデシオン」
「お話があると」
 二人きりで話をしたいとデウデシオンを呼び出したのだ。玉座でもなく私室でもなく、ここに呼び出すことにシュスタークとして意味がある。
「そうだ」
 長い銃身に沿って歩きだし、その背後をデウデシオンがついてゆく。
「……」
 黙ってシュスタークの背後に従い、純白のマントの裾に視線を落とす。
 シュスタークが立ち止まり銃身に手を乗せ、振り返らずに尋ねた。
「デウデシオン、まずは今回の僭主襲撃についてだが」
「はい」
「詳細な説明は要らぬ。余の質問に答えよ」
「はい」
「作戦は成功したか?」
「……はい」
「そうか。ならば良い」
 それ以上のことを問い質すつもりはなかった。
「デウデシオン」
「はい」
 シュスタークが右手でマントの端を持ち振り返る。
 裾の長いマントが計算された通りに広がり、輝きを持つ黒髪はまるで計算されたかのように広がる。胸元の階位章に引っ掛かった髪すら。
「余はこの先も政務に携わるつもりはない」
「……」
「余の治世の全てをそなたに預けること、余が君臨する間そなたから権力を取り上げないことを明言する。だから死ぬなよ」
「御意」
 デウデシオンは一歩踏み込み引っ掛かった髪を解き、頭を下げた。
 明言せずともそのまま続く関係であった筈だが、敢えて明言した皇帝の決意にデウデシオンは口で答えることはしなかった。「はい」も「いいえ」も「善処します」も「ありがとうございます」も答えにならない。
 死なないことだけが、シュスタークよりも長生きすることだけが、この明言の答えであり、シュスタークの御心に沿うこと。
 死するシュスタークの枕元でまだ生まれてはいない「次代皇帝」のことを託された時、シュスタークの決意に応えたことになるのだ。
 この先もシュスタークはお飾りとして、デウデシオンは権力に固執した帝国宰相として生きて行くことになるが、二人の間にはあったのだ。全てではなく一つでもなく帝国の幾つかの幸せが。
 シュスタークは意図を理解したデウデシオンを前に、何時もはしない髪をかき上げる仕草をし、眉間に皺を寄せて話題にしないわけにはいかないことに触れる。
「デウデシオン、ザウディンダルとラティランクレンラセオに関する報告は受けたか」
「はい」
 シュスタークも大まかな報告をタバイから受けた時は、出来る限り内密に済ませたかったのだが、ラティランクレンラセオ側から決定的な証拠を帝国宰相の元へと提出されてしまい、動きを封じられることになった。
 ザウディンダルが改造された犬のような物に襲われている映像が、シュスタークたちの到着前にデウデシオンの元に届いてしまったのだ。発信源は待機を命じられた、ケシュマリスタ王が率いるケシュマリスタ王国軍。
「理由は言わずともわかるであろうから省くが、ラティランクレンラセオについて”このこと”は不問に処する。異存はあろうが従え」
 両性具有をどのように扱っても、殺していないのだから不問になる―― その法律を盾に取り、ラティランクレンラセオが仕掛けてきた。
 ここでシュスタークがラティランクレンラセオを罰することは諍いの元になり、デウデシオンが暴発したらそれは好機となる。
「御意」
 何も仕掛けてこなければ不問とされることであり、ラティランクレンラセオには悪いことは何一つない。
「……デウデシオン」
「はい」
「余はロガが同じような目に遭ったら、帝国の全力を持ってケシュマリスタを叩き潰せと命じる。ヤシャルを殺害し機動装甲を動かし先頭に立って指示するであろう」
「……」
「だがな、デウデシオン。余は兄を異父兄ザウディンダルを愛していないと、そなたに対し証明するにはこの方法しかない」
 『シュスタークがラティランクレンラセオを罰することは諍いの元になり』
 諍いの元にはなるが、これに関しては正当な権利の主張でもある。両性具有ザウディンダルは、あくまでも皇帝シュスタークの物だから皇帝の命令の結果、諍いになることは誰もが不服なく恭順する。その恭順の代償はザウディンダルを塔への収監が付いてくる。
 塔への収監は別にして、両性具有に対し皇帝としての所有権を誇示しないことを《誰かに対し》明言するためには、これらに関しシュスタークは不問のするしかない。
「陛下」
 デウデシオンがラティランクレンラセオとことを構えたら、事態収拾のためにやはりザウディンダルを塔へと収監するしかなく、
「余は権力をザウディンダルごとそなたに預ける。受け取ってくれるであろうデウデシオン」
「ありがたき幸せ」
 治世のために目を瞑るような形で、不問にするしかなかった。
「それで……デウデシオン。権力はそのままであるから、無理かも知れぬが……出来るなら、もう少し余裕を持ち現在を楽しんで欲しい。持てる力の全てを未来に注ぎ込むことはない。今を七割、未来に三割程度でよい。余たちは過去を清算するために努力しておるが、努力していることだけを伝えては、未来の者たちは生き辛いであろう。どんな状況であろうとも幸せを求め享受する、その姿も必要であろう」
「……はい」
 デウデシオンにはもちろん言いたかった言葉だが、シュスタークが本当に言いたかった相手は手を触れている銃の持ち主ザロナティオン。
 生きている時全てを捨てて未来だけを見ていた男。
 彼が幸せを捨てたからこそ帝国の再統一ができたことも事実であった。そしてなにより、そうやって死んだザロナティオンに生き方を、否定してしまうようなことを伝えることはできない。

 言える距離に存在することを知っていながらも言えない。

「陛下、よろしいでしょうか」
「どうした? デウデシオン」
「私は陛下が陛下であることに救われております」
「デウデシオン」
「私に皇位は重すぎる」
「……」
「もしもの話をしましょうか。私や他の異父弟たち全員も陛下と同じように皇位継承権を持っているとします。私が長子で皇帝となり弟たちがいる。そうしたら私は弟である陛下に悩まされることでしょう」
「……」
「皇位継承権は低いが、弟たちの中でもっとも皇帝にふさわしい弟。自分よりも陛下の方が皇帝にふさわしいと悩み、苦しみ、憎んで……そして愛おしむ。私にとって陛下は皇帝であろうがなかろうが、そういうお方だ。唯一違うのは、あなたは皇帝で私は家臣であること。あなたが皇帝で本当に良かった。私は皇帝の器ではない……そう、はっきりと解りました」
「そうか」
 ”そんなことはない”
 数年前までのシュスタークならば言ったであろうが、今はもう言うこともない。
 皇帝であることを選んだのは、他ならぬ過去の自分。全てを捧げたザロナティオンという男に見せることができる唯一の《皇帝》
 過去と未来と現在に対し、責任を持ち皇帝で在り続けること。
 それが自らが生まれた意味だとシュスタークは答えを出した。答えが正しいかどうかは必要はない。
 ここにシュスタークという皇帝がいて、デウデシオンという帝国宰相がいて、ザウディンダルという両性具有がいて、エーダリロクという帝王がいる。
「陛下、話は全く変わりますが、テルロバールノルの王と王弟についてなのですが」
「あーうん、あの、どうした?」
「罰しなくてもよろしいのですか」
 先程のロガ云々の下りからすると「后の乳首初摘み」という、極刑同然の事件を起こしたカルニスタミアとテルロバールノル王家に対して、過酷な懲罰を加える必要があるのではないか? とデウデシオンが尋ねる。
「うん……そのなんだ。これもまた別次元というか……」
 笑って許せる事件ではないが、荒立ててロガの心を痛めるのも本意ではなく、愛しい后の乳首に許可無く触れたということでテルロバールノル王国の臣民全てに課税するのは心苦しく。
「罰しなくてよろしいのでしたら、私は従いますが……課税はした方がよろしいかと」
 乳首についてロヴィニア王ランクレイマセルシュ助言を求めたところ、懲罰として課税話が上がり、デウデシオンの方にも話がきていた。
 乗り気であったランクレイマセルシュに対し、
「懲罰を加えんのが、あの一族に対してはもっとも懲罰になるであろう」
 そのように一応は牽制していたのだが、シュスタークが許すつもりであるのなら、課税した方が良いと伝える。
「……そうか、カレンティンシスは懲罰を望むか」
「はい。王国臣民全てが陛下に従順であることを、罰に応えることで伝えたいでしょう」
「……もう暫く待ってくれるか」
 ”許す”規模が半端ではない皇帝は、悩んで悩んで悩んで……ロガの寝顔を見て全て忘れて、気付いたら眠っていた。


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