繋いだこの手はそのままに −191
 ”面白いことはなにもない”と言ったラードルストルバイアだが、ロガに再度頼まれて、
「俺の話な……まあ、良いか」
 当たり障りの”ある”ことを話すことにした。
「俺の弟がザロナティオンで三十二代目の皇帝だ。その人格も他の体に存在している。それがエーダリロクって呼ばれてる奴だ」
 ほとんどの人が知らないことを、勝手に語り出す
「エーダリロクさんがザロナティオン帝?」
「エーダリロクはエーダリロクだ。その中にシャロセルテ……じゃなくてザロナティオンがいる。人格としては独立しているし、あそこには他の人格は一切存在しない。天然……じゃねえよ、こいつみたいに俺やビシュミエラ、ラバティアーニやその他色々な人格があるタイプじゃなくて、ザロナティオンただ一人だ」
「そうなんですか」
「容姿もあっちは生前のザロナティオンとほぼ同じだ。瞳の色が違うことと、ザロナティオンのほうが40pくらい小さいくらいな。そうだな、お前の身長に……このくらい足すとシャロセ……ザロナティオンだ」
 言いながらラードルストルバイアは右手を出しだし、親指と中指の間を左手指で”このくらいだ”と教える。
「ゼーク様は?」
「俺はエーダリロクの兄王と思えばいい。あの容姿で翼が生えてた。身長はパスパーダくらいはあったはずだ。要するにこいつよりも大きい」
「え? 翼……ですか」
「ああ。俺の特徴とも言えるやつで、左右が不対称だった」
「不対称?」
「こいつの顔をよく見ろ」
 ラードルストルバイアは”シュスターク”の顔を指さす。
「見ました」
 シュスタークではないシュスタークの顔を正面から観たとき、ロガは目の前の《皇帝》の顔の整いぶりに息を飲んだ。
 《皇帝シュスターク》その容れ物は完璧。
「この顔は完璧な左右対称だ。違うのは瞳の色だけ。こいつは完璧だが、大体似たようなもんだ。殆ど左右対称なのが俺たちの特徴だ。だから不対称なのは目立った」
 完全に整えられた配置とパーツ。
 人間では考えられない正確さを描き出していた。
「そうなんですか」
「俺は分類としては異形だった。異形ってのは、あの団長みたいなやつ。こいつはお前に”畸形”と言ったが、まあ元はそこから作り出されたから間違いじゃねえな。団長、あれは完全異形で、俺は半異形っていう人間の姿を残して翼を出し入れ出来るタイプだった」
「ナイトオリバルド様も翼が生えたりするんですか?」
「しないな。もしも翼が生えるとしたら、そりゃ死ぬ時だ。ただし苦しむな。ザロナティオンは死ぬ時翼が生えて苦しんだな。翼が生えるようにしたのは俺だが」
「……」
 ”どうしてですか?”という言葉が出かかったが、それを言葉にすることはしなかった。問うては駄目だろうということを理解できるロガの賢さに、
「まあ、複雑な兄弟関係ってやつだよ」
 ラードルストルバイアは簡単に答えを返してやった。
「仲良しではなかったのですか?」
 兄弟が仲良しだけではない、そのくらいのことはロガも理解している。奴隷の中でも兄弟仲が悪く、憎しみ合い殺し合ったという者たちがいた。
 近所でも評判の不仲の兄弟だった彼ら。
 両者とも周囲には人当たりがよかったのだが、兄弟同士だけはどうにもならなかった。
 その空気に似たものをロガは宮殿で偶に感じていた。殺人を犯した兄弟とは違い、ずっと感じ続ける物ではないのだが、ある瞬間に感じる肉親に向ける殺意。
 誰のものかは解らないが、誰に向けられているのかは明白。シュスターク、皇帝という存在に”誰か”が向けていた。それも肉親が。
「解らないな。もう昔のことだしよ。左右対称で思いだしたが、お前は観賞用容姿としては軍妃や藍凪の少女に勝ってるが、ひとつ劣るところがある」
「なんでしょう?」
「口角の上がりが悪い。顔が崩れていた方の口の端の上がりが悪い。笑ったりするときなんかな。軍妃は見られる顔だったからいいとして、藍凪の少女は不細工だったが、笑顔の時の口が同時に、同じ高さにあがるのが”良かった”らしい」
 ”有り触れた顔以下”だった帝后が、なぜあれ程までに可愛がられたのか? そういう所ではないかと、必死に解読しようとした者たちがいた。
 その結果の一つが笑顔。美しい笑顔ではなかったが、口の端だけは誰もが驚く程に同時に上がっていた映像ばかりが残っている。
「解りました。今度から鏡を見て頑張ります」
 ロガは顔そのものは美しいが、元は半分が爛れた状態でどうしても隠してしまう傾向にあったため、口の端の動きは左右対称ではない。
「言った俺が言うのもおかしいが、それ以外はお前のほうが優れているし。なにより藍凪の少女はそれ以外目立つ箇所がなかったんだろうよ」
「そんなことはないですよ。笑顔が素敵って憧れます」


「どうしました?」
 二杯目の茶を飲み干したあたりで”ラードルストルバイア”が涙を流しはじめ、ロガは驚いた。
「俺が泣いてるんじゃねえよ。この体の真の持ち主が泣いてるんだ。心配する必要はねえ」
 ロガはシュスタークの涙を拭くために用意していたタオルで、その涙を拭う。
「どこか痛いとかではなく?」
「違う。あいつはあいつで、違う奴から過去を聞いて泣いてるだけだ。涙もろいってか……そろそろ俺は戻るとする」
「また会えますか? ゼーク様」
「二度と会うつもりはない」
「……」
「会っては駄目だ。俺は死にたくないから目覚め戦う。俺はこいつの寿命以外で死ぬ気はない。だから俺が現れるってのは原則として危機的状況下にあるときだけだ。だから会わない方が良い、そして会うつもりもない。今回は例外だ」
 ”頻繁に現れると狂う”とラードルストルバイアは言わなかった。
「そうですか」
「寿命の話をしたついでだ、教えておく。おそらく誰もお前には教えないだろうからな」
「なんでしょうか?」

―― 陛下。これは今は亡き愚弟が陛下のために作った…… ――

「こいつはお前より先に死ぬ。何事も無くても、寿命がなあ。あんま長くねえんだよ」
 ロガは手に持っていたタオルを落とした。
「残り何年かは解るのですよね?」
 落としたことに気付かず、ラードルストルバイアに尋ねる。
「元々は残り三十八年。寿命は六十三歳だったが、この前ちょっと削れた。削れた後に計測はしてねえから確実には言えねえが三年は減ってる筈だ。もっと減ってる可能性もあるがな」

―― ロガ。大宮殿に一人でも大丈夫か? ――
―― はい! 私のことは心配しなくても大丈夫です! ――

「三十八年よりも伸びることはないんですね?」
「ない。寿命は簡単に縮むが、容易に伸びることはねえ」
「解りました」
 ロガは泣きそうな表情で語ったシュスタークを思いだした。

**********


「皇帝は退位し大皇となり、皇位を皇太子に譲ることができる。だが余は退位はせず、最後まで皇帝であろうと決めた。理由は親王大公に、自由な時間を与えたいからだ。余が皇帝であり続ける限り、ロガは皇后であり続けることとなる。それは苦難の道だ。退位して大皇と皇太后となった方が楽だ……だが、余は最後まで死ぬまで皇帝でありたい。その時まで、皇后として傍にいてくれるか?」
 指を絡めるようにして握り締めている手に、少しばかり力を込める。
「はい。私の寿命が先に尽きるかもしれませんけれども、最後まで正妃として……皇后として、奴隷として、ロガとしておそばに」

「ありがとう」

―― ロガ、余の方が先に死ぬ。その先は自由になってくれ ――

**********


「ああ、そうそう。こいつが生きてる頃だったら、お前が危機になっても現れる。まあその頃には俺の助けも要らない程にこいつが成長してるかも知れないが」
「ゼーク様がナイトオリバルド様の中から消えてしまうわけではないのですね?」
「消えはしない。こいつが生きている間はずっといる。ただ表に出てこないだけだ」
「そうですか」
「こいつが死んでも、シャロセルテ……エーダリロクってのは生きてるから、そっちを頼れ。エーダリロク自体はお前の女官長の夫だろうし、シャロ……ザロナティオンは俺よりずっと有能で賢い」
「出来る限り頼らず一人で……」
「無理だな」
 ラードルストルバイアはロガの声を遮る。
「……」
「そのくらいの気概は必要だが、助けを求められるくらいの余裕は持ってろ。身体能力だとかどうやっても勝てないことはある。一人でできることなんて限られている。どれ程の天才であろうが」
「そうですね……あの! 昨日助けてもらったお礼をしたいのですが。なにか……その、二重人格で下位人格? の人にお礼ってしたことないから……どうしたらいいでしょう!」
 消える前に言わなくては! と、両手を控え目ながらも振りつつ、本気で尋ねてきたロガに”ほとんどの人間はしたことねえんじゃねえの?”とラードルストルバイアは思いつつ、シュスタークが愛した奴隷をみつめた。
 小さく頼りなさげな淡い光のような存在。
 ラードルストルバイアの目にはそう映ると同時に、だがその淡い光は決して消えることはなく、同時に人や動植物、世界に凍えない温かさを与え続けるのだろうと思わせる物がある。柔らかながらも力尽きることのない強さを感じさせた。
「幸せになるだけでいい」
「……」
「こいつの傍で幸せになれ。そしてこいつより長生きして見送れ。それだけだ。歳月を必要とするから難しいかも知れねえが。正直三十年と少ししか”自分”として生きたことのねえ俺には、この先約三十年間の長さなんて知らないがよ」
 シュスタークでありながら、違う表情で笑うラードルストルバイア。
 ロガは軽く頭を下げてからはっきりと宣言した。
「私や陛下、その他の者の命を助けてくださり、ありがとうございます。生涯をかけて礼をすることに異存はありません。私の人生は私のものであり陛下のものであり、そしてゼーク様にも捧げます。受け取ってくださいゼーク様、私と陛下の幸せを」
 十代後半になったばかりのロガも、この先三十年間近くを幸せに生きるということは見当も付かない。だが生きている人の全ては知らないままに生を重ね、幸せを求めて生きてゆく。知らないのはロガやラードルストルバイアだけではない。
 結局誰もなにも知らない。
 自ら考えて人と比べることなく、僅かな幸せを喜びながら生きてゆく。奴隷であった頃の生き方と何ら変わらないのだ。
「ああ。最後にお前が明日からこいつに”なに”をするべきかを教えてやる」


―― お前は明日から


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