繋いだこの手はそのままに −189
 キュラティンセオイランサの治療に立ち会いたいとのロガの強い希望で、リュゼクが護衛を兼ねて治療器を動かした。
「……」
 リュゼクは治療用シリンダーの中にいる”人物”に声を失った。
 透明で”縦”に置かれるタイプの治療器は、中にいる人の姿がはっきりと見える。重傷者でない場合は横置きではなく、縦置きの方が使われるのが一般的。
 意識を失いかけていた、腹部を五発ほど撃たれた男はシリンダーの中に入れられた時は、白い肌で線の細い顔立ちだった。
 腹部以外にも、打ち身などの怪我が確認されたため、リュゼクは完全治療のボタンを押した。その結果シリンダー内に金髪で皇帝に良く似た顔立ちの、褐色の肌をした男が現れた。

 正確には治療が完了した。

 治療が行われているシリンダーの前で、透明な薬液の中に浮いているそれを見つめるロガ。その横顔に驚きはない。
「失礼します」
 治療中の男の肌の色や顔の形が変わるなどとは思っていなかったリュゼクは、立入禁止制限は課していなかった。
「タカルフォス」
「后殿下。あの申し訳ございません」
 タカルフォス副王は、シリンダーの中など目に入れる余裕もなく、ボーデンの入った篭を差し出すと共に頭を下げて”辞書を壊してしまったこと”を報告する。
「でも! セゼナード公爵エーダリロク殿下が直してくださると確約してくださいましたから、ご安心ください」
「馬鹿者。なにがご安心くださいじゃ。后よ、これは幼い上に、副王となってまだ日が浅く、元来の性格が柔弱でやや抜けておりますのじゃ。じゃがこれでも儂の部下であり、同じ貴族。これから躾直しますので、儂に免じて赦してやってくだされ。タカルフォスよ、先ずは心の底より謝罪するのじゃ、お前の謝罪は軽い」
「失礼いたしました」
 自国の軍重鎮に言われて、タカルフォス副王は膝をついて頭を下げる。
「頭を上げてください。謝罪は確かに受け取りました。受け取った以上、謝罪はもう必要ありません」
「はあ、良かった」
 タカルフォス副王の謝罪が終わったところで、治療器が「治療完了」のアラームを鳴らし、薬液が排出されてシリンダーが開く。
「僕は繊細なんだよ、デーケゼン様」
 医療用のタイルを濡れたまま、薬液を滴らせて歩き話をしている三人の元へと近付いてきた”全く知らない相手”に、タカルフォスは腰の銃に手をかけたが、リュゼクが手を乗せて押しつけて「抜くな」と無言で指示をだす。
 腰に両手をあてて、体を縮めてロガに顔を近づける。
「君に裸みられるの、恥ずかしいな」
「凝視してませんよ」
「そう? ところでさ、僕は格好良いかい?」
「はい。ナイトオリバルド様の次に」

**********


 シュスタークが頭を抱えて転がっている傍で、
「ナイトオリバルド様らしい」
 ロガは微笑んでいた。
「確かにそうなんだけどねえ」
「ナイトオリバルド様って、本当に凄い御方なんですよね」
「君が解ってくれているなら良いや」
 格納庫の中を高速で転がり逃走を続けているシュスタークに向けるロガの視線は優しい。
「ナイトオリバルド様が一番格好良いと思いますよ」
「それなら良いや。ちなみに二番目は誰だい?」

―― 余としてはあのままでも良かったのだが、その……皇帝の妃というのは色々あってな、顔は治療しておいた方が良いのだ ――

「キュラさんです。何時も良くして頂いて」
「僕、君のこと大好き。これからも大好きでいさせてもらって良い?」
「はい」

**********


「君ってさ、とっても”人を見る目”があるよね。正直怖い位だよ。そんな君に選ばれたんだから、陛下は本当に素晴らしい方なんだね」
 ロガの真意に気付いたキュラティンセオイランサは、まだ濡れている手をロガの頬に伸ばそうとしたのだが、
「ばう」
 ボーデンの鳴き声によって止まった。
 いつの間にか篭から降りたボーデンは、自分が乗っているゾイが作ってくれたツギハギだらけの布を咥え、キュラティンセオイランサを見上げる。
「えっとさ。もしかして、手を拭けってこと。いいのかい?」
 キュラティンセオイランサの問いに答えるかのように、足元まで運び布を口から放す。
「それじゃあ、まあ」
「そんなぼろ布じゃなくて。もっと清潔なので手を拭いたほうが!」
「なに言ってるんだい。この布、陛下ですらおいそれと触ることの出来ない品じゃないか。ありがたいねえ」
 キュラティンセオイランサは手を拭き、ロガの頬に触れる。
「これからも、よろしくね。后殿下」
「はい」
 ロガは頷き、布を再び篭のクッションにかけて、ボーデンを乗せた。
「デーケゼン様、后殿下の警備お願いしてもいい? ”なおさない”と、叱られちゃうんだよね、僕」
「了承した。この治療室を預ける。自分で出来るな? 終了し落ち着いてから来るがよい。急いで来るような真似はせぬようにな。それでは参りましょうか、后よ」
 キュラティンセオイランサに見送られ、三人は治療室をあとにした。
 一人だけ現状の解らないタカルフォスは、ロガをミスカネイアに預け、扉の前でリュゼクと二人きりになってから尋ねた。
「あの人は、誰ですか?」
「見たことを忘れろとは言わん。誰にも言うなとも命じぬ。じゃが、儂はなにも答えるつもりはない」
 リュゼクは”知らない”で通すことを決めた。
 王の命令で整形し肌の色まで無理矢理変えているキュラティンセオイランサ。それを助けるのでなければ、話題にすることはできない。
 キュラティンセオイランサ本人に問うことも、王カレンティンシスに尋ねることも。
「はい」
 年長者に叱られてばかりのタカルフォスだが、聞いていいことや、突き詰めてはいけないことの判断はつく。知らない「褐色の肌の男」が、エヴェドリット語でははなく完全にケシュマリスタ語だったところに、今回攻めてきた僭主ではなく”あの王家関連”の暗部だろうとして目を瞑る。
「タカルフォス」
「はい」
「タカルフォス伯爵家は、僭主ハーベリエイクラーダに下っておったな」
 タカルフォス伯爵家の当主が、当主となってからしばらくの間、皇帝と話すことができないには、これに起因している。
「ええ、僭主ベル公爵の部下でした」
 元は当主となれば普通とまではいかないが、即座に皇帝と会話することが可能であった地位の持ち主なのだが、暗黒時代に僭主側につき、その後王国を取った別の系統、カレンティンシスやカルニスタミア達の祖先シャハソネーセ系統に下った。
 下ったからと言って簡単に以前の権限を与えるわけにはいかないので、統一した当時のテルロバールノル王は、何種類かの制限を与えた。
「過去を恥じるか?」
「言葉を濁して言えば難しいところですな、と答えるしかないでしょうが。実際のことろは儂ごときには判断を下すことはできぬというところです。当時の当主は何を持って、何を考えて、何を成そうとして第三子ベル公爵ハーベリエイクラーダ第一王女に従ったのか、儂には解りかねます。当主として研鑽を積み、王国の未来に携わることが可能となった時に、その判断の片鱗に触れることができると考えております」
 単純に利害を求めて従ったのか?
 安定を優先し、過去の痕に関する検証はまだ行われていない。多くの者はまだ過去を見たがらず、治世安定を最優先させてここまで来たが、そろそろ本当の意味で過去と向き合う”時代”になったことに気付き、逃げることを止める者が徐々に現れた。
「お前は、この世には”簒奪”せねばならぬ理由があると思うか?」
 その一人がリュゼク。
「あるでしょうね」
 過去を認め未来を見据える、時代に選ばれた”リュゼク”は、
「儂もそう思っておる。弑逆者の娘は簒奪者の配下となるやもしれん」
 解放されたその身で、苦難の道を歩むこととなる。
「デーケゼン公爵……」
 頚木を外された軍人は、茨の道を歩まねばならない。
「儂とてなりたくはなし、裏切りたくはなし。じゃが、世界はそう生きさせてはくれなさそうじゃ。誰よりも何よりも、儂以上にあの方には……な」

 リュゼクは知ったのではなかった。長年戦い続け身についた自らの感覚が、自我を持ったかのように、神託のように降り注いだ。―― 遠からず簒奪が起きるであろう。その時簒奪する側にいるであろう ―― 

 ”僭主に与した者たちにも、このような声が聞こえたのじゃとしたら……抗えなかったじゃろうなあ”

**********


 シュスタークは既に眠っている。
 眠っているというよりは、
《早く寝ないと、他の奴等が不安がるぞ》
―― いや、だがロガと。それに体……
《うるせえな!》
―― うああ……
 自分で自分の顔を殴られ、その後内部で意識体を羽交い締めにされて、昏くて懐かしい”どこか”へと連れて行かれたのだ。
 ビーレウストはシュスタークを揺すり、
「おーし。意識はないな」
 意識がないことを確認して、そのまま浴室へと運んで自動で洗い、自分の体も洗って、シュスタークに夜着を適当に着せてベッドの上に寝かせて、部屋の内側から警備についていた。

 ビーレウストだけは、先行を命じられたエヴェドリット軍に入ってはいなかった。何のことはない、自分の艦隊に戻る前に王の命令で副官が艦隊を率いてこの場を去ってしまっていただけのこと。
 もちろん、この場合副官は罪に問われることはない。皇帝の命令に従い、王の共をした。指揮官が帰ってくるのが遅かっただけであって。

 皇帝と后用の医務室とされた部屋へリュゼクに連れられてやってきたロガは、
「ミスカネイアさん。無事で良かったです」
 再会に喜び、駆け寄って抱きついた。
 何時ものリュゼクであれば、后の家臣の態度として……と小言をいうところだが、見なかった事にして即座に部屋の外へと出た。
「后殿下もご無事で」
 ロガは何事があったのかは全く解らなく、ミスカネイアは夫から聞いてはいたが”随分と予定は違った”出来事を、あとで詳しく聞かなくてはと考えながら、ロガを診察する。
「打ち身と擦り傷だけですね」
 簡単に治療を終えて、疲れを一時的に感じさせなくする薬を与え、
「どうぞ。お一人で、ごゆっくりお入りください」
 身体中の緊張がほぐれ、目の奥の強張ったようなものが溶けてゆくような感覚。
 適温の湯と、喉に感じる湯気に、
「終わったのかなあ……」
 ロガにとってはいつ始まったのか解らないながら、終わったらしいことを感じとり、やっと一息ついた。オリーブの香りのする石鹸を泡立てて体を洗いながら、まだ奴隷区画に住んで居た時のことを思い出しつつ。
 全て一人で整えボーデンの乗った篭を持ち、シュスタークが眠っている寝室へと向かう。扉を開かせた時、ロガは驚いた。
 室内が今まで見た中で、もっとも派手だったのだ。
 部屋は灯りを落としておらず、昼間のような明るさ。壁を覆う壁紙や天井に描かれた絵、ローチェストの取っ手、マントルピース。どれもシュスタークの元に来た時に感じた以上に”すごいなあ……”であった。
 テルロバールノル王家の歴史と伝統に基づいた装飾は、新興王家の物とはふた味以上違う。
 ベッドの上のシュスタークは灯りなど気にせず、何時もの彼では考えられない程寝相悪く、ビーレウストが適当に着せた夜着は乱れて上半身が殆ど露わな状態。
「后殿下がベッドに入られたら、灯りは落とします。枕元に……灯りはありませんな。只今用意させますので」
 ビーレウストの言葉を聞き頷いて、ボーデンを部屋の隅に置いて、シュスタークの元に近付き、先ずは乱れた夜着を直して毛布をかけ直す。
 ロガはしばらくの間くシュスタークの顔を見つめ、前髪を撫でたあとビーレウストに向かってゆっくりと首を振り合図を送った。
 ビーレウストは無言のまま部屋を出て、室内は灯り一つない暗闇となる。しばらくそのままで、暗闇に聞こえるシュスタークの寝息と、遠くから聞こえてくるボーデンの寝息を聞きながらロガは様々なことを考えた。
 そして横になりシュスタークの胸元に顔を近づけて目を閉じる。
 小さな三番目の寝息があがるまで、それほど時間はかからなかった。

「貴様、足元灯の一つも用意しなかったのか! この! ぶぁっかものがああ!」
「申し訳ございません、王!」

**********


 翌日の昼過ぎ、ロガとシュスタークは薄紫色の空に昼間でも二種類の月が重なり浮かぶ特徴を持つ、なだらかな緑の草原の続く惑星へと降り立った。

第十三章≪僭主≫完


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