繋いだこの手はそのままに −187
「お待たせしました」
「ハネスト殿」
 ハネストがエリア4599の半ドームに到着すると、すでにタウトライバがザベゲルンとディストヴィエルドの回収指揮を執っていた。
 タウトライバがハネストのことを知ったのは、シュスターク初陣会戦の直前。
 初めて会ったときは驚いたものの、説明のために先に教えられていたタバイから話と作戦を聞き共同で作戦に臨むことになった。
 言葉だけでは信用できない《相手》ではあるが、ハネストはタウトライバやミスカネイア、アニアスやキャッセルなど従軍している帝国宰相の手の内の人々に”こう”宣言した。

「我は自らよりも強い相手を裏切らない」

 ハネストの視線の先にいたのはタバイ。ハネストが属する一族の性質から”言葉”は信用に値するが、完全に信用することはできないでいた。
 特に指揮を執るタウトライバは、従軍している兄弟の中で最も強くハネストに警戒を払う必要があった。
 それは当然のことであり、誰もタウトライバを責めることはなく、ハネストを励ますこともない。ハネストを受け入れるのは、結果を見てからであり、受け入れられるのは結果を見せてからであった。
 そして結果が出たことで、タウトライバは譲歩する姿勢をみせて、ハネストはこの先も結果を見せる。
「ここはお任せください」
「それではお願いします。コルタレロル隊、艦内の残党狩りに向かうぞ」
 タウトライバは編成しなおした近衛兵部隊に号令を掛け、その場を離れていった。かつて属していた一族の主の元に単身でハネストを”置く”
「貴様! 生きていたのか! ハネスト」
 これが異父兄弟最後の、信頼に対する仕上げであった。この瀕死の主を救わずに帝星へと連行する。それがハネストに課せられた使命であり、兄弟たちは”それ”を持って、ハネストを受け入れるつもりであった。

―― 嫌な思いをさせて済みませんね

 裏切り者であり信頼を得続けなければならないハネストと、疑ってかからなければならない兄弟たち。
 誰も異父兄弟の妻を、自分の息子たちと仲の良いハイネルズたちの母親を疑いたくはない。だが無条件に信じるわけにもいかない。
 裏切り者は受け入れられるまで苦労するが、受け入れる方も”受け入れようと思えば思う程”悩み苦しむ。
 それらの葛藤を胸に、ハネストは最後の仕上げに取りかかる。
「生きておりましたよ、ザベゲルン。むしろ勝手に殺さないで頂きたいですな」
 ”ハネスト”のことを覚えているザベゲルンが吼え、
「貴様がケベトネイアの娘か!」
 ”ハネスト”の名を聞いたディストヴィエルドが声を上げる。
「そういう貴方さまは誰で?」
 床に溶接されているディストヴィエルドを見下ろしながら、ハネストは笑い返した。

**********


「ふーん。僕この子のこと良く知らなかったけど、なに? 親がちょっと現状に不満を感じて、僭主についたら大変な目に遭ったってことなんだ。馬鹿だなあ……えっと、この子と連絡を取り合っていると思われるのはインヴァニエンス=イヴァニエルドの……なにこの不確定要素」
 キュラは重要書類としては怪し過ぎる箇所を指さす。
「此処までは凄い詳しいのに、ここから滅茶苦茶怪しいのは、なんでですか? キャッセル様」
「あ、それね。詳しいのはね、下った年代が関係してるんだ。ハネストと言うのがこちら側についた僭主なんだけれども、彼女が下ったのが約二十年前。陛下のお顔に毒を落とした僭主」
「ふーん、それで?」
「彼女が帝星襲撃する前日あたりに、インヴァニエンス=イヴァニエルドが懐妊したと聞いたんだって。だから”インヴァニエンス=イヴァニエルドの子”としか解らないんだよ」
「なるほど。でも、どうしてその”インヴァニエンス=イヴァニエルドの子”が艦隊襲撃部隊にいると?」
「ここは完全な予想の範囲。というのもインヴァニエンス=イヴァニエルドは”子供型”だから襲撃部隊には入れられない。でも彼女はザベゲルンの叔母だから、エヴェドリット王位を得られる立場にあり、王位を提示しての協力体制だろうと考えられた。その立場にある以上、ザベゲルンとしては残して襲撃はしない。となれば帝星襲撃部隊の指揮を執る筈。帝星襲撃の際に叛旗を翻さないように、彼女の子供……子供といってももう十九歳くらいだけれど、ともかく子供は彼女に対する人質の意味で伴うであろう……という判断らしいよ」
「エヴェドリットに人質っていう概念あるんですか? キャッセル様」
「それは私も解らないよ、キュラ」

**********


「インヴァニエンス=イヴァニエルドの息子だ」
 ザベゲルンは切り裂かれた口を上手く動かして、ハネストに教えてやった。
「まだ生きていらっしゃるの、あの人」
「何故裏切った?」
「人生は一度きりとよく言いますでしょう? ですから一生に一度くらいは、裏切りというものをしてみたかったのです。そして裏切ってみたわけですが、想像以上に大変です。どのくらい大変かと言いますと、二度と裏切りたくはないと考えるほど大変です。黙って一人の主に仕えているほうが楽でしたね」
「……ふん、そうか。ディストヴィエルド、回復して溶接を振り切って逃げようと考えるのはいいが、この女から逃れるのは無理だろう。お前の実力如きではな」
「ザベゲルン!」
「裏切り者が多かったということか。ディストヴィエルドの裏切りは腹立たしいが、貴様の裏切りは悪くはないハネスト=ハーヴェネス。完遂した裏切りは褒めるに値する。よくやった! それではな」
 ザベゲルンはそれだけ言うと、触手で己の体を包み込み休眠状態に入った。
「これは危険だ」
 ハネストは完全回復に入ったザベゲルンが突然反撃してこないかを警戒する。
「……」
 自分に対する注意が外れたのでディストヴィエルドは、溶接されている胴体を千切り首を抱えて逃げようと行動に移す。
 上半身と下半身が一気に裂け、腕が動いて体を動かし、頭部を拾い上げる。
 ハネストが反撃しようとすると、溶接部分を千切った下半身が、蹴りなどで応戦し始めた。ハネストは下半身の動く為に必要な「足」その物を折り、フロアから逃げ出したディストヴィエルドを追おうとしたのだが、
「こいつですね」
 その必要はなかった。
「アイバス公爵」
 片手に自作の菓子が載ったトレイ、もう片手に己の頭部を抱えた上半身だけのディストヴィエルドを持った、アニアス=ロニが現れた。
 アニアスはディストヴィエルドをハネストの足元に投げつけて、その次にトレイを差し出して、
「これ、食べてくださいますか」
 先程キャッセルに”食べて下さい”と言った菓子を持ってきた。
 キャッセルは射撃によって負った怪我で治療器に逆戻りしなくてはならない状態となったので、それらの処置を終えてから、
「喜んで」
 己の自作菓子を食べてくれそうな人の所までやってきたのだ。
 キャセルも治療器に入る寸前、苦しい呼吸の下から「義理姉さんか義理妹さんの所へと行くと良いと思うよ……って言うか、行ってきて」料理狂人弟を遠ざけるための遺言に近い発言をしていた。
 治療が終わって、上半身を起こした瞬間に口に菓子を突っ込まれてはならないと。過去に経験のあるキャッセルが考えた策だった。
「帝星に戻りましたら、義理姉上であらせられる貴女さまのお好みの物を」
 トレイを受け取ってくれたハネストの前で”自分のお菓子を食べてくれる人が増えた”ことに喜び浮かれ始めたアニアス。踊り出した彼を前に、ハネストもやや驚いた。
「義理姉だと?」
 二人の会話を聞いたディストヴィエルドが、ハネストが”誰か”と結婚していることに気付き、声を荒げて問い質したが、すぐにその口は封じられる。
 アニアスによって口が真っ二つに切り裂かれたのだ。
 アニアスは露わになった舌を握り締めて、
「エヴェドリット王はタンがお好きですから、調理して持っていって差し上げましょう。おや? 回復なさる体質ですか? これは良い料理の材料になる。失敗しても、素材としては勿体なくありませんものね」
 僭主解体用包丁でディストヴィエルドの頭を見事な兜割りにして、両手で髪を持ち振り回しているアニアスの頭の中は「新しいエヴェドリット好みの肉料理が試せる」と喜んでいた。
「これでアジェ伯爵殿下にお礼ができますね」

 ハネストはアニアスが持って来た菓子を食べて感想を述べてから、二人でザベゲルンとディストヴィエルドを隔離場所へと移動させた。

 その後ダーク=ダーマに”ただ一人きり”になったハネストはドームを見上げる。
 プラネタリウムのような視界が広がるドームの穴を応急処置として塞ぐためにビーレウストが貼りつけた自らのマントは、エヴェドリット王国の紅蓮の旗そのもの。
 暗闇に掲げられた紋章を前に、ハネストは顔を覆った。
 
 宇宙の覇権を賭けて敗北した紅蓮の旗。

**********


 宇宙にひるがえる、紅蓮の旗。銀河大帝国時代と呼ばれる旧国家においては一王家であったエヴェドリット。
 帝国崩壊後、三百有余年を経て再統一を果たし、統一国家の頂点に立ったエヴェドリット。
「キサ」
「陛下」
 新帝国には旧帝国の《宝》が集められた。
 現存しているものは、全て集めたと言っても過言ではない。
 帝国崩壊後細々と息を繋ぐも、エヴェドリットに滅ぼされ消え去ったケシュマリスタ王家にしてケスヴァーンターン公爵家とロヴィニア王家にしてヴェッティンスィアーン公爵家。
 空白になった二王家のあとを埋めた一つが、ラケ王家にしてハイゼルバイアセルス公爵家。《シュスターの末裔》と名乗った一族の生き残りに皇帝が命じて興させた国。
 キサはその初代王妃にして、初代公爵妃。
 諸事情によりキサはハイゼルバイアセルス公爵妃と名乗ることは無く、専らラケ王妃を名乗っていた。
「この絵画、不思議そうに見ていたが。どうした?」
 二代皇帝クロナージュが声をかける。
 キサが見ていたのは、優しげな笑みを浮かべた琥珀色の瞳を持った女性。現存する肖像画の中でも、一際目立つ《他には存在しない顔立ち》の皇后。
「この方、奴隷だったんですよね」
「ロガか。奴隷であったな」
「昔、私この人が奴隷だなんて知らなくて」
 キサ生まれ育ち滅んだ国はハイゼルバイアセルス王国といい、貴族や王族は存在したが奴隷は存在しなかった。
 シュスターの末裔を名乗った国ながら、奴隷を否定した。その結果、歴史上に残る「奴隷皇后」も抹消されることとなった。
 キサの育った国では、奴隷は否定されるべき存在だったので、奴隷皇后は存在しないことになっていたのだ。
「そうであろうな。だからお前はキャサリンと名乗っていたのであろう?」
 キサは一時期貴族に憧れ、自らキャサリンと名乗っていたことがある。
 王妃となった今となっては、あの頃どうしてそれ程までに貴族の姫に憧れていたのか? と思う程に。
「クロナージュ陛下! それは言わないで! 思い出すと恥ずかしくて、顔から火が!」
 歴史は市民を支配し易いように書き換えられ、他からの意見を排除し成り立っていた。
「良いではないか」

 ―― 歴史から抹殺されてしまった奴隷皇后。その存在は何処へと? ――

 帝国は滅んだが、王国は残る。そこに奴隷皇后は存在することになった
「姫」
「どうした? テクスタード」
「いや、こっちにいるって聞いたから、来た」
「そうか」
「あれ? この人」
 再統一を果たした帝国の二代皇帝の配偶者となった、テルロバールノル王家の直系テクスタードは、二人が見ながら会話していた絵画の前に立ち、
「おきさきー若いころのだーおきさきー」
 《彼の中に存在する、奴隷皇后の尊称》を語った。彼の中では奴隷皇后は別の存在だった。彼にとって奴隷皇后は、テルロバールノル史に残る男に関係する女性であって、皇后ではない。
 帝国遺児特有の《才能の代わりに知能の発達に難がある》彼は、奴隷皇后がテルロバールノル軍人王と深く関わっていなければ、覚えてもいなかっただろう。
「姫は再婚しないですよね」
「突然どうした? テクスタード」
 彼は笑顔で奴隷皇后の肖像画を見ていたが、突然表情を強張らせて、自らの妻である皇帝に向き直った。
「しないですよね!」
 クロナージュはテクスタードが記憶できなくとも、この場で理解できるよう事細かに説明してやる。
「余と奴隷皇后を一緒にするな。奴隷皇后は夫であった皇帝亡き後、頼りであった帝国宰相。そのかなり年上だった帝国宰相が死去したため、テルロバールノルの軍人王に頼んで再婚して”もらった”のだ。奴隷出の皇后は自らが産んだ皇帝の地位安定の為に取れる策は限られていた。だが余は皇帝だ、奴隷皇后と同じに考えるな」
 齢十八で新帝国の前段階を継いだクロナージュ。彼女であれば、他の策は幾らでも思いつき実行できたが、奴隷皇后の取れる策は限られていた。
「姫は再婚しないですよね」
「テクスタード。そう言う場合はな”しないで下さい”と言うか、余より長生きするかどちらかだ」
 テクスタードはクロナージュの手を取り、指に口付けた。
「僕は心が狭いから」

 正直な感情を前にして、皇帝クロナージュは微笑む。

 そして二人は手を握りあい、ゆったりと歩き出す。
 後ろ姿に目を細めてから、キサは再び絵画を正面からみつめる。
 優しげな琥珀色の瞳と、優しげな顔立ち。個々のパーツが上品にまとまっている、その顔は美しさ以上に安らぎを感じさせる。
 奴隷から皇后の地位に就き、五人の皇女と二人の皇子を産み、二度僭主の襲撃に遭遇するという波瀾万丈の人生を送った奴隷皇后ロガ。
 奴隷皇后が何を思ったのか? 誰を想ったのか? 誰を最も愛していたか?
「追求するなんて、野暮だよね」
 キサは呟いてから二人の後に従った。

 空に掲げられる紅蓮の軍旗。過去に多くの者が望み、叶わなかった。白の夕顔が描かれた赤き旗が宇宙にたなびく。

**********


「我が国、滅びたり……」
 ハネストは呟く。
 彼女は帝国に下り、自らが属していた一族を裏切る形となったが、それが完成する”さま”を前にして、身を押し潰されそうな感情に支配されていた。
 裏切りを受け入れられてもらえないことよりも、裏切りが叶わず滅ぼされての死ぬことも、自分が自分の生まれてから裏切るまでの全てを消し去ってしまった事実。
 帝国を獲ろうと旗を掲げたエヴェドリット一族の”一つ”
 その終焉を前に、彼女は泣いた。

 記録においては内乱を起こした一族が滅んだ。

 そこには一人の裏切り者がいたことも、その裏切り者には立場の違う夫がいたことも、立場の違う者同士が家庭を築いたことも、胸を押し潰す誰とも共有できない悲しみを抱いたことも、その彼女を支えていった夫がいたことなど何処にも書かれてはいない。

 世界にとって”それ”は滅んだだけのことなのだ。どれ程悲しかろうが苦しかろうが、それは存在しない。


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