繋いだこの手はそのままに −9
 無事帰還を果たし、そのまま部屋に入って酒を飲んで寝たシュスタークだが、シュスターク以外の者達はこれからが仕事である。
 見失った事から、アレとかソレとかまあ無かった事を確認しつつ、腰に巻いていた『布とよばれしもの』を丁寧に洗うように命じ、椅子に深く腰をかけたデウデシオンは息を吐きつつ口を開く。
「下半身は裸でご帰還なされたが、何もなかったのだな」
 半裸、それも下半身が裸の状態で走り回っている皇帝をタバイが見つけ出したのは、見失ってから三十二分二十一秒後の事。そこから一分以内に報告が入り、デウデシオンは胸を撫で下ろした。
 その報告が入るまでの三十二分二十一秒間、帝星の大宮殿(バゼーハイナン)一角は大騒ぎであったが、それは過ぎたことなので語らないでおこう。
「申し訳ございません! どのような罰でも与えてください!」
 皇帝を見失う大失態に、宰相であり兄であるデウデシオンに土下座して謝罪するタバイ。
 処刑されても異義を唱えられない失態だが、デウデシオンは耐えた。帝国で最も短気であり、最も我慢強く、最も権力を持つ男は怒りを耐えて会話を始める。それに至るまで、歯軋りが凄かったのだが誰もが無視をする。
「……いや、私にも責任がある」
 まさか内情を知っていた皇帝が、失禁して倒れるなどとは、育てた彼等も思ってはいなかっただろうし、
「育て方を間違えましたでしょうか……父親全員、墓の中のアメ=アヒニアンも揃って謝罪いたします」
 さほどデウデシオンと年齢の変わらない、シュスタークの実父で帝太婿・デキアクローテムスも頭を下げる。背後にいる二名、先代皇君オリヴィアストルと同じく先代皇婿セボリーロストも同じく頭を下げた。
「貴兄らが頭を下げたところで……」
 色々と青筋が立っているデウデシオンは誰かを怒鳴りつけたかった。が、皇帝の父親を責めても仕方ない。
「タバイ。二週間の謹慎と、三ヶ月間俸給を返上せよ」
「寛大なご処置、ありがとうございます」
 同じように苦労している弟を責める気にもならない。
 だがこの怒りをぶつけたくて仕方なかった。皇帝を見捨てて走って逃げた娘を叱責しても良いのだが、デウデシオンは短気な上にかなりの攻撃性も兼ね備えているので、一般市民を叱責すると殺しかねない。それを充分理解している彼は、目を閉じて『自分の叱責に耐えうる者』を脳裏にリストアップした。
 リストアップと言っても四人しかいないのだが……
「……アルカルターヴァを呼べ。今すぐにだ!」
 デウデシオンは、かすれた声で今回の失態をぶつける相手を決めた。本日の失態は、選んだ娘が皇帝を置いて逃げ出した所にあると歪曲。
 皇帝の妃になって、皇帝を置いて逃げるような娘を“選んだ人間に問題がある”と結論付けた。
「どうしてその娘を選び此処まで連れてきたのだ。理由を述べてみよ」
 デウデシオンは部屋に備え付けられている、牢屋に公爵を突っ込んだ後、柵越しに声をかける。
 この牢『愛という名の牢獄』と名付けられている。
 デウデシオンの執務室内の一角にあるもので、失態をしたものは皇帝とデウデシオン以外は誰でも収容される恐怖の牢であった。デウデシオンの責めが苛烈である為、せめて名称だけでも穏やかに……と訳のわからない詩から拝借して呼ばれるようになったのだが。
 そんな名前をつけたせいで、余計可笑しい場所になってしまったが、最早後の祭りである。
「いや、わ、儂が、選んだわけで、わ……」
 宰相と一対一で、言葉で責められるだけの場所。
 少しでも悲惨な場所には見えないようにする為に、皆が飾ったその愛という名の牢獄。デウデシオンの執務室には、皇帝も足を運ぶ事があるため、パッと見牢獄に見えないようにする為の策でもある。
 正直に言えば『それ』が牢獄に見えないのは皇帝シュスタークのみ。普通の人には、奇妙な牢屋に映るのだが皇帝のためだけに飾られているので、誰も口を挟まない。
 シュスタークの辞書には牢獄という言葉がないので(観た事ない)、飾ろうが飾るまいがあまり違いはないのだが、敢えてそこを飾った下僕達の気持ち解らない理由でもないわけでもない気もするが解らないような……本当に解らない。通常の人間であれば、考える事を否定する。それが『愛という名の牢獄』
「貴殿が選んだのだ、公爵。そうだったな!」
 花と絵画とヌイグルミで飾られたそこは、真面目な執務室の中で浮きまくっていた。むしろ、普通の牢獄のままにしておいたほうが、よっぽどマシという程に。
「解った、儂が悪かった!」
 怖いというより『変な場所』としかいいようのない其処で、銀河帝国を支える男二人が柵越しに叫び合う。
「悪いで済むか! ボケェェ!」
「許してくれって、言っとるじゃろうがあぁぁぁ!」

 『愛という名の牢獄』
 壁はさわやかなブルーのペイズリー柄、絵画はシュールレアリズムを多く飾っているが、その中に幼稚園児が描いたような心温まる絵が数枚。
 バロック様式の柱にギミックを仕込み、ある場所を押すと床が回転して、変な音楽が流れる。またある場所のギミックは、触っただけで黒板をつめで引っかく音が脳に響く設定となっている、そしてご丁寧にも、牢の前には黒板。
 ガラスや黒板を引っかく音には耐性のあるデウデシオンが、自らそれ専用の付け爪をつけて尋問途中に引っかく。
 ヌイグルミはどれもデフォルメされたもので、愛くるしい。全てがピンク色をしたヌイグルミたちが、シュールレアリズムの前に鎮座している。ピンク色のウサギ、ピンク色の馬、ピンク色の熊、ピンク色のアナコンダ、ピンク色の鶴。
 ピンク色の鶴はフラミンゴに見えると大評判であった。ちなみにアナコンダは巨大ミミズに見えると専らの噂だ。
 緑がないと心に潤いがないだろうと準備された食虫植物。その牢屋で食事をする際は、食虫植物のエサもトレイにともに並べられる。

「貴殿を責めた所で何も生み出さぬが。さて、どうしたものか」
「ならば出してくれぬか、帝国宰相」
 それらを用意した所で、王でもある公爵は怯まない。普通の人も怯まないだろうが、違和感は覚える。
 ただ、入れられ慣れている公爵はこの程度では怯まないのだが……
「…………」
「無視するな! デウデシオン!」
 長い間、彼等と攻防を繰り広げている宰相は、弱点を熟知している。出口まで向かうと、
「本日の職務は終了した」
 そう言って、デウデシオンは部屋の電気を消す。
「やめてー! デウデシオン閣下ぁぁ! 暗いのいやああああぁぁぁぁぁ!」

アルカルターヴァ公爵カレンティンシス・三十三歳。暗い場所が何よりも嫌いな男。


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