繋いだこの手はそのままに −173
「ラティランクレンラセオ」
「カレンティンシス」
 ダーク=ダーマに到着したカレンティンシスは、港で身柄を確保警備されているラティランクレンラセオと向かいあった。
「アロドリアス」
「はい」
「行け」
 ラティランクレンラセオを見張らせていたアロドリアスを艦内に行かせ、プネモスを少しばかり離れたところに待機させて二人はしばし無言となる。
「……」
「……」
「儂はゆく。貴様はここでプネモスに保護されておるがいい」
 カレンティンシスはラティランクレンラセオに背を向けた。すると直ぐに肩から首へとラティランクレンラセオの手が伸びて首を抱きすくめるかのようにして、片腕で軽く絞める。
「何処へ行くつもりだ? カレンティンシス」
 耳元で囁くその声は、かつてカレンティンシスに”弟を責任もって預かるよ”と言った頃と同じ、優しげで安心を呼び起こすもの。
「貴様には関係のないことじゃ、ラティランクレンラセオ」
 ラティランクレンラセオはカレンティンシスの耳たぶを、色のない唇で触れながら、
「一人で行くのかい?」
 もう片方の腕で上半身を抱き締める。離れていたローグ公爵が近付こうとしたが、カレンティンシスが手の動きで制する。
「一人でゆく」
 シュスタークの咆吼が入れば僭主も護衛も無力となる。
 その時に味方を騙すために苦痛を感じている芝居をするくらいならば、人知れず進むとカレンティンシスは決めた。
 ラティランクレンラセオは目を細め、顔を近づけて頬を触れさせて、
「死んじゃうよ」
 触れている箇所全てから、他の言葉一つなく―― 死ぬよ、死ぬよ、死ぬよ、死ぬよ、死ぬよ ――と伝えてくる。
「死なぬわ」
 ”自ら死ぬ”ことを選べない両性具有の動きを止めようと、執拗に死を心で連呼し、それを触れながら伝えてくる。
「君は本当に強情だね」
―― 死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ
「死なぬと言っておるじゃろうが」
「一緒に行ってあげるから、僕を自由にしてよ」
―― 死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ
「しつこい」
 体を抱き締める腕に力が入り、首に回した腕にも力が入る。
 息苦しさを感じながら、カレンティンシスはラティランクレンラセオを拒否した。
―― 死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ死ぬよ


「本当に一人で行っちゃうのかい?」

死ぬよ。僕と一緒に行こうよ

「ああ、一人で行く」


 決別とは違う、だが道を違えた時、二人を引き裂くように港を黄金の光が貫いた。
「何事じゃ? 誰が……」
「……」
 ラティランクレンラセオはカレンティンシスを自由にして、弾道の出所を捜そうと、扉が開いたままになった状態の港を開口部から宇宙空間を眺める。
「ではな、ラティランクレンラセオ。プネモス、これを警備しておけ」
 カレンティンシスは武装のまま歩き、ローグ公爵とすれ違った。
「御意」
―― この扉を開けた先は一人じゃ ―― カレンティンシスが、死の恐怖を越えて最初の一歩を踏みだそうと、扉の前で躊躇っていると、また背後からラティランクレンラセオが声をかけてきた。
「カレンティンシス」
「煩い」

「私が皇帝となれば、お前はもっと自由になれるんだぞ。私が皇帝になったらお前の弟を王にする。お前の息子たちも私が殺してやるから、お前の弟は汚れない。そしてお前は死んだことになり、私と共にあればいい」

 カレンティンシスは振り返る。
 暗い深海にも似た開口部から望める星空を背に深海の王は立ち、救い主のように手を差し伸べている。表情はない、哀れみもなく、笑いもなく、だが美しい。
 その手を取れば”笑ってくれるだろうか”と思えば、取りたくもなる程切なげに。
 この男に何度も裏切られたカレンティンシスだが、それでもこの男の手をとれば楽になれることは知っている。
 だが所詮”楽になる”だけ。決して”幸せになれる”わけではない。カルニスタミアが王となることがカレンティンシスの幸せだが、弟が王になることだけが幸せなのではない。
 ラティランクレンラセオはそれを知っているから誘うが、ケシュマリスタ王の手によってテルロバールノル王となったカルニスタミアは《幸せ》ではないのだ。

 それはカレンティンシスの解放であって、カルニスタミアの幸せには繋がらない。兄は弟が幸せになることを願っている。

「断る。カルニスタミアは貴様なぞの力を借りずとも王となれる。誰が二度も同じ過ちを犯すものか」
 かつて”王”となるために、この男の助けを借りてほぼ全てを失ったカレンティンシスにとって、皇帝シュスタークは最後の砦だった。
「君は自分を殺すかもしれない男を助けに行くのかい?」

 カレンティンシスはラティランクレンラセオの問いに答えず、扉を開き歩き出した。

**********


 一本道の秘密通路が行き止まりとなり、注意深く壁に触れていると壁が”消え”て、見覚えのある一室に出た。
「食堂……一体ここで何があったんだ?」
 ザウディンダルが出たのは、ハネスト=ハーヴェネスが待機していた帝国側の根拠地の一つである食堂。
「誰が、どうやって戦ったんだ?」
 カルニスタミアとロガが去ったあと、シューベダイン消失の痕跡を追って次々と僭主部隊の襲撃があった。
 それらを片付け、カルニスタミアとロガが「移動艇に乗ってダーク=ダーマを離れるに充分な時間」を稼いだことを確認し、ヤシャルと説得に応じた数名を連れて根拠地を捨て別の所へと移動していた。
 室内の惨状と死体の容赦ない破壊具合に驚きつつ、
「お前、掃除しなくていいから! むしろ掃除しちゃ駄目だから! これらの痕跡は後で解析するんだ! 出るぞ!」
 状況調査などが行われるだろう場所を掃除し始めたS−555改を再び抱えて食堂を抜け、カルニスタミアとロガそしてヤシャルが来たのとは逆の方向へと向かって走り出した。
 食堂から然程遠くはない、区画分け用の壁が設置されている場所で、壁を開こうと端末を差し込み壁を「扉」に変えて開くと、
「リュゼク将軍」
 そこにはリュゼクが立っていた。
「おお、レビュラか」
 リュゼクはエーダリロクの機器で回復した僅かな通信を頼りに”この近辺に僭主がいる”という連絡を受けて、排除しにきたのだ。
 皇帝を捜すのがリュゼクの主目的。僭主の目的も皇帝なのは明白なので、ダーク=ダーマのシステムを支配下に置いている”僭主”を追う形を採用していた。
 部下を連れていたらできないことだが、彼女単身であればそれも可能。
「あの、后殿下は安全が確認されたそうです」
「こちらもラティランクレンラセオを確保し、拘束した。そして貴様は何処へ向かおうとしているのじゃ? レビュラ。副中枢ルートから随分と外れておるではないか」
「それですが、このプログラムを流すことで通信が回復し、汚染も回復するとのことです。これを今から流しに向かいます」
 プログラムケースの”オーランドリス”の紋を見て、襲撃規模の割りに被害が大きくない理由を察知した。

―― たしかに、エヴェドリット系僭主の襲撃は、儂等テルロバールノルには関係のないことじゃが……仕方ないか。僭主同士が手を組むことや、ラティランクレンラセオの奴が僭主と共謀する可能性も考慮せねばならぬであろうから、儂でもこのようにするじゃろうな

 今回の計画的襲撃に関して私人として文句はあれど、公人として異存はなかった。
「どこへ向かうつもりじゃ?」
「ブランベルジェンカ格納庫です」
 皇帝の捜索と、通信の回復。
―― 陛下の強さといい、先程までの咆吼といい
「貴様に任せたシダの副司令はどうしておる」
「近衛を率いて陽動に出ると」
―― 陛下を捜すことも目的であろう。后が保護されたのであれば、あとは通信が回復されれば、儂等が優位に立てるな
「儂が貴様の警護についてやる、レビュラ」
「ありがとうございます。それでは……」
 そう言って、ザウディンダルはS−555改の背中側の保護ケースを外し、ルートを確認する。艦内通路は完璧に覚えていると言い切れる二人だが、意思の疎通をしっかりとしなければならないことが様々ある。
 襲撃を受けた際に別行動をとることの確認、その後の合流ポイントなど。
 ザウディンダルもある程度は戦えるが、リュゼクには遠く及ばない。リュゼクはキュラや通常状態のエーダリロクでは足元にも及ばないほどの実力を持つので、下手に手を出さないほうが良い場面の方が多い。そのような場合の避難や、援護するとしたらどのように等を、単純ながら確りと決めてルートを確認し、
「ここからでは裏側にまわった方が早そうじゃな。ゆくぞ、レビュラ」
「はい」
 二人は《格納庫裏側》を目指して、移動を開始した。

**********


 カレンティンシスが一人で艦内を一人で移動する理由は多数ある。
 一つは”帝王の咆吼”の中、自由に動ける身体的利点を生かすこと。だがこの利点は、諸刃の剣そのもので、カレンティンシスを窮地に追い込む恐れもある。
 それでもカレンティンシスは一人で「システム中枢」へと向かうことを決めた。
 訓練された一般兵を連れて進むのが王としての常識だが、放射線の存在から敵に「異形」が多く含まれていることが判明している以上、「異形」を一般兵の目に触れさせるわけにはいかない。
 それと異形と遭遇した場合、一般兵では対応することができないことと、なによりも帝王の遺言である「僭主との争いに関係のない人間を巻き込むな」との厳命も理由に上げられる。

 カレンティンシスはいつもと同じく、誰が見ても一目でテルロバールノル王だと解る格好をして、廃墟にも似た状況となってしまった艦内を早足で歩く。

 ロガが人質になりえるのと同じく、カレンティンシスも僭主にとっては人質となりえる。敵に自分の”肉体的な弱さ”が知られていることを確信しているカレンティンシスは、僭主側は容易に捕まえられる相手だとして、攻撃を仕掛けてくる可能性は限りなくないに等しいことを理解している。
 他王家の王は人質として、交渉に使える。
 先程リュゼクがラティランクレンラセオを殴り港まで連れてきた目的は、シュスタークの護衛をしっかりとしていないこと、本当にラティランクレンラセオなのか確認してもらうことと、もう一つ「僭主と取引をしないようにすること」が理由としてあった。
 テルロバールノル王家とケシュマリスタ王家は攻めている僭主側にとって、交戦相手ではあるが交渉相手ともなりえる。
 エヴェドリット系僭主なので当初はザセリアバの生命狙いか? と二王家は考えたが、僭主側の攻撃が帝国軍に集中しているところから、狙いは《皇帝》であることが解った。
 相手の狙いが皇帝であれば、僭主側は二王家に接触交渉してくる可能性もある。交渉を持ちかけられた場合、ラティランクレンラセオはそれを逆手に取り、彼らに全ての罪を被せて皇帝になり果せることが可能だ。
 またこの襲撃が失敗した場合、王を人質にとり、撤退の安全を要求することも出来る。

 だからこそカレンティンシスは個人として、ダーク=ダーマで殺害されたいと願って一人で目的地へと向かっているのだ。

 カレンティンシスがローグ公爵をラティランクレンラセオの見張りとして残してきた理由は、先述が正式なものだが、他に明かすことのできない幾つかの役割を与えていることにある。
 自分が殺害された場合、エーダリロクにメイン中枢の場所を教えること。
 僭主に殺害され体が残った場合、完全に処分すること。そしてもう一つ、息子たちの殺害。自分が両性具有であったことを消すと同時に、王子として存在するはずではなかった息子たちを殺害し《正統な継承者である》カルニスタミアに継がせるつもりでこの場に来た。
 だから人質として捕まった場合、カレンティンシスは交渉を決裂させるつもりでもあった。自ら死を選べない王は、自らを消す舞台としてダーク=ダーマを選んだのだ。

―― 君は自分を殺すかもしれない男を助けに行くのかい? ――

 シュスタークに知られてしまう可能性が高いことはカレンティンシスも重々承知している。
 だがカレンティンシスはシュスタークを信頼してもいた。それは自分を王のままにしておいてくれるなどではなく、このことを内密にしたまま処刑してくれと懇願したならば、叶えてくれるであろうとの信頼。

 皇帝シュスタークに全てを賭けて、カレンティンシスはシステム中枢へと向かった。


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