藍凪の少女・おっさん……[01]

 両性具有よ、人類よ

「危なっ! ……え?」
「君は一体誰に向かって言っているんだ? 僕が知らないとでも思っていたのか」
「あ……」
「僕は全てを知っている。だが君は全てを知らない」
「……」
「さあ、僕に従え! 絶望を。良いな、ダグリオライゼ」
「御意」

 無知よ、全知よ

**********

 あれは余が三歳の頃の出来事だ。
 マルティルディが王となる前儀式、皇帝からケスヴァーンターン公爵位を叙爵される式典が始まった日の事。
 その頃、母は余を含めて三人の実子を産んでいた。
 まだ十七歳だというのに。
 私と弟と妹。父親の節操の無さに、余と弟妹は冷たい視線を送ったものだ。
 特に実弟は 《神殿の中で性行為》 で生まれた存在で、父親に対して敵意を隠さなかった……いや、隠したな。
 母の前では、仲の良い父息子だった。そうあのシルバレーデのように。
 母は帝后であったのだが、帝后宮に居ることは少なく、寵妃時代に与えられた瑠璃の館を好んだ。
 マルティルディの叙爵式典の最中、私達は母に連れられてやはり瑠璃の館に来ていた。
 私の手を引き、弟を背負って、妹を抱いて。
 まだ一歳になるかならないかの妹を寝かせる為に、母は寝室へと向かった。
 しっかりと閉じられていなかった寝室の扉。母は行儀悪く足を差し込んで、扉を開く。そのベッドには先客がいた。
「エリュシ様……」

 今でも覚えている。その美しい己の金髪の中に眠る、儚き存在。

 母は駆け寄り、妹をベッドに置いてから両性具有に声をかけた。
「エリュシ様?」
 眠っているのが 《リュバリエリュシュス》 であることは理解した。余も何度か巴旦杏の塔へと連れて行ってもらったことがある。
 塔の中でこの美しい 《リュバリエリュシュス》 が微笑み、歌をうたってくれた。
 だが正体は知らなかった。

 両性具有は目を開く。

 仕組んだのがマルティルディであった事は明白。余は即位してから、あのケスヴァーンターン公爵に ”どのようにして巴旦杏の塔に収められた両性具有を 《塔を停止させずに》 生きたまま塔の外に連れ出したのか?” 尋ねたが……答えは得られなかった。
 余も本心から欲したわけではない。余は知る方法を知っていたが、知ることはなかった。皇帝とはかくも複雑な物であり、ケスヴァーンターン公爵が ”皇帝の座を拒否した理由” の一つを何となく理解した。


 両性具有よ人類よ全知よ無知よ、かくありて、死を乗り越えて不滅となる。ここに両性具有、在り。それは何のためなのか? 答えられる者はただ一人。両性具有と……を共にした……


「グ、グレス?」
 驚いた声と表情。
 固まったままの彼女に、
「エリュシ様ぁ!」
 母は飛びつき 《リュバリエリュシュス》 はベッドに押し倒された。
「エリュシ様! エリュシ様ぁぁぁ!」
 嬉しそうに抱き付き離れない母と、驚いて体を起こせない 《リュバリエリュシュス》
 見ていた余はとても幸せだった。
 その時は良く解らなかったが、今になって考えると、あれが幸せだったと気付く。自分の幸せではなく、他者の幸せが自分をも幸せにしてくれる……
「グレス、子供達が」
「ああ!」
 妹はこの騒ぎでも眠ったまま。
 弟は、眠そうにしていた。
 二人は 《リュバリエリュシュス》 と入れ替わりにベッドの住人となり、母は茶を用意し、余は彼女とテーブルを挟んで向かい合う。
 テーブルに乗せた手指の繊細さ。

 両性具有は人並みに食事を取る事が出来ない。勿論母はそんな事を知らずに、大量に用意した。
 彼女は 《自分は小量しか食べられない》 と母に告げると、母は深く追求しなかった。
 それが母の短所であり長所であり、人を救うところなのだと思う。
「待っててね!」
 母はそう言って余と彼女を残して何処かへと行った。
 彼女は長時間向かい合う生き物ではない。何と言うのか……美しい。
 マルティルディ王も直視し難い。彼女もそうなのだ。あの日、あの時、出会っていた頃には言葉に出来なかったが、美しく直視していられない彼女。


 同じ容姿に成長した妹には感じた事はなかったが


 余は彼女の手を母の手を引くかのように引き、弟と妹の傍へと連れて行った。彼女は赤子の頬に軽く触れる。
 抱き締めたいのなら抱けばいいと、余は妹を引っ張り彼女へと渡した。
 彼女は余の行動に驚きつつ、膝の上に妹を乗せて、その頬に触れて涙を流す。
 美しい涙だった。頬を伝う一筋の涙。
 白いレースのカーテンが風にまい、柔らかな彼女の黄金色の髪が揺れ、光が乱反射する。白く滑らかな肌と、まろやかさの足りない、だが美しい女の頬は透明な涙が伝うに相応しい。
 天使の歌声を紡ぐ肌と同じ色の白い唇が微かに震える。
 声はなく、ただ伝うだけの涙。頬を伝い顎からこぼれ落ち、妹の小さな爪を濡らした。
 彼女の涙に濡れた妹の爪は、赤子の爪であるのに艶めかしく、世界から隔絶される。彼女の涙で濡れたままにしていて、妹が何処かへいってしまうのではないだろうか? そんな不安に駆られて、余はその指を両手で包み込み、
「もう泣かないでください」
 言った。
 今でも覚えている。あの一筋の涙を伝わせた彼女の美しい表情。
 どれ程の時が経っただろうか? 遠くから、母の ”どす! どす! どす! どす!” という足音が聞こえてきて、余は安堵した。
 満面の笑みを浮かべて部屋へと戻ってきた母は、彼女に握り閉めている手を差し出し開いた。
 そこにあったのは、
「手袋?」
 絹の白い手袋。なんの刺繍もない、素っ気のないもの。
 母はそれを受け取ってくれと ”ずいずい” と差し出し、彼女は驚きつつも、それに手を伸ばす。
「それエリュシ様にあげる! エリュシ様、偉い人なのに手袋をしてないの、あてしずっと不思議だった! だから手袋!」
 余は自らの手を見た。
 もう手袋を嵌める年齢に到達していたので、それに伴う式典も終えていた。
「グレス?」
「あてしずっと、ずっと! あの時から! トライアングルの時からずっと! ずっと! 驢馬がね! 用意しておくと良いよ! って教えてくれたの!」

 驢馬は 《この出来事》 の詳細を伝えられて、使命を果たすために動いていたのだ。

 余と彼女と母は部屋を移した。眠っている弟と妹が見えるように扉を開いたままにして、余が取り仕切り彼女に儀式を行った。
「こうして」
「はい」
「こうするのだ」
 王族として認められる儀式を。
 間違いだらけではあっただろうし、周囲にはルサもリニアも居たようだが、止めはしなかった。二人は 《この出来事》 の最中、ずっと物陰から黙って余と母と両性具有、そして弟妹を見守って居た。
「エリュシ様と一緒! エリュシ様と一緒!」
 母も手袋を嵌め、余と彼女と三人で見せ合う、母の喜ぶ様を見て、とても幸せだった。

 彼女は泣く事が多かったが。

 喜びのあまりに泣いて泣いて、母は喜ばせようと色々な事をして、そのどれもが嬉しくて涙が溢れ出す。

**********

「用意が整いましたマルティルディ殿下」

 ケシュマリスタ王太子マルティルディは、暫定皇太子の座を皇帝サウダライトに返上し、ケスヴァーンターン公爵に叙爵される。

「ザイオンレヴィ」
 深い緑色の布地に、白で図案化された朝顔の蔓と葉、そして花が描かれている。
 随所に金糸や銀糸、その他宝石を加工し縒った糸などが用いられてが、それらは無駄とザイオンレヴィは、はっきり言い切れる。
 マルティルディの黄金の髪と、真珠のような肌と、蒼く地球を映す瞳と、翠の海の底を映す瞳の前に色を失う。
「なんでございましょうか?」
「僕は綺麗かな」
 挑発的な口元から「人々の想像した天使の声」が話しかけてくる。
「綺麗なのかどうかは。綺麗という言葉で言い表すことができなのがマルティルディ殿下です」
「少しは理解したようだね」
 自らマントを払いのけ、ザイオンレヴィは謁見の間の扉を開くように命じた。

 あと少しで ”ケシュマリスタ王マルティルディ” が誕生する

**********

 母は元気一杯だった。
「グレス、大丈夫?」
「大丈夫! あてしは驢馬のように力持ちなんだから! 平気だよ!」


 彼女と余と弟妹を連れて散歩に出た。
 彼女を様々な所へ連れて行きたい気持ちで溢れている母の表情は、生気に満ちていた。当初は余一人で驢馬に乗り、母は前後に弟妹を抱えて彼女の手を引いて歩いていたのだが、彼女は慣れない上に弱りはじめていたので、途中で胸を押さえて膝をついてしまった。
 母は心配して館に戻ろうかと言ったのだが、彼女がそれを拒んだ。
 彼女には時間がなかった。残されていた時間は 《わずか》 であったのだ。
「散歩とかあまりしたことなかったから」
 巴旦杏の塔は狭いわけではない。かなりの広さがあり、中庭もある。
 散歩しようと思えばできるのだが、両性具有は総じて体が弱く、あまり出歩きたがらない。特にこの時の彼女は、死期が目前に迫っている中で、本人の意志であるが仮死状態を経て塔を抜け出してきたのだ。元から弱い体に大きな負担が掛かっているのは明か。

 もちろん当時の余や、母には解らないことではあったが。

「待ってね! エリュシ様!」
 母は背中に括り付けていた弟を外し、驢馬に乗っている余の前に括り直し、彼女に背を向ける。
「さっ! エリュシ様! 乗って!」
 彼女は躊躇っていたが、驢馬が鼻をつけて彼女に話しかけると、頷いて背に乗った。
 彼女は母より背は高かった。はっきりと測ったわけではなく、記録にも残っていないし、余の記憶だけで語るしかないのだが、彼女の身長はウリピネノルフォルダル公爵くらいはあったような気がする。
 母より頭一つくらいは確実に大きかった。
 だが、相当 《軽かった》 ようだ。
「エリュシ様! 軽い! すごい軽い!」
「え、ええ……あの、我はその……骨の中が空洞だから」
 両性具有というのは元々 《羽》 も生えている。作った者達はその羽で飛ぶようにしたかったらしく、骨も鳥と同じように空洞化させた。
 結局 《羽》 だけでは飛ぶことが出来ず、その後 《超能力》 の開発に移行し、空を舞えるようになるのだ。あのマルティルディ王のように。


 七十二の完全なる……を従えるマルティルディ王。そして巨大な超能力の根源。あれは完璧だった。マルティルディ王はケスヴァーンターンとして完璧な存在だった。
 余にも見せてはくれなかったが、見たかった。それを見たのは、ザイオンレヴィただ一人であったが。 


 母は骨が空洞ということが良く解らず、驢馬が 《骨が軽いんだよ。そう、小鳥のように》 と上手く説明し納得する。
 母は驢馬に引かれて……そう、母が引いているのではなく、母は引かれて白象の元へとやってきた。ガンダーラ2599世、母の白象である。
 本来ならば皇帝の白象なのだが、このガンダーラ2599世、父が嫌いらしく……何故嫌いなのかは最早語らぬが、嫌いであった。
 父が単身では決して乗せず、母が共であれば母だけを鼻で奪いそのまま鼻の上に乗せて歩いていた。
「象だよ! エリュシ様!」
「ガンダーラ?」
「良く知ってるね! 凄い、エリュシ様!」
 母は彼女を背から降ろし、妹も地面に置いて、驢馬に括り付けていた余と弟を地面に降ろしてくれた。
 妹はガンダーラ2599世が鼻であやしてくれている。
 その傍には、余の白象となる未来のガンダーラ「2600世」がいた。父象2599世に厳しく育てられているそれは、妹に鼻を伸ばして2599世にはたかれるのが印象的である。

 2599世は優しく全員を鼻で頭に乗せ、驢馬の誘導の元ゆっくりと歩き出した。
「ぞう! ぞう! ぞうそう!」
 何時も通り嬉しそうに2599世の頭を叩きながら、自作の歌? をうたい、母は彼女に色々と説明を……できなかった。
「あれは木! なんとかって言ってた、何時も緑色の木!」
「あれは湖! 名前は忘れちゃった!」
「あれはね……」
 驢馬の解説を聞いたほうが良いような気もするのだが、彼女はとても満足していたようだった。

戻る目次進む