【早くグレスを宮殿に連れて来い! デルシ!】
[貴様! なにか良からぬことを企んでおるのだろう! おるのだろう!]
グラディウスを無事に保護したデルシ=デベルシュは、
「殿下」
「通信など無視しろ」
すぐに宮殿には戻らず、グラディウスと楽しい時間を過ごしていた。
デルシ=デベルシュの楽しみが半分以上だが、それ以外の理由も少々。
「無事に保護したぞ、マルティルディ」
デルシ=デベルシュの旗艦に足を運んだマルティルディとの 《秘密の会談》
「それで? わざわざ僕を呼び出すなんて、余程の事だろうね」
「グレスが外出した経路を探っていたのだが、皇王族侯爵専用脱出経路を使って外に出たことが判明した。道案内は驢馬だ」
「……」
「グレスは驢馬に言われて故郷へと戻ったそうだ。出かけるのも驢馬に話したと。貴様は 《家臣から報告を受けていないのか?》 マルティルディ」
デルシ=デベルシュの全てを知っていると物語る表情を前に、マルティルディは舌打ちをして睨み返す。
「煩いな。本当のことが知りたいなら、僕を殴って屈服させたらどうだい?」
「本当のことなど知りたいとは思わぬし、貴様に勝てるとは思っておらぬよ」
デルシ=デベルシュは声を上げずに笑った。
癖の強い赤毛を揺らし笑うデルシ=デベルシュに腹を立てて、マルティルディは殴りつけるも、相手はその手首を掴み容赦なく握り閉める。
「通常の形態では、貴様の体が傷つくだけだ。どうした? 異形にして異能。その本性をさらけ出さぬか?」
デルシ=デベルシュの直線的な誘い。
「僕の真の姿が見たいなら、皇帝にでもなればいいだろう。あそこに 《全て揃っている》」
掴まれている手首だけを異形化させ、デルシ=デベルシュの掌を ”破壊” し、背を向けて旗艦を後にした。
デルシ=デベルシュは一人きりになった後、グラディウスが眠っている部屋へと向かい寝顔を見ながら、この五十五年の人生の中で 《存在してはならない出来事》 を思い出す。
今から約五十年前に両性具有隔離棟に収められた、存在しない姉 《ランチェンドルティス》 のことを。
**********
エヴェドリット王族に生まれながら 《=(カランログ)》 で繋がる名を持たなかったランチェンドルティス・アグディスティス・ロタナエル。
デルシ=デベルシュよりも五歳年上で、現エヴェドリット王よりも二歳年上。
彼女は第一子であったが多くの、いや全ての両性具有と同じく闇に葬り去られた。
いつの間に存在を知ったのか? デルシ=デベルシュ本人も解らないが、気が付いた時にはその存在を知っていた 《姉》 ランチェンドルティスのもとへ人の目を盗み足を運んだことがあった。ランチェンドルティスは妹王女の行動にいい顔をしなかったが、拒否もしなかった。
デルシ=デベルシュが五歳の時に 《十歳の姉》 の姿は王宮から消えた。
何処へ行ったのか知っているが、会うことが困難な場所へと収容された。その 《姉》 との再会は十年後のこと。
デルシ=デベルシュは大宮殿に上がり、当時の皇太子シャイランサバルト皇女の護衛となる。皇太子の護衛になったことで、大宮殿内での行動がほぼ自由になり、デルシ=デベルシュは 《姉》 の元へと向かった。
《姉》 は王宮にいた頃と同じで、再会を喜びはしなかったが、やはり否定しなかった。
デルシ=デベルシュも頻繁に足を向けることはなく時は過ぎ、《姉》 が収められてから十九年後、新たな両性具有が収められた。
デルシ=デベルシュはその後 《姉》 の元へと向かうと、二度と来るなと拒絶された。奥から天使のような幼子の声が聞こえてくる。
「幼すぎないか」
「幼い方が良かろう」
それから死直前まで会う事は無かった。
死の直前に皇帝となったシャイランサバルト帝の警備として付き従い、グラディウスがリュバリエリュシュスと出会った [窓] で最後の会話をする。
”足を運んでくれて嬉しかったと言っておいてやるよ”
《姉》 は死に、皇帝は巴旦杏の塔から 《姉》 を取り出し、デルシ=デベルシュに渡した。塔の中から足音が聞こえてきたので振り返ると、そこには 《ケシュマリスタそのもの》 が涙を浮かべていた。
皇帝とデルシ=デベルシュは振り返ることも、声をかけることもなくその場を立ち去る。
シャイランサバルト帝は両性具有に興味を持たない皇帝だったが、
「母であった先代皇帝は、抱かれたようだが」
それだけ言って、後の処理をデルシ=デベルシュに任せて去った。
《姉》 は女性皇帝の 《男性としての愛妾》 だった。複雑だなと思いながら、デルシ=デベルシュは 《姉》 であったランチェンドルティスを粉砕した後に、溶解液へと ”流した”
溶解液の存在する底へと投げ捨てる形なのだが、気持ちとしては ”流した” であった。オーロラのように姿を変える ”人造人間であることを隠すために全てを消し去る” 溶液を眺めながらデルシ=デベルシュは 《姉》 に 《リュバリエリュシュス》 が存在した幸せに、人知れずに喜んだ。
《姉》 を孤独から救った 《リュバリエリュシュス》
その存在は殺害されるのか? それとも寿命で死ぬのが先か? デルシ=デベルシュには解らないことではあったが、最後まで見届けようと心に決めて、マントを翻して溶解液の満たされた球体内部に渡されている橋を後にした。
**********
グラディウスが大宮殿に戻ってくると、皇子のベルティルヴィヒュを抱きかかえたルグリラドと、
「ドラしゃま……(*1」
大量の菓子を持ったイレスルキュランが出迎えてくれた。
その後部屋へと連れて行かれ、みんなに 《出かける時は儂・私に言え》 と注意されてた。長い説教ではなく、あくまでも簡単な注意。
そうしているとサウダライトが部屋へと来て、
「グレス!」
グラディウスを抱き締める。
抱き締め返したグラディウスは、ずっと考えていたことをやっと言えた。
「あのね、おっさん。あてしね……」
「どうした? グラディウス」
「あてし、あてし……一人でうちに帰る」
突然のグレスの言葉に誰もが驚き、その顔をみた。
泣き出す寸前の、相変わらずな不細工な顔。
「どうしたのかな? 帰ったらホームシックになったのかな?」
サウダライトは背中を軽く叩きながら、グラディウスを落ち着かせようとする。グラディウスは大きく首を振り、サウダライトの頬に頭をぶつけながら、ずっと考えやっと言葉に出来た思いを伝える。
「ベルテ抱っこしちゃ駄目なの、あてし寂しいから居なくなる!」
「え?」
突然の言葉にその場にいた、サウダライト、デルシ=デベルシュ、マルティルディ、ルグリラド、イレスルキュランにキーレンクレイカイム、そして何故かその場に居たテルロバールノル王が顔を見合わせた。
「あてし馬鹿だから、馬鹿がうつるから触っちゃ駄目ってみんなに言われた。兄ちゃんの嫁も、そう言った。馬鹿うつしたくないから、触んないけど、ベルテと一緒にいると触りたくなる。だから家に帰る! もう、ベルテに会わないんだ!」
言い終えると、泣き出すのを我慢してサウダライトに力一杯抱きつく。
後日の調査で判明したのはアルトルマイス親王大公(ベルテ)の侍従長となった人物が、息のかかった部下全員に、グラディウスが言ったような事を言わせていた。
本人は 《先のことを考えて》 と釈明したが、彼はアルトルマイス親王大公が皇太子になることも見る事ができないまま処刑された。
それと、兄嫁にも同じ様なことを言われていたことも報告される。年の近い甥が幸せになるのを見て、グラディウスは馬鹿はうつらないと安心した。
グラディウスは幸せになった甥と直接再会することはなかった。それは昔々の 《一つの物語》 となり、暗闇の中で消え去った。
「グレス」
「なに、おっさん」
サウダライトは抱きついていたグラディウスの腕をゆっくりと解き、頬を両手で挟んで、正面から見据えると吹き出しそうになる顔を見て、
「帰るなら帰っても良いよ」
「おっさん……」
「でもね、本当にベルテと会えなくなっても良いのかな?」
「きゅ……ベ、ベルテ」
グラディウスから手を離し、ルグリラドからアルトルマイス親王大公を受け取る。サウダライトは大貴族の当主の多くがそうであるように、自分の子供を抱いたことはない。
アルトルマイス親王大公も抱く気はなかったのだが、自分が抱いてグラディウスの前に立って、
「おっさんは、グレスにベルテを育てて欲しいな。もちろんおっさんも協力するけど、おっさんは育てたことないから、グレスがいてくれないと困るな」
本当に困り果てた表情で話しかけた。
「……」
「グレス、馬鹿はうつらないよ」
「……」
サウダライトが抱いているベルテから視線を外して俯くグラディウス。
「でも……」
グラディウスが膝の上で握り拳に力を入れると同時に、
「グレス! 何を心配しておる! そういうのはうつらんのじゃ! ほれ、儂はこの通り眉なしの父王に抱かれて育ったが、美しい眉がある!」
ルグリラドは人を慰めるのが苦手だったが、精一杯の言葉をかけた。父の全く無い眉を指さしながら。
「ルグリラド、儂はお前なんぞ……」
サウダライトが抱いたことがないのと同じく、テルロバールノル王も娘王女を抱いたことはないが、
《空気読めよ、アルカルターヴァ》
マルティルディに脇腹をど突かれ、
《眉なし童。無駄愚痴叩くな》
デルシ=デベルシュに尻たぶをつねり上げられ、黙った。
「ほぉれ、今でも儂を抱きかかえたがる、変態父王じゃが! 儂の眉は健在じゃあ!」
ルグリラドは言いながらテルロバールノル王の手を叩いて、抱き上げるように睨み付ける。
《早うせんかい! 無能者があああ! むわゆうなしぐあぁぁぁぁ!》
修羅の如き表情の娘王女を前に、急いで抱きかかえて、
「ほうれ」
瞬時に聖母のようは微笑みとなった横顔を見ながら、テルロバールノル王も引きつった笑顔で頷く。
「……本当にうつらない?」
「うつらないよ。おっさんはグレスを一杯触ったけど、馬鹿になってないでしょ」
− 性質の悪い馬鹿で、極度の変態だが! ここでは突っ込めん! この状況では口を開けん! まさかこの皇帝相手に言いたいことが言えない日がくるとは! −
グラディウス以外の冷たい視線を背中に浴びながらも、サウダライトは笑顔で話しかける。
「うん……」
「グレス」
グラディウスは目の前に差し出されたアルトルマイス親王大公を、サウダライトよりも余程上手に受け取り、そして頬ずりした。
「ベルテ……可愛いなあ」
ぼろぼろと涙を零しながら、何度も何度も頬ずりする。
「グレス」
サウダライトは膝をついて、
「解らないことがあったら聞きなさい。解らないことを聞かないのは本当に馬鹿だよ。それにグレスの周囲にいる人達は、グレスが質問して笑うような人じゃない。おっさんは、グレスの質問に笑ったりしたことあるかな?」
「うん……うん……ごめんなさい。あてし帰らない、おっさんとベルテと、ほぇほぇでぃ様とおきしゃきしゃまと、乳男さまと眉なし王様と……みんなと、みんなと一緒にいる。みんなと一緒にいるの大好きだ」
サウダライトはもう泣かないでと頭を撫で、グラディウスは撫でられて笑い、同じようにアルトルマイス親王大公の頭を撫でる。
《ルグリラド、降ろしてもいいか》
《黙れ、暫く黙っておれ! 眉なしめ!》
「へへ……あのさ、あのね……おっさん」
「なんだい? グレス」
「前から言ってる ”にょーどーかいはつ” って何? わかんないから教えて!」
わからない事は聞けばいいのだ! そう教えられたグレスの自発的な初の質問は、空間を犯した。
瞬時に犯され、ぼろぼろになった空気の変調にむずがるアルトルマイス親王大公と、サウダライトの右肩に手を置いた、
[ダグリオライゼ]
マルティルディと、
【小僧】
左肩に手を置いたデルシ=デベルシュ。
二人は声を合わせて言った。
「ちょっと体育館の裏まで顔貸せ(*2」
サウダライトは[うふふ〜]といった表情で、
「ごめん、急用ができたから。また後でね」
「すまんな、グレス。我と」
デルシ=デベルシュに右腕をかかえられ、
「僕との三人の間で大事な用事があるんだ。疑問はイレスルキュランにでも聞くと良いよ」
マルティルディに左腕をしっかりと掴まれて、連行されていった。
「おっさん! あてし部屋で待ってるから! 部屋であてしとベルテと一緒に寝ようね!」
「あ、ああ……ありがとう、グレス」
グラディウスのこの言葉に、サウダライトは自分が 《多少死にかけても、殺されることはないこと》 だけは確信した。
(*注1)
ルグリラドを省略するとラドになるはずだが、なぜかドラになった
理由を問うものはなく、当人も訂正しようとしなかったので”ドラ”のまま
(*注2)
「体育館の裏まで顔を貸せは」発音的に 《ベルサイユにいらっしゃい》 である
語源は不明