グラディウスは幸せな気持ちで窓の外を眺めていた。
ドミニヴァス夫妻がグラディウスに「うちの子にならない?」と声をかけてくれたのだ。グラディウスは最初何を言われているのか解らなかったが、ピラデレイスにも何度も説明されて 《ピラデレイスが新しい兄になる》 そう理解できた。
「レンディアは優しい兄嫁になると思うよ……うん、おそらく。あんまり自信ないけど」
「ピラデレイス! それで、どう? こっちは子供出来ないから、妹のようで娘のようで……と期待してるんだけどさ」
あまりに優しい人たちの幸せな申し出にグラディウスは目を細めて微笑み、だが否定した。
「とっても嬉しいけど、あてし、おうち帰るの! あてし、かあちゃんもとうちゃんいなくても大丈夫だから!」
もう、子供じゃないから大丈夫! そう何度も言ったグラディウスの意志を尊重して、まめに連絡を取り合うことを約束し、話を終えた。
宇宙を眺めているグラディウス、窓に映っている顔を後ろから見て、あまりにも幸せそうな表情に、全員が何とも言えない表情になった。
ピラデレイスとレンディアは部屋を出て、食堂でジュースを飲む。
「いやあ……驚いた。帝星の下働きになると、あんなに賢くなるとは」
オレンジジュースの入ったコップを唇につけたまま、ピラデレイス驚きの声を上げる。
「本当に凄いもんだな。驚いたよ」
レンディアも同調しながら、グレープジュースを飲む。
二人は結婚式に現れたグラディウスが、二年前のグラディウスとは比べものにならない程、会話が成立することに驚いていた。
斡旋所に辿り着いた頃のグラディウスは、言いたい事は殆ど言えない上に、思考回路が飛び飛び。相手に話を理解してもらうためには、どのように話したら良いのかが全く理解できていなかったが、
「帝国語も理解できるようになってたしな」
今はそれらが、ある程度考慮できるようになっている上に、違う言語を聞いて僅かながら理解できるまでになっていた。
「大宮殿や王宮の教育、学問、研究の水準は高いと聞いていたけど、本当なんだな。あの子を見ていると大学院を出てから学問を究める為に、愛妾になって勉学に励むやつがいるのが解る」
以前グラディウスを庇ってくれた愛妾レルラルキスは、これが目的で愛妾になった。本人は皇帝の愛妾基準を充分満たしているのだから、文句なく美しい。
町中ではかなり目立つ存在だ。その上賢いとなると、言い寄られることも多い。その ”言い寄られる” のが鬱陶しく、それらを解消されるために愛妾となり、落ち着いた環境で研究を続けていたのだ。
グラディウスを庇ったことで、皇帝が足を運ぶようになったのは、若干予定外で ”あれ” だが、一応本来の仕事ではあるしグラディウスの事も聞けるので、訪問は笑顔と節度を持ってこたえている。
「それにしても、凄い教育だよ。やっぱり首都惑星の教育水準の高さが、田舎とは全く違うんだろうな」
確かに首都惑星の教育水準は高いが、グラディウスの場合は首都惑星の教育水準というよりは、元ルサ男爵、現「ハルテンビアくんのお父さん」の頑張りだけである。もちろん二人が知るはずもない事ではあるが。
「折角帝星に移動になったから、大学にも通ってみるか。夫婦で編入してると、こっちからは特別費用がでて、大学では学費は割引されたよな」
「ああ、ほとんど家計にひびかないはずだ。どの学部にする? ピラデレイス」
そんな話をしていると、艦内放送が入った。
各自部屋に戻るようにとのもの。二人は、
「なんだろう? レンディア」
「強盗だったら上手く交渉して、航行を早く再開してほしいもんだ」
コップを返却口に置き、ゆっくりと歩いて部屋へと戻った。
宇宙空間で普通の旅客宇宙船が武装強盗宇宙船と遭遇するのは珍しくない。
武装はしているが、撃ち合うことはまずない。武装強盗と船に乗っている専門の交渉員が身代金を調整して支払って航行を再開する。
旅行費用にはこれらの保証金が組み込まれているのが多数で、頻繁に旅行する人は保険などに入っている。
慣れている人は余裕で、初めての人は船員に説明されて部屋に戻り、全員が交渉員の話術が巧みであることを願いつつ、部屋のモニターのスイッチを入れた。
「父さん、母さん、放送は?」
「まだ開始されていないよ」
交渉や乗り込んでくる場面の映像は、各部屋に放送される。
情報を与えないで交渉するよりも、画面越しに情報を与えて交渉をした方が、パニックを起こさないので、強盗のほうも仕事がしやすい。
「なに?」
グラディウスは何があるのだろう? とモニターの前に座った。
「あ、帝国軍だ。乗客に指名手配犯か?」
帝国は逮捕などを行う警察も軍の支配下なので、軍隊が出て来ることは珍しくないが、そのレンディアの言葉にピラデレイスは首を傾げる。
「でもこれ、正規帝国軍で将校級が搭乗する戦艦だ。軍警察じゃないだろう」
軍警察は最高位で大佐。この地位に就くのには、大まかに二つ。軍警察学校を出るか、徴兵から叩き上げのどちらか。だが将校級となると最低でも士官学校を卒業していなければならない。
「おまけに……」
ピラデレイスは画面を食い入る様に見て、気になる部分をズームする。
「どうした?」
「全砲門が開いていない。犯罪者を捕らえに来て、砲門が開いていないっておかしいだろう」
息子ピラデレイスの言葉に父親も、
「お迎えにあがる際や、仲間を迎えにくる時は砲門を閉じているとは聞くが……珍しいね」
そう言って首を傾げるしかできなかった。
その画面に現れたのは堂々たる体躯と赤い癖の強い長髪の持ち主。
「デルシ=デベルシュ皇后!」
赤い軍服に白いマントをたなびかせ 《将校》 部隊の先頭を大股で歩く女性。
「な、なに?」
「あー! おきちゃきちゃまだ! テルチちゃまあ!」
誰もがエヴェドリット王女の襲撃に驚いている最中、グラディウスは部屋を出て駆けだしていった。
「わっ! 待って! グレス!」
《こういう事があるの、説明してなかったなあ》 思いながらピラデレイスはグラディウスの後を追う。この二人の民間人が走っている映像も、当然各部屋に流される。
そして、
「元帥殿下。二つの物体が部屋から出て移動しております」
「こちらに向かっているのか?」
「いいえ。全く違う方向に」
報告を受けたデルシ=デベルシュは頷き、
「どちらに向かえば合流できる」
片手に銃を、片手に剣を構えて駆けだした。
「グレス! グレス!」
ピラデレイスの必死の呼び止めに、グラディウスは足を止めて振り返る。
「どうしたの? ピラお兄さん」
やっと止まったグラディウスの傍に近寄り、肩に手を置いて声をかける。
「こういう時って、部屋から出ちゃ駄目なんだよ」
グラディウスは驚き大きな藍色の瞳を見開いて、
「ご、ごめんなさい! あてし知らなかった」
頭を下げた。
「俺も教えなかったのが悪かったな。さ、部屋に戻ろう」
「でも、テルチちゃまに会いたいな」
グラディウスの言葉にピラデレイスは膝をついて、顔を覗きこんで話しかけた。
「知っているの?」
「うん! テルチのおきちゃきちゃま!」
「……」
もしかして、グラディウスはデルシ=デベルシュ皇后の宮で下働きしていてたのか? 考えたピラデレイスは、
「じゃあ、少し此処で待とうか。多分来てくれるはずだよ」
待つことにした。
どの道、部屋から勝手に出て走り回ったのだから、後で色々と聞かれるだろうし、ここから部屋に戻って変に疑われてもいけないと。
「うん! あのね、すごく優しいんだよ! テルチのおきちゃきちゃま!」
「そ……そうなんだ」
身長230pで体重210sの体躯を持つ皇后。ふくらはぎの中程まである長い癖の強い赤毛と、自王家の色である赤を多用した軍服をまとい、叩きつぶすのに適した長剣と破壊殺傷能力に優れた銃を持ち、中将達を引き連れて、軍靴の音も高らか、鋭い犬歯も露わ、極めつけの咆吼を上げ、
「うぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
駆け回る五十五歳になられた王女殿下。その名もデルシ=デベルシュ・エゼラデグリザ=エデリオンザ・フマイゼングレルデバウワーレン。
《やさしい? ……んだ》 ピラデレイスが疑ったとしても、なんの罪にも問われまい。