リニアが妊娠した。父親は当然ながら、ルサ男爵。
ルサ男爵は結婚する権利も ”繁殖” する権利もなく、リニアは離婚していない。よって全ては ”無” に返されるべき事柄なのだが、
「おめでとう! 産まれてきた子に、あてしのことお姉ちゃん呼んで欲しいな!」
報告を聞いたグラディウスが大喜び。
「ルサお兄さん! 一杯子供作るといいよ! そしたら兄弟が! 兄弟が!」
二人の手を取って、何時も通り失敗しているステップで飛び回った。
”あてしのことお姉ちゃん! お姉ちゃん!” と笑顔で二人を祝福しているグラディウスを見て、サウダライトはザイオンレヴィに耳を貸すように無言で指示を出し囁く。
「上手く便宜図ってくれ、ザイオンレヴィ」
サウダライトの殺生嫌いは胎児にも及ぶ。聞いたが最後 《堕ろせ》 などとは絶対に言えない性格。
「赤ん坊! 赤ん坊!」
冷酷さとは無縁の男は、目の前で喜んでいる寵妃の喜びを持続させることが重要でもあった。
息子も 《父親の性格》 理解しており「リニアがルサ男爵の子を身籠もった」報告を受けるとすぐにマルティルディに連絡を入れていた。
館まで足を運んだマルティルディは、彼女の言葉で表すと、
《馬鹿らしい喜び方だ》
あまりにも彼女らしく言い放つも、グラディウスの喜びを前に彼女らしくなく寛大であった。
「十親等には皇王族系第七親等待遇で伯爵をくれてやろう。下級貴族はケシュマリスタの子爵をくれてやる。後は任せたぞザイオンレヴィ」
「御意」
それだけ言うと、グラディウスで遊びはじめた。
「ほぇほぇでぃ様! リニア小母さんに赤ん坊が!」
「僕もそれを聞いてきたんだよ」
「お祝い? お祝いに来たんだね!」
「そうだな。さあ、行くぞグラディウス」
「何処に?」
「祝いの品を取りに行くんだよ。ほら驢馬に乗れよ」
「うん! それで、何処に行くの?」
「ザブロ・フロゲルタ山さ。その山頂の雪をこの瓶に詰めて贈るのが、貴族の習わしだ。僕も一緒にいってやるよ」
ザブロ・フロゲルタ山とは大宮殿内にある山で、帝星で最も標高の高い山(約1万6千メートル)である。そして勿論、嘘である。そんな祝いはない。
「マルティルディ殿下! それは」
ザイオンレヴィが 《お止めください!》 と声をかけるも、
「待っててね! リニア小母さん! ルサお兄さん! あてし、ほぇほぇでぃ様と驢馬と一緒にとってくるから!」
グラディウスはそう言って驢馬の元へと駆けだした。
「……」
「ザブロ・フロゲルタ山 ”っぽいもの” を作れよ 《白鳥》」
「御意」
命令を受けたザイオンレヴィは、ケーリッヒリラ子爵と、
「私と勝負する気になったか! ザイオンレヴィ! 私は土を盛るのも早いぞ!」
強敵と書いて ”親友” と無理矢理読ませるガルベージュス公爵に、ジュラスの許可を取って仕掛けたくはないが勝負を仕掛けて、小山を作りはじめる。
その頃ジュラスは、良い香りのする雪を作っていた。
勝負は適度に引き分けに終わったらしい。その ”せい” で再度しつこく勝負を申し込まれ、引き受けざるを得なくなったザイオンレヴィであった。
他の正妃達はというと、
「グレスの遊び相手ができるから良いのではないか」
「何れグレスがあの傍系皇帝の子を産んだ後、その子供が小間使いになればいい。今から用意しておくのも良かろう」
「儂に報告する事か? 勝手に片付けろ。もぎ……グレスに良いようにな」
そう言って、特に問題にはしなかった。
ザイオンレヴィも「ルサ男爵は供物から外す」との言葉も聞いていたので、良い機会だろうとルサ男爵をリグライザル伯爵に変えて、リニアと結婚させる。
ルサ男爵は身内は存在しないので簡単に終わったが、リニアには身内が数名いたので少々手間がかかった。
ザイオンレヴィは全てを 《自分としては上手く取りはからった》 結果を持ってマルティルディの元へと向かい、処遇を報告した。
「甘い男だな」
「ご気分を害したのでしたら、全て殺害してまいります」
リニアを知っているもの全てを殺害した方が早く、マルティルディの意志に沿うことは理解しているのだが、ザイオンレヴィは敢えてその方法を採らなかった。
「裏があるんだろうな。僕が楽しめるような裏が」
跪き頭を下げたままザイオンレヴィが全ての説明を終えると、
「下らない」
言い放ち、書類に判を押し許可を与え床に投げ捨て席を立って、ザイオンレヴィの頭を踏みつける。
「なあ、ザイオンレヴィ。お前は僕のためなら何でもするよな?」
「当然です」
「じゃあ、暫くその顔見せるなよ!」
言いながらザイオンレヴィの顔を蹴り上げる。
顔を蹴られ鼻血を出したザイオンレヴィは人差し指の背で鼻を押さえ、傍にある自分を蹴った靴についた血を見て、
「お靴を綺麗にしてよろしいでしょうか?」
言い終えると、その容姿に似合う、薄い桜色の可憐な舌を出す。マルティルディは頬から舌へと鞭を移動させ、その舌の上で鞭を踊らせる。舌からも血が滲むが、口を閉じることなく舌を出し続けるザイオンレヴィに満足を含んだ美しい笑みを向けた。
「当然だろ。さあ、舐めろよ」
マルティルディの靴を舐め終え、彼女が出て言った後すぐにサウダライトの所へ書類を持ってゆき、
「イネス公爵邸で謹慎してきますので」
父親に告げた。
血だらけの顔と着衣を見て、父親であるサウダライトは全てを察する。
「あまりマルティルディ殿下の気分を害することをするなよ。いくらお前がマルティルディ殿下に気に入られているとはいえ……今日ベル公爵殿下が帝星に到着なさるそうだ。早く邸へと戻れ」
礼をしてザイオンレヴィは去り、久しぶりの休みを満喫した。
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リニアとルサ男爵、現リグライザル伯爵の結婚が成立し、内輪でのパーティーを開いた後、グラディウスはサウダライトと共に巴旦杏の塔の前にある家に来ていた。
「おっさんは、お兄さんって呼ばれるのは駄目か」
ソファーに座り、二人でジュースを飲みながら、グラディウスは頷く。
「駄目だよ、おっさんはおっさんだよ!」
グラディウスが ”お姉さん” と呼ばれるなら自分は ”お兄さん” でどう? とからかい、グラディウスに真剣に否定されていた。
そんな話をしていると、突如グラディウスが大人しくなったことに気付き、サウダライトは顔をのぞき込んだ。
「どうした? グレス」
見るとグラディウスは、変な顔で泣いていた。
泣き声を上げないようにするために我慢しているらしいのだが、普通に泣くよりも不細工で、
「どうしたの? どこか痛いのか」
サウダライトも焦ってしまうほど。
コップを両手で持ったまま、グラディウスは首を振り、
「いいなあ……リニア小母さんの赤ちゃん。かあちゃん……かあちゃん……」
母親のことを思い出して泣き出してしまった。
「ああ、そうかあ。そうだね、リニアはお母さんになるね」
「あてし、こんな子供で、駄目だ。仕事もしてるのに、あてし、……」
サウダライトは握り閉めているコップを手から離させてテーブルに置き、椅子から立ち上がり前に立ってグラディウスのおでこを人差し指で弾き、
「そうだよ、駄目だよグレス」
しゃがんで、その泣き顔を見つめる。
「うん、あてし、あてし」
「グレスはもうすぐ、おっさんの子供産んで、グレスがかあちゃんになるんだから」
「……え?」
泣き止み鼻を啜るグラディウスに、
「嫌かな? おっさんの子供産んで、かあちゃんになるの」
そう言って、頬にキスをする。
「嫌じゃない! あてし、あてし! たくさん可愛がるから!」
そのサウダライトの首に抱きつき、そして力を込める。
「そっか、グレスは赤ちゃん欲しいか」
「うん! そしたら、そしたら!」
グラディウスの世界は酷く小さく、生活の単位も小さく、幸せの範囲も小さい。
幸せというものは、家族の中にあり、家族というのは子供がいることなのだ。
それは小さい。それは他の側面もある。
家族を至上と思う人もいれば、そうは考えない人もいる。
だがグラディウスは、家族が至上であり、子供だった。
否定したい人には簡単に否定できる、単純な世界。だが、グラディウスの世界の真理であり、全てである。
両親とは死別して、別の家庭を築いた兄とは断絶した今、グラディウスは自らの属する幸せの最小単位を失っていた。
両親が死亡したのだから、もう子供には戻れない。
ならば、親になるしかなかった
そして自らが属する、幸せの最小単位を創り上げるのだ。
愚かで単純で、短絡的な行為。
それを見下し笑うのは簡単だ。低次元な考えだと言われることを拒否しない。
だが世界はそれ程までに高次元の意志を必要としているのかと聞かれたら、誰も答えられない。
些細な幸せを求めて、浅はかな行動を取る。その愚かなる者達が手に入れたささやかな幸せ。それに満たされて、幸せを争いと共に伝えて人々はここまで生き続け歴史を重ねてきた。
未来において否定されるとしても、幸せが欲しかったのだ。
グラディウスの言葉は続かず、サウダライトに押し倒され耳元で 《おっさんはグレスのこと大好きだよ》 と言われ目を見開き、涙が溢れ出す。
今まで子供が出来る行為だとは理解していなかったが、その時初めてなにかがグラディウスに語りかけた。この行為で子供が作られるのだと。
大きな窓の向こうに見える、グラディウスを不安にする黄昏の空から逃れるために目を閉じて、サウダライトに抱きつく。
誰よりも産まれてきた子を可愛がるのだと思いながら胎内に受け入れた時、それは形となったのだ。
サウダライトはその日、グラディウスを抱けば子供が出来る確率が高いことは知っていたが、敢えて抱いた。
泣き顔のほだされたのではなく、可哀想に思ったわけでもなかった。
それはサウダライトの中にもある、グラディウスの中にもあった本能。褐色の肌の少女の胎内にそれが誕生したとき、太陽は既に隠れ、地平線も藍に染まる。
夜が訪れてから雲に覆われた空は、夜と言うよりは闇であった。
それに意味を見出すものなどいない、未来が勝手に意味をつけるのだと。