藍凪の少女・後宮配属・寵妃編[19]

 グラディウスはリュバリエリュシュスの元に通い、
「エリュシ様! 遊びに来たよ!」
「待っていたわ! グラディウス! そして驢馬」

 邸では日々勉強を続け、
「11、12、13、14、12、13……あれ?」
「14の次は15ですグラディウス殿」
「そうだった! また間違っちゃった! 早くおっさんの ”四十歳” まで間違わないで数えられるようにならないとね! ルサおにいさん」
「そうですね。早くしないと陛下が ”四十一歳” になってしまいますからね。歳が一つ増えてしまいますよ」
「大変だ! よおし! あてし、もう一回頑張るよ! 11、12、13、14、41! あれ?」

 ジュラスと夜に散歩の時間を設け語り合い、
「そっか、夜なら平気なんだ」
「昼だって本当は平気なのよ」
「火傷しちゃあ駄目だよ」
「見た目は変わらないからね……真皮が焼けても、表皮は変わらない特異な体質……グラディウスと夜にお散歩できて、とっても嬉しいわ」
「へへへ、あてしも。……おっさん、今日は何してるのかなあ」
「(くそオヤジは愛人と交尾してやがるわ。態度が怪しいから帰ってきて欲しくないけれど、グラディウスの寂しそうな顔をみると、ただ顔だけは見せやがれっ! って思っちゃうわね)……何しているのかしらね? 陛下」

 ガラス細工にも精を出し、
「昨日の夜、ジュラスと一緒に摘んだの! これをねガラスに入れて贈りたいの!」
「わかった。まずはその花に色々と細工をしようか」
「うん!」

 またリュバリエリュシュスの元へと向かい、
「ちーんちーん、ちちん! ちちちん!」
 持ち手は真っ直ぐ、音を出す金属棒を動かす手もしっかりと伸び、トライアングルと棒の両方が開いて近付くその動きに、リュバリエリュシュスは完全に魅せられた。
「上手よ、グラディウス」
「そ、そう? 嬉しいなあ!」
「後はもう少し緊張しないで、ゆったりと動くと良いと思うわ。そしたら、グレスらしいとっても優しい音が出るはずよ」
 言いながらリュバリエリュシュスは、ゆっくりと動かす仕草をグラディウスに見せる。
「グレスって誰?」
 リュバリエリュシュスの白い指に驚きながら、グラディウスは ”グレス” について尋ねた。
「ごめんなさいね。勝手に愛称を付けてたの」
 彼女が顔の前で手を動かすと、グラディウスはとても 《そわそわ》 とした気分になる。何故自分がそんなにも 《そわそわ》 としてしまったのかは解らないのだが、どうしても焦り、それと同量の悲しさをもグラディウスは感じていた。
「愛称って何?」
 だがそれらを言い表せないグラディウスは、言葉に出来る疑問を口にする。
「上手く伝わるか解らないけれど、仲良しの証……証って解るかな? 皆に仲良しと知って貰うための名前で、解って貰えるかしら?」
「仲良し! エリュシ様、あてしと仲良し! そうか! エリュシ様も愛称だから、あてしも愛称なんだね!」
「そうね。今度からグレスって呼んでも良い?」
「うん! あのね! みんなにもグレスって呼んで貰う! あのね! だから……みんなが……うーんとね……」

 リュバリエリュシュスが付けてくれた 《愛称》 を皆が使ってくれたら、あまり ”此処” に近寄りたがらない皆もリュバリエリュシュスと仲良しになれる気がしたのだ。

 グラディウスはその日から、
「あてしの事を、グレスと呼んで。あのね、エリュシ様がね」
 皆に言って歩き、公式の場以外では ”グレス” と呼んで貰えるようになった。最も問題なのは、
「グレス。おーい、グレス……グラディウス」
「はっ! おじ様! なに?」
 切望した本人が呼ばれていることに気付かないことが増える事くらいであろう。

 呼ばれて近寄ってきたグラディウスに、
「高い所の窓をどうやって掃除するのかっていう質問の答えが 《これ》 だ。ガンダーラ2599世の頭部に乗る際に作る、動く階段。それと同じ反重力ソーサーの一種だ。あっちは軍用で色々な事に使えるが、これはシンプルに上下左右運動しかできないモノだ」
 グラディウスは高い窓が何時も外側からも綺麗にされている事が不思議でたまらなかった。物置に梯子が無い事も不思議で、ルサ男爵に尋ねて 《ソーサーが使われている》 と教えて貰ったのだが、あまり良く解らず、掃除している所を見学しにいった。
 掃除をしている人の邪魔になってはいけないし、この邸の主であるグラディウスが掃除中に近付くと、基本的に掃除の手を止め整列して礼をしなくてはならないのが決まりなので、それらを考慮して遠くから見ていた。
 そこでソーサーを見て 《あてしもあれで、お掃除がしてみたい!》 とグラディウスが言い出した。高所の窓拭きは、高い建物がなかった村では体験のできなかった仕事である。
 ソーサーを使うとなると、安全面の問題からケーリッヒリラ子爵に委ねられることになった。寵妃のささやかな願いなので、叶えることになった。
「どうだ?」
 ゆっくりと上昇するソーサーと、
「楽しい! あてし綺麗にするよ!」
 嬉しそうな声。
「頑張れよ」
 ソーサーにグラディウスを乗せて、その後ろに掃除道具を持ってケーリッヒリラ子爵が立つ。勿論二人は腰の部分にまいたベルトを繋ぎ、命綱にしている。片手が空いているのは警護するためだ。
 本来ソーサーは自分で動かすのだが、グラディウスは窓を拭きながらソーサーを器用に動かすことは出来ないので、背後に立つケーリッヒリラ子爵が適度に様子を見て、頭部に装着しているコントローラーを駆使している。
『駆使する……って大層なモンでもないけどなあ』
 必死に窓掃除を続けるグラディウスを見下ろしながら、ケーリッヒリラ子爵は周囲には全く注意を払わなかった。周囲に注意を払っている最中にグラディウスが落下したら困るからだ。
 既に窓一枚拭き終えるまでの間に、五回ほどグラディウスはソーサーから足を踏み外している。ケーリッヒリラ子爵という ”おもし” がなければ、落下していたことだろう。
 もちろん、落下しても激突から逃れる装置をグラディウスも装備しているのだが、その装置は地面に叩き付けられる直前に反重力が発生して体を浮かせる。その後、本人が自力で体勢を直して、装置を切らなくてはならない。
 要するに、
「あの窓も拭いてっ!」
「落ちるな! そして動くな! 今回収するから!」
 グラディウスには使いこなせないのだ。

 窓拭き掃除を堪能した後、グラディウスは庭で、
「ありがとね、おじ様」
 ケーリッヒリラ子爵とお茶を楽しんでいた。正確にはお茶を楽しんでいるのはケーリッヒリラ子爵だけ。グラディウスは自分の掃除に付きあってくれたケーリッヒリラ子爵に感謝を込めて、最近ジュラスと練習しているお茶を淹れて給仕している。
「気にしないで、何時でも言ってくれ」
 《これが仕事だから……》 そう続けようとしたが止めた。寵妃警護の仕事とするのには、いささか違う気がするので。
「ねえ、おじ様」
「なんだ?」
「おじ様は男の人で、結婚してないのに何で髪を結ってるの?」
「……あ、ああ。それか」

− 感動で泣きそうになるってのは、こういう事を言うんだな −

 そんな事を考えながら、ケーリッヒリラ子爵は努めて冷静に答える。
「もっと勉強すりゃあ解るだろうけど、我は独身主義……結婚しません! ってみんなに解って貰うために髪を結ってるんだ」
 上級貴族はほとんどが長髪で、女性は既婚で髪を結い、男性は独身主義を表すために髪を結う。
 グラディウスの周囲に髪を結っている男性はケーリッヒリラ子爵しかおらず(ルサ男爵は結婚そのものが出来ないので、意思表明などという権利はない)それが ”不思議なこと” だとグラディウスは気付いたのだ。
「そうなんだ。結婚しないんだ」
「貴族は色々とあってな」
 まさかグラディウスがそれに気付くとは! と、その成長ぶりにケーリッヒリラ子爵は感動してしまったのだ。日々の言動を目の当たりにしていると、些細な成長でも大きく感じられるものらしい。
「そっか! 教えてくれてありがと!」
「いやいや。こっちこそ、感謝してる。良い仕事で、実家も黙らせる事ができたからな」
 軍人として仕事をしろと騒いでいた両親も、警備の関係上、主家の王女(デルシ=デベルシュ)との知己を得たことで、息子に対して煩く言わなくなった。
「?」
「んー我の両親も、グレスの所で仕事をしていると喜んでくれている。だからこの先もよろしくな」
 そう言って握手しようと伸ばしてきた手の 《手首》 をグラディウスは掴み、自分の頭に置き、
「うん! あてしからもお願い、これからもよろしくね!」
 笑顔で答えた。

 ちなみに頭に手を乗せたのは 《撫で撫で》 して欲しかったからである。

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