藍凪の少女・後宮配属・愛妾編[09]

「解りました、今夜の会は無くしますから安心なさい。後の事は此方でしますから、貴方は戻りなさい」
「失礼します」
 ルサ男爵が去った後、ビデルセウス公爵は父親である皇帝サウダライトに緊急報告を入れた。
『何故そのような事が? 警備はどうした』
 ビデルセウス公爵は溜息をつきながら、
「委細は後で。この状況を作ったのはマルティルディ殿下です」
 事態が自分の手には負えない事を告げた。
 その名前を聞いてサウダライトも二の句を繋げず、沈黙の後、
『後で聞こう。顔見せは無しだ』
 それだけ言って通信を切った。
 ビデルセウス公爵は立ち上がり、隣の部屋へと繋がる扉を押し開く。そこにはグラディウスがパーティーに来てゆくもう一着が用意されていた。
「まさか、パーティー用の服じゃなくて、持って来てた服を切り裂くとはねえ」
 突然の声にビデルセウス公爵が振り返ると、
「やあ、ビデルセウス」
「マルティルディ殿下」
 いつの間にか主であるマルティルディ王太子が立っていた。
「さて、まずは僕のために茶を用意させたまえ。モーランブルジェス茶と焼き菓子が八種類欲しいな。フルーツは三十種類くらいで良いよ」
 そう言い、椅子に座る。
 ビデルセウス公爵は急いで用意させて、その間に今日のパーティーの中止を伝える。茶が用意された所で、人払いをした後に膝を折り頭を下げてマルティルディの言葉を待つ。
「いや、驚いたよ。まさか出席用の正装ではなく、持参していた服を裂いて、宝石ではなく硝子球を割って去るとは。まあ面白い見せ物ではあったねえ。憎悪の浮かんだ醜悪な顔っていうのは、盗撮でしか見られないからね」
「……」
「それにしても愚かだ。全室監視されていることに思い当たらないとは。ああいうさあ、貴族の家に生まれて何の苦労もしてない馬鹿って、何のために生きてるんだろうね」
「……」
「あの子が読んでた昔話でもあるまいし、意地悪姫が心清らかな姫の持ち物を壊して、犯人が見つからない。それは無能な指揮官をあおぎ、杜撰な警備体制下で成り立つもの。この帝国にはあり得ないことだろう。あいつ等の頭の中は中世の馬鹿な姫君のまま止まっているのかね。ああ、馬鹿といってはいけないね、中世の姫は権利もなく地位もなく、ただ内助の功とやらで男をもり立てて、子供を産めば良いだけの生き物として存在していたのだからね」
 《人間嫌いのケスヴァーンターン》 は人間時代の物語を嘲笑う。
「だがあれたちが、個人の持ち物を破壊してくれたお陰で、僕はあの子が好きになったよ」
「……」
「あの子の洋服とあの子の硝子は、あの子が努力して手に入れたものじゃないか。それを失って泣く姿っていいね。ダグリオライゼに色々な物を買ってもらっても、自分の大切な物を忘れない、良い子じゃないか」
「……」
「もしかしたら僕は、あの子がこちらで用意した正装を切り裂かれて泣いたら、冷めてたかも知れない。だってあの服はあの子に贈られたものだが、あの子が努力して得たものではない。僕の勝手なのは解っているけれども、僕は間違いなく冷めたね」
 室内に映し出されている 《犯人達》 を眺めながら、彼女はカップを口元に運ぶ。
 彼女達は犯人がグラディウスの部屋に忍び込み、破壊を行っていることは知っていた。
「必要な事だったのですか?」
 ビデルセウス公爵は動くなと命令されていたので、黙って観ていたがその疑問が胸に居座っていた。
「必要だね。これで自らの身を守る術のない少女が寵妃に迎えられる道が出来上がった。おや、ダグリオライゼが来たね。手を払われて……ベッドに連れていったか。ベッドの中だけは映像も音声も取れないからねえ」
 マルティルディはカップを置き、嬉しそうに見つめる。
「さぁて、これからどうなるかなあ」
 立ち上がったマルティルディに改めて礼をするビデルセウス公爵。彼女に、
「僕が皇帝にならなかった大きな理由は教えないけれど、小さな理由は教えてあげる。小さな理由はね、僕の子の一人は絶対に両性具有になるからさ」
 そう告げて部屋を去っていった

**********


 グラディウスの裂かれてしまった服を繕おうとしてたリニアだが、寝室以外の調査を行うので部屋を出て居るように言われ、廊下で立ち尽くすことになった。
 どこかに落ち着いて繕い物が出来る場所はないかとルサ男爵に尋ねると、彼の部屋へ案内された。
「必要な物は注文してください」
 彼はそれだけ言うと、部屋から出て行った。
 リニアは二度とグラディウスが袖を通すことはないだろう服を無心で繕っていた。
「一度休憩したらどうですか」
 声を掛けられ頭を上げると、既に周囲は暗くなっていた。
 リニアが手を止めると召使いが食事を置き、カーテンを閉めて立ち去る。向かい側に座ったルサ男爵に、
「どうぞ」
 勧められ、服を脇に置き料理を口に運ぶ。
「ありがとうございます」
「いいえ」
 グラディウスの居ない二人だけの食事は、会話などない静かな物だった。
「悪くはない物だな」
「何でしょうか」
「何でもない」
 食事を終えた後、リニアがグラディウスの部屋に戻れるかを問い合わせると、今日と明日は別の部屋に居るよう命じられた。
 部屋の用意はルサ男爵に任されたので、寵妃の屋敷での打ち合わせなども考え、自分の部屋に居させるように連絡をいれる。
 特に何の問題もなくそれは許可され、リニアも、
「お邪魔させていただきます」
 拒否はしなかった。
 だがルサ男爵は打ち合わせなど全くせず、グラディウスの服を直し続けるリニアを眺めていた。
 夜が明けて昼になった頃、リニアは手を止めてルサ男爵に話掛ける。
「あの、打ち合わせは……」
「ああ……特に変わった事は無いだろう」
「私のことなど気にせず、ご自由になさってください」
「見られているとやり辛いか」
「そうではなく、お暇ではないかと思いまして」
 リニアの言葉にルサ男爵は苦笑しながら首を振る。
「暇ではないよ」
 一拍の静寂の後、ルサ男爵は左手を伸ばしリニアの右腕を掴み引き寄せる。体勢を崩したリニアを抱き上げ、ベッドに降ろしてリニアに覆い被さり髪を撫でながら同意を求める。
「抱いても良いか」
「私などでよろしければ、ご自由にしてください」

 リニアは自分より十歳近く若い男性の、乱暴さにも似た熱に浮かされて意識を手放す。

「……」
 そのリニアが眩しさに目を覚ますと、空は黄金色に染まっていた。
 窓から外を眺めている男爵の横顔に魅入りながら、リニアは重い身体を引き起こす。
「明朝七時には部屋に戻り、通常の職務に付くよう連絡がありました」
 ルサ男爵はリニアにそれだけ告げると、再び身を重ねた。
 次にルサ男爵が目を覚ました時、それは夜明け近く。
 カーテンの閉められていない窓一面、藍色の空が広がっていた。明け方の藍と夕方の藍と。

 彼は夜明けまで、その空を身じろぎ一つせずに見つめていた。

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