藍凪の少女・下働きとおっさん[06]

 グラディウスは昼食後、ジュラスと一緒に宮殿の中にある街へと向かった。
「ほわ〜」
 《街》 というのをグラディウスは殆ど見た事がない。
 十二年間農村で生活し、その後追い出されるように街に向かったグラディウスだが、職業斡旋所に真っ直ぐに向かったので街は素通りだった。
 下働きとして帝星へ向かう宇宙船の離着陸する場所は、街から当然はなれており、帝星到着後どこを見学することもなく宮殿に入れられたので、グラディウスにとって、
「雑貨屋さんがいっぱいある!」
 村に一軒しかなかった《店》がずらりと並ぶ様に驚き、声をあげるのは避けられない事だった。
「凄いでしょ。帝星の街よりも綺麗だし、治安も良いんだって」
 ジュラスはグラディウスを連れて食後のデザートといい、オープンカフェのでお茶とレアチーズケーキをごちそうする。
「ありがと」
 ボロボロになったタルト部分を指で拾って食べ終えた後、グラディウスは首からカードを取り出た。
「ここは私のおごり」
 それを見ながらジュラスは笑顔で拒否するが、
「でも、でも……」
 グラディウスは瞳を潤ませながら ”どうしよう?” といった面持ちでジュラスを見つめる。
「気にしないの。こう言う時は奢られて、次の機会にグラディウスが私の分を払ってくれたら良いんだよ」
「そうなの?」
「そうよ! さっ! 買い物行こう! そして晩ご飯はどうする? 美味しいお店もあるのよ! お金はかかるけど、その分美味しいの! 食堂のご飯に飽きてたら食べていこうよ」
 そのジュラスの提案にグラディウスは頭を振って、
「食堂美味しいから、今日も食堂で食べる……駄目?」
 答えた。貧しい農家の生まれのグラディウスにとって ”食事に飽きる” というのは理解出来ず、咄嗟に首を否定の方向に振った。
「良いに決まってるじゃない! さあ! お買い物に行こう!」
 ジュラスは笑顔でグラディウスの手を引き、店へと走っていった。

 結局グラディウスは店で何も買わなかった。

 欲しい物がなかったというよりは、ジュラスがグラディウスを連れて入った店が悉く高級で、数日働いただけのグラディウスの日給では何も買う事ができなかった為に。
 ジュラスは自分が払うから! とグラディウスに洋服などを勧めたが、
「お洋服もらえるから良いよ。ジュラスが買うと良いよ。ジュラス綺麗だ。とっても綺麗。あてし……あてし……あてしのお姫様だ!」
 目を細めて幸せそうに自分を眺めてそう言ったグラディウスに、小首を傾げてジュラスも笑顔でかえす。
「ありがと。そうそう、お金が日給分しかないなら、違う所に買いに行こうね。てっきりグラディウスはあのカード持って……行こうか!」
 語尾を消して、気付かれていない事を確認するとジュラスは高級店の並ぶ通りから外れ、露天商の店へと連れてきた。
 露天といっても身分照会が確りとなされている者達ばかり。
「グラディウス何か欲しいものある? もちろん買わなくても良いんだよ!」
 歩きながら見るという事のできないグラディウスは、一つ一つに足を止めて楽しそうに品々を見て回った。
 グラディウスは店主が丁度席を外している露天の前で足を止め、それを手に取った。
「水が固まってる? 花もある!」
 加工を施した花を半流体硝子で覆ったリボン。
「硝子だよ。柔らかい硝子で、スタンダードな一般装飾品だけど、グラディウスの村には売りに来る人とかいなかった?」
「初めて見た!」
 柔らかい花を封じた硝子のリボンをジュラスも手に取り、グラディウスの三つ編みを飾る。
「可愛いよ、グラディウス。これと、グラディウスが持ってるのを買えばいいんじゃないかな? 丁度二本で一セットだし、高価なものじゃないから」
 《店》 に圧倒されていて欲しいとは何も言わなかったグラディウスだが、硝子のリボンは相当気に入ったらしく、首にぶら下げているカードをいそいそと取り出した。
「お店の人がきたら、買って帰ろうね。今日は一緒に街に出てくれてありがとう、グラディウス」
「あてしもとっても楽しかった。連れてきてくれてありがとう、ジュラス」
 夕暮れの空の下、満面の笑みを浮かべたグラディウスに、ジュラスは隠し事をしている自分の心が少し痛んだ。
「あのね……」
「お客を待たせしまったようだな。悪かった」
 ”言ってしまっても良いのではないか” と口を開いた瞬間、聞き覚えのある声がして振り返る。
「お店の人だ! あのね! あてし、これとこれが欲しいから、あのね!」
「落ちつけよ。それと、それな」
 背の高い男がリボンを袋に入れ、料金支払いの印を押してグラディウスに渡す。
「綺麗だね。お兄さん……おじさん……お兄さん?」
「せめて ”おじ様” くらいにしてくれねえかな?」
 自分の見た目に困惑している事に気付いた店主は、苦笑いしながらそう返した。普通はそこで ”ごめんなさい。お兄さんと呼びます” くらい出るものだが、
「解った! おじ様! あのね!」
 相手が悪すぎ、自分が言った通りに ”おじ様” と呼ばれてしまった。
 笑っているジュラスを睨みつつ、
「おう、なんだ。お嬢ちゃん」
 おじ様店主は答える。ちなみに店主は二十二歳、おじ様と呼ばれるには本人として抵抗があるが、十三歳のグラディウスから見れば ”おじ様” と呼ぶことに抵抗はない。
「あのね! この花が入っている硝子って、おじ様が作ってるの?」
「ああ。我……じゃなくて俺が作ってる。花の栽培から加工まで全部俺一人でやってる。気に入ったのか? じゃあ、こういうのも好きか?」
 店主はそう言うと、商品持ち運び用のケースからグラディウスの掌にこぢんまりと乗る程度の大きさの硝子球を差し出した。
「ああ! 宇宙がある!」
「おう。太陽系の縮図だ。どうだ? 気に入ったか?」
 乗せられた手にもう片方の手を添えて、包み込むようにして見つめているグラディウスにを見れば、気に入っているのは一目で解る。
「やるよ」
「え! これお金……」
「オマケだ。それに俺は今日で店を閉めるから、荷物は少ない方がいい」
「もう、会えないの?」
 掌にかつての 《小さき居住星系》 を乗せたまま、寂しそうな表情でおじ様を見つめる。
「そんな顔するなよ。また何時か会えるんじゃないかなあ。何か欲しい物があったらロメラ……」
「ジュラスよ、店主さん」
「悪い悪い。ジュラスに言っておいてくれ。俺はジュラスの知り合いの、ザナデウだ」

 グラディウスはザナデウという名前を覚えることは無かった

**********

 夜が更けてから、ジュラスはザナデウと向かい合う。

「まさか貴方が疑似街露天区にいるとは思わなかったわ」
「我とてまさか、公爵家の姫が下働き区画をうろついているとは思わなかった。父公爵に対する嫌がらせか?」
「そんな低俗な事、この私がするわけないでしょう」
「そりゃ悪かったな。だがお前が何故下働き区画にいる? お前は準正妃待遇者、現皇帝が男だからこの場合は 《寵妃》 と呼ばれる存在になるわけだが、その寵妃として宮殿に上がったんじゃないのか?」
「私は元々あの男の息子を婿に迎える予定だった女よ。なんでその父親と寝なければならないのよ」
「嫌か?」
「貴方が聞くの? 嫌味な男ね。ま、あの男の息子、嫌いではないけれども好きでもなかったから、とっとと婚約を解消して、皇王族になった魅力的な彼に群がる女共に放り投げてやっても良いんだけれど、彼が承知しないのよ」
「そりゃそうだろう。ザイオンは帝星のイネス邸に残って、皇太子侍従長になることが決定してるんだ。皇太子殿下の侍従から未来の皇帝の側近まで確定している男に人が、そして家が群がらないはずはないだろ」
「その防波堤をしてあげる代わりに、私は下働きの区画に来たの。勿論私達の王であらせられるマルティルディ殿下の許可も貰っているわ」
「……相変わらず、食わせ者だ。未来のケスヴァーンターン公爵こと、アディヅレインディン公爵殿下が、お前の父公爵の再婚を許可しないんで、愛人は愛人のまま。愛人の子は愛人の子のまま、その上お前以外に跡取り認定は与えないと言われたそうだ。父公爵は青い顔してお前を捜しているし、連絡を取りたがっているようだが……一応追い出された形となっているお前の母、前奥方様はけんもほろろお前の父公爵追い返している」
「あら。後のことは何も問題ないと聞いていたのに。マルティルディ殿下のことですから、色々と考えていらっしゃるのでしょう。父はもう少し痛い目みたら良いんだわ」
「女は怖いな。そうそう、お前が一緒にいた娘。あれが 《例の田舎娘》 か。随分とお前と仲が良いようだが」
「言っておくけれど、私のほうが先に仲良くなったのよ。あの皇帝の方が後なんだからね。それだけはあの皇帝も趣味がいいと言ってあげても良いわ」
「解った解った。俺は一端下働き区画から出るから、暫くは会うことは無いだろう。まあ、ザイオンとの婚約解消したら、もう一回婚約者候補に名を連ねるかもしれないが、その時はその時でよろしく」

「絶対に貴方は選ばないから、安心して頂戴。ケーリッヒリラ子爵」
「そりゃあ、ありがたい」

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