窓に手をついて、外を眺めるでもなく悲しげな表情のまましばらく動かなかった。それをみつけて、我もしばらく動けなかった。
癖の強い銀髪と、化粧栄えする顔立ち。ロヴィニアが連れて来た正妃候補は夜着を纏い、窓の外を眺めている。そして一筋の涙が彼女の頬を伝う。
彼女はそれを指で拭い笑みを浮かべてから振り返り部屋の奥へと進んでいった。
その日は彼女が皇帝に抱かれる日だった。
純潔だったという噂が耳にはいってきたのは、翌日だったか。
あの涙が皇帝に抱かれる喜びであったようには到底みえなかったが、彼女は望んで皇帝の妃になりにきた。
その覚悟の裏側に何があったのか、我は知らない。
椅子に座っている皇帝に侍る四人の貴族。皇帝は特に誰かを気に入っているような素振りは見せなかった。
“どれほどの美女を侍らせても、特別な反応のない方だ” それは周知の事実だったが、泣いて抱かれた彼女に無関心な皇帝に、少しだけ怒りを覚えた。
筋違いであることは解っている。皇帝はどの妃に対しても同じ態度を取るべきであり、それが実践できるのは偉大だと。
そして怒りを覚える意味を自分自身が気付き愕然とした。
相手は皇帝の正妃に、それも皇后に最も近いと言われている相手だ。
「ジュシス公爵殿下。お会いできて嬉しいです」
「本心ではなかろう、貴族の娘よ。お前の身の上は調べてある。結婚したくないならばそう申せ」
結局彼女は皇后にならなかった。
それを聞き、王となっている実兄ザセリアバのところへと向かい、正妃候補だった貴族の娘の処遇を尋ねた。ザセリアバはクュレイ公爵の娘が欲しいのか? と聞いてきた。
一瞬誰のことかと思ったが、直ぐに気づいた。エヴェドリットで選出した貴族の娘のことだと。
“貰う、貰わないではなくて” 誤魔化しながら尋ねる。
どの女も正妃になれないと解った途端に多くの貴族からプロポーズされてるらしいと。
「ロヴィニアのは即座に決めたらしいな」
「……メーバリベユだったか? 彼女自身がか?」
「おう、そうだ。エーダリロクを欲しいとさ。皇帝の外戚だし、従兄でもあるからな。それにあれは浮気もしなさそうだしと」
でも人間好きじゃねえよなあ、カラカラと笑うザセリアバの声が何処か遠くに聞こえた。
出遅れたわけではない。
彼女は皇帝の正妃になれないと知った直後にエーダリロクの妃になりたいと申し出たのだ。ロヴィニア王は彼女を高く買っているため『王太子妃でも、私の再婚相手でもいいぞ』と言ったらしいが、彼女はエーダリロクを選んだ。
女に興味のない、爬虫類大好きの男の何処が良いのか……
「あの……確かに私は男性経験もありますが、それは……」
「我は処女で無ければならぬといったのではない。お前の体に興味がわかないと言っただけだ、貴族の娘よ。お前は他に想い合い体を重ねる相手があり、我はお前の体で繁殖しようとは思わぬ」
女に興味のある、人殺しよりかはマシなのかもしれない……
「はいあーん」
「はいあーん、はむ……あっ!」
「バカ新婚夫婦にしか見えないな」
あの日窓に手をつき、一筋の涙を流した女の顔はもう何処にもなかった。
彼女は皇帝の正妃候補に選ばれなければ、エーダリロクの妃となることは出来なかっただろう。皇帝の正妃を潰した代償として、ロヴィニア王に依頼した “夫”
ただの貴族のままであれば決して届かぬ相手。そしてあのまま皇帝の正妃となっていたら、彼女はエーダリロクの傍で見せる笑顔を作ることは二度となかっただろう。
あの日、涙を拭った後に作った笑いならば皇帝の隣で見せてくれたであろうが。
「我に立ち入る隙はないな」
自分がこれ程までに弱いとは思わなかった。
好きな相手が出来るとは思わなかった、もしもそんな相手ができたら、相手の意思など無関係に攫ってきて体を自由にすると根拠もなく思っていたが、なぜか貴方の幸せを願ってしまう。
これは彼女を知らぬからだと考えて、わざわざロヴィニアの呼び出しに応えて彼女を傍で見て話をしたが、余計想いを募らせるだけだった。
そしてリオンテから彼女が七歳の頃に十歳のエーダリロクと出会っていたことを知らされた。その時からずっと彼女がエーダリロクのことを想っていて……
想っていたのだろうな。
あの日の涙がそれを全て物語っている。彼女はそれを捨ててでも、エーダリロクのそばにいることを望んだのだ。
王たちの思惑で正妃の座から転がり落ちた時の喜びは、如何程だったろう。
貴方に幸せになってほしいと願う。
幾ら願おうと、それは我が叶えるものでなく、そして一番傍で見守るのも、
「覚悟はきまりましたか、デファイノス伯爵殿下」
「全然」
我ではない。
彼女の前にあるのはエーダリロクであり、夫の親友のビーレウストだけ。
リオンテがもしも公爵妃が死ねば良いと考えているようだったら、濡れ衣を着せて殺そうと思っていたがそうでもないらしい。貴女の敵になる相手を殺す程度しか出来ないが、我は貴女の事を想っているよ、ナサニエルパウダ。
そして我は婚約を破棄した。
大天使−終