あの沼でなくしたピンクの靴、お父様に買ってもらったものだからずっと大切にしようと思ってたんだけれど……
「ここ……何処だろう?」
何で?
何でお父様が亡くなったばかりなのに、あの女は別の男の人と仲良くして笑ってるの?
大嫌い! 大嫌い!
お城に行くのが嫌で逃げ出して、バスで終着まで。無人で動いているバスにカードを差し込んで料金を払って降りる。
周囲にはまばらに人家があった。
それに背を向けて、舗装されていない横道に入って……
「ここ……何処なんだろう? 誰かいない! 居ないの! きゃっ!」
叫んだけど、木から鳥が飛び立っただけ。
もと来た道を戻った……つもりだった。向かう時には解らなかった、戻る時に三股の道に差し掛かって、間違った道を選んじゃったせいで……
「どうしよう……」
見たこともない程山奥に。
“王子様” に会いに行くために “させられた” お粧し。ワンピースっていうの嫌いだったけれど、お父様が買ってくれたピンクの靴がよく似合ったから我慢した。
「あ、靴に傷ついちゃ……うっ……うっ……」
もう新しい『お父さん』が出来て『弟』も出来て、あの女は私の事邪魔にしてるのが解ってて……帰るところなんてないから、家出してやろうと思ったけど……一人きりになったら何もできない。何して良いのかも解らない。
でも靴が汚れるのは嫌だから脱いで、手に持って道に沿って歩いた。
「うっ……うっ……」
私が家出しても、私が帰らなくても、心配してくれないかもしれない。
探してもくれないかもしれない。
足の裏が少し痛かったけれど、これ以上お父様が買ってくれた靴に傷をつけたくなかったから我慢して歩いていたら、沼に出ちゃった。
「誰か! いませんか!」
叫んで声が返ってこないで、がっくりして……
「きゃっ!」
私は沼に落ちた。
灰色の重たい水に体が引き込まれる!
“死んじゃう! 死んじゃう! お父様! 助けて! 誰か助けて!”
目の前に掌が現れて、胸の辺りを掴んでそのまま……
「おい、大丈夫か」
引き上げてくれた人はそう言いながら水筒を渡してくれた。
それを受け取った時、手に持っていたはずの靴がないことに気付いた。ショックで泣きそうになったけれど、目の前にしゃがんで、
「早く口漱げ。次、顔流すんだから」
私を助けてくれて、話しかけてくれた目の前の人に驚いて……靴をなくしたことも何処かにいっちゃった。
「皇帝……眼?」
私も左右の眼の色違うけれど、沼から出てきた人は……皇帝眼だった。
「まあな。早く口漱げって」
「はい」
私の隣でかき上げた髪、汚れていない部分は銀色で輝いていた。
「いいな。目瞑ってろよ」
手から水筒を取り上げて、頭から水をかけられ、
「これで顔拭け。迷子か?」
「ま、迷子じゃなくて家出!」
そう言ったら変な顔して私を上から下まで見て、
「……あ、そ。いいけどよ、何処かアテでもあるのか? あるなら置いて来てやるぞ、靴ないから歩けねえだろうし。此処から一番近い人家っても」
「ない……って言ったら……」
「知らねえ。俺は家出人の身の振り方まで世話してやるような人間じゃ……ちょっと待て、お前のポケットに入ってるそれ」
何だろう? と思って胸ポケットを見たら小さな亀が入ってた。
気持ち悪くて吃驚して投げ捨てようと思ったけれど、
「それ、見せてくれねか?」
目の前の人はこの亀が……欲しい? のかな? でも、それだったら! 私は胸ポケットの亀を両手で覆って、
「しばらく一緒にいてくれなかったら見せてあげない」
掌にぶつかる感触は正直気持ち悪かったけど、
「解った! お前の家出に少しだけ乗る。でもよ、俺は後五日で帰るから、それまでには……見せてくれ。場合によっちゃあ売ってくれ。一生食っていける料金で買うから、な!」
頼み込んできた。
掌の内側で暴れてる小さな亀をちらりと見て、
「あの、助けてくれたお礼言ってなかった。助けてくれてありがとう。さっき見せてあげないって言ったけど、助けてくれたお礼に亀見せてあげる」
そう言ったら嬉しそうに近寄ってきて、
「勝手に手にとっていいか?」
「いいよ」
背の高い、でもそんなに私と年が離れてなさそうな感じのするその人は、亀を手に取りじっと見つめて……ええ? 亀を乗せている手が嵌めている手袋についている鈴蘭を図案化した紋章。泥で汚れてるけれど、よく見れば空色の着衣……えっと、この人もしかして……王子様?
「やっぱシュルカリアンガメの雌だ! やったぁー! ……って俺の物じゃねえんだよなあ。あのさ」
「五日一緒にいてくれたら、あげるかもしれない」
「じゃあ何処かの邸にでも行くか? よくよく見りゃあ、貴族の娘だろう。あ、ちなみに俺王子。先ずキャンプを撤収してから」
なんか、王子様ってもっと……違う感じを想像してたんだけど……
「邸なんて嫌。そのキャンプがいい」
「あんまり居心地よくねえと思うぜ。貴族のお嬢様向きじゃねえよ」
「だって、王子様が住めるんでしょ?」
「俺は王子ったってビーレウストと宿営……いいぞ、付いて来いってもその足じゃ無理か。ほら、背中に乗れ」
家出、ちょっとだけ成功しそう! そう思いながら、王子様の首にしがみついた。
森の中をしばらく歩いて、
「よし、此処だ。おい、リオンテ」
色々な物が置いてある場所に到着した。見たこともないような物ばかり、そしてリオンテと呼ばれたのは、
「準備してお待ちしてましたよ」
召使みたいな女の人がいた。王子よりちょっと年上みたいで、貴族じゃないのは私でも一目でわかる。
「よし、お前……じゃなくてナサニエルパウダ、先ず汚れ落とすぞ。俺と一緒に来い」
「王子様と一緒に?」
「王子って言うなよ。自己紹介しただろが、エーダリロクだって」
おんぶしてもらいながら、キャンプに来る途中自己紹介とかしてた。王子様は私より三歳年上の十歳。
凄く背が高いけれど『宮殿じゃあ普通』
此処にはシュルカリアンガメの雌を探しに来たって。『雄はいらねえ』って何度も連呼してた。雄はもう持ってるのかなあ?
この亀はこの惑星でしか確認されていないから、どうしても来たかった。何時か来ようと考えてて『宮殿飛び出したから、その成り行きで』だって。王子様も家出なの? って聞いたら『そうかも知れねえ』って、少しだけ頬を膨らませて怒ったみたい。
私が怒らせたのかな? そう思ったけど違ったらしくって、その後も普通にお話してくれた。
言葉の端に『ビーレウスト』が出ると、その話題が終わっちゃうのが不思議。そのビーレウストって人と喧嘩して家出してきたのかな?
「お風呂ちっちゃい! 立ったままなんて信じられない! バスタブなくてシャワーだけ?」
「だから邸を借り上げるって言っただろうが。城でも良いんだぜ?」
王子と立ったまま向かい合ってシャワーを浴びてる。すごい狭くてびっくり。でもこの狭いところで王子が上手に体と髪を洗うのに、もっとびっくり。
王子様って何でもできるんだ……召使に体洗わせてるだけじゃないんだ……。
「ほらよ、髪洗ってやるよ」
洗うのとっても上手。
「上手……」
「ビーレウストと洗いあったりするからな……」
またビーレウストって人だ。
「そのビーレウストって……何?」
「……エヴェドリットの王子だよ……」
なぜか言いたくなさそう……でも良くすぐに出てくる名前。
「髪流すぞ」
「はーい」
何か不思議。
泥を落として小さなシャワールームから出て、私の髪はリオンテが、王子は “王子に似てる人” が拭き始めた。
「へえ、泥落とせば結構見れる顔だな、ナサニエルパウダ」
「王子、ナサニエルパウダ殿はメーバリベユ侯爵のお孫さんですよ。王子の面会希望リストに載ってました」
王子に似ている人がそう言いながら、髪を拭く手を止めてディスプレイから私の立体映像を取り出した。それと私を見比べながら王子は、
「目通してねえし。でもお前今ここに居るってことは、俺に会いたくはなかったんだよな。俺に会いたくないから家出したんだろ?」
尋ねてきた。
その時、今まで言えなかった母親の悪口とか泣きながら言った。喋ることができなくなるまで言い続けて、ふと気がついたら周りはとっても静かで、召使が食事の支度をしてた。
王子はずっと黙って私を見ながら、それを聞いていてくれた。それがとっても嬉しかった。
「貴族階級じゃあ良くあることだが、それに腹を立てるなと言うのも無理ってもんだな。まあ家出した者同士、今は家出を楽しもう。野営なんてした事ねえだろ」
そう言って、王子は朝自分で釣った川魚を手にとって、
「軽くしか泥抜きしてねえけど食えるか? 川魚って泥臭いんだよ。スキャンはしてるから寄生虫は入ってないのは確実だ」
「さっき沼に落ちて思いっきり口に入ったから、そのくらい平気」
そう言ったら嬉しそうに、
「お前口は達者だな。大きくなったら、男やりこめる女になりそうだ。文句言えねえ女よりはよっぽど良いけどよ」
言いながら焚き火で串刺しにした魚を焼いてくれた。
隣に座って『骨気をつけろよ』とか言いながら食べてるのを、注意してくれる。
暗闇に焚き火の明かりだけで照らされる王子は、やっぱり王子様だった。会えて良かったな、って少し思った。