Sub Rosa − 秘密・3
 帝国史に名を残す天才は、どこまでも完璧であった。

 エーダリロクは三十九歳の誕生日を迎えてすぐに倒れた。彼ら人造人間には珍しくない突然変異致死。
 そこで初めて「これが二度目であること」を兄王ランクレイマセルシュに告げ、シュスタークにもしものことがあった場合にと、かつて自分が使った薬を渡した。
 一度目の致死を阻止した ―― 長い帝国の歴史において初の快挙。

 だが彼は死ぬ。自らがはじき出した日が正しいことを、彼は自ら証明する。

 エーダリロクは死に場所を帝星に定め、死後どうして欲しいかも全て伝え、息絶えるまで”生きる”だけの状態になる。
「エーダリロク、いいか?」
 大宮殿の皇帝の側を離れたくないというエーダリロクの希望から、帝婿が住む帝妃宮に身を横たえて、最期の時をメーバリベユ侯爵と娘と息子、そしてビーレウストと共に過ごしていた。
「陛下……」
「そのままでよい」
 毎日見舞いに訪れていたシュスターク。だが今日はいつもとは違っていた。供を付けず一人で、周囲には控えている医師やメーバリベユ侯爵の気配もなくなっていた。
「エーダリロク。ザロナティオンはいるか?」
「はい。帝王、陛下がお呼びだ……どうした?」
 現れたザロナティオンに、前置きもなくシュスタークは謝罪をする。頭を下げると長い黒髪が、光沢ある薄い水色のシーツに広がりをつくった。
「済まない」
 帝王を呼び出しての謝罪。それは眠りについたラードルストルバイアを起こせなかったこと。最期にもう一度会話することを望んでいると、必死に呼びかけたものの、ザロナティオンがこの世界で二度目の終わりを迎えるその時になろうとも、ラードルストルバイア決して表に現れることはなかった。
 ぎりぎりまで呼びかけたが何の反応もなく、申し訳ない気持ちでこうして一人足を運んだ。
 力なく投げ出されているエーダリロクの右手を両手で握りしめ、皇帝にあるまじき表情としか言いようのない、眉尻は下がり、潤み涙を堪えるので精一杯の瞳。泣くのを我慢しているせいで少しばかり広がっている鼻腔に、少々突き出た下唇。歯を食いしばり、耐えるその姿。
 死に行く”自ら”に捧げる言葉はない。だが言葉にできぬ祈りはあった。
「いいや……いい。祈りは此処にある。それで充分だ」
 ザロナティオンは左手を動かし、シュスタークの頭を撫でてやった ―― 私であり私ではない幼子よ。幸せに ――
「また会えるといいな」
 シュスタークはザロナティオンとラードルストルバイアの”再会”を別れの言葉とし、話を終わらせる。
「……ありがとう、シュスターシュスターク。さてお前と私のお喋りの時間は終わりだ。あとはエーダリロクを妃に返そうではないか」
 再開を願うことばを貰ったザロナティオン自身、もう一度ラードルストルバイアに会いたいのかどうか? はっきりと解らなかった。

《生きても分からないことばかりだ、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル》
―― そうだな、ザロナティオン。さてと最期だ、付いてきてくれるか?
《もちろんだ》

「エーダリロク」
「ビーレウスト。連れていってくれるか」
「了解」
 歩くことすらできなくなったエーダリロクを抱きあげ、
「行くぜ、メーバリベユ」
 臨月でいつ産まれてもおかしくはないメーバリベユ侯爵に声をかけて、三人は死ぬ場所へと移動した。
 メーバリベユ侯爵のお腹の子は三人目で女の子と判明している。長女と長男はというと、すでにお別れを済ませていた。
「綺麗な青空ですわ、殿下」
 三人は遊びにでも行くかのように人払いした庭へと出る。
「そうだな」
「エーダリロク、背中ボコボコ言ってるぜ」
「死因だからな。羽生えって死体は芸術作品系だが、死ぬまでが半端なく痛てぇのが。俺が作った薬が効いたら半減するけどな」

 木々の隙間を抜けた先、突如開けたその場所。

「巴旦杏の塔の外壁ってこうなってたのか」
 誰も近付かない閉鎖され十年ほど経った巴旦杏の塔。
「久しぶりですものね。閉鎖した時以来ですか」
 表面を覆っていた蔦は枯れ、幾何学模様が陽に照らし出されている。
「そうだな、メーバリベユ」
 ビーレウストは巴旦杏の塔前にエーダリロクを降ろす。メーバリベユ侯爵が隣に膝をついたのでその肩にエーダリロクを預け、
「じゃあな。すぐに会いに行くからよ」
 いつもと変わらない笑顔で別れの挨拶をして立ち去った。
 赤と黒が目立つマントの後ろ姿が遠ざかるのを眺めながら。
「本当に変わらないのですね」
「そりゃそうだ。でもビーレウストはエヴェドリットにしちゃあ、良い方だぜ」
「分かっておりますわ。イデスア公爵殿下の遺産処理を私に任せると、しっかり遺言を書き直させましたね」
「おう、それは間違いなくやった」
 本来であればエーダリロクのほうが長生きする筈であったので、遺言は「セゼナード公爵に遺産の処理を任せる」となっていたのだが、こうなってしまったので、その仕事は妻であるメーバリベユ侯爵が請け負うこととなった。
「そうですか。ではもう心残りはありませんね」
「そうだな」

―― 最期の鐘が鳴り響く ――

 メーバリベユ侯爵の腹部に頭を預けるようにして死んだエーダリロク。
「それでは、殿下」
 メーバリベユ侯爵は口や鼻、目や耳から体液を流しているエーダリロクの頭を両手で包み込み額に口づけしてゆっくりと立ち上がった。陣痛が始まりそうな腹部を押さえて、彼女はゆっくりと来た道を引き返す。
 途中何度か振り返ると、そこには今にも青空へと飛んで行きそうな大きな白い翼を四つ背負ったエーダリロクの姿。白銀の髪は風に揺れている。
 メーバリベユ侯爵が去ってから、必要な道具を入れた箱を引きながらビーレウストは戻って来て、死因である白い翼を撫でる。
「名前、貰いそびれたからビーレウスト=ビレネストのまま死ぬことにする」
 祈っているかのようなエーダリロクを箱へと押し込む。巨大な四枚の翼を折りたたみ収納してから、エーダリロクがかつて作った混凝土を流し入れた。色濃い灰色の泥濘に沈みゆくエーダリロクに生きていた時と変わらずに話しかけた。
「ヒステリー様って、あと六年は生きるんだよな」
 体の半分ほどが埋まる。
「寿命伸びる薬、効いて良かったよな。さすがエーダリロクだ」
 厚みのある箱の縁を握り、前屈みになる。
「ヒステリー様のこと、好きだぜ。お前が言いたいことや、望んでたこと解るけど……やっぱり逝く」
 柔らかな黒髪が混凝土に埋まってゆく。
「ああ、とってもいい感じだ。ヒステリー様、悪くねえぜ……悪いのは俺なんだろう。自分のこと良い奴だって思ったことはねえけどさ」
 強引に折り曲げられた翼が、注がれる混凝土の流れにより少々震えた。
「死ぬんだけど、俺の黒歴史どうしたもんかなあ……あの人、長生きだよな。っとによお」
 エーダリロクの試算通り混凝土は箱の中のエーダリロクを埋め尽くし、容器のほうは空になった。
「疑うわけじゃねえけど、陛下が五年後に突然死するって本当なのか? 陛下にはもう少し長生きして欲しかった」
 混凝土はすぐに乾く。紛れ込んだ髪の房を掴み引き抜いて、
「なんか陛下、お前が作った薬飲まなさそうな気がするんだよ。なぜかは解らないけど」
 飛び散った僅かな破片を口にする。

「やっぱり不味いな。味は改良しなかったんだ……混凝土食うのは俺たちくらいだしな」

 箱にかけていた手に力を込め引き剥がす。剥き出しになった長方形の混凝土の塊。元は箱であった板を片付け、巴旦杏の塔近くの木を切り倒し、根を抜きその穴を広げて混凝土の塊を収め土をかけた。
「これでいいんだな、エーダリロク」
 ビーレウストは機材を持ち帰っていった。彼がここに足を運ぶことは二度となかった。場所のせいではなく、すぐに戦死したからでもなく ―― 例え生きていたとしても、彼は足を運ぶことはなかっただろう。

**********

―― あんたには世話になったしさ

帝王は帝国を帝星を愛していた。彼の遺体は皇帝として棺に収められ、皇帝が眠る霊廟の一室に祀られた。皇帝の遺体として相応しい待遇。
《私は帝星に還りたかった》
―― よく意味解んねえけど。なに? 詩的な感じ?
《そうとも言えるな。私は調えられ防腐処置を施された霊廟の中で眠り続けるのではなく、帝星の土となり水となりたかった》
―― 要するに帝国の通常埋葬、所謂土葬ってこと?
《私はお前のそういう所、気に入っているぞ。エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル》
帝王は大地となり大気となり、喜びや哀しみとともにありたかったのだ。だから……

《巴旦杏の塔前に埋葬されると……》

―― 俺が作った混凝土ならすげえ速度で分解されて、自然のサイクルに入り込めるぜ
《いいのか?》
―― いいよ。俺も行儀良く棺の中で眠る柄じゃないし。なにより、俺の死体は危険だ。陛下であり、あんただからな
《そうか……》
―― なにが一番危険かって、エヴェドリット王に俺があんただってばれてることだよ。あいつ絶対食いにくるから! 混凝土ごと食われるのは嫌だからよ
《私もそれは嫌だな。さんざん食った側だが、食われるのは嫌だ》
―― だろ? 遺体の処理はビーレウストに頼んだんだ!
《妃は許可してくれるのか?》
―― おう! あの人は俺の意図を全部理解してくれたぜ
《それならば良かろう》

銀狂陛下は銀狂殿下と共に帝星の地に還っていった

**********

 エーダリロクが死去した日に生まれた娘を腕に抱き、皇帝が死去した時だけに鳴らされるはずの鐘の音を聞きながら、彼女は偽りの棺を穏やかに眺める。
 生前エーダリロクが開発した完全に彼らを分解し、土に還る混凝土で内側を固めた棺。だがそこに入っているのは混凝土だけ。
 彼女は葬儀を立派に終え、弔問客を見送り会場に一人きりとなり壁に掲げられたロヴィニアの国旗を見上げる。あの日の空と同じ、澄み切った空の色。
「メーバリベユ侯爵」
「ジュシス公爵殿下」
 一度は式場をあとにしたはずのアシュレートが引き返してきた。
 四十を超えて独身の彼は帝国の法に従い、癖のない淡い金髪を後頭部やや低い位置に一本にまとめて結っている。式に参列してくれた時は結っていたのだが、彼は今、髪を解いていた。
「なんでしょう」
 話を聞こうと顔を上げた。だが話を聞くよりも先に、何を求められているのか理解した。両腕で強く抱きしめられているのだ。いつの間にか――
「我と結婚してもらおうか」
 メーバリベユ侯爵は逃れられないことを確信した。
「夫を失ったばかりの傷心の私に」
 結婚すると言わなければ殺される。自分を抱きしめる腕に込められている力は、単純な愛情だけではないこと、喪服越しに肌で感じ取る。
「もう待つつもりはない」
「いつから待たれていたのかはお聞きしませんが、私が拒否したらどうなさいますの?」
「殺すだけだ。安心しろ、ビーレウストの遺品の処理は我がやってやる」
「……今すぐでなくては駄目ですか?」
 メーバリベユ侯爵は死ぬことに恐怖はない。子供たちのことも心配ではない。自分が不慮の事故で死亡しても、子供たちは今と変わらずに生きていけるよう手配している
「駄目だ」
 だが死ぬつもりはなかった。

―― この花を見るたびにこの腕の中で死んでいった貴方を想う ――

 首を少しそらして鈴蘭と空色の国旗に別れを告げ、
「分かりました。では結婚いたしましょう。そして始めましょう、ジュシス公爵殿下」
 メーバリベユ侯爵はジュシス公爵と再婚し、一女一男を儲けた。

**********

 メーバリベユ侯爵として、公爵妃として子を産み幸せをも得た姉に会いに行った。
 その時、姉は何番目の子を身篭っていた時だったろうか?
 お優しい皇后は、腹の大きい姉を気遣ってくださっていて……正直、どちらが皇后なのか解らないような状態だった。
 私と姉に気遣い、二人きりにしてくれた。
 私が姉に会うのは葬儀以来だ。あの葬儀の時、まだ姉に抱かれているだけだった子は、もう皇子殿下と仲良く走り回って遊んでいるという。
「良いお方だね」
 姉のことを、家臣である姉のことを気遣ってくださる優しいお方だ。
「ええ、とっても。皇帝陛下に相応しいお方よ」
 姉は最初の夫を病で失うという哀しみに遭遇したが、皇后の側に居られたから乗り越えたれたのかもしれない。
「あら? 貴方。どうなさいましたの?」
 姉の声に振り返ると、そこには姉の夫であるジュシス公爵殿下が立っていた。
「義弟が来ていると聞いたからな」
 姉の夫である公爵殿下に挨拶する。そんなに堅苦しくなくてもいいとまた言われた。葬儀の場でも言われたのだが、相手は生まれながらの王族。私の緊張が解けることはない。
 その王族はどこか狂気を孕んだような眼差しだったが、姉を見ると “すっ” とその狂気が引く。姉のことを愛してくれているのだと、私は理解する。
 その眼差しは自分が姉に向けていたものであり、この先も向け続けるものだからこそ。
「気にしないで、兄上とでも呼べ」
「いや、そんなこと……」
「お母様! 叔父様がおいでになったって皇后様から聞いたのぉ! 叔父様、遊ぼう!」
「遊ぶのぉ!」
 私の答えは甥や姪の楽しそうな叫び声に打ち消され、姉には届かなかった。
「しっかりと挨拶をしなさい。王家の血を引いているものが、そんな礼儀知らずでどうしますか」
 目の前の公爵殿下には届いたようではあったが。
「姉のことよろしくお願いいたします。ジュシス公爵殿下」

―― 我が欲した初めての女、それがお前の姉だ
 貴方の初恋が叶ってよかったねと思う度に、誰に語ることもできぬ私の初恋は消えてゆく。

Sub Rosa・秘密−終


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