グィネヴィア[28]
「バンディエール。マローネクス家は女性の階級が高い。母親が当主格で姉が後継者格。そして妹が司令官格だ。お前の責任は重大だ。心して案内しろ」
「それは責任重大だな」
「ああ」
 こうしてマローネクス家の女性陣とバンディエールは、車を換えて歌劇場のほうへと向かった。
 侯爵たちとウエルダを含むマローネクス家の男性陣は、徒歩で競技場へ行きサッカーを観戦した。
 試合終了後、本来であればそのまま家族全員と侯爵が合流して、ホテルで食事だったのだが、ウエルダの希望により、
「お誘いして済みません」
「俺は構わんが」
 家族はバンディエールやユシュリアに任せ、侯爵とウエルダ二人きりで”飲み”に出た。
 やって来たのは、ゾローデが「何度か侯爵に連れていってもらったことがある」と教えてもらったバー。
「ここ、いらっしゃるそうで」
「ああ。大宮殿から近いからな」
 帝星において大宮殿から近いというのは、地価が高いということ。となれば店も高級――
「情けないことに、全額奢るとは言えないのですが二、三杯くらいは奢らせていただきたいのですが」
「感謝する。奢られるのは好きだ」
「良かった。ラスカティアさんは、何飲まれます」
 バーは立ち飲みオンリーで、カウンターと四人が囲めば一杯になってしまう丸テーブルが十ほど。
 壁も床も殺風景に近い板張り ―― 板そのものは高価だが。照明の数も少なく、店内のそこかしこにほの暗さが残る。
 大貴族も相手にするので、丸テーブルは大きさは変わらないが高さが随分とあるモノが用意されており、それが彼らが集まる理由でもあった。
 侯爵とウエルダは身長差が約三十センチほどある。
「使い辛くないですか?」
「構わん」
 侯爵がウエルダの身長に合わせて低い ―― 通常サイズとも言うが ――テーブルを選んだ。
「久しぶりだな、アーシュ」
「よお」
 カウンターの内側にいる店主が、気安く声をかけ、侯爵も同じように返す。
「そっちは部下か?」
 店主は左右の瞳の色が違うことから、出自だけは誰でも分かるが、詳しいことは「平民」は知らない。
 店は百年以上の歴史を誇っているので、店主も何人か変わっているのだが、店の雰囲気は変わらない。
「違う。ゾローデの第一側近だ」
「あの、ゾローデか! そうかそうか。今度はあいつも連れてきてくれ。お祝いで一杯奢らせてもらうよ」
「新婚旅行が済んだらな。それはそうと、ヴェッティンスィアーンの末王子とアルカルターヴァの貴公子は来たか?」
「いいや。来るのか?」
「分からん」
 ウエルダは店主に”お近づきの印に”とビールを一杯奢られ、そのグラスで侯爵と乾杯して――
「今日は本当にありがとうございました」
「なにがだ?」
「色々と」
「そんなになにも……まあ、感謝されるのは嬉しいが」
「あのですね、ラスカティアさん」
「なんだ?」
「ラスカティアのことお聞きしたいんですけれど、よろしいでしょうか」
 空になったビールジョッキを持ったまま、侯爵が停止する。
「駄目、ですか」
「いいや……その、聞かれたこと、あまりない、からなあ。あらためて語れるような、そんな、面白いモノはないような……んー聞きたいことがあるんだ。なんでも聞いてくれ……あーだが……」
 侯爵が力無くビールジョッキをテーブルに置き、額に手をあてて庇のようにして影を作り表情を隠す。
「答えたくないことは、聞きませんよ」
「そ、そうじゃなくてな。付き合ったとか、惚れたとかそういうのは、ナシでたのむ」
 今まで恥ずかしいと思ったことはない侯爵だが、経験なしが途端に恥ずかしいと感じ ―― 嘘をつくにも口裏を合わせてくれそうな女性はいないし、思いつきもせず。
「え、あっ。そりゃあ、そんなことは聞きませんよ。ちなみに、俺は彼女居ない歴と年齢が同じですから!」
「……そ、そうなのか。いや、あ、本当に? あ、信用していないわけじゃない。ウエルダが教えてくれたのだから、俺もその……貴族にしては、あの……」

 二十過ぎの軍人男二人が、激しく照れながら ―― 夜は更けていった。

**********


 イルトリヒーティー大公とグレイナドア。
 テルロバールノル王がこの二人を組み合わせたのには、理由があった。
「……」
「……」
「……」
「……」
 ロヴィニアは良く喋ると言われているが、それは正しいが間違いでもある。ロヴィニアは理由がない場合は喋ることはない。
 自分を売り込むのでもなく、金が稼げるのでもなく ―― まして口説く相手でもない。となれば、ロヴィニアは黙る。もちろん友人であれば会話はあるが、この二人は”それ”でもない。
「……」
「……」
「……」
「……」
 テルロバールノルは他属相手に自分から仲良くしようと考えて、行動に移す者は稀である。皇太子妃エゼンジェリスタは、そう言った点では稀の枠に入る。
 無論テルロバールノルも友人であれば話すが、この二人は友人ではなく、友人になろうという気持ちすらない。
「……」
「……」

 若き王侯二名は歩み寄るということを知らない。

 命じられたので二人とも向かい合っているが、会話はなく ―― 両者とも相手が興味のある話題を提供するような性格ではない ―― ただ時間が緩慢に、そして酷く遅く流れてゆく。
 一触即発状態のような重い空気の中、ひたすらに二人は向かいあっていた。
 あまりの空気の重たさに、室内にいる召使いたちは冷や汗が流れ、逃げ出したい気持ちが沸き上がって来る。
「……」
「……」
 当事者である二人は、四日間このままでも、なんら問題はなかった。下手に会話をする気持ちになれなかったからだ。特にイルトリヒーティー大公の方が。
 誰もどうすることも出来ない時間が流れ ―― 転機が訪れたのは昼前であった。
「お前等、睨み合いでもしてるのか?」
「伯父上!」
 通り縋りの帝国宰相ゼルケネスが、室内から溢れ出す面白くなさそうな空気を感じ取り、二人の元を訪れた。
「帝国宰相」
 胡乱と表現するに相応しい空間に、鋭い目元に蔑みの笑みを浮かべて、
「出かけてこい」
「はい?」
「なぜじゃ?」
 大宮殿から追い出した。
「残るってなら、俺と一緒に行くかあ? ジャセルセルセに追い込みかけるために呼ばれてるんだよ」
「デオシターフェィンになにを?」
 六十間近の皇子の喋り方ではない……とは思ったが、それを注意できるモノをイルトリヒーティー大公は持っていない。
「聞いたら連れていくぞ」
 手に持っていた楽器が収められているケースをポンポンと叩きながら、嫌な嗤いを向けてきたので――
「伯父上の命令に従います。行くぞ、イルトリヒーティー」
「分かったフィラメンティアングス。失礼いたします、帝国宰相」
 二人は取り敢えず馬車に飛び乗り、大宮殿を後にした。までは良かったのだが、目的地がない。別々の馬車に乗ったので、顔を付きあわせていなくて良いので、このままずっと大宮殿の近辺を走り続けていたいところだが、さすがに”それ”は命令に叛くことになるだろうと。テルロバールノル王の命令に叛くわけには行かないと、連絡を取り合って、
「帝国科学館に行く!」
「帝国美術館じゃ!」
「科学館!」
「美術館じゃ!」
 全く意志の疎通なく、妥協も歩み寄りもせず――結局馬車は、その間にある施設、帝国博物館前で停車することとなり、二人は馬車を降りて無言のまま睨み合い、

「おい、グレイナドア、ベルトリトメゾーレ」
「トシュディアヲーシュ!」
「トシュディアヲーシュか」

 マローネクス家の面々を連れた侯爵と遭遇することとなった。
「お前等、なにをしてるんだ」
 親睦を深めるようにと命じられた相手ウエルダと普通に話をし、その家族まで伴っている姿を見て、
「見れば解るだろう。博物館へとやってきたのだ」
 二人ともプライドが刺激された。
 立ち寄るつもりではなかった博物館へやってきたと嘘をつくグレイナドア。
「お前等は、腕組んで棒立ちするために博物館前へ来たのか?」
―― ロヴィニアなのに、嘘吐くのが下手なのか……可哀想な王子だ
 だがそんな嘘は、侯爵に簡単に見破られていた。
「それは違うのだが」
 だが受け答えするグレイナドアはまだマシである。
 イルトリヒーティー大公は無言になってしまい、やや俯き加減になっている。
「……ベルトリトメゾーレ」
「なんじゃ」
「あとで女傑様に叱られるぞ」
「なっ!」
「懇切丁寧に説明してやる時間はねえが、お前等交流するんだから、せめて馬車は一台にしろよ。車中で会話がないことくらい我慢しろ。本当は会話していたほうが良いんだが、そりゃ無理だろうからな」

 マシュティに色々と言いつけた侯爵が去り、王女の体質についてイルトリヒーティー大公が知ったあと、二人は博物館へと入場し、館長と学芸員たちの説明を聞きながら館内を見て回った。
「大宮殿内のほうが立派じゃな」
「そりゃそうだろ」
 それを言ったらお終いである。その後、侯爵が用意してくれたイベント ―― 博物館の裏側見学 ―― 復元や整理をしている所を見て、
「ほお、こうなっておるのか」
「手間暇かかってるんだな」
 一般人がするような質問を幾つかして、館長室で休憩を取った。
「まあまあ、面白かったよな」
「そうじゃな。まあまあな」

 とても面白かったのだが、それを素直に認められない二人は”まあまあ”を繰り返す。

「殿下」
「マシュティ? どうした」
「トシュディアヲーシュ侯爵から、夕食をお二人でどうぞと」
 侯爵は抑えていたホテルの一つを、二人に譲った。
「いいのか?」
「はい。侯爵は本日、帝星内のホテル六十件ほど抑えておりますので。それとお二人とも馬車を返却なされたので、車のほうを用意いたしました。そちらをおつかい下さい。それでは失礼します」
 マシュティは連絡事項を告げると、すぐに二人の前を辞す。館長室に取り残された二人は、
「……」
「……」
「……」
「……」
 午前中の無言とは違う理由で無言となり、
「行くか、イルトリヒーティー」
「そうしようではないか。フィラメンティアングス」
 侯爵が用意してくれたホテルへと向かうことにした。

 その頃デオシターフェィン伯爵はというと、凶悪な伴奏付きの国歌斉唱を拝聴していた。
―― 帝国宰相のラッパが怖い

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