グィネヴィア[17]
君が考えていることなんて、知りたいとも思わない。だって君はエヴェドリットじゃないか

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 帰宅後、オーランドリス伯爵は髪を洗わせた。
 彼女の髪は長髪が多い帝国貴族の中でも、際立つ長さ――引きずるほど――があり、自分一人では洗うのは困難である。
 彼女は多くの貴族がそうであるように、専用の倒れる椅子に座り、髪を洗わせる。
 普通であれば洗わせたあとに、乾かすことも命じるのだが、彼女は髪を洗わせたあと、一人でシャワーを浴び体を洗う。
 体は洗うが拭くことはせず、床や家具が濡れることなど気にせずに歩き回る。
 髪が長く豊かなので、吸う水の量も多く、辺りは水浸しになる――誰も、なにもしなければ。この無頓着過ぎる彼女の体を拭くのはジアノールの仕事。
 大きなバスタオルを片手に持ち、シャワー室前で待機する。

―― 戦争していた方が疲れない

 日常に戻ってくることができたジアノールの、偽らざる気持ちである。
 彼女が髪を洗わせている間に、ジアノールは食事を注文し、着換えの服の用意に取りかかりながら――戦争していた方が疲れない――陳腐な言い回しを噛みしめていた。
 それほど戦争が好きな男ではないし、あまり得意でもない――エヴェドリット勢を間近で見ていると、大体の者は自分には戦争の才能はないと感じる――のだが、このときばかりは、戦争に逃げたくて仕方なかった。

 宇宙で最も傍若無人な王太子の”精子出せ”

 ジアノールは同僚とは言えないのだが、一応同僚であるヒュリアネデキュア公爵と接する機会も多いので、王族がどのようなものか? かなり正確に理解している。
 ヒュリアネデキュア公爵が聞けば顔を顰めるであろう。”儂は王族ではない、貴族じゃ”と。だが並の王族よりも王族らしい公爵のことを、ジアノールは個人的に「王族」に分類しており――それは間違いではないし、誰も否定しない。分類された者以外は。
 話はそれたが、王族が”精子を出せ”と指をさして命じた。その場合、指し示した箇所以外に、出してはいけないのだ。
 それ以外の場所や、想像していた以上の量など出してはいけない。王族というのは、そのくらい傍若無人であり、それを完遂しなくては! と、下々の者に思わせる雰囲気を持っている存在である。
―― あんなピンポイントに飛ばせないって
 精子出すだけなら出せたのか? そう問い質されたら、ジアノールはやはり沈黙するであろう。
 シャワーの音が止まり、大きな音を立てて扉が開かれる。
 黄金の髪に白い肌、作り物めいた中性的な体、それを壊すかのような乳房の膨らみ――
「ジアノール」
 水を滴らせたまま、オーランドリス伯爵はジアノールに話しかけてくる。
「髪を拭きますね」
 拭かれているからといって足を止めることはなく、拭き終わっていないからといってソファーに腰掛けないようなこともない。オーランドリス伯爵にとって、それは何の興味もないこと。いつも通りソファーに腰を降ろして、背もたれの向こう側に立ち、黒いバスタオルで髪を拭く。
「……グレス、知らなかった」
 オーランドリス伯爵は口数が少ないが、独り言はいわない。そして滑舌はよく、声も通る。
「はい?」
 室内にいるのはジアノールのみ。よって話しかけられたのだが――
「グレス、成人男性の性器を知らないから怖い」
「はい……」
 オーランドリス伯爵の話し方は、あまり相手のことを考えていない。それでも、ジアノールの返答の頼りなさから、話が通じていないことは解るので、彼女なりに必死に説明する。
「グレスが知っている男性器は、幼児のもの。ゾローデのを見て、違うって初めて知った」
「あ、はあ」
「イグニアが止めなかったのは、分かってたから。我は知ったけど、イグニアは分かった。でもジアノールが困るから止めてくれた。イグニアにありがとう」
「そ、そうです……ね」
 何が”どう”なっているのか? ジアノールには分からない。たしかにイグニアことエウディギディアン公爵には感謝している。「分かっていた」に関しては、ジアノールも理解はできる。オーランドリス伯爵とゲルディバーダ公爵は精神感応が開通しており、相手の考えが分かることは、クレスタークから説明され、実際に見せられたので分かっている。だがエウディギディアン公爵の「分かった」については、意味がよく分からなかった。
「どうして……ですか?」
 流して聞くのは失礼だろうと、答えてもらえるのならばとジアノールは、もう一つの疑問をも付け加えて聞き返す。
「なにが?」
「エウディギディアン公爵殿下がご存じであったことと、ゲルディバーダ公爵殿下が幼児の性器はご存じなこと」
 ゲルディバーダ公爵ともなれば、あの年まで性器を一切観ることなく生きていても、ジアノールにしてみれば何ら疑問はない。
 むしろ、幼児の男性器しか知らない――ということが不思議なほど。
 それをオーランドリス伯爵が当たり前のように言うことも、ジアノールには分からなかった。
「ジアノール、知らない?」
「はい」
 髪を拭かれたまま、オーランドリス伯爵は説明を始めた。
「グレスは……」

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「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
 公衆浴場を出たウエルダは、クレンベルセルス伯爵の自宅で、
「か、かんぱい」
 伯爵とグレイナドア、そして準正装――ギリギリの腰布ではなく、膝丈まである腰布――を着用し、帽子と名乗らされている蔦冠を被ったジャスィドバニオンの三人と共に、酒が入ったグラスを持って乾杯していた。

―― 乾杯、これで五回目なんだけど、いや、いいんだけど……誰も、おかしいと感じてないみたいだし

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「だから見たかった」
 体を捻りソファーの背もたれに腕を乗せてオーランドリス伯爵は、説明をした。
「えーと、そういうことでしたら、俺、今からうかがって、射精してきますよ」
 髪を拭き終えていたジアノールは、事情を聞き理解した。
 ”あんな大っぴらな場面でなければ……”最初は脳裏を過ぎったが、人目につかないところで、ジアノールの射精を視ているほうが余程問題になることにすぐ気付き――そんなことにも気付かないほど、ジアノールは驚いていたのだ。
「んー大丈夫」
 湿り気のある黄金髪に包まれたまま、服を着ていないオーランドリス伯爵が首を振る。
「いいんですか?」
「ゾローデは優しいって伝えた」
「……精神感応で?」
「うん。だから、グレス、もう恐がらない」
 初めての初夜は潰れたものの、ゾローデは裸をゲルディバーダ公爵に晒した。その時、ゲルディバーダ公爵は男性器を初めてみて――え? これ、なに。え、どうなるの? これ――となっていたのだ。
 そのまま帝星入りし、明日確実に訪れる初夜を前に現物を見てみよう! と、無茶をした。というのが、あの出来事であった。
「そうですか」
 オーランドリス伯爵はそのことをはっきりと伝えられ、エウディギディアン公爵はその洞察力で見極めたのだ。
 テルロバールノル王女は次期ケシュマリスタ王国後継者のことは良く知っているのだが、オーランドリス伯爵の元にいる僭主の末裔の性格はあまり知らなかったので、多少言動を見て、出来るのであれば――そう考えたのだが、途中で無理だと分かったので制止した。
「ごはん」
「いま、持って来ます。服は」
「あとで」
「かしこまりました」
 濡れた大判のバスタオルを持って部屋を出て、控えていた召使いに渡し、夕食が乗っているワゴンを押して部屋へと戻る。
「ごはん」
「並べますので、お待ちください」
 食事を並べている途中、
「画面」
 突如室内に通信が開き、ゲルディバーダ公爵が現れた。
 何ごとかとジアノールは驚き、皿を持った手が止まる。
『カーサー。ゾローデが僕のために、夕食作ってくれるんだ!』
 勝ち誇り宣言するゲルディバーダ公爵に、
「そうなんだ」
 オーランドリス伯爵はいつもと同じく言葉少なく無表情ながらも、優しい空気をまとい、返事をした。
『いいでしょ!』
「うん」
『じゃあね!』
 画面が消え室内に静けさが戻る。通信が来る前と同じ静けさなのだが、ジアノールには別種の静けさが襲ってきたかのように感じられる。
「なんです……か?」
 分厚い牛肉ステーキが乗った皿を持ったまま、思わず声を漏らす。
「やきもち」
 オーランドリス伯爵は座ったまま手を伸ばしてその皿を受け取り、自分の目の前に置いて食べながら、騒ぎの理由を教えてやった。
「へ?」
「ゾローデが優しいのを伝えたから、グレス、やきもちやいた」
「そりゃあ……」
 ケシュマリスタは嫉妬深いとは聞いていたが――ジアノールは目の当たりにし納得したが、嫉妬された方はまるで気にしていない。
 ”御大の性格なら気にしないんだろうが”
 食べている彼女の前に次々と料理を並べ、隣に座り自分も夕食を食べ始めた。食事中に会話は滅多になく、本日もいつも通りであった。
「グレスの嫉妬はきれい」
 食事を終えたオーランドリス伯爵は、フォークを皿の上に落として、話はじめた。いつもの彼女からは考えられないほど、今日はよく喋っている。
「そうなんですか?」
 皿をワゴンに乗せて片付けながら、ジアノールは内心で首を傾げる。きれいな嫉妬――というものが、どんなものなのか彼には分からないのだ。
「初めて見たとき、びっくりした」
「そんなにきれいでしたか?」
「うん。あのね」
 オーランドリス伯爵は立ち上がり、隣室へと消えた。ジアノールはワゴンを廊下へと出して下げさせ、戻って来る。
 すると、ちょうど隣室から大きな鏡――楕円形で縦で最も長い部分が三メートル、横は一メートル少々――を無理矢理引き剥がしてきたオーランドリス伯爵も戻って来ていた。そして彼女は鏡を持ったまま飛び上がり、力一杯床に鏡を叩き付けた。砕け散る鏡、その上に天井のシャンデリアを引きちぎり、また叩き付ける。
 ジアノールは顔を手で覆うだけで、彼女がしていることを止めはしなかった。
 エヴェドリットにとって破壊行為は、止められるようなことではなく、自由にさせておくべきこと。
 別室から宝飾品を両手一杯に持ち込み、同じように破壊し、その破片の中へと入り手で、散らす。これは通常の破壊行為ではなく、ゲルディバーダ公爵の嫉妬の美しさをジアノールに教えるための行為。
 破壊音が響くエヴェドリット大貴族の部屋に近づく召使いはおらず、人の気配は消え去り、部屋のガラスは部分的に破壊され、色鮮やかな壁紙が貼られていた壁も半壊状態に。天井にも無数の穴があいている。
 明かりがなくなった室内――二人とも夜目が利くので、必要はないのだが――空からさし込む星明かりと、それに照らされる無数の破片。
 そして室内にある通信機を動かして、破片の上にケシュマリスタの主星ソイシカの立体画像を映し出し、オーランドリス伯爵は素足のまま、その映像へと近付き、そして座った。
「グレスの嫉妬はきらきらしているの」
 それはケシュマリスタであった。だがエターナともロターヌとも違う、もっと別の生き物――オーランドリス伯爵。
「ガラスの欠片みたいに、鏡の破片みたいに、砕けた宝石のように。空から光が降ってくるの、でもちょっと頼りない光なの。太陽じゃない、月じゃない」
「そうなんですか」
 ジアノールは破片を踏み、中心近くに座るオーランドリス伯爵に近付き、
「うん。グレスの意識が初めて届いた時、それはソイシカだった。ソイシカを見たとき、泣きそうになった。グレス、ソイシカが好き」
「そうなんですか」
 膝を折り目線を同じくして、笑顔で答えた。
「グレスには、色々な感情がある。それはきらきらしている。とってもきれい」

 オーランドリス伯爵は自分が作った美しい嫉妬である、破片が気に入り、横たわりごろごろと転がる。豊かな黄金の髪を破片が飾る。
 そして全裸のまま眠ってしまった。砕けた破片の巣で孵った黄金の少女。
 気分よく眠っている主を起こすわけにもいかず、ジアノールは一瞬にして美しき廃墟と化した部屋に残っているソファーに座り、寝返るたびに聞こえる硬い音を聞きながら、主の心の中はどうなのだろうか? と、考えながら、目を閉じた。
 眠ることはなく、朝まで考えたものの分かるはずもなく――砕けた破片は天井や壁に空いた穴からさし込む朝日に照らされ、黄金の少女は黄金の中へと溶けて消えてしまいそうであった。

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お前の考えていることなど分からない。お前はケシュマリスタだから


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