グィネヴィア[10]
ゾローデはエリザベーデルニの前まで行くと、膝を折って面を上げて答えた。
「わたくし皇族爵位を授かりました、ゾローデと申します」
ヒュリアネデキュア公爵に教えられた通りに。
「儂の名はエリザベーデルニじゃ。立つが良い」
「はい」
ゾローデが膝を折っていた時、ウエルダはどうしていたか?
やはり膝を折っていた。ゾローデよりも離れた場所で、違うのは頭を下げていること。
「ウエルダ・マローネクス」
エリザベーデルニに声をかけられたウエルダは、面を上げずに返事をする。」
「はい!」
「よい返事じゃな」
「お褒めにあずかり光栄にございます!」
信じられないくらい偉い人に会ったら、この体勢――そう習っていたので、ウエルダはそれを実戦した。
「今日は挨拶回りであったな」
「はい!」
だが習わなくとも、この体勢になったと、ウエルダは頭上から降りてくる落ち着き払った、威厳ある声を聞きながら感じ取っていた。
この体勢、非常に楽なのだ。王者に頭を下げる――それは、人が決めたことではなく、本能がそうするのだと……ウエルダにはそう思えてならなかった。
エリザベーデルニはゆっくりとウエルダに近づき、頭を下げているウエルダの視界に、彼女の上衣の裾が入ってきた。
―― マントの裾や靴に口づけて忠誠を表すとか聞いたとき、理解できなかったけど、今なら少しは理解できる。少しだけなのが……
なんでマントなんかに口付けるんだろう? ウエルダは奇妙に感じていたが、いまそれを”少しだけ”理解することができた。
なぜ”少しだけ”なのか?
ウエルダは目の前の上衣の裾に触れる気持ちが起きないことが理由。高貴な御方においそれと触れてはならない――納得はしたが、裾を拝見するだけで恐れ多い相手に、触れる気など皆無であった。
「姉上さまは主と会えることを楽しみにしておる」
エリザベーデルニも顔を上げろなどとは言わない。」
「し、臣はせ、精一杯努力いたしたい所存です」
彼女は礼儀作法に煩いだけではなく、その者がもっとも心穏やかに話せる体勢を取らせてやる。顔を上げろと言うのは簡単だが、それは相手に負担を強いることになる。
そういったことを、彼女はよく理解していた。
「緊張するなとは言わぬ。じゃが、安心せい。主が侯ヴィオーヴに忠実である限り、そして侯ヴィオーヴが帝国に忠実である限り、姉上さまは主らを帝国の礎として導き遇する」
「誓います」
「よろしい。儂と侯ヴィオーヴはこれより礼儀作法の確認に入る。主は側近が来るまでここで待機しておれ。リケ、あとは任せたぞ」
「かしこまりました」
「じゃあウエルダ。また後で」
ゾローデとエリザベーデルニが休憩スペースから去り、
「立ってください、ウエルダさん」
声をかけられたので、それに素直に従った。それと言うのも、声をかけてきたリケという男は、テルロバールノル王国軍の大佐の格好をしていたのだ。
帝国軍と王国軍は同格である。
もちろん帝国上級士官学校を卒業した王国軍の軍人と、それ以外の学校を卒業した帝国軍の軍人であれば前者のほうが格上とされるが、ウエルダは普通の士官学校卒業で帝国軍少尉。相手はどこの学校を出ているのかは不明だが、見た目ウエルダと変わらない年で大佐。階級だけでも従うべき相手。
立ち上がったウエルダと視線を合わせて、
「初めまして、リケ・ターンっていいます」
先程、皇王族を殴り飛ばして殺した”平民”は、ちょっと人が悪そうな笑みを浮かべウインクをして自己紹介をした。
「こちらこそ、初めまして。ウエルダ・マローネクスといいます、リケ大佐」
「へいへい。大佐いらない。俺はテルロバールノル王国軍の大佐。それも王家のお声掛かりってやつ。帝国の士官学校出の少尉さまに大佐付けで呼ばれるようなもんじゃない」
このリケという男、実は士官学校の類は出ておらず、十四歳の時、リケ本人が「運命の悪戯」と言って憚らない出来事により、テルロバールノル王に仕えることとなった。
「あ、あの」
「俺は皇王族とか貴族のクズを殴ってるだけ」
「は、はあ」
「俺、結構有名なのよ、この界隈では」
右手で拳を作り、親指を自分の胸にむけて語る彼の表情と、その背後に見える皇王族の死体。
「で……しょうね」
平民が皇王族を殺す――ウエルダにとって、これ以上ない驚きであった。
「少尉も一夜で有名になったけどな」
「かもしれません」
ゾローデに付いてきたことで有名になった……のはもちろんだが”そっち”よりも、
「少尉が考えているような理由じゃなくて、ヴェッティンスィアーンの歴史に残る天才ポンコツに恋のライバル認定されたことで有名になったんだ」
”こっち”のほうで有名になっていた。
「……え?」
ウエルダが愕然とするのも無理ないのだが、少し事情を整理するとすぐに分かること。ウエルダはグレイナドアに一方的に勝負を申し込まれたあと前線へと向かったため、大宮殿にはいなかった。
対するグレイナドアは結婚式典やその他、ゾローデが王太子婿として生活するための基盤を大宮殿で整えていた――仕事は完璧なのだが、その合間に「オランベルセェェェ! トシュディアヲーシュュュュ! ウエルダァァァァマローネクスゥゥゥ!」と叫んで、歩いて、叫んで、決裁をもらっていたので、
「安心してくれ。事情を知っているやつは、十割少尉に同情してる」
皇帝まで事情を知るに至った。
「あの……」
「うざかったら、俺に言ってくれ。あんま強すぎるのは殴り飛ばせないが、あのポンコツは俺でも軽くぶっ飛ばせる。俺は弱い者虐めしない限り、大アルカルターヴァ殿下が守ってくれるから平気。ポンコツが迷惑かけていることは、大アルカルターヴァ殿下もご存じだからよ」
「……」
ウエルダは普通の平民なので、王族を殴り飛ばしてくださいと言えるはずもない。
「我慢は体に毒だし、俺は偶にアレ殴りたいから頼むよ」
笑顔で言われても困るな――宇宙には色々な人がいるのだと、ウエルダは噛みしめていたところ、
「ウエルダ」
「ウエルダさん!」
聞き憶えのある声が響く。
「リディッシュさんに、キャス(さん)」
心の中では”さん”付けして振り返ると、二人は周囲を見てから、
「リケ、やったのか!」
リケに詰め寄った。
「侯ロガがやれと命じたので。侯ヴィオーヴを私生児だとか、大アルカルターヴァのエレーフも私生児だとか。二人でホモれとか言ってたから、侯ロガがお怒りで。俺がやらなけりゃ、侯ロガがやっちゃいましたよ。テルロバールノル王族が手にかけるにはちょっと……どう考えてもクズだったよな、ウエルダ」
「えーまあーその。なんつーか。はい」
ウエルダもそこは同意した。
「もしかしてウエルダさんの悪口も言ったの?」
ジベルボート伯爵がリケを見上げながら、小首を傾げる。
「言ったよ。平民って馬鹿にしてたぜ」
「酷い! それを言ったやつは、側近のオランベルセに殺させるべきだろ!」
「それは……さすが、エヴェドリットの良心」
その時イズカニディ伯爵は、胸元から携帯用死体袋を取り出して、死体の破片をその袋にまとめていた。
「あれって、有名なエヴェドリットの死体袋ですか?」
黒い大きな袋で、赤いプレートがついている【平民もその存在を知っているが、実際に見ることはない。なぜなら、それを見たとき、お前は死んでいるからだ】と言われる、都市伝説的な死体袋。人殺しを好み、あちらこちらで殺すエヴェドリットが、死体を偶に持ち帰る際に使うとされている――
「オランベルセは人殺さないんですけれど、同族が殺して放置したままの死体とか、回収してあげるんですよ」
「エチケット袋持参して他人が残した汚物を回収してくれるとか、本当にイイヒト過ぎるよな。リスカートーフォンの大貴族なのに」
「俺のことは気にせずに、少し話をしていてくれ」
「俺が届けるから気にしなくていいですよ、イズカニディ伯爵閣下」
リケの言葉を無視して、イズカニディ伯爵は必死に死体を拾い集める。別にコレ、彼の趣味なのではなくて、性質なのだ。
「オランベルセがそう言ったんだから、お話しましょうよ! ウエルダさん、リケから聞きました? このチンピラ憲兵がテルロバールノル王の配下になった経緯」
「いや、聞いてないよ、キャス」
「良い機会だから、話しましょうよ。お茶もってきますね。さあ! 二人とも座って!」
死体を拾い集める伯爵に、お茶を取りに行く伯爵――原因は自分を含む平民。ウエルダは本気で頭を抱えた。
「伯爵さまのご命令だから座ろうぜ、ウエルダ」
「そうですね、リケさん」
「リケでいいって。”さん”とか”さま”とか”卿”とか向きじゃないから」
腰を下ろした二人はジベルボート伯爵が戻って来るのを待って、そしてリケが語り出した。
「上流階級はみんな知ってるんだが、俺は十四歳の時、崖から転落して瀕死の状態になったんだ。そこに侯ロガが現れて”ぬし、そのままでは死ぬぞ”仰った。その時、侯ロガ、御年五歳。今とほとんど変わらない、落ち着き払った王女のお話ぶりってやつ」
リケはテルロバールノル王族の保養惑星の一つに住んでいた平民。保養惑星のほとんどは”自然が美しい”それを維持するために、惑星の開発などには厳しい制限が設けられている。人が住める区域は極僅かで、立入禁止の区域が多い。
平民を住まわせなければいいのだろうが、天然の惑星には決められた数の平民を住まわせることが、法律で定められているので、先に述べたような制限がかけられる。
王族の保養惑星ゆえ、惑星を維持管理するために人が派遣されてくる。それは、間違いなく貴族であり、かなり横暴であった。
ただし――
「俺が生きていた狭い世界の中で、横暴に感じられた”だけ”だった。別に横暴でもなんでもなく、厳しい貴族だっただけのこと。ちょっと選民意識が強かったが、大アルカルターヴァから保養惑星を任されたテルロバールノル貴族なんだから当たり前だよな。なにより大アルカルターヴァが侯ロガとの初めての休暇を過ごす為に選ぶくらい格調があり、そこを任されていたくらいだからな」
悪い人ではなかったと、リケは後になって気付き、いまは友好な関係を築いている。
「ちなみに俺がしでかしたのは、立入禁止区域に入り込んで崖から落ちた。落下先を散歩していた侯ロガの前にべちゃっと落ちて、お洋服を血で汚すという大失態」
「……」
いくら大人びているとは言え、五歳の子供の目の前に落下体……考え、なんとなく自分に置き換えてしまい、ウエルダはどうしようもない気分になった。
「そう言えば、その時のエリザベーデルニさまのお洋服、弁償できたの? リケ」
「できるわけないだろ。平民の生涯賃金を軽く上回る服を着るのが、テルロバールノル王族だ」
先程のエリザベーデルニの洋服の裾を思い出し、ウエルダは身震いする。
―― 姉上さまの臣民が死にかけておりますのじゃ。助けるのです
「俺の無給人生はどうでもいいんだけどよ、小さかった侯ロガは俺を助ける方法を考えて、邸へと引き返して大アルカルターヴァを呼んできてくれた。その時、俺は意識が朦朧としてて……良かったぜ! 大アルカルターヴァに姫抱きされたんだからな! まともに意識があったら、死んでたな!」
「そこで死んでてくれたら! って思ってるやつらは大勢いますよ」
「だろうな! ジベルボート伯爵閣下」
「僕はそんなこと思いませんけどね」
「そう思うやつらを殺すのが、俺の仕事だ! ジベルボート伯爵閣下は俺が殺す相手じゃないし……で、何故か侯ロガが”これは側におくのじゃ”と大アルカルターヴァに言ったんで、俺はそのまま村に帰ることもなく、こうして憲兵に。崖から落ちて、瀕死になったら王女の側近ってわけ……ゴミ集め終わりました? イズカニディ伯爵閣下」
死体袋のクチを結んだイズカニディ伯爵にリケは声をかける。
「ああ、終わった」
「処理は任せてください。もっと話したいんだが、時間もないんで。ウエルダ、またな」
「はい、リケさん」
「リケでいいって。じゃあな! 伯爵閣下方も、それでは」
イズカニディ伯爵の手から黒い死体袋を受け取り、それを振り回しながら、
「またね、リケ」
リケ・ターンは去っていった。
「色々あるんですね」
「ああ。悪い男ではない、むしろ正義感に溢れているし、それを間違うこともない……ヘスという警官に似ている」
「ヘス・カンセミッションですか。嫌いじゃありませんし、むしろ好きな人ですが、身近にいるとドキドキしますね」
ヘス・カンセミッションとは、平民で戦災孤児となり遺族孤児院で育ち軍警察に就職した、ごく普通の警官――ただ一つ、普通でなかったのは「警官の職務を全うした」こと。
なんの後ろ盾も持たない彼なのだが、相手が大貴族だろうがおかまいなし「悪いことをしたら捕まえる」を実戦し、ついには歴史上大名君として、その名を残している皇帝サフォントに対し「いらないっす。それより、ソイツ(傍に居た皇王族)召使を殴ったんでとっ捕まえてください」と叙爵を拒否した伝説を持つ男。
平民にとっては輝かしい名なのだが……実際側にいると、気が気ではない系統の人間である。
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