グィネヴィア[07]
 邸の主であるヨルハ公爵に呼ばれ、二人は屋根から降りて、
「このティアラに、どのドレスが似合うとおもう」
 無理難題をふっかけられた。ヨルハ公爵はよくて餓死した変死体。悪くするとゾンビ――透き通るような白皙の肌とは正反対な、絵の具で白く塗ったとしか思えない肌。
 唇は小さいが紫色で、艶や潤いなくガサガサ。どんなに手入れしても治らない。
 目は大きいのだが、単純に肉がついておらず、落ち窪んだ目をしているために大きく見える。そして不健康と寝不足だけでは決して不可能、追加で色を塗っているとしか思えない隈。
 髪の毛は艶無くボサボサ。結婚している高位の女性は髪を結うのが慣わしなのだが、どうやっても美しくまとまらず、側頭部を少しだけまとめるに留まっている。
 十代初めだというのに骨格は見事――誰の目にも見事だと分かるのは、骨と皮しかない状態のため。肋骨も背骨も浮いている。どこに臓器が収まっているのか? 不思議な体。
 男性からすると「どうして女に生まれてきてしまったんだ」としか表現できない容姿。ただし同性である女性からは、かなり人気がある。良い意味でも、悪い意味でも。
「……」
 そんな彼女からの質問に、イズカニディ伯爵は沈黙することしかできなかった。
「お前は当主で、結婚もしてるから、シックな装いがいんじゃねえのか。子供じみた感じのない……でもそのティアラは、やや子供っぽいな」

―― さすがアーシュ!

 なにも思い浮かばなかったイズカニディ伯爵は、侯爵の的確な指摘に心底感動する。
「うーん」
「リディッシュ。衣装合わせにつきあってくれるか?」
「あ……ああ。だが俺はあまり役に立たないぞ」
「そんなことはないだろ。おい、用意したドレス、全て並べろ」
 若き大貴族の当主のために用意されたドレスは三十着を超え、
「これ、ラスカティアの分」
「は? なんで俺の?」
 なぜか夫であるアーシュのドレスまで、十着以上用意されていた。
―― クレスターク卿……弟をからかうのも……まあ、あの人が俺の兄じゃなくて良かったというか。アーシュにこの色とデザインを用意できるのは、やはりクレスターク卿だけ
 普段はエヴェドリットの大貴族らしく、赤を基調にした黒と金色で飾られている軍服を着ている侯爵。そんな彼にクレスタークが用意したドレスは群青色。光沢のある素材で、光の加減によりやや紫色を帯びる。襟元は純白のレースで飾られており、デザインは全てノースリーブ。イズカニディ伯爵の1.8倍はある二の腕が露わになる。
 残念なことにクレスタークの二の腕は、イズカニディ伯爵の2.3倍強。そんな悪戯好きな彼からすると、弟の腕はまだ細い……

―― だからその。いや、腕が隠れていたら良いってわけでもないんですが。もう真剣に考えて……あああ

 イズカニディ伯爵は口を半開きにして、必死に耐える。何に耐えているのかは、彼自身分からない。
「グレスが喜ぶんでしょ。だから新調したんだよ」
「あの時はなあ」
「え? アーシュ、ドレスを着たことがあるのか?」
 エヴェドリット王家とその近辺は、侯爵のような、あるいは侯爵の体格を上回る女性も珍しくはないが、侯爵はれっきとした男性である。
 自覚のない同性愛者ではあるが、女装する趣味はない――はずだと、イズカニディ伯爵は焦りを隠さず、両肩をがっちりと掴んで問い質す。
「ファティオラ様が、側近全員に着るよう命じたんだよ……安心しろ、リディッシュ。俺に女装の趣味はない」
「済まん。変な疑いを……あーそれで女装をしたのか」
「ラスカティアが一番似合ってた」
「え、あ、そうなのか?」
 ゲルディバーダ公爵の審美眼では、侯爵がもっとも似合っていた。
「ジャセルセルセとベルトリトメゾーレは、雰囲気が野郎過ぎたそうだ。俺はなんか、ファティオラ様からすると”ちょっと女の子”なんだそうで。あの人は、よく分からん。ヴァレドシーア様以上にな」
 もしかして、ゲルディバーダ公爵は侯爵の性癖に気付いているのでは? イズカニディ伯爵は焦るも、彼にはどうすることもできない。
 なによりも最も怖ろしいのは、わざわざゲルディバーダ公爵に尋ねてみたら「知らなかった」と返されたら、元も子もない。
「そうか。でもお褒めにあずかったんだから、良かった……のかなあ」
「さあな……シア! そこで着換えるな!」
 二人が話しをしている隣で、ヨルハ公爵は服を脱ぎ、骨と皮と下着だけの姿になり、
「ラスカティアも着てみなよ」
 淡いオレンジ色に、濃い赤色で薔薇の花が刺繍されているドレスに袖を通そうとしていた。
「どれをだよ?」
「好きなのを選べばいいよ」
「あるか!」
 文句を言いつつだが、侯爵はドレスを一着ずつ持って見て、
「よし、これにするか」
 彼の琴線のどこに触れたのか? イズカニディ伯爵以下、邸にいる召使いには理解不能だが、
「一番似合うとおもうよ」
 ドレスを着用し、ティアラを頭に飾った、妻であり異母妹であるヨルハ公爵だけは、それを理解した。
 ヨルハ公爵には別の部屋で着換えろと注意した侯爵だが、自分はどうでもいいとばかりに、そこで服を脱ぎ、軍用のアンダーシャツを着用したままドレスに腕を通す。
 逞しいと誰もが認める二の腕、悩ましいまでの大胸筋。厚手の布越しでもわかる腹筋の割れ具合。どれもが立派な男性――と言えないのが、エヴェドリット貴族の悲しいところ。
 大きな姿見の前に立った侯爵とヨルハ公爵は、
「俺もお前も、ひでえな」
「うん」 
 自分たちの姿を見て、まっとうな意見を述べる。
「シア、注意しておく」
「なに?」
「ファティオラ様も大概似合わねえ。あの顔はやっぱ男だ」
 ゲルディバーダ公爵の容姿は初代皇帝と同じものとされており、歴代でもそう瓜二つの者はいない。その容姿を持ち即位した者は、ほぼ男性。近年では三十七代皇帝がその容姿であり、やはり男性であった。三十七代皇帝は平民にも愛されていた皇帝で、印象が強く残っているせいで、 
「シュスター・ベルレーだもんね」
 その容姿は平民にとって、皇帝であると同時に男性であった。
「でも言うなよ」
「言わないよ」
「笑うなよ」
「たぶん……」
「あの顔と雰囲気で、可愛いピンク色でフリルがたくさんついた、膝丈ドレスが好きなんだぜ」
「……」
 ヨルハ公爵が想像して、元々そうだが、輪をかけて「絶望の驚き」を浮かべた表情となり、侯爵を見つめる。
「似合わねえんだ、あれがまた」
「きっと人妻になったから、そんな子供っぽいの着ない。大人でシックなやつを着るはずだよ」
「……それが似合うかと言われたらなあ」
 ヨルハ公爵の絶望的な表情と、脇で侯爵が言うことを想像してしまい、色々と疲れたイズカニディ伯爵は、考えることを諦めて、二人と共に世間話に花を咲かせて、その日は泊めてもらうことになった。

 考えることは山ほどあるが、まずは――

「……」
 イズカニディ伯爵は目を覚ましたが、動かなかった。彼はベッドで眠っているのだが、隣にヨルハ公爵、その隣には侯爵。
 部屋など幾つもある邸なのだが、話をしているうちに面倒になり、三人で一つのベッドに入った。
 イズカニディ伯爵以外の二人はドレス姿で。
 起きたことを気取られないように少し体を動かし、眠っている二人を見る。
 その寝姿は「人殺しと死体」以外の何者でもない。それも女装した。それらを差し引くと――ほとんどなにも残っていないのだが――侯爵は非常に良い兄であった。
 年の離れた妹に腕枕をしてやり眠っているその姿。
 微笑ましいとは縁遠いが、それに類するもの。この二人は夫婦だが、決して夫婦にはなれず、だが仲良く生きていくのだろう。イズカニディ伯爵ははっきりと、それらを感じ取った。

「ウエ……ル……ダ」
「!」

 侯爵の口から、意外ではないものの、問題ある名が飛び出して、イズカニディ伯爵は飛び起きる。
 その震動で寝言を呟いた侯爵が目を覚まして、
「よお、リディッシュ。早いな」
「あ、ああ……おはよう、アーシュ」
 自分の腕を枕にして眠っているヨルハ公爵をゆすって起こす。
「シア。朝だぞ」
「うん、おきる。今日は……」
 寝言をヨルハ公爵が聞いていないことを願いつつ、決定打はないが、応急処置的ななにかをしなくてはと、真剣に焦るイズカニディ伯爵だった。

**********


「ウエルダ、朝よ」
「……おはよう」
 母親に声をかけられて、目を覚ましたウエルダはゆっくりと体を起こす。
 泊まったのは弟の部屋。宿泊用に用意しておいた簡易ベッド。
「寝心地はどう?」
「わりといいよ。起きろよ、ビエルント」
 遅くまで話をしていた弟に声をかけて、ベッドから降りて背伸びをする。
 バーゲンで買った一人用のそれは、ウエルダにはやや小さかったものの、慣れ親しんだ実家で休めたことで、差し引きでプラスとなった。
 歯を磨き、顔を洗い、食卓について、食べ慣れた朝食、苺ジャムを塗った食パンに、オリーブオイルをかけ、塩胡椒を散らしたヨーグルト。ベーコンエッグに、昨日の夕食の残り。いつも残りは僅かだが、今日は豪勢だった。
 昨日、久しぶりに息子が帰ってきたので、両親が腕によりをかけて作った結果、かなりの量が残ってしまった。
「今日は帰ってこられないの?」
 今日で最後になるだろう少尉の制服のゴミを払ってくれている姉が、予定を尋ねてくる。
「今日は無理だな。明日は朝から準備があるから、大宮殿に泊まったほうが楽だってリディッシュさんが言ってた」
「泊まるアテとかあるの?」
「ある。バルデンズさんの家に泊めてもらえることになってる」
「バルデンズさんは……皇王族の伯爵様よね?」
「うん」
 帰宅した息子の口から、皇王族の伯爵にエヴェドリットの伯爵に侯爵に王子。ケシュマリスタの伯爵や男爵など、想像もしていなかった人々の名が出てきて、両親は驚きを隠すことができなかった。
 ちなみに兄弟は、彼がロヴィニアの王子を語る時だけは、少々苦笑いを浮かべていたことが気になったものの、深くは追求しなかった。いつもならば姉と妹が鋭く突っ込み、最後まで喋らせるのだが、さすがに相手が相手なので控えた。
「手土産とか持っていかなくていいのかい?」
 父親は息子が他所の家に泊まると聞き、一応の礼儀を尽くすべきではないかと不安を覚えるも、
「それもリディッシュさんが用意してくれるって。俺たちが用意するより確実だから、お任せするんだ」
 全部用意は調っている……筈であった。寝言に頭を抱えている彼が、そのことを思い出すのはもう少し先だが、抜かりなく用意するはずである。
「それならいいが……」

 マローネクス家の玄関が開かれ、誰も見たことのない、まさに美少女が現れた。

「ウエルダさん! お迎えに来ました! 初めまして、美少女のキャスです! よろしくお願いいたしますぅ。お姉さまがた!」
「ちょっと待って、キャス!」
「車から離れちゃ駄目だよ、サンレストアサーファ。今日は僕がお迎えに上がることになりました」
 両者とも歌うような声、そして笑顔。
「キャスさ……あの、あれ?」
「びっくりしました? あのですね、もっとびっくりして下さい、ウエルダさん」
「これ以上びっくりするの? 俺」
「はい。あのですね、僕たちのグレスさまが、ウエルダさんにお会いしたいって、大宮殿で待ってます」
 ”僕たちのグレスさま”が誰なのか、マローネクス家の人たちは分からなかったが、
「冗談? ですよね?」
 ウエルダの態度で、偉い人であることは分かった。
「いいえ。今回はグレスさまの我が儘なので、待たせても良いとテルロバールノル王がおっしゃってました。なんですけどぅ。今日グレスさま、ナイトヒュスカ大皇陛下を出迎えて差し上げる予定でして。まあ、あの方、わりと放置プレイ得意ですから、待たせておいてもご褒美として受け取ると思うんですけど」
「キャス! なんてことを」

 テルロバールノル王とナイトヒュスカ大皇の名が出た辺りで、聞いていた誰もが”グレスさま”は、彼らと同等な御方であることに気付き、警備兵たちも銃を肩に担ぐために通しているベルトを握り絞め、首を小刻みに振り、聞かない! 聞かない! 聞いてない! と自らに呪文をかけ始めた。

「グレスさまが仰ってたんですよぅ”アウグスレイタなんて、一週間くらい放置してもいい”って」
「やめてーキャス。聞いている人たちが、死にそうになってるー。ウエルダさん! しっかりしてください。この程度で現実逃避してたら、キャスの相手……」
 サベルス男爵サンレストアサーファ。この程度のことで意識が遠のいていては、ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼと結婚など、できはしない――

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