グィネヴィア[02]
 結局エゼンジェリスタがどうなったかというと、
「お揃いとはよい響きじゃのう」
「いい」
 イズカニディ伯爵とジアノールから「助けて」という視線を受けたウエルダが、
「お二人は好みがあうんですネ」(ドレスを選んだのはジアノール)
「色違いのお揃いですネ」(身分が違うため、同じ色のドレスを着ることはできません)
「仲の良い女子は、お揃い着たりしますヨ」
 いつの時代の電子案内音声だと言わんばかりの棒読みで、必死にエゼンジェリスタを慰めた。
 気が合うと言われ、お揃いで華やかとも言われ、滅多に表情を崩さないオーランドリス伯爵が親指を立てて「にっこり」と笑ったことで、
「フィナンシェ作って待っておったぞ」
 エゼンジェリスタがつられて笑い、場の空気は戻った。
「楽しみ」
 機嫌が直った ―― 問題を先送りしたともいえるが、時間と言えどもこの問題は解決できない。なぜならエゼンジェリスタの母親は名門ケシュマリスタ貴族。それ即ち、つるつるぺったり ―― エゼンジェリスタと共に皇太子とウエルダたちは客間へと向かった。
「遅かったな」
 客間には戦死報告を終えたディークスがすでに到着しており、壁に背を預け婚約者の戦死報告を貰ったデーケゼン公爵と話をしていた。
「おう……ヒルグ……」
「何度も言いましたよ。儂のことは気になさらぬようにと。少尉や、儂はエゼンジェリスタ殿下の側近デーケゼンじゃ。顔だけ覚えておけ」
「はい、閣下」
 彼女はウエルダに挨拶すると、すぐにその場から立ち去った。
 せっかく両殿下がイズカニディ伯爵の帰還を喜んでいるとき、婚約者に死なれた自分は相応しくないと判断してのこと。デーケゼン公爵としては婚約者が死ぬのはこれが初めてではない、エゼンジェリスタの側近となってからも容赦無く死んでいるので、そろそろ慣れていただかないと……二十三歳で三十人も婚約者に死なれていれば、そうともなる。
 だがなかなか当人ほど達観できないのが周囲。少々気まずい空気が流れたが、
「エゼンジェリスタ。コーヒーを」
「お任せあれ」
 皇太子が声をかけて、ぎこちなくも空気が動き出した。
 ウエルダは純白のコーヒーカップに戦きながら指を通してコーヒーを口に含んだ。口内に広がる初めての芳香に驚き思わずカップを落としかける。美味いの一言では足りないような、芳醇な味わい。
「エゼンジェリスタはコーヒーを淹れるのが上手でね」
 皇太子のオレンジ色の右目と黒い左目が優しげに細められる。
 その眼差しは異性に向けられるものというよりは、本当に身内にむけられるもののように ―― 向かい側に座ることになったウエルダにはそのように感じられた。
「これが本物のコーヒーなんですね」
 帝国の危ういながらも後継者の口に入るものは、ウエルダの想像もつかない程に美味かった。もちろん会戦往復中に美味い物はたくさん食べたが、これほどのコーヒーはなかった。
「リディッシュ。マドレーヌじゃ、食うがよい」
 ウエルダの前にも皿にマドレーヌとフィナンシェが二個ずつ盛られている。皇太子もウエルダと同量……なのだが、ウエルダの右隣にいるイズカニディ伯爵の菓子の量だけ違う。イズカニディ伯爵が抱える程の大きさの篭に山盛り。
 言葉としての山盛りではなく、本当に山盛り。

―― ゾローデ言ってたもんなあ……山盛りは山盛り。絶対に平民的な感性で言うなって

「マローネクス少尉」
「はい、皇太子殿下」
「先ずは……私もウエルダと呼ばせてもらってもいいか?」
 白い肌に黒髪――残念なことに黒髪は皇帝髪とされる、星々煌めく宇宙のような煌びやかさはなく、母親である皇后譲りの有り触れた色合い。それは周囲に存在しないのに、埋没してしまう色。
「光栄にございます」
「私のことは……私は学生時代はキルヒャーと呼ばれていたのだ。キルヒャーと呼んでもらえるか?」
 ゾローデから”学校の渾名は本名も爵位も関係内、意味不明なもののほうが多かった”そう聞かされていたウエルダは、皇太子の親王大公位と名前ともなんら関連のない渾名を教えられても間抜けな返事をすることもなく、
「キルヒャー殿下と呼ばせていただけますならば」
 軍人として臣民として精一杯答えた。
「キルヒャー殿下……ゾローデもそう呼んでいたね」
「ヴィオーヴ侯爵はドロテオのことですら、ドロテオ君呼びだったらしいな」
 ウエルダの左側に座っているディークスの前にはプレーンのパウンドケーキが、切り分けられずに二本置かれているが、ウエルダは気付いていない。
 皇太子の目の前に座っているウエルダに、周囲を見るような余裕などないのだ。
「そうだった……ジアノールも座りたまえ」
 席に着かず、オーランドリス伯爵の背後に立っていたジアノールは、言われてから席についた。ジアノールが席につくと、イズカニディ伯爵がマドレーヌを食べる手を止めて、
「ウエルダ。殿下は麦部部長でもあった」
「ゾローデがお世話になったって聞きました。麦チョコがとても美味しかったと」
 話を振られた皇太子は思わず顔を背けてしまった。
「あの時はゾローデに随分と迷惑をかけた」
「いえいえ、ゾローデとっても嬉しかったって。教官時代、自慢してましたよ……ちょっと疑いましたが、本当のことなのです……ね」
 ゾローデからその話を聞いて、信用できるような一般人はいない。
「あ、ああ」
 話が分からないジアノールとオーランドリス伯爵は顔を見合わせて首を捻る。
「なんの話だ? 教えてくれよ、殿下」
「ディークス……ゾローデが怒っていないのならば……」
「本当に楽しかったって言ってましたよ。あれは嘘じゃないです」
「それならば……」
 皇太子は軽く咳払いをしてから、学生時代の出来事を話はじめた。

**********


 皇太子が三年生の時、ゾローデが入学した。
「キルヒャー」
「どうした? ラスカティア」
 ゾローデと同級生である侯爵が、麦部の部室へとやってきた。
「こいつ、麦部で」
 侯爵の小脇に抱えられていたのは、大型最強肉食獣に捕まり死を覚悟し弛緩、あるいは現実逃避したが、本能により小刻みに震える十二歳のゾローデ。
「麦部でいいのか?」
「ロヴィニアに毟られかけてた。金がないやつは、金稼げるクラブに誘われると、心ぐらつくからな」
「いいのかい?」
 声をかけられていたゾローデだが、死を受け入れた状態で放心しており皇太子の声など聞こえなかった。
「俺は卓球部。麦部にはマーダドリシャが入るっていってたから、あいつなら上手くやっていけるだろう」
 侯爵がゾローデを麦部に入れたのは、侯爵と親交のある皇王族マーダドリシャ侯爵が既に麦部入部していることを知っていたので、ならば安心だろうと。侯爵が入部した卓球部は、腕に自信がない限り入部してはならない。
 そして侯爵に信頼されたマーダドリシャ侯爵は、同級生であるゾローデのことを良く守ってくれた――同時に色々とやったのだが、いまは皇太子の話に戻ろう。

 ゾローデは麦部に入り、真面目にクラブ活動に精を出す。

 世間一般、普通のクラブ活動とは違うものの、色々なことを学べてゾローデとしては充実していた。
 皇太子はゾローデが入学した年に麦部部長となった。これは彼が人生で初めて自ら「なろう」と思い就いた地位である――
 皇太子はゾローデのことを気にかけていた。その当時は僭主の末裔であることは知られていなかったので、一般人なので気遣ってやらなければ死んでしまうと。

 皇太子は皇太子なのだが、偶に死にかけていた。エゼンジェリスタほど医務室送りにはなっていないが、皆無ではない。皇太子にも優しくない、それが帝国上級士官学校。
 
 さてゾローデは限りなく平民に近い、どの階級にも属さない男である。普通よりも少々貧乏な生活を送った彼の”例え話”は、通常であれば決して叶うことはないのだ。
 その日皇太子は、麦チョコを試食していた。
「美味しいですね」
「そうだな」
 ゾローデもご相伴に預かり、半分渡された。ここまではいつも通り。そしてゾローデこう言った――

「この味好きです。部屋一杯分くらい食べられそう」

 貧乏人は叶わぬことを想像するものである。金持ちは”そんな発想があるのか!”驚く。
 皇太子は完全なる善意で、ゾローデの願いを叶えることにした。嘘偽りなく善意。これほど純粋な善意を持ったのは、初めてかもしれないというくらいの善意。
 話を持ちかけられた麦チョコを作り、試供品として提出してくれた調理部のほうでも快諾。
「じゃあ、誕生日ってことでいいんじゃねえのか? あいつ、奴隷だから固定の誕生日ねえだろ」
 侯爵は床を抜く係。
 なぜ卓球部の侯爵に仕事が振られたのか?
 それは部屋を麦チョコで一杯にする場合、どこから部屋へと流し入れるのかが問題となった。部屋を麦チョコで埋め尽くす。その為にはどうしたらいいのか?
 同室にして麦部部員のマーダドリシャ侯爵からいい案はないか? と尋ねられた侯爵は、天井を抜くことを提案する。
 要するにゾローデの部屋の真上の天井を抜き、半重力ソーサーに麦チョコを積んで、部屋をみっちり麦チョコで埋め尽くしてから、天井をはめ直すことになった。
「それは楽しそうだ。私の部屋も埋め尽くしてくれていいよ」
 ゾローデの同室であったクレンベルセルス伯爵は話を聞いて、これまた快諾。床を抜かれることになる上階の生徒に話すと「楽しそうだね」「麦チョコ分けてくれ」で簡単に許可を得る。

――  寮は基本二人一部屋で162平方メートル。その四分の一が各々の個室で、半分は共有スペースとなっている。
 入り口は一箇所、扉を開けると奧が個室で手前は共有スペース。
 備え付けの家具は調理器具に食器、冷蔵庫などが完備されたキッチンと、学校や寮からの公式連絡の入る端末、それと来客用の応接セット。
 個室はどの部屋も窓に面しており、開放感がある。開放感があっても、窓からの出入りは厳禁で容赦なく撃たれる。ちなみに撃つのは、基本寮母。
 部屋に入って右手の奥にクローゼットがあり、左手にベッドが設置されている。机は入り口から最も遠く対角線上。着席した者が窓をむくようになっている。あとは飾り気のないトイレと浴槽がついている。
 中心部は空きスペースがあるが、家具を持ち込むものはあまりいない。彼ら貴族からするとこの私室は非常に狭く圧迫感を覚えるためだ。
 ちなみに此処で与えられる個室は彼らが卒業後最初に就く役職「少佐」に与えられる個室の間取り。ここで貴族としては狭く感じるスペースに耐性を付けるという目的がある ――

 室内の容量を計測し麦チョコを作製。計算通りみっちりと麦チョコを詰め込んだ……のだが、
「キルヒャー。ゾローデは部屋一杯と言ったんだよな」
「ああ」 
「じゃあ上から放り込まないと駄目だよな。入り口扉を開けると、廊下に麦チョコがざーっと流れでる」
「そうだ、な」
 部屋一杯を叶えるためには、出入り口は使用させてはならないことが判明。
 そこで麦チョコを詰めたら、床をはめ直す予定だった上階の生徒に頼み、
「そういうことなら」
「構わないよ。俺も彼の後にダイブしていいかな?」
 天井であり床を取り払ったまま、ゾローデを麦チョコの中へ突っ込むことになった。
 彼らは基本全力である。そしてこの学校、この程度のこと日常茶飯事なので、寮母もこの程度では注意などしない。
 そして事情を知らないゾローデはというと、同期の麦部部員マーダドリシャ侯爵にさくっと捕まり、上階へと連れて行かれ、そして麦チョコが詰め込まれた部屋へと放り投げられた。

 麦チョコの褥、それは固かったとゾローデはウエルダに言った――

 彼らは麦チョコを適当に注いだのではなく、きっちりみっちり、ぎゅうぎゅうに部屋に詰め込んだため、普通に立てるくらいの密度があった。
「あ、あの……」
 足の裏が感じる初めての感触。
「誕生日おめでとう!」
 反重力ソーサーに乗り、笑顔で声をかけてくるクレンベルセルス伯爵。
「僅かばかりの誕生日プレゼントだ。キルヒャーからのな」
 一年で卓球部部長の座をもぎ取った侯爵も、反重力ソーサーに乗っている。
「部屋一杯の麦チョコだ。受け取ってくれ」
 九割元凶ともいえる皇太子は、入り口から声をかける。
「遠慮しなくていいんだぞ!」
 マーダドリシャ侯爵は床を抜かれた部屋の住人二人と共に、ペグを打ち込みロープを通して吊されながら。
 頭上からの声にゾローデは膝を折り、麦チョコを手に取り、例え話が通じない相手であることを理解しつつ、
「あ、ありがとうございます」
 だが全員に感謝して麦チョコを食べた――

 皇太子は後日、研修で他国でこの例えを聞き、ゾローデが本心で言ったのではないことを知り、帰国するのを躊躇った。もちろん、帰ってきたが。

**********


「本当に済まないことをした。アレが例えだとは知らなくて」
 以来ゾローデは、決して例えはしなくなった。軽いつもりで言っても、相手に通じない場合があること、自分の常識では考えられないことでも、簡単に実行できてしまう人たちがいることを知ったため。
「とっても美味しかったって言ってました」
―― 改めて聞くと、ゾローデのやつ、随分小さくして喋ってたんだなあ
 ウエルダは皇太子がディークスたちに説明しているのを聞き、ゾローデが随分と端折り、小さく喋っていたことを知った。
「へー。ヴィオーヴ侯爵は麦チョコ好物なのか?」
 話を聞き終えたディークスは、王族らしく”それ、おかしいだろ?”などと微塵も感じず、ジアノール辺りからすると”他に質問するところはないのですか……”なる部分を無視して、普通に話を続ける。
「嫌いではないようだ。久しぶりに再会するので、エゼンジェリスタの手を借りて作った」
「そう言えば、お前等これから会うんだったな……もう時間じゃねえのか?」
 パウンドケーキを切り分けずに食べ終えたディークスが、腕時計に視線を落とす。
「ああ、もうそんな時間か。本当はもっとゆっくりウエルダと話をしたかったのだが。また今度、会ってくれるか?」
「もちろんでございます。本日はお招き、ありがとうございました!」
 こうしてウエルダと皇太子夫妻の対面は終わり、
「ちょっと作り過ぎただけじゃ! ちょっとな! 遠慮せずに持ってゆくがよいのじゃあ!」
 イズカニディ伯爵は背中に巨大な箱を背負い、両手に大きな篭を持つことになった。
 中身は全てエゼンジェリスタが作った焼き菓子。その詰め込み具合は、あの時の麦チョコに負けないくらい。
「ありがとう、エゼンジェリスタ」
「いや、りでぃっちゅの為だけではなく、その、ほれ! カーサーや少尉とも分けるのじゃ! よいな」
 焦りと照れでリディッシュが、久しぶりに”りでぃっちゅ”になっている皇太子妃と、
「これ、少しだけだが」
 ゾローデに渡すために作った麦チョコの残りを包んだ、白い小袋を全員に手渡してくれた皇太子に見送られ、五人は皇太子宮を離れた。

|| BACK || NEXT || INDEX ||
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.