「ダーヌクレーシュ男爵が？　なんだ？」
　連絡を受けたイズカニディ伯爵は、通信室へと急いだ。艦隊の通信は至る所で可能だが、長距離通信となるとそれなりの設備が必要になる。
　侯爵やエイディクレアス公爵など元帥ともなれば、個室に私用の長距離通信機室が設けられるが、イズカニディ伯爵はそこまでの地位ではない。
　もちろん申請して、自分負担で設置することは可能だが、彼はそうはしなかった。理由は期待してしまうことを避けるため　――　どちらが？　なのかは、イズカニディ伯爵が一番よく知っている。
『よう。オランベルセ』
「お久しぶりです、ディークス」
　公用ながら個人使用の通信室へと入り、顔馴染みと対面した。
　イズカニディ伯爵はやや中性的な面持ちの、恐怖心を与えない容姿だが、ディークスは一目で怖ろしいと感じる容姿を持っている。
　恐怖の代名詞といわれるアシュ＝アリラシュ顔とは違う、だが威圧感のある顔。
『聞きたいことがあって。ラスカティアが言うには……』
　だが顔が怖いことなど、同属同士では何ら問題にはならない。
　イズカニディ伯爵は同い年の知り合いの質問に、
「それは本当のことですが……まさか、アーシュがそんなに気にしていたとは」
　照れながら答えた。
『材料を贈るってあたりがラスカティアらしいよな。それで一筆書いてくれないか？　我が”ラスカティアが食い尽くした詫び”って言ったら、皇太子妃泣くだろ。そうなると面倒だから』
「分かりました。今日中に送りますが、寮の方がいいでしょうか？」
　遠征中、エゼンジェリスタと連絡を取るつもりはなかったイズカニディ伯爵だが、
――　アーシュに感謝だ……済まないアーシュ
　感謝しつつ、彼の恋心を潰すことを詫びながら、エゼンジェリスタへの文面を考える。
『後日面倒がおきないよう、学校で、皇太子を通して送ってくれ』
「わかりました」
　エゼンジェリスタの恋心など周知の事実で、このような手順を踏むのは滑稽とも言えるが、それでも必要なことなのである。
『少し話せるか？　オランベルセ』
「ええ。なにかありました？　ディークス」
『ケシュマリスタ王太子が定まっただろ』
　ディークスが言っているケシュマリスタ王太子とはゲルディバーダ公爵のことではない。ゲルディバーダ公爵は「王」が決まっている存在。彼が言いたい王太子とはゲルディバーダ公爵とゾローデの間に産まれる子供のこと。
「なりましたね」
　王太子の婿が認定されていない半奴隷であることを「重要ではない立場にいる者たち」が様々言い立てた。それらに対し各国の王や皇帝が語った理由が「帝国上級士官学校卒でゲルディバーダ公爵との間に、五年以内に子供を儲けられる可能性が最も高い男だ」ということ。
　もちろんこの理由は嘘ではない。だが完全な真実でもない。
　侯爵に信頼され、ギディスタイルプフ公爵の側近を務めているディークスは、僭主の末裔であるという真実を知っている。
　真実を知らない者たちは、帝国の治世を覆すような力はなく、知っている者たちは帝国の治世に必要な者たち　――
『次は我等のところだよな』
　何にせよ、次のケシュマリスタ王太子の影がやっと見え始めた。これで一応ケシュマリスタ王国と皇室は安泰となる。
　これにより、帝国で王太子が決まっていないのはテルロバールノル王国とエヴェドリット王国の二国。前者は後継者がまだ幼いので立太子していないだけだが、後者は王が混乱を招いている状態。
「……ですね」
　テルロバールノルは盤石なのだが、エヴェドリットは乱を好む性質ということもあり、次の王太子が決まるのは、武力衝突しかないと誰もが感じている。
『オランベルセは誰に付くつもりだ？』
「中立です。王位をめぐる争いに首を突っ込む気にはなれませんし」
　イズカニディ伯爵は”中立”と簡単に言うが、中立を保つにはやはり武力が必要となる。彼の実家はエヴェドリット国内でも有数の貴族。
　エヴェドリット貴族は大まかに三つの派閥に分けられる。リスカートーフォン公爵家（王家）と双璧公爵家と呼ばれるバーローズ公爵家とシセレード公爵家。
　双璧公爵家の傘下に入っている貴族たちは、両公爵家の当主が選んだ王族を推すことになる。
　イズカニディ伯爵の実家デルヴィアルス公爵家は元々王家寄りのため、自分たちで考えなくてはならない。
　デルヴィアルス公爵である母親が誰に付くのかは聞いてはいないが、彼は当初から中立を表明しており、当主もそれを認めていた。
『いいよな』
　イズカニディ伯爵が思うに現当主である母も、次期当主である姉も、父親や兄も独立中立として動くのではないかと考えている。
　デルヴィアルス公爵家も争いごとは好きなのだが、争った後に面倒を背負い込むことは好きではない。下手に争奪戦に参加して、その結果、責任を負わされ、あまつさえ双璧公爵家と渡り合うようなハメになったら――
　ちなみに独立中立とは、他の中立希望者を募ったり、彼らと徒党を組んだりしないこと。集団を形成すると、攻撃対象になる可能性もある。中立というのは、誰かに付くよりも面倒。なによりデルヴィアルス公爵家は、それらに注意を払わなくてはならないくらいに大きな公爵家なのである。
「ディークスは王位継承権持ちですから、傍観決め込むわけにも行きませんしね」
　ダーヌクレーシュ男爵ディークスはというと、デルヴィアルス公爵よりも勢力がない上に、王位継承権を持っているということで、単独で中立を決め込むのも難しい状態になっている。彼の場合、王位継承権の関係で中立している人たちと徒党を組むことはできない。
『ああ。継承権剥奪してもらうとなると、また面倒だしなあ』
　王位継承権を返上することもできるのだが、返上したいと申請しても受けてもらえるかどうかは別もの。ディークスが申請する方法は、まずは自分に王位継承権を授けた相手、この場合は王子である父親に申し出る必要があるのだが、悪いことにダーヌクレーシュ男爵の父親はエイディクレアス公爵の立太子を認めていないので、息子の申請を許可しない公算のほうが高い。
「身を寄せているバーローズ公爵に従うのは？」
　ディークスにしてみれば、国の要職にも就かせてもらえていない王子が、王位継承権を所持していてなんの得があるのかと。
　それこそ百歩譲って、自分が王位を狙いたいのならばそれでも良いが、興味のない子供には迷惑をかけるな　――　なのだが、ディークスは親から見ても世間的にも有能で、実際国内で要職についているので、彼らの一縷の希望になっている。
　彼の最大の魅力はバーローズ公爵やその息子たちと知己があること。
『あの人、自分で王になりたがってるぜ。結構な野心家だろ。息子二人も有能だからなあ』
　それでバーローズ公爵はというと、そのような野心を持っている。
　息子二人は気付いているが、父親が破滅しようが知ったことではないので放置。
「……うわ、聞かなかったことにしておきます。フェリストフィーアとサロゼリスが野心家じゃないことが災いしてますね」
『まあなあ。シセレード公爵も野心ちらつかせるようなやつらだったら、バーローズ公爵も少しは慎重になるが、あの二人はロスタリオールに似ないで性格良いからなあ』
　前のシセレード公爵ロスタリオールは、現バーローズ公爵と牽制しあっていたのだが、現シセレード公爵フェリストフィーアは、そう言ったことが一切ない。
　若干知能的な問題もあるが、頭脳明晰な彼の弟ネストロア子爵も、人を殺して破壊もし、権力闘争もしているが、王位を狙うような野心はない。
「黒髪の姫君が立派に教育してくださったようだが、世間的に立派なのがエヴェドリットにとって良いとは限らないのが……いや、俺は二人とも好きですがね。もちろんバーローズの二人も」
　シセレード公爵家の二人の性格は、多分に”黒髪の姫君”ことオーランドリス伯爵の母親であるミロレヴァロッツァに影響されている。彼女は帝星で帝国と皇帝のために育てられた皇王族。彼女の性格は帝国にとっては良いのだが、国が変われば気質も変わる。彼女に影響された二人は、エヴェドリット大貴族としては若干大人しい。
　無論才能があり、人望もあるので、公爵として問題はないが、バーローズ公爵を牽制する能力にやや欠ける。
『シセレードの所に逃げ込むのもなんだから、お前の伝手でどうにかならないか？』
　この場合、国外貴族に依頼するのが無難だが、逃げ込む先もある程度権力がなくては、話にならない。
　ディークスが知っている権力を持つ国外貴族　――　貴族ではないがロヴィニア王族の側近をしているので、その伝手……となりそうだが、彼らは無料では動かない。そして彼らに物事を頼めるほどディークスは資産がない。
「これでも未来のケシュマリスタ王婿と知り合いなので。ケシュマリスタ方面に頼んでみますよ」
『感謝す……っ！』
　王国の将来に案じている二人の元に、
『オランベルセェ！　元気だったかああ！』
　ロヴィニア王国のことは兄姉に任せろ！　重々言われて、納得しきっているフィラメンティアングス公爵が突っ込んできた。
「あ、はい」
――　黙って部屋の隅で、寒天を突いててくれりゃあ、いいものを
『なあ、オランベルセ。私の側近になって、トシュディアヲーシュを守ろうではないか！』
「はい？　アーシュを守る……ですか？」
『そうだ！　ミーリミディアとルキレンティアアトの二人がトシュディアヲーシュがケシュマリスタ女に冷たいことに腹を立てて、私の側近になった暁には、逆恨み的逆襲するって！　心配になっただろう！』

――　相変わらず、あんたの頭が心配だよ。オランベルセの絶望的な顔見て気付よ

　破壊行為は好きだが面倒ごとは嫌いなディークスは、存在そのものが面倒なフィラメンティアングス公爵の”良いことが考えた！”と輝かんばかりの横顔を見ながら、通信機を切ろうと手を伸ばすも、
「あの……その、ミーリミディアとルキレンティアアトの二人が心配です」
　イズカニディ伯爵が手で制して、少しばかり話を続けることを希望した。
『どうしてだ？』
「アーシュは手加減しませんよ。その二人も殴られたら、唯では済まないかと。ケシュマリスタの名門貴族を殺害させるのは……」
『殺害させないように、オランベルセが調整してくれたら』
「いやあ、ちょっと無理かと。アーシュの攻撃を止められるのは極僅かですから」
『下手にオランベルセが割って入って、間違って殺されたらどうするんだよ。ラスカティアとオランベルセの身体能力はそのくらい違うぜ』
『なんだと！　……私としたことが、なんという些細なミスを』
――　大体ってか、ほとんどってか……いつも正しく全部完璧に間違ってるぜ、ナジュさんよ
『通信切るぜ、ナジュ。じゃあなオランベルセ』
『オランベルセ！　帰ってきたら……うわおあああナニヲスルディー……』
　通信が切られたあと、イズカニディ伯爵は頭をしばし抱え、
「……あ、エゼンジェリスタに手紙を送らないと」
――　アーシュ、全力でご迷惑をかけないように頑張るから……ウエルダは諦めてくれ
　エゼンジェリスタへの手紙を認め、皇太子への事情説明を添えて、帝国上級士官学校の事務局へと送った。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　総長室に呼び出されたエゼンジェリスタは、先客のダーヌクレーシュ男爵に大貴族の姫君らしい挨拶をし、彼女用に用意された椅子に腰を下ろす。
「リディッシュから手紙だ。重要なことが書かれているので、すぐに見なさい」
　皇太子は開封した通信をエゼンジェリスタの前に置く。
「はい殿下…………」
　エゼンジェリスタはまだ前線にイズカニディ伯爵が到着していないことを確認してから、通信を開いた。
　イズカニディ伯爵からの手紙を読んだエゼンジェリスタの、
「災難だったな」
「ええ」
　嬉しそうな笑顔を見ながら皇太子は自分自身、幸せな気持ちに包まれた。
「アーシュのこと、責めないでやってくれぬか」
「も、もちろんです！　そのおかげで……な、なんでもありません！　失礼します！」
　特に何が書いているわけでもないのだが、イズカニディ伯爵らしい文章を目で追うだけで幸せになれてしまう。そしてあまりに自分が浮ついていることと、それを夫である皇太子とディークスに見られている事に気付き、恥ずかしくなって急いで立ち上がったのだ。
「待て、皇太子妃。これが品物だ。受け取ってくれ」
「お、おう」
　他の場所ならば召使いが運んでくれるが、ここでは荷物は原則自分で運ばなくてはならない。エゼンジェリスタは三十�s相当の荷物が入った箱を持ち上げ、
「リディッシュからの手紙は、部屋へ転送しておいた」
「あ、ありがとうございます、殿下。あの、儂、その……ダーヌクレーシュも大義であった。失礼いたします！」
　まっ赤になって走りだす。
　事務員たちは心得ていたとばかりに扉を開けてやり、てとてと走ってゆくエゼンジェリスタを見守った。
「何回ぶつかるかなあ」
　ディークスの言葉に皇太子は少々困ったような笑みを浮かべ、そして、
「一回は確実でしょう」
　控え目に答えた。

――　リディッシュが、帰ってきたらマドレーヌをまた食べたいと。トシュディアヲーシュ！　よく食い尽くしてくれた！　まさかリディッシュから連絡もらえっ！！

　幸せでふわふわした状態で、両手が荷物で塞がっているエゼンジェリスタは、まず学校正面玄関で扉に激突した。
「大丈夫？　セイニー」
「ふ、ふお。だ、大丈夫じゃ、心配かけ……っ！」
　声をかけてくれた同級生に答えながら、平常心を取り戻したつもりで、再度扉に激突。
「セイニー。笑ってるけど」
「だ、だいじょうぶ、大丈夫なんじゃよ……ふふふふ」