裏切り者の帰還[35]
イズカニディ伯爵は側近となってから、忙しい日々を過ごしていた。
「ウエルダさん。この書類にサインしてくださいですぅ」
「はい。俺のサインでいいんですか?」
「もちろんですよう」
ウエルダに抱きついて話しかけるジベルボート伯爵を引っ剥がし、
「離れろ、キャス」
「いいじゃないですか? いいですよね、ウエルダさん。美少女に抱きつかれて嫌な人いませんよね。トシュディアヲーシュ侯爵でもないかぎり」
「……(キャスがくっついている限り、ウエルダは安全というのも事実だからなあ)」
だが遠ざけないようにしてウエルダを守ることも彼の仕事。
イズカニディ伯爵は大貴族でありながら「話が通じる」ので、色々と厄介ごとが持ち込まれる。
「たしかにウエルダ卿の側近の座はあと一名空いているが」
”側近の側近”の座を求める者が、イズカニディ伯爵に打診してくる。ウエルダは平民だが、彼を側近に使命したのはケシュマリスタ王。下手に権力をちらつかせたり、家族を人質にとるようなことを呟いたら潰されるのは目に見えている。
ウエルダに直接売り込むよりは、その側近に売り込み”あと一人はこれでどうだろう?”と言わせたほうが危険も少ない。
そのウエルダの側近だがイズカニディ伯爵とジベルボート伯爵。
前者狂気のエヴェドリットながらも、まともな受け答えをしてくれる大貴族で、ウエルダの主ゾローデとも知り合いのとなれば、頼み込む人たちはこちらに集中する。
ジベルボート伯爵に頼む人が皆無なのは、彼女に権力がないからではなく、好き嫌いが激しく、正攻法では決して話を聞いてもらえないことと……まあ二人のうちどちらに話を持ちかけるかと言われたら…………そういうことだ。
「どうだね?」
目の前にいる人物の履歴書に目を通しながら、イズカニディ伯爵は断りの言葉を用意する。
「残念ながら。おっしゃる通り、ある程度の年齢の方も必要ですが……」
自分を売り込みにきたのは四十八歳になる男性貴族。ゾローデの側近は二十五歳のクレンベルセルス伯爵に二十三歳のウエルダ。そして十九歳のフィラメンティアングス公爵と若い者ばかり。
その一人、ウエルダの側近たちも二十七歳のイズカニディ伯爵と十三歳のジベルボート伯爵と若い。
次代を担うという意味では良いのだが、現代と繋がりがなければ次代もなにもない。
現代と先代の両方に顔が利く人を側近とするのは良いことなのだが、いまイズカニディ伯爵の目の前にいる男性ではその役割を果たすことはできないと判断した。
「私のなにが駄目なのかな?」
「ケシュマリスタ女性と仕事をしたことがないことです。俺は卿とジベルボート伯爵の関係を円滑にさせるための努力などはいたしませんよ。自信があるのでしたら構いませんが」
見るからにジベルボート伯爵の好みではないのだ。
それだけで側近の適性がない。イズカニディ伯爵は自分がジベルボート伯爵の好みだとは思っていないが、交友関係があったので側近同士になっても仕事に差し支えがでるようなことはない。
「うむ……」
「ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼの機嫌を損ねると、ゲルディバーダ公爵殿下の耳に入ります。それが事実であろうがなかろうが、関係はありません」
大体の人はこれで引き下がる。
ジベルボート伯爵やゲルディバーダ公爵の権力を使っているように見えるが、これが事実。迂遠な表現やイズカニディ伯爵の権力を使うより確実で、角が立たない。
「殺してもいいんじゃないのか? リディッシュ」
「それをやると、窓口役からすぐに外されるんで」
イズカニディ伯爵も窓口役をやりたいわけではないのだが、他に窓口役になれそうな人がいないので、仕事の一環として引き受けていた。
「ウエルダの側近なあ。配置からすると皇王族がいいんだろうが、四十代くらいで無害ながら有能ってのは中々いないぞ」
「ですよね、アーシュ」
断ったものの履歴書を持ち、こうして侯爵に報告する。
ウエルダのことに関してなので、侯爵に話を持ち込みたくはないのだが、かといってウエルダ本人に報告しても”どうにもならない”ので、ゲルディバーダ公爵の配下である侯爵に報告する。この後、もちろんゾローデに報告するが、先に侯爵と話合うのは”適任者”を選ぶため。
ゾローデは皇王族に同年代の知り合いはいるが、親のような年代の皇王族の知り合いはいない。
「帝国騎士とお前だから、無難に事務屋でいいかも知れないが、そこだけ弱くすると狙われるしな」
侯爵のいう”弱い”は身体能力的なもの。
「そこを黙らせる力のある人が欲しいところです」
「思い当たるの、いねえなあ。無難で有能な四十代半ばなんて、全部ゼルケネスにぶっ潰されてるだろ」
「……ですよね」
帝国宰相ゼルケネスは”有能だが出世欲はない”という存在を警戒し、ことごとく排除した。その才能を帝国のために使わないのは、支配者階級にありながら度し難い怠慢であるとして。
それではイズカニディ伯爵も引っかかりそうだが、彼の場合、事務処理能力は並なので、ゼルケネス親王大公の排除リストには載らなかった。迷宮を目隠しで後ろ向きに戻って来られる能力は特筆すべきことだが、帝国の治世にあまり関係がないことなので。
華美ではないものの、趣味が良い品で飾られているイズカニディ伯爵の部屋に、
「お待たせ」
「来たか、バルキーニ」
もっとも無難でかなり難解な側近クレンベルセルス伯爵が、手土産を持ってやってきた。
「はい、鮭の塩漬け」
エラに荒縄を通された塩漬けの鮭。
「リディッシュ、白ワイン」
「はいはい。白ワイン、銘柄は分かるな」
何故ここで剥き出しの鮭の塩漬けを持ってくるのか? エヴェドリット貴族の二人には意味不明だが、意味を問い質したところで不明であることは変わらないので、何ごとも無かったかのようにやり過ごす。
「相変わらず趣味いいですね」
頑丈ながら細身の椅子に腰を下ろす。背もたれと座面が一体で、貴族が座る椅子にしては珍しく肘掛けがない。
「好みのデザインの椅子を褒めてもらえるのは嬉しいな」
「正面からだけじゃなく、両脇から座れるのはいい」
イズカニディ伯爵の椅子を一通り褒めている間に、給仕がワインと塩漬けの鮭やパン、クラッカーやチーズなどを乗せたワゴンを押し運び、そのままにして立ち去る。
この部屋の主イズカニディ伯爵は、は自分で取り分け客を持てなすので、給仕は命じられない限りは手を出さない。
彼らの仕事を奪うこと ―― と見る人もいるかもしれないが、
「リディッシュ、バルキーニの魚を切り分けてくれ」
室内に侯爵がいる時点で、命が奪われる可能性のほうが高いので、早急に退出する必要がある。
決して無軌道な男ではないのだが、軽く小突いただけで人間の体を四散できる力を持つ侯爵の近くに、普通の給仕を置くわけにはいかないのだ。
「分かった。アーシュ、バルキーニに事情を説明してくれ」
背もたれを撫でているクレンベルセルス伯爵に、侯爵は前置きなしで、自分のほうを向くようにとすら言わず、呼び出した理由を説明する。
「私の伯父様はどうだろう?」
話を聞いていた……のかどうか? 怪しいような動きをしていたクレンベルセルス伯爵だが、返答をから判断するとしっかりと聞いてはいたが、
「お前の伯父って」
解釈が二人とは少々違っていた。
「私の伯父様は一人しかいないよ、アーシュ」
「知ってるから聞き返したんだろうが、バルキーニ」
クレンベルセルス伯爵の伯父はサルバオルティシア侯爵といい、現在リエンジェリア皇女が住む宮の家令を務めている。
リエンジェリア皇女はゼルケネス親王大公の策に嵌り、結婚前に婚約者以外の男の子を身籠もり皇位継承権を失った。その後は放埒に暮らされても面倒であり、彼女の”仕事”は既に終わったので、家令という役職の看守をつけた。
それがクレンベルセルス伯爵の伯父である。
「サルバオルティシア侯爵ならば条件としては合うが、帝国宰相が良しと言わねば無理だろう?」
「大丈夫だと思いますよ。家令の仕事暇だって言ってますから」
家令の仕事は当然その場にいなくてはならないが、側近は離れた場所で雑事を処理する仕事もある。
「他に候補もいないから、リストに挙げておくか」
クレンベルセルス伯爵の身内ながら、これ以上ない人選でもあった。
「そうですね、アーシュ」
「伯父様に連絡してみますね。多分喜ぶと思います。伯父様、キャスみたいなケシュマリスタ女性大好きだから」
「分かっちゃいたが……心強いな」
侯爵は鋭い牙のような歯をのぞかせながら、
「キャスと仲良くやれる人が一番だ」
イズカニディ伯爵はすっかりと目を閉じて頷く。
サルバオルティシア侯爵の好みの女性はケシュマリスタの腹黒い女性。彼が看守に選ばれたのは有能さともう一つ「野に咲く控え目な花のような女性」に一切心を動かされないことが理由であった。
彼の好みは「豪奢で絢爛。美しいが棘と毒がある。一度根付いたら除草剤を持ってしても駆除する事は不可能にして、大地の養分根こそぎ吸い取り、その支配域を強引に押し広げる女性」なのである。苦悩し自らの行動を後悔して涙する女性に心を動かされるような男では、万が一ということもあるので、そういう女性を全く好まない男性皇王族としてサルバオルティシア侯爵が選ばれたのだ。
女の趣味については正に個人の自由なので、口を挟む問題ではないが、
「伯父様、キャスみたいな娘欲しいって言ってたから大喜びですよ」
通信機を持ってくるよう頼んでいるクレンベルセルス伯爵の脇で、
「そうか……あれだな、ジベルボートは父親が嫌いだから……まあ、いいんじゃねえのか」
侯爵はサルバオルティシア侯爵に対する苦手意識を募らせていた。
クレンベルセルス伯爵からの連絡を受け取った伯父サルバオルティシア侯爵は、皇王族特有の煌めく笑顔で”選ばれたら光栄だ”と親指を立てて返事をした。
「……」
「アーシュ、どうしました?」
「いや。気にすんな、バルキーニ」
他にも側近候補を予想しながら、三人は酒を飲み話をしていた。話題は専ら”イズカニディ伯爵が卒業した後のゾローデ”について。
「部屋ではどうだったんだ?」
「静かだったよ。私はあまり静かな空間で生活したことなかったから、ちょっと落ち着かなかったけど。でもあれはあれで、良い物だね」
皇王族というのは総じてテンションが高い。
部屋で落ち着いている時でも、静かではない。静けさと落ち着きは別ものなのだ。
「お前らしいな、バルキーニ」
「そう? 褒められると照れるな」
―― アーシュは貶してはいないが、褒めてもいないと思うぞ、バルキーニ
白ワインが注がれているグラスを掲げながら、先程の伯父サルバオルティシア侯爵とよく似た煌めく笑顔を浮かべるクレンベルセルス伯爵の表情に、そうは思ったがイズカニディ伯爵は敢えてなにも言わなかった。
言えなかった ―― が正しいのかもしれないが。
ゾローデは目立ったこともせず、皇王族たちの波にもまれて、大貴族たちの特異さに驚きつつ学校生活を送っていた。目立つほどのことではないが、他の大勢の生徒と違うのは、長期休暇でも実家には帰らず寮で自学自習をしていたこと。
寮費込みの学費は免除されるが、帰宅費用などは支払われない。長期休暇中の滞在でも寮費は免除になるので、ゾローデは自習をして休暇を過ごしていた。
アルバイトは身分が「帝国上級士官学校生」のため、民間系の会社では採用してもらえないので諦めた。
「帝国上級士官学校生」という時点で佐官に該当する。
軍事国家において佐官を短期アルバイト、例えば民間宇宙港の積み荷の選別などに採用しようと考える人はいない。
ゾローデ十二歳、初めての長期休暇の際に「年齢と階級」で不採用になった苦い想い出 ――
「それにしてもゾローデのやつ。体育祭で気を遣ってやる必要なかったな」
ゾローデとは違い、大貴族の子弟として実家や領地に帰っていた侯爵は、体育祭の話をしながら肩を回す。
「気遣う必要がないって?」
クレンベルセルス伯爵の問い返しに侯爵は二人の顔を交互に見て、
「ゾローデはララシュアラファークフの末裔だ」
”知らなかったか”と、ゾローデが知るより先に二人に血筋を教えた。
「やっぱりそうだったんだ!」
帝国史について詳しいクレンベルセルス伯爵が手を叩いて、納得の声を上げた。彼はゾローデのマントに書かれた最後の文字が気になり、独自に調査していた。時期が来れば教えてもらえるだろうとは思っていたが、その前に自力で調べるのが楽しい……という趣味の持ち主でもある。
「ララシュアラファークフ……」
対するイズカニディ伯爵は”どこかで聞いたことのある名だが……”状態。重要な名であることは分かるのだが、帝国史にあまり明るくないため、すぐに出てはこなかった。
「ケシュマリスタ系僭主の末裔だ、リディッシュ。あのアデード王の孫」
「ありがとうございます、アーシュ。どうも俺は、他王家の僭主に弱くて」
「自分のところの僭主覚えるので、精一杯だよな。半数以上がエヴェドリットだしよ」
「ああ」
「二十三の敗北者なんざ、覚える価値なんかねえのによ」
エヴェドリット、或いはリスカートフォンは勝者が絶対の正義である。
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