裏切り者の帰還[32]
ケシュマリスタ王の希望通りにゾローデの階級を上げたトシュディアヲーシュ侯爵は、帰国後提出する書類をまとめていた。
王に提出する書類は紙に万年筆を用いることになっている。
一文字でも間違えれば書き直し。二重線を引いての訂正などはありえない。
侯爵は生来の優秀さを存分に発揮し、一枚も間違えることなく四十枚に及ぶ報告書類を書き上げ一息つく。
「トシュディアヲーシュ侯爵閣下……」
顔色がよくない部下が、力のない声で話しかけてくる。侯爵は書き上げた書類をケースに入れ、机の引き出しに放り込み立ち上がる。
「なんだ?」
「ロフイライシ公爵閣下がお見えに」
「………………」
―― そんな事だろうとは思ったがな
侯爵の正直な気持ちは”会いたくない”
部下たちもそれは分かっている。だが相手は実力行使の達人。力尽くで止めることも不可能。
「よお、ラスカティア」
普通は”会う、会わない”を聞いてから入室するものだが、クレスタークは取り次ぎに言うだけで、返事を聞かないで侵入する。
「拒否も案内も無視すんだから、最初から来いよ。部下の手を煩わせるな」
これは侯爵だけではなく、ほとんどの人に対してこの状態。
「俺もそうは思うんだが、ハンヴェルに知れるとなあ」
悪びれなく入ってきたクレスタークと侯爵を残して、部下たちは退出していった。この後起こる暴力沙汰はどうやっても止められないので、二人が遭遇したら逃げることを通達されているためだ。
「貴族王もお前に遊ばれて……ざまあみろ」
「お前、ハンヴェルになんかされたか?」
「なにも。精々お前と仲良しなんで、見ていて気持ち悪い程度だが」
二十半ばの責任ある地位に就いている、実力ある大貴族の子息とは思えない言いぶり。
「そうか、そうか。俺と一緒に便所に行こうぜ」
対する三十代初めの責任ある地位に就いている、実力ある大貴族の子息も、年齢と立場に合致しない台詞を”ぬけぬけ”と言う。
「なんでお前と連れだって、便所に行かなけりゃならねえんだよ」
「便所は嫌か。じゃあ一緒にベッドに」
「黙れ。……で、何用なんだ?」
「ここでは話せない内容だ。だから便所とかベッドとか」
「人払いは済んでるだろうが!」
この部屋どころか、百メートル四方どこにも人はいない状態にまで”人払い”はできている。
「ここで話せるようなことじゃないんだな、これが」
「じゃあ俺を呼び出せばいいだけだろう。わざわざ来るな!」
「俺から”大至急、便所に一人で来てくれ”って連絡受け取って、お前来るか?」
「行くわけねえな! ああ、そうだな! で、便所とベッド、どっちがいいんだよ」
灰色地の角がまろやかな六角形の花瓶。一面一面に木瓜型のパネルの中にバーローズ公爵家の家紋であるエーデルワイスが赤で描かれている。
花瓶だけで花は飾られてはいない。
侯爵とクレスタークが適度な距離を保てるほど幅のある室内。
「で、お前の望み通り便所の個室にお前と一緒に入った。話ってのはなんだ?」
床は赤と灰色の細かいタイルで市松模様が、壁は家紋が入ったタイルが一列に埋め込まれている。
「ラスカティア。お前、女に興味ないのか?」
「……なんの話だ?」
「シアを拒否するのは、親父でも納得してるからいいんだが。お前、ケシュマリスタでも女に一切触れてないんだろう」
「ケシュマリスタの女は女じゃねえよ。女怪っていう別モンだろう」
「全面的に同意する。だが、それを抜きにしても、お前、女に興味ないのかと思ってな?」
「興味があるかないかと聞かれたらない……って、なんでお前とこんな話を、便所の個室でしなけりゃならねえんだよ!」
「お前、生きてる人間に勃起しないのかとおもってな」
「……」
「俺たちには珍しいことじゃないから隠すなよ」
普通であれば病院に送るなり、医者に診せるなり、殺すなりしなくてはならない症例だが、
「人殺し中は何度か射精したことはある」
エヴェドリットでは珍しいことではない。
「生きた人間には興味沸かない方か?」
「考えたこともねえ。なんでお前が俺のペニス触ってるんだよ」
自分の胯間に伸びてきた手を引き剥がそうとするが、うまくいかない。
「人殺し以外では勃起しないのかと。そうでもなさそうだな」
正常な反応を示していることを服越しに手のひらで感じとったクレスタークは、他のことを調べるためにもう片方の腕で、侯爵の腰を抱き込み、体を引き寄せる ―― 引き寄せようとしたものの、
「らしいな」
気付いた侯爵が片足を持ち上げ、クレスタークを蹴るようにして間を取る。
「もしかしてお前、自分でしたこともないのか?」
「必要ねえだろ。やりたくなったら、人殺せばいいんだから」
「たしかにそうだな。それでちょっと聞きたいんだが、お前は部分的に異形化したりしないのか?」
「はあ?」
「俺は若い頃、やってる時、翼が飛び出したことがある。お前”にゃんこ”だよなあ」
「”にゃんこ”って言うなあ! 原型が猫科の妖怪なだけだ! ……おま、なんのつもり……」
クレスタークは侯爵の腰に回していた手でズボンを引き裂き、後孔に人差し指と中指を押し入れた。
「前立腺を刺激したら出てくる可能性も」
普通はそんなに簡単に挿入できるものではないが、クレスタークの力は尋常ではない。
「知るか……」
至近距離からの攻撃を七割程度かわし、さすがに回避できなかった拳をくらいながら、口元に侯爵が大嫌いな笑みをつくって、前も後ろも強弱を付けて刺激する。
そして最中の弟を抱きあげ、個室のドアを蹴破り、手洗い場へと出た。
「なんのつも……」
「鏡見てみろ、ラスカティア」
侯爵は鏡に映る自分を見て愕然とした。
「なんで俺がおまえに、だきついて!」
「驚くのそこじゃないぞ、ラスカティア」
そんな返事が返ってくるとは思っていなかったクレスタークは、急いで否定した。
「じゃ、なに……動かすなあ!」
「俺は射精したときに翼が出たが、お前感じてると耳生えてくるんだな」
「……」
鏡を再度見た侯爵は、自分の黒髪から白い猫科動物の耳がつきだしていることにやっと気付いた。
「どうするんだっ……やめっ……」
「達すると収まるかもな。大人しくしてろよ」
達する寸前にクレスタークの胸骨を折ったことで、侯爵の矜持は少しは保たれた ―― であろう。そのせいでとある「事実」に気付くことができなかったが。
床に投げ捨てられるように降ろされた侯爵を尻目に、クレスタークは手を洗い、
「まだ耳出てるぞ。人殺しからくる性的興奮と実際の刺激による性的興奮じゃあ、違うようだなあ。まあ俺も人殺し中に翼生えてきたことはなかったし。兄弟だな」
肩で息をしている侯爵に告げた。
「満足、したか、やろう……」
「おう……ところで、これ感じるのか?」
「ひっ!」
クレスタークは侯爵の頭の上部に生えている猫耳を甘噛みする。
「二十五歳にもなった凶悪面がして良い反応じゃないぞ、ラスカティア。それが可愛いと言ってくれるのは俺だけ……」
「死ねえぇ!」
立ち上がったラスカティアに蹴り飛ばされたクレスタークは廊下の壁にめり込むも、
「じゃあなあ」
すぐに立ち上がり去っていった。
一人残された侯爵は、鏡に映った自分の純白の猫耳を触り声を漏らす。
「ひっ……冗談だろ」
自分で触れても、猫耳は背筋に快感が走るほど脆い部分であった。
**********
「俺の弟、実は同性愛者なんだよ」
実弟を軽く襲ったあとヒュリアネデキュア公爵の部屋へと押し入り、召使いに酒を持ってくるよう命じて、床に胡座をかいて座る。
「はあ?」
運ばれてきた酒をグラスにあけることなく、瓶に直接口をつけながら ―― 毎回”こう”で、グラスが使われないことを知っているが、グラスを用意しなければならないのだ ―― どうしようもない話題を振られたヒュリアネデキュア公爵は、
「蔑みの目で見られても困るんだが、ラスカティアはホモ。分かってくれたか? ハンヴェル」
いつも通りの眼差しでクレスタークを見下ろした。
彼はもちろん椅子に座っている。
「……」
”お主も椅子に座らぬか!”注意しようと口を開いた矢先だったので、彼にしては珍しく口が開いたまま。
「もしかして、俺って信用されてない?」
「信用されるような行動を取った覚え、あるのか?」
「ないね」
「じゃろう。話を聞いて欲しくば椅子に座れ」
何千回繰り返したか分からない注意をし、された方はこれまたいつも通りに背もたれに抱きつくような形で、椅子に一応は腰をかけた。
「本当のことなのかえ?」
「本当。で、色々問題があるんで、ハンヴェル寝てやってくれ」
「貴様、何を言っておるのじゃ! なぜ儂が貴様の弟に抱かれてやらねばならぬのじゃ! 儂は元々はなあ!」
「抱くほうだよな」
「分かっておるのならば!」
「俺の弟、抱かれる方」
「………………儂のことをからかっている……わけはなさそうじゃな」
クレスタークには良いようにされているものの、侯爵は弱いとは縁遠いところに存在する男。顔はヒュリアネデキュア公爵も純粋に怖ろしく、身長では公爵にやや劣るものの、肩幅があり、エヴェドリット特有の腕の長さ(エヴェドリット王族の血を引くと、平均よりも腕が五センチから十センチ長い)を持ち、手のひらも人を殺すために進化したとしか言えないような造り。腹筋や背筋なども並外れ、ヒュリアネデキュア公爵と侯爵が並ぶと、侯爵のほうが大きく見える。
「本当に本当。ただし本人にも自覚がない」
「それは自覚無しで、男を抱いているということか?」
「ラスカティアは清らかな童貞処女よ」
「……まあ、身持ちが良いのは褒めるべきところじゃろう。妻に操を立てているのは良かろう」
「ものは言い様ってやつだな。実際はラスカティア、自分が同性愛者で抱かれる側だとことに気付いていないだけだ」
「戦闘で欲求不満を解消できるゆえに、性的欲求に気付かないでこの年まで来た……ということかえ?」
クレスタークの弟が二十五歳になっても清らかな体と聞かされて、公爵はますます「こいつは儂になにをさせたいのじゃ?」と不審を募らせる。
「その通り!」
「ならばそのままにしておけば良かろうて。シアの夫はお主でも務まるじゃろう」
「俺で務まるもなにも、元々俺はシアの婚約者だったんだぜ。親父が勝手に破棄しただけだ」
クレスタークと侯爵には実姉がいたことを、
「そう言えばそうじゃったな。ハステリシアの存在を忘れておったわ」
公爵はすっかりと忘れていた。
「それを抜きにしても、触れないつもりだった。だから二十五歳まで放置しておいたんだよ」
「いま気付いたのではないのかえ?」
「もちろん。俺が気付いたのは、あいつが七つくらいの時だ。俺たち前線送られる前に、一度実家に帰らされただろ? その時に久しぶりに会ったラスカティアを見て、なんとなく気付いた。まあ、あの時は忙しかったから、どうしてやることもできなかったが」
「なるほど。それでオルドファダンが落ち着いても放置していたということは、気付かせないほうが良いと判断したからじゃな」
「そういうこと。でも触れなくてはならない緊急事態が。早急に手を打たないと、甚大な被害が。最終的に弟が処刑されてしまう可能性すら」
「貴様の嘘は聞き飽きたが、どうやらこれに関しては本当のようじゃな」
「さすがハンヴェル、俺のことをよく分かっていらっしゃる!」
「それで、なにが起こったのじゃ?」
「弟が恋しちゃいました」
「なにに?」
”恋”についてはあまり理解がない公爵は、どうして自分に? と、また改めて感じた。
「ウエルダ・マローネクス少尉。混じりっけない、ごく一般的な肉体強度の人間男性に。趣味の良さは兄として褒めてやりたいがねえ」
―― 無機物に恋い焦がれたほうがましじゃな
「トシュディアヲーシュは抱かれる側なのじゃよな?」
思わず”無機物”と言いそうになったが、そこは貴族として弁えた。言ったところでなんら問題の解決にもならないというのも大きい。
「そう。まだ自覚ないからいいが、自覚して耐えきれずに襲いかかって達したら、ウエルダの性器が壊れてしまう。人間じゃあ弟の後ろの穴に挿入するのは無理」
先程の行為は、クレスタークの指の強度と力があってこその芸当。
「……じゃろうな」
「さらに! 無理矢理押し込んだとしても、達した時の締めつけで人間のチンコくらい軽く切る。実はさっき確認したんだが、俺の指が折れるくらいの締めつけだった。さすが俺の弟だな」
「折れたのかえ?」
「折れた。二本つっこんでたが、二本とも」
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