裏切り者の帰還[03]
「そりゃ、災難だったな」
 ナイトヒュスカ陛下の言葉を信じない場合は不敬で、信じた場合は王に対して不敬……どっちにしても不敬になるので、できる限り無心になるよう心掛け、急ぎ戦艦へと戻った。
「ゾローデ。どうした?」
 侯爵はすでに治療を終え、戦艦の側に宿泊用設備を整え料理の下ごしらえをしていた。
 ナイトヒュスカ陛下のことも王のことも信用しておりますので……あまり深く触れないでおこう。
「戻るよう言われたので」
 手伝うことはありませんか? 尋ねたところ、じゃがいもの皮を剥けと。
 簡易キッチンに立っている侯爵の斜め後ろで椅子に腰を下ろして、樽に入ったじゃがいもを……高級じゃがいもだな、これ。
 小振りで凹凸が少なく、皮も薄くて、身が黄色味を帯びていて。揚げても茹でても煮ても美味しこと間違いなしだ。メニューはなんだろう? 聞くべきか、匂いで当ててみるべきか、完成するまで楽しみに待つべきか。侯爵かなり料理上手なんだよなあ。
 貴族の子弟って料理なんて作れないと……異母兄のアヴィリヴィスがそうだったから、貴族ってのは一律そうなのだろうと思っていたのだが。
 学校入ったら料理は美味いし掃除は上手。作業機器の使い方は熟練で、性格も……悪くはない。俺の想像の斜め上いくけど、悪くはない人ばかり。
「アーシュに聞きたいことがあるのですが」
 ここで過去を思い出している場合じゃない。これは現実逃避だ。しっかりと……
「なんだ」
「サリサレト殿下のこと」
「サリサ……ああ、軍帝の妃だったあれか。ある程度のことなら知ってはいるが、突然どうした?」
 俺は自分の失態を侯爵に語った。
 墓石に腰を下ろしていたと言うのは恥ずかし。それと同じくらいに、ナイトヒュスカ陛下に皇太子妃という存在が居たことを知らなかったことが恥ずかしい。
「墓石に座った……ねえ。ヴァレドシーア様らしいってか。墓石に座ったことは気にするな。どうしても気になるのなら、帝星の霊廟に花でも持って参っておけ。軍帝が入るために用意されている玄室があってな、中心にある大きくて空の棺が軍帝用。右脇にサリサレトの棺がある。好みはお前の側近にでも調べさせろ。ファティオラ様に聞いてもらっても良いかもしれないな」
「自分の不勉強を棚に上げて言うようで恥ずかしいのですが、皇太子妃はあまり公にされていなかったような」
 ロヴィニア王族は数が多いから、主だった人だけ ―― 支配者として仰ぎ見る時は、それで済んだけれども、近付いたらそう言ってもいられない。
 権力を持っていなくても存在した人がいた事実を、ひとつひとつ心に留めていかなければ。
「ああ。子供作れないどころか、当人も成長できないようなのじゃあな。とりあえず結婚しておこう、程度だったそうだ。慣習で皇太子は結婚していないと前線に立てないからな。サリサレトのことがあったお陰で、軍帝が拒否し続けていたリスカートーフォン公爵家から皇后が出たのだから、殺されてくれてありがとう、だったそうだ」
 侯爵は肉を切る手を止めることなく答えてくれた。
「……」
「軍帝の母、五十六代皇帝は父であるリスカートーフォン公爵の傀儡だった。軍帝が権力を得てから祖父にあたる我等の王を殺害し、離れようとしたが、なかなか上手くいかなくてな。だからサリサレトを殺害していなかったら、ロヴィニアから皇后を迎えただろう。ロヴィニアの王女を迎えたほうが後々のことを考えたら良かっただろうが、情に負けた。軍帝は情が通わぬ戦う存在と思われがちだが、実際はそうじゃない……らしい」
「そうなんですか」
「気にするなゾローデ。お前が思う軍帝はそれでいい。虚像だとは思うなよ。皇帝は”そう”でなくてはならない存在だ」
「はい」
「そうだな……俺も当然サリサレトに会ったことはないが、サリサレトは満足に喋ることができなかったそうだ。気管から漏れる憐れな音が、サリサレトの言葉だったと。この音と良く似た音がこの宇宙にはある」
「何に似た音だったんですか?」
「異種の断末魔。胸を貫き死を迎える瞬間に漏れてくる音と良く似ていたそうだ。俺も何度か直接聞いたことはあるが、あれだけが声だったってのは……ゾローデは前線基地が異種の惑星型空母だってことは知っているだろう」
「それは、もちろん知っています。大皇陛下が単身で制圧したとも」
「乗り込んで制圧して帝星に帰還したら、サリサレトは殺されていた。軍帝はやっと生命維持装置が外れ、身軽になったサリサレトを前にして”あれは異種の断末魔ではなく、おまえの悲鳴だったのか。気付かなくて済まなかったサリサレト”と零したそうだ。軍帝が本当に言ったのかどうかは知らないけどな。それを側で聞いていたって人も死んだし、その人から言われたってヤツも死んだ。俺も今日まで信じてはいなかったが、お前の墓石の話を聞いて……真実なんじゃないかなと」
「……」
 ナイトヒュスカ陛下と皇太子妃サリサレト殿下の、おおよそ十年間に渡る関係がどのようなものだったのか、知りたいとは思わないが、ナイトヒュスカ陛下の心に落ちた影が少しでも……
「この程度のことを気にしていたら。と、言うのは簡単だから言わないでおくが、過去の失敗を知っておけば、上手く立ち回れるって言われてるだろう」
「はい」
「軍帝はそのつもりで、自分の過去を語ったんじゃないか?」

―― ゾローデ、グレスを頼む ――

「そうかも知れません」
「ところでゾローデ」
 下ごしらえを終えた手を洗い、タオルで拭いてから俺の両肩を掴み、
「はい」
「俺のこと、抱くのか?」
 侯爵は……
「あの……どうしてその話に」
 そろそろその話題から離れましょうよ、侯爵。
「軍帝が抱かないから、代理でゾローデが抱くとヴァレドシーア様が……やっぱり嘘か」
「嘘です! 嘘です! 大皇陛下に言われましたが、それはちょっと!」
「そうか。困ったことがあったら、俺の体でよければいつでも貸してやる……と言いたいところだが、俺も経験ないからな。経験積んでおくべきか?」
 なんの話ですか? 経験積むべきかどうか、尋ねられても困るのですが。俺のために経験積むとかなんのことですか? そんなことしたら、それこそゲルディバーダ公爵がナイトヒュスカ陛下に攻撃を命じて……あれ、さきほどまでと変わりない?
「アーシュ、他になにか……テーブルの用意とか、風よけの設置とか」
「そうだな。頼む、ゾローデ」
 どうして皆さん、俺に男性を抱くように勧めるのかな。
 女性相手に浮気をしたら星系が壊滅するが、男相手ならば許されると遠回しに言っているのだろうか。
 俺そんなに浮気しそうに思われてる? 二股したことなんてないし、浮気もしたことないんだけどな。別れた恋人を疑うわけじゃないが、聞き取り調査で俺が浮気したとか証言したのかな。たしかに親が決めテレーデアリア嬢と結婚することになって、俺から別れ話を持ちかけて結構こじれたが……いや、信じている、バルネトラ。
 俺の幸せは願ってくれなくてもいいが、俺については喋っちゃだめだ。迂闊な発言は……ん? まさかエシケニエ。
 四年も前に別れた相手を疑うのは……でもエシケニエは、有名になりたがってたから。俺と付き合ったのも、俺から軍の情報を得てスクープを物にするためだったからな。騙されたことよりも、あまりにもアホって言っちゃ駄目なんだろうが、アホで無知で無謀な行動に呆れて、別れ際に、こんなことは二度としないよう注意したけれど分かってなかった感じが……四年も経ったから、もうそんな真似はしないと信じたい。
「アーシュ」
「どうした? ゾローデ」
「アーシュは婚約者以外の女性と付き合ったことありますか?」
「ねえ。面倒だから誰とも付き合ったことはねえ」
 大貴族の貴公子は身綺麗にしてるんだね。さすがだ。俺も放埒に付き合ったつもりはないんですが。
「俺は女と寝るより、戦争してた方がいいからな。ゾローデは戦争好きじゃないから、女と付き合ってて当たり前だろ」
「はい」

 それを言ったらウエルダは……あれ? いま侯爵”寝るって”まさか……いや、まさか、そんなこと……。

 侯爵が作ったのは”手づかみで食べられる料理”目が見えないナイトヒュスカ陛下とテーブルを囲むので、フォークやナイフなどを使わず、手で食べる料理ばかりが並べられることに。
 貴族らしい気遣いができる侯爵は、さすがだなと。
 俺が皮を剥いたじゃがいもは、茹でてそのまま。肉は下味をつけて、野菜を巻き込み焼いたもの。魚も味を付けて炙り、一口大の大きさに並べられている。
 冷製スープは背が高い大きいコップに注がれ、ストローが突き刺さり……皇帝の食卓という感じはしないが、ナイトヒュスカ陛下が食べやすく、俺も食べやすいので。ありがとうございます、侯爵。

 ナイトヒュスカ陛下が、自らが得た前線基地について色々と語って下さった。

 現在の対異星人戦前線基地は「異星人が作った兵器」を用いている。部分的ではなく、まるごと、大皇陛下がお一人で陥落させた。ガウセオイド級(全長180,000 km)と呼ばれる惑星型の巨大兵器。対する俺たちの側は機動装甲、大きくても500mくらいだから……大きさでは圧倒的に不利だが、兵器の性能としては勝っている。
 そうでなくては、前線を維持することはできない。通常は機動装甲五機から七機が連携を組み無力化を目指す。
 悔しいというか、異星人のほうが科学力が優れているので、彼らの兵器を捕獲し、研究して新たな兵器を生み出す ―― 以前から言われていたことだが、なかなか上手くはいかなかった。敵もガウセオイド級兵器をむざむざと奪われるのを黙って見ているわけもなく、自爆装置により、俺たちの手に落ちそうになった爆破する。
 そうやってかわしていたのだ。ナイトヒュスカ陛下が陥落させるまでは。
「ユリアルスス……ヴァレドシーアの父親のジュレイデスのことだが、そのユリアが部隊を率いていたのだが、行方不明になってな。その時初めて投入されたのがヨウシャーだ」
 異星人が作った、肉食獣を何種類か合体させたような見た目を持ち、そんな動物たちよりもずっと怖ろしい生物兵器ヨウシャーが初めて投入された戦いかあ……これが改良されて後のオルドファダン大会戦の時、前線基地が壊滅状態に陥ったんだよな。
「余はユリアを助けに向かっただけ。その結果ガウセオイド陥落となった」
 誰もなし得なかったことを、こうもあっさりと言われると……虚像かなと思いましたが、そんなことはなかった。ナイトヒュスカ陛下は軍帝であり、史上最強の皇帝陛下だ。
「私の父上、ユリアルスス。可愛らしかったんだって。当時は十歳だっけ?」
 王のお父上なのだから、美しさはもちろん、
「そうだ。ユリアの初陣だった。余は連れて行くだけで、なにもさせるつもりはなかったのだが。ユリア本人が、なにか目立った功績を上げねばと焦っていたらしくてな」
「でもナイトヒュスカの”可愛い”っておかしいからね。ラスカティアも知らないだろうけど、ナイトヒュスカはゼルケネスのことも可愛いって言うんだよ。おかしいよね」
「ヴァレドシーア様に全面同意です。大丈夫ですか、軍帝。見えないだけならまだしも、あれ可愛いとか」
 間髪入れずに侯爵が突っ込んだ! 着陸前の目が見えないから女性だと……でボケていた人と同じ人とは思えない。
「デオクレアは可愛いぞ。今でも」
 軍帝は虚像じゃない。あの人相悪い……恐い、睨まれたら死にそう……帝国を裏で取り仕切っているロヴィニア顔のあの帝国宰相殿下を可愛いとか。昔可愛かったというのは、俺は詳細を知らないのでなんとか理解できそうですが、現在は……。
「止めてよ、ナイトヒュスカ。ゼルケネスを可愛い言うと、私の父上が化け物になっちゃう」
「子供の頃はデオクレアもユリアも似たような可愛らしさだった。とくにユリアはデオクレアのことを自分の弟のように可愛がり」
「ゼルケネスは父親違うけど、私の父上の弟だもん」
 子供の頃は誰だって可愛らしいですよね。
 現在の顔からは想像もつきませんが、帝国宰相殿下も可愛らしい…………無理だ。想像できない。俺が物心ついた時からあの方、あの鋭い眼差しに、容赦ない笑みを口元に浮かべ、誠実そうな声と話し方で演説をなされる帝国宰相として君臨なさってたから。
「散々な言われようだな」
「散々で当然じゃない。そう言えばさ、ゼルケネスまた人妻に手出して、夫が自殺したよ。恨みがましく大宮殿内で死んだはいいけど、死に場所間違ってケスヴァーンターン区画で死んで、大迷惑」
「取り返す心意気のない男かだら、妻に浮気されたのだろう」
「そう言われたら返す言葉もありませんがね。あの人の人妻好きは昔からなんですか? 軍帝」
 ちらっと俺も聞いたことがある。帝国宰相は他人の女を奪うのが大好きだと。
 貞節な女性から放埒な女性まで、好き勝手に奪うのだそうだ。
「昔は女遊びなど一切しない男だった」
「はあ? それ何時のこと?」
「ヴァレドシーア様、あれですよ。軍帝は”たらし”が零歳くらいの時の話してるんですよ」
「生まれてまもないデオクレアは、それは天使のように可愛らしかった」
「うえー気持ち悪い」
「成長したらアレですか。可愛いうちに殺しておけば良かったのに。殺せたでしょ軍帝」
 あー南瓜の冷製スープ美味い。鶏胸肉を香草オイルに付けて野菜とチーズを包んで焼いたものも美味いな。じゃがいもは最高のゆで加減で、素材の味が引き立つなあ。侯爵は本当に料理上手だ。

 それにしても”天使”とはなんなんだろう? 当たり前のように話しているから、聞くに聞けない。

**********


 帝国宰相殿下の可愛らしさを聞き、気付くと朝を迎えていた。これ以上滞在すると、遠征軍の出発が予定よりも五日遅れることになるので、日が昇るや否や、早々にナイトヒュスカ陛下に別れを告げて戦艦へと乗り込んだ。
「次は帝星で会おう」
 俺たちを見送ってくださった陛下の姿がモニターに映った。草原に佇み風にたなびく黒髪。

――       ――

 口元がゆっくりと動いた。それははっきりと言葉を紡いで……
「お か え り ……?」
 イヴルドーレンシュ星を去る俺たちに向けるには、些か奇妙な言葉だった。

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