偽りの花の名[22]
―― 男爵閣下と伯爵閣下かあ。すごいなあ
 なし崩し、とばっちり、理由不明……なぜ自分がここに居るのか? その理由が分からないことを理解した平民兵士の一人は、話を聞きながら傍観者として周囲を見回す。
 自分の前に出されたティーカップは耐熱ガラスで作られたもので、外側に彫刻が成されている。紅茶の水色を美しく魅せるには白系統が良いのだが、帝国において白は皇帝の色なので使用することができない。他にも色に制限があるため、無難で逮捕や摘発されることがない透明耐熱ガラスが一般的に使用されている。
 耐熱ガラスのカップだが、彫刻を施したものを使えるのは支配者階級。それ以外はプリントで模様を付けることしか許されていない。
―― カップ大きいなあ
 平民と支配者階級は体の大きさにも差があり、彼ら用に用意されている来客用カップは、平民の彼らからするとやや大きめ。
 カップの大きさは基本握り拳程度。体の大きさが違うということは、握り拳の大きさも違う。カップをソーサーにおき、清潔で肌触りのよい、端がレースで飾られているテーブルクロスを隠れながら触る。
―― 面白れえ。これ手作りってやつ……すげえ

 平民にはどこを見ても触っても面白い空間であった。

 さてイズカニディ伯爵はなぜサベルス男爵に依頼したのか?
「軍港の管理ができる技能を持ち、帝星から決して移動しない縁戚を捜した結果、私に辿り着いたのでしょう。……悩まれたことでしょう。理由が理由なので」
 サベルス男爵は遠縁にあたる。
「ケシュマリスタ貴族とエヴェドリット貴族なのに、遠縁なんですか」
 王族は他王家と結婚していることはウエルダを含む平民たちも知っているが、上級貴族の婚姻など彼らの人生にはまったく関係のないことで、覚える必要はないに等しい。
「かなり昔、それこそ……年代を詳しく言うよりは陛下のお名前をお借りしたほうが分かり易いでしょう。サベルス男爵家は一応は名門でしたが、名が上がったのは四十五代皇帝陛下の御代のことです」
「サフォント帝ですね」
 平民の一人が”分かります”と名を挙げた。
 銀河帝国第四十五代皇帝サフォント。五十九名存在する皇帝の中で、抜群の知名度を誇り、生前どころか十代の頃から(十八歳で即位)名君と誰もが認めひれ伏した存在。桁外れの知性と有無を言わせぬ肉体的強さ、そして誰をも寄せつけぬ孤高を貫く精神の強さ。
「はい。サベルス男爵家はその時、皇君の学友、当時は第三皇子でしたが、皇君ゼルデガラテア大公の学友に選ばれたのです。その際に……サフォント帝と対を成すとも言われる王といえばご存じでしょうか?」
 そのような存在であっても例外は存在した。それが「弟」
 有名なサフォント帝の実弟三名ではなく、また母を別にする正式な弟などではない。妾妃が産んだ私生児。名をエバカインといい、サフォント帝は即位するや否や彼を正式な皇子とし、紆余曲折を経てその弟を正配偶者第一位の座につけた。
 余談だがサフォント帝の父親は皇帝として四名の正配偶者を迎えていたが、ケシュマリスタ出の皇后が怖ろしく、他の妃との間に子はいない。また他の正配偶者たちも皇后に恐れをなし皇帝の渡りを拒んだほど。

 ケシュマリスタ女の怖ろしさは、その頃から何一つ変わっていない。いや、初代皇后の頃からずっと――

「ゼンガルセン大王ですよね。そう言えば、イズカニディ伯爵にはゼンガルセン大王の親戚の血がはいっていると聞きました」
 サフォント帝のことを「宇宙の平和と繁栄にだけ執着する男」だと考えていた大王ゼンガルセンは、弟エバカインに対する執着心に気付くと、妾妃である彼の母親を奪い己の王妃とし、実妹を帝后、義理の息子を皇君とし、帝国全土においてサフォント帝に勝るとも劣らない権力を握った。
「はい。その当時のサベルス男爵はゼンガルセン大王の従姉アジェ副王に見初められ……捕獲? 捕縛……あの、まあ、その、そんな感じで結婚したのです。そのアジェ副王のお父さまがデルヴィアルス公爵家の御方でして。それが縁となり、続いているのです」
「へえ……」
 現在は五十九代皇帝なので、実に十四代も昔の話。
 もっとクレンベルセルス伯爵とジベルボート伯爵が仲良くなったのは二十二代皇帝の頃の話なので、三十七代も遡る。その縁が続く世界なのだから、皇帝の代数で見るとさほど遠いことではない ―― あくまでも貴族階級においては。
「当時のサベルス男爵はアダルクレウス閣下と言い、優男風の格好良い御方だったよ」
「そうなんですか、クレンベルセルス伯爵閣下」
 とは言うものの、ケシュマリスタ貴族は容姿が優れていて当たり前。そのように言われても”でしょうね”としか平民は思わない。
「凄かったんだよ。あの不退転の皇帝サフォント陛下が唯一匙投げたのがアダルクレウス閣下の嫁騒動」
「はい?」
 サフォント帝というのは決して諦めぬ男としても有名。どれほど時間がかかろうとも、例え成果が自ら生きている間に見ることができなくとも、諦めず成し遂げる男として覚えられている。そんな皇帝が匙を投げた――
「いや、凄かったんだって。ゼンガルセン大王の従姉ナディラナーアリア=アリアディア副王とサフォント帝の従妹カッシャーニ大公がサベルス男爵を巡って大激突。この二人、当時帝国で最強の女性二人と言われていたくらいに強かった」
 肉体的にも精神的にもサフォント帝のほうが強かったのだろう――でも……うん。
 平民たちはよく解らないが理解した。男女関係は至高の座ある皇帝であっても、手出しできないことがあるのだろうと。彼女いない歴二十三年のウエルダだが、彼もまたそのように感じた。
「かの大名君をして”余を持ってしても和解は困難なり”と言わしめた婿争奪戦い。結局アジェ副王が勝ち、負けたセベルータ大公はアジェ副王の弟君と結婚することになった」
「あれ? カッシャーニ大公では?」
「セベルータ大公はカッシャーニ大公の実妹で、彼女のほうがアダルクレウス閣下に興味を持ったのだ。でも肉体的な能力では遠く及ばないので、比肩しうる姉大公が代理勝負を。たしかナディラナーアリア=アリアディアのお母さまとも戦った筈だよ。それも機動装甲で」

 見た目が良すぎるのも大変なんだなあ……彼らは具体的なことはまったく分からないのだが、登場する人たちの片鱗に触れて、サベルス男爵に同情のようなものを覚えた。彼らは身分社会を生きる平民なので同情したとは言えない。だが、そうであっても ―― 人は人を憐れむのだ。それは人の本質であり優しさであり傲慢さであり……「顔が良い貴族じゃなくて良かったな」と彼らが思ったとしても不思議ではない。

「こんな感じで遠縁なんです。平民の方からすると、まったくの他人でしょうが、貴族間では縁戚です。アジェ副王のように直接的ではなくとも、やはり何処かで繋がるので。それはそうと……」
 ジベルボート伯爵について、婚約者であるサベルス男爵はある重要なことを教えることに決めた。本当はあまり話したくはないのだが、ある程度の人となりは教えておかねばならないであろうと。暁の大名君と呼ばれたサフォント帝が、最愛の弟の側近に選んだ男爵家当主。その今を担う若き当主は、かつて選ばれた時と同じように誠実であった。
「キャステルオルトエーゼの怖ろしさは、女には容赦せず物理的な死を与えますが、男は邪魔と判断すると、後宮に押し込むところにあります」
 女とは勝負するが男とは勝負しない、陥れるだけ。
 それがジベルボート伯爵……だけではなく、ケシュマリスタ女の特徴。
「後宮?」
 ウエルダたちは後宮と言われても”ぴん”とこない。彼らも後宮の存在は知っているが、それは皇帝が暮らす場所であって、邪魔な男を押し込むとなんの関係があるのか分からない。
「王の……ケシュマリスタ王の後宮、即ち男のみが集められ、隔離される場所です」
 サベルス男爵が指し示したのは皇帝の元にある正式な後宮ではなく、自国の王が作り出した牢獄。
「あるんですか」
「はい。男性以外の立入は許可されておらず、収められたら最後、生きては出られないとされている場所です。例外は王太子殿下と、死者処理の為にトシュディアヲーシュ侯爵閣下。侯爵閣下はあのバーローズ公爵家のご子息です。それとネディルドバードルグ子爵、ヴァレドシーア様の愛人と言われる御方ですが、このお三方だけは出入りできます。私は常々”浮気したら後宮送りにしちゃうからね”と言われておりまして……あの人はやります」
「ですが、男爵閣下は浮気などなさらないでしょう」
 ジベルボート伯爵の怖さもそうだが、サベルス男爵の誠実さは僅かな会話だけでも充分。それと誠実さの上を行く賢さも。破滅すると知りながら浮気するとは考えにくいし、陥れられそうになろうとも回避できるであろうと。
「そうですね。ですがね、ウエルダ卿。浮気の分類は千差万別。他所の女性を見ていただけで浮気と言う人もあれば、娼婦と遊んだくらいでは浮気と言わない人もいる。若輩ものである私が言うと笑われることですが女性は罠です。存在が罠です。男は絶対その罠にかかってしまう生き物なのです」
 ケシュマリスタ女というのはケシュマリスタの上級貴族を指しており、普通に暮らしている王国民は関係がないので、平民である彼らは遭遇する機会に幸運にも恵まれないでいた。ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼに会うまでは。
「キャスは他の女に指一本でも触ったら浮気認定する性格だよ。だからさ、サベルス男爵は寮でも特例として男性と同室なんだよ」
 帝国上級士官学校の寮は二人一部屋で、基本男女が配置される。彼らは指揮官なので異性に対して特別な感情を持たぬよう訓練する……という名目だが、帝国は同性愛者が多いので同性同士のほうが危なかったりする。
「あれ、でもクレンベルセルス伯爵はゾローデと同室だったと」
「基本原則はそうだけど、私たちの頃、女性が足りなくてさ。それで誰が男同士で同室になるかってことになって、平民階級あたりは肌が露出するような施設では男女分けするだろう? ゾローデもその世界観で育てられただろうから、男性同士のほうが気楽だろうと男性同室の一人に選ばれた。私が選ばれたのは、三親等以内に同性愛者がいないからだよ」

 ちなみにかつてのサベルス男爵アダルクレウスが男性皇帝の配偶者となった皇子の側近に選ばれた理由も同じ。サベルス男爵家は未だかつて一人も同性愛者当主を出したことがない。
 そんなサベルス男爵の同性との同室は、かなり酷い経緯を辿った結果である。
 ”浮気したら後宮送りにしちゃうからね”
 これには続きがあった”相手は一族郎党殺しちゃうからね”なる迷惑かけること必須な続きが。
 学校側もこれから育てる将校候補生を”嫉妬とグレスさまの権力使って美少女が殺しちゃうよ”されては困るのだ。
 帝国上級士官学校ならばその程度の圧力に屈することはないのではと思われそうだが”グレスさまの権力”の前には無力に等しい。グレスさまの権力とは大皇ナイトヒュスカのこと。
 彼に同室者を殺させると明言した。

「グレスの頼みは断れんからな。だが余に殺させるな」

 大皇が刀を持って乗り込んできたら、止められる者は「存在するが呼びよせるわけにはいかない」状態。
 前線にいるクレスタークとサロゼリス、この二人ならば、なんとか止められるものの、連れて来るわけにはいかない。性質が悪いことに大皇は帝国騎士としても強く、帝国最強騎士でも連れてこない限りは止めようがないのだ。
 前線を守る主要メンバーを召喚するよりならば、同性と同室にすることを選ぶのは戦略として間違っていない。
 皇帝として君臨していた頃、ケシュマリスタ女たちに苦しめられ、大宮殿に居るよりも前線で戦っていたうが安心できると言っていたのだが、孫の嫉妬と我が儘は別物。
 かつて帝国を守っていた「その個人戦闘能力、現帝国に存在する総武力に匹敵する」と現在でも謳われる力を孫の自由にさせていた。
 これが初めての脅しであれば、被害が出ていたかも知れないが、以前に『アウグスレイタ、ジベルボート伯爵殺して。キャスが伯爵になりたいんだって。僕キャス好きなの』孫に言われて『わかった。わかった』と単身伯爵家に乗り込み殺した過去があった。
 もっとも、この伯爵殺害にはサベルス男爵やキャステルオルトエーゼ自身知らない深い裏があり、孫の頼みに乗った形で問題を秘密裏に解決する最良の手段であったため、事情を知らされたテルロバールノル王も黙認した。

『余とて大アルカルターヴァを納得させられないようなことはせぬ』

 だがとにかく、大皇は孫に甘い。……というわけで、サベルス男爵は男性と同室になった。

 貴族社会の裏話を”驢馬に乗った少女の歌”ばかり聞かされているゾローデよりも大量に聞かされたウエルダたちは、最初は自宅まで送らせると言われたのだが、丁重に辞退し官舎行きのバス亭まで送ってもらうことで同意してもらった。
 ウエルダは帰宅後すぐに図書館へと出向き”彼女の作り方”という怪しげなタイトルの話を取り出して、必死に読み漁る。

 彼らは帰宅したが、サベルス男爵は帰宅せず、
「こうして男爵閣下とお話が出来る機会が持てるとは。嬉しい限りです」
 キャステルオルトエーゼに関する出来事や、対処方法や、ウエルダに迷惑を掛けた際の手続きについて話合うことに。
「私も。キャステルオルトエーゼが偶に話してくれまして、お会いしたかったのですが、中々機会がなくて」
「そうですねえ……」
 さらっとした笑顔をあまり崩さないクレンベルセルス伯爵が、突然真顔になり、
「どうなさいました?」
 サベルス男爵にとある質問をぶつけた。
「先程平民の彼らと話していて気付いたのですが、彼らは”ゲルディバーダ公爵について”当然知りませんよね」
 ゾローデの結婚相手ゲルディバーダ公爵は、王侯貴族ならば誰でも知っている特別な存在であった。それらを公爵が所持している為に、皇帝の座につけようという声が上がってしまう。
「それは知らないと思います。また王の性格上、ヴィオーヴ侯爵殿下には簡単には教えないと私は思います」
「ですよね。男爵閣下が後宮の話をした時、彼らは納得していましたが、その納得はケシュマリスタ王がなんでも許すと――男爵閣下がキャスのことを説明したときの言葉が”生きて”疑問を持たなかったのでしょう」
 上級貴族が持ち得る知識と平民たちの知識の差から、意図せずにはぐらかす形となってしまった。
「あー。余計なこと言わない方が良かったですね」
 誠実なサベルス男爵は頬にかかる髪を握るようにして、悩ましくも美しい表情を浮かばせる。
「指摘したのは、真実を私達の口からは言わないようにしましょうと提案するためです。必要とあらばゾローデがウエルダに教えるでしょう」
「そうですね。その、クレンベルセルス伯爵。ヴィオーヴ侯爵殿下とはどのような御方なのですか?」

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