偽りの花の名[14]
トシュディアヲーシュ侯爵と実兄が連絡を取り合う際、周囲に人は控えていない。話終えてから暴れることも多々あるので、配置されないのだ。
人気のない室内で消えたモニターをしばし眺め、
「ベルトリトメゾーレとジャセルセルセに来るよう伝えろ」
中央司令室へと来るように伝えてから、また椅子に体を預けて目を閉じた。
それほど待たずして二人はやって来た。
「なんの話だった」
二人は途中で合流しクレスタークに呼ばれたと聞かされていたイルトリヒーティー大公は、珍しく機嫌が悪くないトシュディアヲーシュ侯爵の姿に少しばかり驚いたものの、表情に出すようなことはなかった。
「ファティオラ様の婿について。最後の一人で最初の夫が決定した」
王は配偶者を一人だけしか持てない。
皇帝は配偶者を同時に四名持つ事が出来る。トシュディアヲーシュ侯爵を含めて、既に三つの席が埋まっていた状況。
「連絡来てないが」
だが公式発表は最初の夫となる ――
「ファティオラ様を驚かせるために、極秘にするんだとさ」
「ケシュマリスタ王らしいというか……そういう人じゃがのう」
「栄えあるビシュミエラ様の婿に選ばれた最後の一人は誰なの?」
「ゾローデ・ビフォルト・ベロニア。俺の同級生だったヤツだ」
名を聞いて下級貴族の私生児であることは、二人もすぐに分かった。そしてどうして彼が選ばれたのか? 当然の疑問がわき上がる。
帝国上級士官学校首席卒業者であれば、血筋を除外して才能を……解釈できるのだが”ゾローデ・ビフォルト・ベロニア”が在学していた当時の主席は彼らの目の前にいる。
「ラスカティアと同い年?」
帝国上級士官学校は入学可能な年齢が十二歳から二十歳までなので、同学年でも最大八歳の年齢差がある。
トシュディアヲーシュ侯爵は入学可能になってすぐの、十二歳で入学した。
「おう、同い年。二十五歳で中佐。大過なくやってる」
「前線で活躍しているという噂も聞かぬがのう」
トシュディアヲーシュ侯爵はクレスタークから聞かされた情報を包み隠さず二人に伝えた。話を聞いた二人は、選定基準やこれからの出来事について”結婚直前まで隠す”以外は――
「お教えするべきじゃろうが」
「下手に教えると、ゾローデが殺されかねないからな」
「ケシュマリスタ王はやりかねないよね」
「そうじゃがのう……そこは悩んでも仕方あるまいな、帝国上級士官学校の卒業生ならば、女皇殿下の婿となっても、やっていけるじゃろうしな」
「そうだね。礼儀作法も貴族間の調整も。幸いケシュマリスタ王国軍の実質管理者は同期だし、譲位後の混乱も最小限に抑えられるだろう」
ロヴィニアもテルロバールノルも、そしてエヴェドリットもケシュマリスタが弱体化することや、混乱に陥ることは望んでいない。
「それにしてもケシュマリスタ王は、本当に退位するのじゃろうか?」
エヴェドリットの上級貴族であるトシュディアヲーシュ侯爵が、ケシュマリスタ王国軍の実質的な管理者になることが出来たのは、エヴェドリット王の退位も深く関係していた。
「本気だろう。お前のところの女傑様が同意してんだ、皇帝が同意しなくたって退位できる」
後継者であるゲルディバーダ公爵には政治を、危険な軍事関係はそれ以外の者を ――
「確かにそうだろうが……」
「なにかあるのか? ジャセルセルセ」
「ヴァレドシーア様のことだから、皇帝に話を通していない可能性もあるだろう」
現皇帝エルタバゼールは悪人ではない。人が良すぎる程。過去にも似たような評判の皇帝 ―― 三十七代皇帝シュスタークだが ―― もいたが、過去の皇帝と決定的な違いがあった。
エルタバゼール帝はカリスマ性を持ち合わせていない。
もともとエルタバゼール帝は彼の父であったエルロモーダ帝と下級貴族の娘との間に産まれた、皇帝になる筈のなかった男であった。
エルロモーダ帝に皇位が譲られた時、エルタバゼール帝は「王女かその系列の者を四人娶るか下位の娘を一人娶るか?」選択を迫られた。そして彼は王女ではない皇后を一人娶った。かつて奴隷一人だけを皇后とし、他の女を一切寄せ付けなかった絶大な人気を誇った皇帝シュスターク帝にあやかって ――
だが過去の事例だけでは、皇帝の素質を除外した結果だけを見ての作戦は失敗する。
例え四名の正妃を迎えていたとしても、現状は変わらなかったであろう……とも言われている。どちらを選んでもエルタバゼール帝は”皇帝”にはなれない。それが彼に下された評価であった。
「ケシュマリスタ王の悪いところじゃな」
「好き勝手させている人たちにも問題があるんだろうけどね」
ケシュマリスタ王は皇帝を蔑ろにはしない。ただ皇帝に甘えるだけ。その甘え方が他者から見れば度を超しているのだ。かつて皇帝たちが見て見ぬふりをしたボリファーネストに対する甘え方でえあるため、優しく弱い心の持ち主でもあるエルタバゼール帝は拒否できないでいた。
「こっち見るなよ、ジャセルセルセ。俺のところの王が甘いのは事実だが、ものともせずに追い落としゃあいいだろうが」
注意するのはテルロバールノル王だけ。
皇帝やエヴェドリット王は過去を見て、ロヴィニア王は皇帝が皇帝らしくないという証拠を積み上げるため何も言わない。
「追い落とすとなるとまた別物だから。でも皇帝に話を通していなくとも、帝国宰相には許可取ってるだろうね」
「そりゃあ、あっちの許可がなけりゃ、いくらヴァレドシーア様でも無理だろな」
「となるとギディスタイルプフ公爵もご存じだと……」
「どうした? ラスカティア」
「いままではっきりと解らなかったが、帝国宰相はファティオラ様を皇位に就けるつもりじゃないか? ヴァレドシーア様は皇位から遠ざけるためにゾローデを選んだつもりだろうが」
エルタバゼール帝では失敗した策だが、ゲルディバーダ公爵には有効な策となる。
「この男、たしかに奴隷皇后を思わせる雰囲気があるな」
「奴隷皇后の血などまったく引いていないのに。奴隷特有のものだろうか?」
「……」
「まあ儂等が考えたところでどうする事もできまい。ところでこの男の詳細はこれだけか?」
「それだけだ」
「帝国上級士官学校卒ということは、寮に入ってたんだろ? 同室だった者から私生活について上手く情報を引き出せないのか?」
デオシターフェィン伯爵が”情報は隠すなよ、共用しよう”と、無害そうな笑顔を浮かべ画面に映し出されているゾローデの映像を人差し指で軽く叩く。
「足がつく」
トシュディアヲーシュ侯爵は頭を振り、隠してはいないと否定した。
「なんじゃそりゃ?」
「ゾローデの同室はクレンベルセルス伯バルデンズ」
「クレンベルセルスはジベルボートと仲が良いのじゃよ、デオシターフェィン」
少々年が離れているものの、大宮殿育ちのイルトリヒーティー大公は成績優秀者の一人であったクレンベルセルス伯爵をよく覚えていた。向こうも当然覚えており、ゲルディバーダ公爵の側近になることが決まり、純粋皇王族たちが見送りの会を開いてくれた時に、
”ジベルボート伯爵キャステルオルトエーゼをよろしく頼むよ。彼女とは仲いいんだ。これには歴史があってね……”
滔々と説明されたのだ。
トシュディアヲーシュ侯爵とは仲の悪いジベルボート伯爵だが、クレンベルセルス伯爵の知己であるイルトリヒーティー大公には”良い娘”で、慣れない王国での生活も、気まぐれな主ゲルディバーダ公爵との接し方も彼女が教えてくれた関係で知っているのだ。
「あの子に知られると厄介だね」
「ああ。ゾローデのことは、一般公表されたら尋ねてみるがな」
話を続けていると、
「トシュディアヲーシュ侯爵閣下。ゲルディバーダ公爵殿下がお呼びです」
「分かった」
話題の中心人物であるゲルディバーダ公爵からの呼び出しがあり、彼はその場を去った。
「……」
「……」
「どうなると考える? ベルトリトメゾーレ」
「儂には分からんが、お主の王子、策に溺れねばいいな。絶対勝てる相手だと踏んで送った男に負けたら目も当てられん」
「王子は女心はよく分かっていらっしゃるだろうが……ビシュミエラ様は女という括りでは危険だな」
「そうじゃな。女皇殿下にとって性別など些細なことじゃ。あの方は王太子であり暫定皇太子であり軍帝の孫じゃ」
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トシュディアヲーシュ侯爵はゲルディバーダ公爵の食事場所へと向かう。
「ファティオラ様、お呼びと」
給仕は多数いるものの、彼女が座っているテーブルには彼女以外の席はない。
「うん!」
「座ってもよろしいでしょうか?」
持参した椅子を向かい側に置き、乱暴に腰を下ろす。
「いいよ。でもこのフレンチトーストはあげないよ」
食べるのがもったいない――と言われそうな飾られた皿を抱えこむようにして、上目遣いでトシュディアヲーシュ侯爵を睨む。
”呼んでおいてこの態度は……”言われそうだが、
「持って来たんで、気にしないでください」
慣れているトシュディアヲーシュ侯爵は軽く流して胸元から市販の菓子を取り出す。今日持参したのは古くからあるベストセラーで、クッキーの間に固めのオレンジジャムをはさみ、チョコレートで固めたもの。
ゲルディバーダ公爵は自分の料理が乗っている皿を片手で抱えたまま、手を差し出して”自分の分”を要求する。
「大事なお食事中に呼び出すとは、よほど大切なことですか?」
包みを開けて二枚手に乗せてから、トシュディアヲーシュ侯爵は袋に直接口をつけて食べ始める。
「カーサー元気だった?」
ゲルディバーダ公爵は非常に食い意地が張っており、周囲に人がいると落ち着いて食べられないほど。元々その傾向があったのだが、拍車をかけたのがケシュマリスタ王。
無類の運動能力と反射神経でゲルディバーダ公爵の皿に乗っている料理を奪う……を繰り返し、結果彼女はよほどの事がない限りは一人で食事する。
食事の席に人を招くことはほとんどなく、余程親しい人でもない限り、食事中に呼ぶこともなければ、訪問を受けることもしない。
元凶とも言えるケシュマリスタ王だが、彼女が大人なのか? それとも拒否しても無駄だと分かっているからなのか? 立入は禁止していない。
「画面には出てきませんでしたが、元気だそうですよ」
―― ケシュマリスタは”反動”で食い意地が張っているとは聞いたが、ファティオラ様は度を超してるよな
「良かった」
赴任してきた当初は驚いたものの、最近ではすっかりと慣れてしまい、こうして外出を制限されている彼女の為に、市販の菓子を持参しては渡す。
「カーサーは戦争ができる限り元気ですよ」
外出制限は両親が前線に移動中にワープ装置で事故死したことが原因で、ヴァレドシーアが良い顔をしない。
怒ったり無感動になるのではなく、泣きそうな表情。美の化身と言われ、泣いている姿が最も美しいと言われるケシュマリスタその物であるヴァレドシーアのその表情には、ゲルディバーダ公爵の我が儘も”少し”はなりを潜める。
トシュディアヲーシュ侯爵は食べ終わった菓子の箱を握り潰して床に捨てる。
食用花で飾られ、メープルシロップが大量にかかったフレンチトーストを食べているゲルディバーダ公爵を前に、十八歳でここにやって来てから約七年「そんなものだ」と気にもしなかったことが引っかかり、答えなどないだろうと考えながらも、
「ファティオラ様はどうしてそんなに食べること好きなんですか?」
軽い気持ちで尋ねた。
ゲルディバーダ公爵はナイフとフォークを動かしたまま笑顔で、
「あ、それ? 知らなかったんだ。あのね、詳しいことはドロテオに聞くといいよ。ネロでもいいけど」
理由はあるんだよ――
「……理由あるんですか」
意外な答えと、回答者の名を聞き、トシュディアヲーシュ侯爵は追求すべきか? 止めるべきか? 思わぬ悩みを背負うことになった。
「あるんだよ」
「じゃあ今度会った時にもで、ドロテオに聞いてみますね」
ドロテオとはエヴェドリットの王子、エイディクレアス公爵ロヌスレドロファ=オルドロルファ。彼は幼少期、ハヴァレターシャ王妃の側近としてケシュマリスタ王城で養育されていた。
彼がここに居たのは二歳頃から約三年。
ゲルディバーダ公爵が産まれてすぐに故国へと連れ帰られた。ケシュマリスタ王国の内乱に関与し、殺害を実行し……だから彼が理由を知っているとなると、ケシュマリスタ王が触れられるのを極端に嫌う時期に関係してくる
「うん。それでさ、クレスタークとカーサーの婚約話どうなったの?」
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