偽りの花の名[12]
 ゲルディバーダ公爵殿下が散歩したいと言われたので同行している。
 廃墟王城の一角を説明してもらいながら歩き、朽ちた海浜公園のような場所へとやってきた。海に面している部分に金属製の柵がある。鉄錆が浮いていて、柵も歯が抜けたようになっており、浪に攫われたかのようにタイルが禿げ、剥き出しになった基礎に藻がこびり付いている。
 ベンチも柵と同じで赤黒い鉄錆が浮いている。座る時には従者が布を敷くなりするのだろうが、近くにそれらしい人がいないので、俺とゲルディバーダ公爵殿下は錆びが浮かぶシンプルな鉄柵に近付き、そこに手を乗せて向かい合う。
「ねえねえ、ゾローデ」
「はい」
「僕に聞きたいこととかないの?」
 いきなり振ってくるあたりが、ケシュマリスタ王の姪御さまだよな。
「えっと……」
 聞きたいことは多数ある。
 俺が着用しているマントに使われている頭文字の一つ。名前にも爵位にも関係のないこの文字は何を表しているのか?
 テルロバールノル王ですら退けるのが厄介だと言われた、俺の側近とは誰のことか?
 聞きたいことは山ほどあるのだが、このような場面で尋ねるのは”俺関係”のことではなく、
「グレスについてお尋ねしてもよろしいものでしょうか?」
 ゲルディバーダ公爵殿下のことについて聞くのが無難だろう。
「グレスって僕の呼び名だよ」
「愛称と理解してよろしいのでしょうか?」
「……そっか! ゾローデ、グレスのこと知らないんだ」
 上流階級では基礎的なことのようだ。
「存じ上げません」
「そっか! グレスってのはね……クイズにしてもいい?」
 ケシュマリスタ王と顔はまったく違うのだが表情の出方が似ている。悪戯を企んでいる子供を思わせるこの表情。悪巧みしていることが分かるのに、この楽しそうな表情を前にすると、一緒に楽しみたくなる魅力がある。
「俺に答えられるものでしょうか?」
「答えは知っているよ。辿り着けるかどうかだね。じゃあ質問だよ。グレスってのは元々はとある名前の省略形なんだ。その元の名前はなんでしょう! 答えて、ゾローデ」
 ゲルディバーダ公爵殿下の話しぶりからすると、俺は確実に知っている名前らしいが。グレス……グレス。
 在学中に皇王族系の同級生たちが使っていた省略形は……少し捻りがあったよな。「グ」で始まると言うことは素直に考えると「グ」で、捻って考えると「ギ」あたりだ。グの場合思い浮かぶ名前は「グエリンドン」だが、グレスになるかこれ? 「ギ」は……
「ギィネヴィアでしょうか?」
 ギで始まるごく有り触れた名前を一つ。
「ギィネヴィア……」
 ゲルディバーダ公爵殿下の表情は驚きに満ちていた。そんな答えが返ってくるなんて思ってもいなかった ―― 一目で分かる。
 だがそのまま笑顔になられて、
「気に入った! ゾローデは僕のことギィネヴィアって呼ぶこと!」
 朽ちかけたタイルを蹴って首に抱きついてこられた。同時に帽子から下がっていた銀鎖がぶっつぶっつと切れて海へ。あと擦れて俺の頭部にも赤い筋が。
「装飾チェーンは無いほうがいいようですね」
「そうだね。御免ね」
「いえいえ。あの……ゲルディバーダ公爵殿下のことをギィネヴィア殿下とお呼び……」
「殿下は要らないよ。ギィネヴィアって呼んで」
「あ、はい。畏まりました、ギィネヴィア……」
 勇気を振り絞ってゲルディバーダ公爵殿下のことを、俺が答えた有り触れた名前で呼んだ。
「嬉しい!」
 なにが嬉しいのか俺にはちょっと分かりかねるのだが……
「あのゲルデ……ギィネヴィア。グレスの答えを教えていただけませんか?」
「それ? グレスの元はグラディウス。帝后グラディウス・オベラ・ドミナスの愛称がグレス。みんなに愛されたグラディウスの愛称ってことで、みんな使いたがる愛称なんだよ」
 帝后グラディウスの愛称かあ。グラディウスがグレスか、ほとんど捻られてなかった。むしろ素直な愛称だ。名付けた方は皇王族や王族、貴族じゃなくて……村にいた時にご両親か友人が付けてくれた愛称なのかも。
「グレスにその様な意味が。でしたらグレスを使われたほうがよろしいのでは?」
「いいの。僕ギィネヴィア気に入ったの。ギィネヴィアは僕のもの!」
「気に入っていただけて……」
 腕に飛び付いて来られて、そのまま肩と肘と指がきめられ――
「ごめん! ゾローデ。ついつい」
「いえいえ。大丈夫です……ギィネヴィア」
 ちょっと膝ついてます。全身の筋肉に”くる”きめ方がとてもお上手で。人体構造を熟知なさっておられるのだろう。

**********


「頭にかぼちゃパンツか」
「はあ」
 夜も更けて寝ることに。ゲルディバーダ公爵殿下は寝る前に準備があるとのことで、俺が先に寝室に入っている。
 かぼちゃパンツ一丁はトシュディアヲーシュ侯爵のお陰で回避できたのだが、ジベルボート伯爵が”頭髪が短くなったから、ナイトキャップが必要ですよ”と、白くてふわふわしている……かぼちゃ状としか言えないナイトキャップを作って持って来て下さった。
 ゲルディバーダ公爵殿下もお気に召したようで、俺の頭に被せて”いいね”と言われたので、装着して眠ることに。
「ゾローデ。重要なことを伝え忘れていた」
「なんでしょう?」
「ファティオラ様は”シュスターに似ている”と言われるのを嫌う。とくに”シュスタークに似ている”と言われるとむくれる。だから言うなよ」
「分かりました」
 聞いていなかったら、会話のネタにするところだった。
「明日から学生時代のように毎日顔を合わせることになるが、よろしく頼む」
「こちらこそ。頼りにしています、ラスカティア=ラキステロ」
「俺の呼び名だが、やっぱり長いからアーシュって呼べ」
 アーシュと呼ぶくらいならラスカティアと呼びますが……言っても遅いので、
「分かりました、アーシュ」
 黙って従っておこう。
「ゾローデ、お待たせ!」
 ゲルディバーダ公爵殿下はかぼちゃパンツにレースで飾られたキャミソール姿で。
 後ろにはニメートルを超える成人男性であるデオシターフェィン伯爵が両手で抱えて尚”おおきい”と思わせる”なにか”
 額縁のようにも見えるが、厚みがかなりある。それをベッドに運び天板に立てかけて開いた。
「ゾローデ、絵本読もう!」
「はい」
 芸術品としか言いようのない ―― 絡まる朝顔の彫刻が隙間なく施された木枠 ―― 装丁が施されている。
 絵本も白いところなどなく、細部に至る迄描き込まれている。もちろん印刷などではなく一枚一枚手描き。文章は絵の邪魔にならないように下部に二行だけ。もちろんこちらも手描き。二人でベッドに入り俯せになって肘を立てて絵本を眺めていると、隣のゲルディバーダ公爵殿下が腕と体の隙間から頭を押し込んできた。体をずらして隙間を取る。薄い体なので、ずらす必要もないくらいだったが。
 ゲルディバーダ公爵殿下が最後まで絵本を読んで下さり、終わったところで体を仰向けにして抱きついてきた。
「ゾローデ」
「はい」
「僕ゾローデのこと好きー」
「ありがとうございます」
「ゾローデも僕のこと好き? 好きっていって」
「あ、はい。好きですよ」
「うれしい。あのね僕、ゾローデの腕枕で眠りたいの」
「畏まりました」
 体を少々下にずらして絵本は……そのままでも良いのだろう。腕をベッドの上に伸ばすと、ゲルディバーダ公爵殿下の艶やかな髪に覆われる。
「男の人の手のひらだよね。格好いいなあ」
 手首を掴まれて手のひらを興味深そうに見ていらっしゃる。興味を惹きそうな手ではないのだが……労働者の手はあまり見られたことないのかもな。
 それほど立派に労働なんてしてないが、戦闘に特化した腕や手のひらとはまた違うからさ。いやあ本当に違ってびっくりした。
 ウエルダに「なんだそれ」と言われたが、本当に違うんだよな。
 トシュディアヲーシュ侯爵と俺の手のひらは、指が五本で関節の数が同じで爪があって、手のひらの大きさも然程違いはないが別物。
 どちらを見ても手と分かるが、使用目的が同じとは思えない違い。形も大差があるわけじゃないんだが、偏見などを抜きにしてもやはり違う。
 アレが特化した腕というものなんだろう。
 皇王族も戦闘向きだった。ただエヴェドリットよりは若干容姿が優先されている感じで、エヴェドリットとケシュマリスタを足して……
「どうしたの? ゾローデ」
「いいえ、なんでも御座いません」
 なに当たり前のことを言ってるんだろう。
「朝まで腕枕してね」
「はい」
 ゲルディバーダ公爵殿下は寝付きがよろしいようで、すぐに寝息を立てられた。
 この花が散らされ、降り注ぐ金色の檻の中で皇帝その物の少女に腕枕。一ヶ月前の俺には想像もできない状況だ。
 音もなく近付いて来たトシュディアヲーシュ侯爵が絵本を回収し、イルトリヒーティー大公が薄手のシーツを俺とゲルディバーダ公爵殿下にかけて部屋を出ていった。
 腕枕を外してしまったら極刑ものだろうから眠らないで、動くであろうゲルディバーダ公爵殿下の後を追いかけつつ命令を遂行しよう。

―― 僕ゾローデのこと好きー ――

 俺はゲルディバーダ公爵殿下のことは知っているが、ご本人のことはほとんど知らないな。これから知らなくてはならないのだが……さきほど頂いた言葉を大切にして日々を過ごそう。
―― ゲルディバーダ公爵殿下の髪の毛、長さもそうだがけっこう重量あるな
 朝に至るまで何度もゲルディバーダ公爵殿下のずり上がってしまった、ふわふわキャミソールを戻させていただいた。
 朝やってきたジベルボート伯爵がこっそりと俺の耳元に囁いたのは『ツルペタの悲しき宿命(さだめ)』……いや、俺はなにもしてない。見ていない、見ていない。なにも聞いていない!

**********


 ゲルディバーダ公爵殿下は朝食も取らずに――
「気合いを入れた格好でお見送りをしたいそうです」
 初めての出会いの時はできなかったので、初めての見送りの時は着飾って見送りたいと希望されたそうで……。
「そうですか。嬉しいことです」
 向かい側に座っているのはシラルーロ子爵。
 ”お相手するようあの人から言いつかったので”そのように言われて、今日の朝食を共に取っている。
 テルロバールノル貴族なだけあって、食べる動きが優雅。仕草というよりは動きが素晴らしい。エヴェドリットの戦う姿に見惚れるのと同じ。
「ファティオラ様の行動に関してなにかありましたら、私に連絡をください。できる範囲で修正いたしますので」
「いえいえ。直すところなど」
 シラルーロ子爵は楽しげな”苦笑”を浮かべられた。
「そうは言われると思いました。ファティオラ様のご性格は……男は抗えませんねえ。ファティオラ様は初代ケシュマリスタの二人に良く似た性格のようですから」
 初代皇后ロターヌと初代ケシュマリスタ王エターナに似てると。
 そんなに嫉妬深そうには見えないが、両者の良いところが上手く混ざっているのかもな。
「ファティオラ様のこと、よろしくお願いします」
「あ、はい。もちろん」
「テルロバールノル王から聞かれたでしょうが……あの人は二年後には退位し、大宮殿へと引き取られることになります」
「はい。あのシラルーロ子爵もご一緒に?」
 王の愛人が何処へ行くのかを聞いていいのかどうか? 悩むところだが、後回しにしてはいけない案件だろう。
「私はテルロバールノル王に返還されることになっています」
「返還、ですか?」
「もともと私は四年契約でした。あの人に年の近い遊び相手として、その合間に礼儀作法を教えるようにと、先代ケシュマリスタ王に雇われたのです……帰るに帰られなくなって、もう二十年近くここにおりますが」
 なんだろう。ケシュマリスタ王の周囲だけ、十五年前のままだ。時が止まっているような感じがする。まだ先代ケシュマリスタ王が傍にいる。姿を見せることもなく……そうか、これが”亡霊”と言われるものか。
 亡霊に取り憑かれているというのは、こういうことを指すのか。
「二十年近くも帰ることを許されなかったのに、突然許可が?」
 大切な兄上を、そして大事な父君をその様に言うのは失礼だが、どうしても俺にはそれは亡霊としかとらえられない。
「ファティオラ様と貴方さまのご成婚を許可する条件の一つだそうです」
 テルロバールノル王は亡霊を一つ一つ取りのぞこうとしているのだろう。
 ケシュマリスタ王はここから離したほうが良いと考えていらっしゃる ―― 俺の勝手な考えだが。
「それは……」
「気になさらないでください。それに……言葉を濁しても仕方ありません。私はあの人が退位する前に殺されるでしょう。返すくらいなら殺してしまうと……愛情ではないのですが、愛情だと解釈なさっても結構です。新王の御代、お役に立つことはできませんが、それまで取るに足らぬ非才の身ではありますが、仕えさせていただきたく」
 ケシュマリスタ王は留まるために殺すのだろうか? そして愛情ではないのだとしたら、それはなんなのか?
「こちらこそ」

 ケシュマリスタ王がどんな人なのか、さっぱり分からないので、対処が思い浮かばない。

 用事があり先に席を立ったシラルーロ子爵を見送り、水を飲み干し氷しか残っていないグラスを掴みながら、溜息しか出てこない。
「ゾローデ」
「ラスカティア……アーシュ」
「そろそろ搭乗場所へと向かうぞ」
「はい」
「お前まだマントに腰おろせないのか」
「慣れなくて」
「そうか。どうした?」
 シラルーロ子爵から聞いたことを伝えると、さすがは大貴族でケシュマリスタ王国軍に長いこと在籍しているだけあって、
「聞いている。シラルーロが言う通り、連れて帰ろうとしたら殺されるだろうな」
 事情は知っていた。
 トシュディアヲーシュ侯爵にはケシュマリスタ王国軍をずっと指揮して欲しいものだ。
「でも連れて帰ると?」
「女傑様がそう言ったからにはな。それにシラルーロも楽になりたいだろうよ」
「楽に?」
「狂っている王の被害を最も被っているのはシラルーロだ。女傑様とイグニア、エウディギディアン公爵エリザベーデルニ王女のことだが、その二人が上手く取り上げるかもしれないが、その時になってみなけりゃ分からない。ゾローデとしては助けたいのか?」
「はっきりとした決断は出ていません。俺が口出しするような話ではないかもしれませんし」
 助けるのに理由は要らない ―― だが助ける方法を自分では思い付かないので、簡単に助けたいとは言えない。
「そうだな。まあ、好きにしろよ。助けたいと言えば協力してくれるヤツは結構いるぜ」

 ケシュマリスタ王の旗艦が停泊している場所へと行き、見送りに来て下さるゲルディバーダ公爵殿下を待った。
 召使いらしい人たちが現れて花びらを巻き、宝石を巻き、そしてゲルディバーダ公爵殿下が現れた。髪を結い上げたそのお姿は!
―― シュスターシュスタークそっくり……
 王冠を被ったシュスターク帝を彷彿とさせる。
 癖のない輝かんばかりの黒髪。両サイドを後ろへと持ってゆき結わえ、ティアラを乗せる。ティアラは幾筋もの宝石の繋いだ数珠が下がっており、それが黒髪を飾っているのだが、その姿はケシュマリスタ王国軍人の格好をしたシュスターク帝。
「人妻らしく髪結ったんだよ。似合う? 似合うでしょ! ゾローデ」
「とてもお美しく、気品に満ちていらっしゃいます、ギィネヴィア」
 綺麗よりも先に迫力と威厳という単語が出てきそうになった。
 側近のお三方、いまにも笑い出しそうな。
「グレスさま。あなたの美少女は、またゾローデ卿の情報を集めてきますので!」
「うん、頑張ってねキャス。ヴァレドシーア、気をつけていってらっしゃい! ゾローデ、今度は帝星で会おうね!」
 トシュディアヲーシュ侯爵のお陰で”シュスターク帝そっくり”と言わずに済み、ご機嫌なまま見送っていただけた。
 搭乗口が閉じられる時、

「ゾローデ。浮気したら、そいつがいる星系ごと消しちゃうからね!」

 極上の笑顔でそのように言われた。……多分本気だと思われる、いや絶対本気だろう。初代皇后ロターヌの迫力というか真髄を垣間見たような。浮気などいたしませんとも――

 こうして俺は帝星に戻る……途中で……。


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