偽りの花の名[03]
美しい夕暮れの空 ――
暮れゆく鮮やかなオレンジ色の空間に一瞬、緑の光がさす。
《あれ は なに と きみ が きく だから ぼく は こたえ た》
幸せをよぶその光。そして足元に揺れる花々……これは波に揺れている。
「朝か」
気象情報で明日の朝が晴れの場合、目覚まし時計代わりにカーテンを半分開けておき、朝日で目を覚ますようにしている。
ゆっくりと目を開くと見慣れた部屋と、その先に見えるソファーにかかったまったく見慣れない深紫色のマント。それを見ても気が重くならなかったのは幸福感。
今まで感じたことのない幸福な気持ちで目を覚ました。目覚めが良いのではなく、幸せ ―― この表現しようのない幸せさをもたらした夢だが、
「なんでケスヴァーンターン公爵殿下……っぽいお方」
夢の主軸が何故か殿下だった。
あれほどお美しい方を間近で見てしまったのだから、夢に見ても不思議ではないが、なぜ幸せになったんだ。
ただ殿下か? と聞かれたら、ちょっと悩む。王族の方々は近親結婚を繰り返しているので、同じ容姿の人が多い。
ケスヴァーンターン公爵殿下はそれこケシュマリスタ王家伝統の容姿 ―― 大きく波うつ黄金髪で白く透明感のある肌。右目は蒼く左目は緑。唇に色はなく、舌は桜色 ―― で、このお姿を持つ方は王族に限定するとかなりいる。
酷いとき……いや言葉の選択を間違ったな、多い時は四王が全員ケシュマリスタ容姿だったこともある。
……が、俺はその容姿を見て幸せを感じる”理由”が思い当たらない。
だが夢が幸せだったのは否定しない。あんなに幸せを感じたのは、人生で初めてだ ―― 過言ではなく。あのなにも遮るものがない海の上で見たグリーフラッシュは圧巻だ。
今の俺は幸せに浸りきっている場合ではなく、仕事に行く準備をしなくてはならない。気を引き締めてから正式な軍装をし、四苦八苦しながら昨日からの相棒であるマントを装着する。
「お、朝から会ってくれるか」
準備を整えてから連絡事項はないか? 確認をすると、クレンベルセルス伯爵から「卿がいつも朝食を取っている食堂で会おう」との連絡があった。
これはありがたい ―― 俺は早々に部屋を出て、急ぎバスに乗って食堂へと急いだ。
周りの目は気になるが、気にしたところでどうってことないってか……気にしたところでどうにもならない。
それ以上にあの夢が気になった。震えるほど美しい景色もそうだが、あの音。音そのものは話し声なのだろうが”声”という感じはしなかった。
いつも通りに食堂に顔を出すと、周囲が驚いていたが、俺は驚かれ慣れしてきた。上級士官学校時代に培った、驚き慣れの逆バージョンだ。
帝国上級士官学校の頃は、ずっと驚きっぱなしだったもんなあ。
「ゾローデ」
すでに食堂にいたウエルダが手を上げて声をかけてくる。
「ウエルダ。昨日は奢りどうも」
「ああ。朝食は?」
「食うよ」
どんな状況下であっても食欲が失せるということのない自分の神経の太さに、感心しながら席に腰を下ろ……
「立って食うのか」
「ああ。どうしても気になって」
腰は下ろせなかった。マントが気になって。マントのさばき方みたいなのも調べたが、普通に検索して見つかるはずなんかない。
立ったままバゲットにバターを塗って口に運んでいると、
「お待たせ! ゾローデ」
「初めまして! ウエルダさん」
見るからに上級貴族 ―― 一人は顔見知りの皇王族だけれども ―― がやって来た。クレンベルセルス伯爵は男性だが、もう一人の上級貴族や皇王族は顔や体格では判断がつかないので、話す時には細心の注意が必要だ。
王族には見た目が怖ろしいほどに華奢だが、異様の強い人がいる。ケスヴァーンターン公爵殿下もそうだが、エイディクレアス公爵元帥殿下なんて、かのデセネア帝にそっくりで、戦うようなお姿していないのに強い。元帥殿下は俺より五歳年下で帝国上級学校卒……一応、後輩にあたり在学期間が一年被っているのでよく覚えている。
「ウエルダ。あのケシュマリスタ軍服を着こなす、可愛らしいお顔のお方と知り合いなのか?」
「いいや。誰だ、あのお方」
二人はまっすぐ俺たちの所へは来ず、トレイを持って料理を取りに向かった。通常帝国軍人以外は食堂の使用は許されてはいないが、両目の色が違う上級貴族相手を追い返すこともできないだろう。
クレンベルセルス伯爵が食堂の職員になにやら話して、二人はスープにサラダ、カンパーニュにプリンをトレイに乗せてから俺たちの所へとやってきた。
「じゃあ俺は先に」
ウエルダが俺の分のトレイも持ち席を外そうとしたのだが、
「ウエルダさん、逃げないでください!」
俺は知らない上級貴族が指を組み上目遣いで頼みこむ ―― 性別は分からないが、もの凄い威力だ。このお願いを拒否できる男はまずいないだろう。
「順を追って話すから、座ってくれたまえウエルダ・マローネクス殿」
クレンベルセルス伯爵がそう言ったので、ウエルダは俺を見てからもう一度座り直した。ちなみに俺は立ったまま。
「ゾローデ、久しぶりだな!」
「ああ。久しぶりだ」
この食堂にいるのは皇王族と接したことなどない者ばかりだから、さぞや驚くだろう。俺も入学した時には驚いた。皇王族は総じてテンションが高い。このテンションを保ったまま良く生きていられるなーと感動したことがある。
同室だった腰の辺りまでのふんわりとした黒髪の持ち主は、
「今日から俺は君の側近だ! よろしく」
あの頃のテンションと変わらぬまま。
「は?」
「ゾローデが我等のもう一人の皇太子殿下の夫になると聞いていたので、一番に書類を提出して側近の地位を射止めさせてもらったよ!」
「側近?」
王族は必ず三名の側近を持つことは知っているが……ああ、俺王族になったんだな。はいはい、俺、王族になってました。
「あとはゾローデの許可を貰えば完璧なんだ。許可してくれるか!」
「クレンベルセルス伯爵なら、俺のことも良く知っていてくれるしな」
「やった! やったぞ! キャステルオルトエーゼ」
プリンを食べていた可愛らしい顔立ちの上級貴族は”キャステルオルトエーゼ”というらしい。
「やりましたね! バルデンズ! 僕も教えた甲斐がありました!」
スプーンをプリンに突き刺し、立ち上がり二人でハイタッチをして喜び合っている。
何がなにやら……
「ああ、説明が遅れたな。この可愛らしい顔立ちのケシュマリスタ貴族はジベルボート伯爵家の当主キャステルオルトエーゼと言う」
「初めまして。美少女顔の正真正銘の美少女です」
「キャステルオルトエーゼ、そこは正真正銘の少女ですだ。美少女と言ってどうする」
「あ、ごめん。癖で」
”癖”ってことはいつも自己紹介で”美少女”名乗ってるんだろうな。いや実際美少女だけどな。ケシュマリスタ貴族らしい柔らかなウェーブの月色をした髪は膝のあたりまであり、触れると折れそうな程細身で、顔は派手ではないが華やかだ。下品さがなく、上品で慎ましやかながら人目を惹く。本当に ―― 美少女 ―― と言う言葉が似合う。年齢は幾つかは分からないがな。上級貴族は歳を取らない人が多い。いや歳を取っているのだろうが、老けない。
「詳しい説明はまた後日にするが、取り敢えず俺とキャステルオルトエーゼの関係について簡単に。昔々、それこそ暗黒時代前の話になるのだが」
「それはまた本当に昔の話だな、クレンベルセルス伯爵」
待て、簡単な説明だろう? とは思ったが、その辺りから話さないと二人の関係が伝わらないのだとしたら……。俺は白身魚のフライを切り分けながら黙って聞くことにした。
「そうだなあ。御代として二十二代皇帝の頃だ」
今は五十九代皇帝だから……三十七代前とは、さすが貴族、昔のレベルが違う。ざっと見積もっても千五百年以上も昔の話だ。
「当時ジベルボート伯爵の当主が、今はなくなったイネス公爵家の次男の側近的な立場で上級士官学校に入学し、その際に当時のクレンベルセルス伯爵に命を救われたのだ」
「皇王族は伯爵あたりから、爵位は親から子へは受け継がれないのではなかったか?」
皇王族は皇帝になれなかった皇帝の子(親王大公)を祖に持ち、血が薄くなるに従い爵位が下がる。クレンベルセルス伯爵の母親は皇王族の侯爵で、父親は同じく皇王族で伯爵だと聞いている。もちろん父親はクレンベルセルス伯爵ではない。
「その通り! だが!」
「僕のジベルボート伯爵家はクレンベルセルス伯爵位を持つ者と、友情で硬く結ばれたのです!」
また立ち上がり二人はテーブル越しに手を握り合う。座ったまま手を握り合ってはいけないのか? と思うが、突っ込むだけ野暮。彼らはこれが普通なんだ。
「クレンベルセルス伯爵位を受ける際に”ジベルボート伯爵家と仲良くしろよ”と書かれた銃をも受け継ぐんだ」
「あーなるほど、その関係でか」
千五百年ちかくも交友関係を保ち続けていられるとは、ジベルボート伯爵家というのも中々にやり手なんだろう。
「僕の直属の主、カロラティアン伯爵から聞いたのですよ。あ、僕の家、代々カロラティアン伯爵の子飼いです、よろしく」
「カロラティアン伯爵ってことはケシュマリスタ副王家筆頭?」
停泊している旗艦の搭乗リストの二番目に名があったなあ、カロラティアン伯爵。
「そうです。ゾローデ・ビフォルト・ベロニア中佐と聞いた時、バルデンズと同室だった人だと気付き、急いで連絡いれたんですよ」
「なんでまた」
「次のケシュマリスタ王の夫について調べるのは必須です。どんな些細なことでも情報を手に入れないと!」
「ああ……なるほど」
「非公式ってか、誰も知らないことだったから、ここは俺が側近になるべきだろう! と思って書類を作り、正式に夫になった時点で申し込んだ。空きは一席しかなかったから、キャステルオルトエーゼには感謝しているよ!」
「空きが一席?」
側近は法律などで三名と決められているわけではないが、慣習として三名。ということは残りの二席はどうなった?
「はい。ヴィオーヴ侯爵の側近三人ですが、一人はウエルダ・マローネクスさんで確定してます」
「俺?」
突如話を振られたウエルダが、自分で自分を指さして聞き直す。
「はい」
「なんで、俺を」
「気心が知れた友人というのは必要ですよ」
「……」
「嫌とか言っちゃだめですよ。ウエルダさんを側近に決めたのはヴァレドシーアさまですから」
「ヴァレドシーアさまって誰?」
ウエルダが不思議そうに俺を見るが、俺も知らない。
「ケスヴァーンターン公爵殿下のことです。ケスヴァーンターンは僕もそうですけど、名前長ったらしい上に発音し辛くて。それと他の王家もそうですが使える名前が決まってるので、過去に似たような名前の人がいたりと。なので分かりやすくするために通り名を使うんです。ケスヴァーンターン公爵殿下の場合ヴァレドシーアです」
「俺は公爵殿下の名を呼ぶような立場じゃないからいいが、ゾローデはヴァレドシーアと呼ぶように言われるだろう。覚悟しておけ」
クレンベルセルス伯爵は親指を立てながら力説してくる。
「……」
”ヴァレドシーアさま”ねえ。本名はオリヴィアストトル・シファニランディルティニ・ルカルトセンケンだから、確かに言いやすいかもしれないが、出来れば名前なんて呼びたくないよな。爵位だけで許してください殿下。
「それでですね、ウエルダ殿。僕をウエルダ殿の側近にしてください」
「……は?」
「未来のケシュマリスタ王の婿の側近の側近、この位の立場が僕程度の貴族にとってはもっとも良いんですよ!」
「え……あ?」
「カロラティアン伯爵は基本ケシュマリスタ王の直属なんですよ。で、僕は大体その脇を……こう」
「”こう”って……」
俺が殿下の名前を反芻しているあいだにジベルボート伯爵は話しをガンガン進めてる。俺は余程有名な貴族でもない限り知らないが ―― 今はなくなったイネス公爵家の次男の側近的な立場で上級士官学校に入学し ―― 当時の皇帝の次男と親しかったということは、間違いなく名門なんだろう。王族になったら、そういうことも覚えなくちゃならないんだろうなあ。
「ジベルボート伯爵、いきなり言われてもウエルダは俺以上に貴族の習慣には詳しくないので、説明しながらでもいいだろうか? もちろんウエルダの側近の地位はジベルボート伯爵に差し上げるが」
「ヴィオーヴ侯爵殿下がそうおっしゃってくださるのでしたら!」
息をつく暇もないというのは、こういうことなんだろう。
食べた気がしない朝食を終えてから、
「俺は宇宙港へ出勤する。ウエルダ……クレンベルセルス伯爵、ウエルダと共に軍警察管理事務所へ行き、今日一日俺と行動を共にする許可を取ってきてくれ」
「任せておいてくれ!」
「では僕がヴィオーヴ侯爵殿下のお伴いたしますね!」
一人で行けるのだが、ジベルボート伯爵がちょこちょこと後ろを付いてきたので……正直に言おう、可愛らしくて断れなかった。
顔もそうだが動きも一つ一つが本当に可愛らしい。作為的なものかもしれないが、そうだとしても男なら否定できない可愛い仕草だ。
こんな仮定は無意味だがジベルボート伯爵が男であっても、男には興味がない俺だが、可愛いと感じただろう。それくらい……怖ろしいというのは不適切だろうが、そう表現するしかないほどに、
「ヴィオーヴ侯爵殿下と一緒! 一緒!」
「楽しいか?」
「はい!」
可愛らしい。……ところで、歳は幾つなんだ?
部下たちはいつも通り出勤してきた俺に驚き、一緒に現れたジベルボート伯爵の可愛らしさにも驚き、そして――
「皆さん、旗艦を案内しますよ!」
という彼女の言葉で、部下たちと遅れてやって来たウエルダと伯爵と共に、ケスヴァーンターン公爵殿下の旗艦を案内してもらうことになった。
それで分かったことは、彼女はケシュマリスタ国軍が誇る帝国騎士で、
「ゲルディバーダ公爵殿下よりも二歳年下です」
現在十三歳であること。
ゲルディバーダ公爵殿下は俺の奥様……らしいお方で、年は十五歳。
「お姉さまと呼ばせてもらってます」
俺の奥様……らしいお方を姉と慕っているそうだ。
「ゲルディバーダ公爵殿下の容姿とか知らないんだが、やっぱりケスヴァーンターン公爵殿下と同じような?」
昨日確認の意を込めて調べたんだが、現ケスヴァーンターン公爵殿下の実兄は容姿はやはりケシュマリスタそのものだった。このお二人のご両親、特に父親にあたる親王大公殿下もやはり同じで、そのお父上も……まあ黄金髪に白い肌だ。
「いいえ。ゲルディバーダ公爵殿下は、容姿に関しては亡くなられたハヴァレターシャ元皇太子殿下側の血が強くて、ぶっちゃけるとシュスター・ベルレー。生き写しですよ」
それとどういう訳か、ゲルディバーダ公爵殿下のお姿は普通の検索では辿り着くことができなかった。意図的に隠しているのだろうとは思ったが……容姿も完璧な皇帝となれば、隠すだろうな。現陛下はそれほど皇帝らしい容姿ではないから。
色々なことを聞きながら艦内を案内してもらっていると、カロラティアン伯爵がやって来たと連絡をうけ、談話室のような所で待機することになった。
「座らないのか? ゾローデ」
「このマントをどう扱っていいのか分からなくてな」
クレンベルセルス伯爵から”ヴィオーヴ侯爵殿下”と呼ぶと言われたが、公式の場以外は勘弁してもらった。この俺が侯爵殿下だとか……いつか慣れる日が……来る筈ないな。
「気にせずに腰をかけても……あれ? ゾローデ。この四つめの文字はなんだ?」
「ああ、これか? 俺も分からないんだが、バルデンズも分からないのか」
俺のことを名前で呼ぶ代わりに、俺もクレンベルセルス伯爵のことを名前で呼ぶことになった。ちなみに俺はよほどあらたまった場でもない限り名前で呼べと ――
「上下モノグラムは下の部分が血統を表すはずですけれども」
言われて初めて気付いたらしいジベルボート伯爵が顔を近づけて来て、
「奴隷の頭文字でもないよな」
”そういった決まりがあるのか”と初めて知ったウエルダが、もっとも大きい括りでもないことを指摘する。
「下級貴族の頭文字でもないなあ……なんだ、これは?」
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