偽りの花の名[01]
「灯台もと暗し……とは言ったものだね。灯台なんてもうないけれども。そういえば灯台って海の安全を守るための物なんだよなあ。海と言えばジオだよねえ。ジオが存在しなければ、もっと早くに気づいたのに」
 緩やかに波うつ黄金色の髪を、白い手袋で覆われた両手でかきあげる。
 陽光よりも輝いている髪からのぞく、人間の物とは違うが人間が憧れる”白い肌”
 最上の芸術品としか表現のしようがない目元には、喜びと残酷さが浮かんでいるが、それを見てとれるものはいない。
 また黄金色の髪が彼の顔を隠してしまったからだ。
「殿下、第三十八宇宙港に到着いたします」
「僕のグレスの王子様。迎えにきたよ、ゾローデ・ビフォルト・ベロニア」
 透き通った声に相応しい、肌と同じく白い唇が紡いだ名。

**********


 こんな日は死にそうで仕方がないほど暇な仕事がありがたい。
 本当は仕事自体したくはなかったが、これほど暇な仕事を親が決めた婚約者に会って気疲れした程度で休んでいては、帝国軍人の名折れ。
 もっともそれほど帝国軍人として立派なことはいないし、名折れしていたらこの婚約もなかったことは確実だ。
「中佐」
 悪いのは自分だと思う。というか、自分が悪いことにしておけば楽だ。ああ、そうだ。楽なんだ。
「中佐、ゾローデ中佐」
「あ、済まん。どうした」
 俺に呼びかけていた部下が、非常にきまり悪そうだった。それはそうだろう、俺を呼ぶ際に「ゾローデ中佐」と呼びかけなくてはらないのは辛い。俺が部下の立場だったら、同じような表情をする。
「着陸命令です」
 命令ってことは、ここに着陸するのは”むこうさん”にとっては決定事項ということか。
「着陸命令? この第三十八宇宙港に?」
 ここは大宮殿内の宇宙港だが、格は低く、使われることはほとんどない。俺が責任者として赴任して二年ほど経つが、一度も使われたことがないほどだ。
「はい」
 使われないから設備も古い。軍費は幾らあっても足りないご時世だから当然だが。ならばいっそのこと、閉めてしまえばいいのになと思うこともある。
「どこの誰だ?」
「それが……」
 彼から報告らしい報告を受け取ったことはないが、普段の会話ではこんなに言葉を濁すことなどない。どこかのぼんくら貴族がお忍びでやってきたか? それとも帝星立入禁止になった王子様でも? いや立入禁止を食らった王子様は腐ってもテルロバールノル王子だ。こんな格の低い宇宙港に着陸することはないだろう。
「誰なんだ?」
「ケスヴァーンターン公爵殿下搭乗戦艦と」
 ……そりゃあ語尾も小さくなるな。
「誤報ではなくて?」
 俺は言いながら通信室に向かう。向かうといっても、俺がいる小さい責任者室を出るとすぐ目の前が通信室だ。
 連絡を持ってきた部下同様、総員五名が慌てふためいている。
「落ちつけ」
 自分に言い聞かせるようにして、俺は通信操作卓の前に座り再度通信を試みる。モニターに映し出されているのは間違いなくケスヴァーンターン公爵殿下が搭乗しているであろう、ダーク=ダーマと同型・色違いの戦艦。
 四大公爵の旗艦の操作を間違った部下は死罪は免れないだろうと考えながら”ここは殿下が着陸するような宇宙港ではありあません”と責任者の名で通信を返す。
 だが彼らは、
『間違ってはいない』
 はっきりと言い返した。なにをしようとしているのかは分からないが、ここに着陸するつもりならば仕方がない。俺は管理者室へと戻り、この部署では一生袖を通すことはないだろうと思っていた中佐の正装をし、ケスヴァーンターン公爵殿下を出迎える為に港へと出た。
 いつも陽射しと風雨に晒され、誰も降りてくることはなかった、すっかりと色褪せ本来の目的など、とうに忘れ果てた港に降りてくる鮮やかな緑色の戦艦。
 俺は着陸を見守り降りてくるであろう場所に走らず、だが急いで近付き、敬礼をする。
 降りてこられたのは、間違いなくケスヴァーンターン公爵殿下。陽射しに照らされた黄金に輝く長髪と、人の物とは思えぬ白い肌。人間を極限まで美しくしたその完成形。
 公爵殿下は両手を広げ風を受けながら、自らの足でタラップを降りられる。高い襟が特徴のケシュマリスタの軍服が非常にお似合いだ。
 話しかけられることはないと ―― 公爵殿下は足を止められて俺の顎を掴み顔を上げさせる。手袋に隠されている指だが、その形の良さにぞっとした。

「やあ、王子様」

 意味が分からなかったが聞き返すわけにもいかず、しばらく ―― もしかしたらほんの僅かだったのかもしれないが、俺には随分と長い時間に感じられた。
 公爵殿下は俺の顎を自由にして、また両手を広げて第三十八宇宙港を出ていった。その後艦長が下船してきて、わざわざ俺に挨拶をし、停泊計画書を手渡してから戦艦へと戻った。
 俺は管理室へと戻り指示を出す。
「とくに何も必要はないそうだ」
 足りない物資などがあれば用意をするのが宇宙港の職員の仕事だが、この使われない宇宙港の期限切れ寸前の物資など、四大公爵の旗艦が必要とするはずはない。
 俺は停泊計画書にざっと目を通して部下たちに渡す。
 停泊予定は六十三時間。大雑把に二日半といったところだ。部下たちは初めて見る紙の書類に興味深々だ。
「計画書を打ち込んでおくように。その後は自由に書類を見たり触ったりしていいぞ。俺は昼食に行ってくる。何かあったらすぐに連絡をくれ」
 書類は俺が保管することになるから、ある程度好きにさせても良い

―― 紙の報告書を保管するケースを、備品管理課に提出しなけりゃならないな

 公爵殿下の船が停泊している以上、いつもの簡素な格好はできないだろうと、正装のまま港を出た。
 昼食は大宮殿内にある軍人用食堂で取っている。昼食だけではなく、朝食と夕食もほぼここだ。独身のあまり冴えない軍人は、だいたい軍の食堂で取る。
 こんな所に正装でやってくる奴はいない。だから俺は非常に目立った。だが目立ったのはそれだけではないようだ。
「ゾローデ。正装してるってことは、噂は本当か」
「噂が広まるのは早いな、ウエルダ」
 トレイを持ち好みの料理が乗っている皿を幾つか取り席に着く。俺が取ったのはいつも通り六枚切りの食パン二枚と鶏の胸肉のクリーム煮。ウエルダの昼食もいつもと変わらず豚ロースのソテーと八枚切りの食パン三枚。
 向かい側に座ったウエルダがさっきの状況を聞いてくる。
 守秘義務があるような任務じゃないから語るのは構わない。普通情報の共有は必要なことだ。
「お美しかったよ。あんなに間近で拝するお姿じゃないけどな。美し過ぎて心臓が止まるかとおもった。呼吸は確実に止まったな」
「お姿は拝したことあるだろ」
 俺は帝国上級士官学校卒だから……まったく重要ではない任務に就いているが、これでも一応エリート校卒だから、入学と卒業の際に陛下と四大公爵を間近に見ることができた。
 ほとんどの生徒はそれ以外でも見ることは出来る立場の生まれだったが。
「そうじゃなくて、こう……顎を掴まれてな」
 顎を上げて自分の指をそえてみる。
「それって」
 食べ終えたフォークを皿におきながら、ウエルダが目を見開いて眉間に皺を寄せる。相変わらず表情が豊かだな ―― その表情を作らせた俺が言うのもおかしいが。
 ウエルダが心配しているのは、ケスヴァーンターン公爵殿下の性癖だ。あの方は同性愛者で、三十二歳になるが結婚歴なし。
 婚約者はいらっしゃるが、理由をつけて引き延ばしているのは有名だ。
 同性愛者は理由ではない。後継者が結婚したら、自分は結婚すると公表されており、これには婚約者側も納得していた。
 ……で、ウエルダが俺のことを心配してくれたのは、俺自身は感じたことはないのだが、俺は容姿が中々に良いらしい。華やかな顔などではない、むしろ顔はそうでもない。いや崩れてはいないが、俺が思っている以上に全体のバランスがいいそうだ。頭の鉄片から足の先までのバランスがすごく良いと言われる。
 そして公爵殿下は見目が良い男をお好みだとか。美しいのではなく、見目が良いもの。美しいが基準になると、ご本人以上は帝国に存在しないのだから当然かもしれない。ウエルダは俺がその基準んい当てはまっているのではないかと心配してくれたようだが、そんなことはないだろう。
 帝国上級士官学校時代、俺の周囲には俺よりもずっと姿形がいい生徒が多数いた。俺が選ばれるのなら、彼らはすでに選ばれていなければならない。
「血筋的な問題じゃないか」
「それを言われるとな」
 たしかに俺は帝国では最下層に位置する。母親が奴隷ということもあるが、私生児ってところが帝国では奴隷以下だ。
 食堂入り口から静けさが伝播してくる。入り口が見える位置に座り、なにかを目撃し驚いているウエルダの視線の先を俺も振り返り追った。
 いたのは多数の部下を連れたガルトロデア大将。陛下の側近のお一人だ。食堂はどのような階級であっても軍人ならば使用できるが、陛下の大将閣下がわざわざ食事のためだけにやってくるとは考えられない。
 ならば誰に用事があるのか?
 部下たちを入り口におき、まっすぐこちらに向かってくるところを見ると、どうやら俺に用があるらしい。
 俺の配属先とガルトロデア大将の管轄は直接は関係していない。軍という大きな括りで見れば、誰もが関係しているが。
「ゾローデ・ビフォルト・ベロニア中佐」
「はい」
「陛下がお呼びだ。ついてきて頂きたい」
「はい」
 他人ごとにしか聞こえない用件に返事をし、俺は立ち上がりウエルダに食器の後片付けを頼んでガルトロデア大将に付き従った。

 初めて見た謁見の間は圧巻だった……いま見ているのは謁見の間前の扉だが。
 何故か謁見の間前には、俺の父と正妻の子である兄、俺を婿に迎える予定だったテレーデアリア嬢とその父親がいた。
 彼らも呼び出された理由は分からないようだ。不安げな表情で互いの表情を見て、無言の中に答えを見つけようとしているが無駄のようだ。
 本当になんの説明もなく謁見の間の扉が開かれ、進むように促される。俺たちは皇帝陛下と謁見できるような身分ではないので、礼儀作法など知らない。
 帝国上級士官学校出の俺が辛うじて知っているくらい。あまり真面目に聞かなかったのは、一生縁がないことだと考えていたからだ。俺はその当時の自分に悪態をつきながら、全員の前へと出て、
「俺の動きに合わせて」
 囁いて歩き出した。
 後ろから見る動きだけでどれ程のことができるかは分からないが、停止位置を越えたりするような処刑物の失敗は避けられるだろう。
 黄金の道の先にある白亜のアーチ天井を背にし玉座に座られるエルタバゼール陛下。その右隣に立たれている、深い紫色の布らしき物を抱えているケスヴァーンターン公爵殿下。そう言えば正装のまま出かけて良かった ―― そんなことを考えながら、足を止めて膝を折り頭を床につく程に下げる。床を飾る黄金に映された自分の表情は……いつもと変わらなかった。
 俺の後ろをついてきた全員が膝を折り頭を下げたところで、聞き覚えのあるお声が ――
「時間がないので用件のみを言おう。ゾローデ・ビフォルト・ベロニアの婚約はなかったことにする」
 俺の運命はそれを受け止める当人の頭上をするりと抜けていった。拒否することのできない運命に足を絡め取られると覚悟する。
 前方から人が近付き俺の目の前で止まった。黄金に映し出された鮮やかな緑。手が伸びてきて、降りてこられた時のように顎を掴まれる。
「立って」
 出来る限り音を立てずに立ち上がり、間近で見ると苦しくなるほどの美貌が前に。そして公爵殿下は言われた。
「君はケシュマリスタ王太子の婿になるんだ。分かったね、ゾローデ」

―― 公爵殿下の愛人の一人に選ばれたほうがマシじゃないか

 最初にそう思ったが……最早決定事項だ。俺が何かすることなどできる筈もない。公爵殿下は持っていた布を広げた。深紫の厚手の布に薄手の黒い布が巻き込まれていた。
 布は形からマントであることは分かった。黒い薄手の布は己の爵位をあわすためにマントの上に羽織るものだ……が、爵位を直接表す紋はなかった。ただ四つの文字でモノグラムが描かれていた。これは皇族爵位を表す筈だ。どの皇帝の名を頂いたのかは「皇帝名」と「第一名」の頭文字で表すことになっているので、誰の名を貰ったのかはわかった。残りの二つのうち一つはそして俺の名は「ゾローデ」のみ。だが最後の一つは分からない ―― これは一体何を意味するものだ?
「ゾローデよ。それは余からの結婚祝い”皇族爵位”だ。余が贈らねば他の者たちは誰もそなたに贈り物ができぬのでな」
 皇帝陛下がそのように言われ、公爵殿下自ら俺にマントを装着させてくれる。
「ヴィオーヴ侯爵位、軍人であるそなたには相応しかろう」
 ヴィオーヴ帝はたしかに軍人ではあった。母であった<軍妃>の才能を受け継ぎ、俺など比べものにならない程に才能が溢れていたお方だが。
「その深紫色は余の偉大なる伯父上陛下のものだ。孫の婿には絶対に”それを”と言われて。宇宙でただ二人のみ、ケシュマリスタ王太子の婿には相応しかろう」
 ”ケシュマリスタ王太子の婿”には相応しいでしょうが、俺に相応しいかどうかは分かりません。
「余にそのマントを見せてくれぬか」
 皇帝陛下には背を見せるものではないと習うのだが、陛下がお望みとなれば仕方ないだろう。俺は背を向けてマントの両端を持ち両手を広げる。
「似合っておるぞ、ヴィオーヴ侯爵ゾローデ」

 陛下が玉座から去られ、俺たちも退出した。
「君たちはそっち」
 公爵殿下もご一緒に。親たちは別室へと案内され、俺はというと ――
「今日はおしまい」
 お美しいお顔に悪戯を達成し満足した子供のような無邪気さをたたえ、そのように言われた。
「では持ち場へと戻ります」
「……」
 公爵殿下は首を傾げられ、
「君で正解だったよ」
 危うく脆いような雰囲気が一転し、鮮やかで憂いない笑顔が広がった。豪奢な大宮殿が色褪せるほどに美しく……なぜか懐かしさを感じた。このお方の笑顔に懐かしさを感じるはずなどないのに。

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