【最終話】
 結婚式典の最中にカレンティンシスと「ロガの称号について」の面談を終えたシュスタークは、エーダリロクを連れて謁見の間へと向かった。
 人払いをして二人きりになり、謁見する王が膝をつく場所で足を止めて自らが座り続けている玉座を見上げる。
 そして今居る場所は、ザロナティオンがラバティアーニを殺害した場所。
 人間の目では”果て”が見えない程の高さの天井からゆったりと垂らされている布はもちろん、床は張り直され痕跡というものはなに一つ残っていない。
 帝国において両性具有は死ねば粉砕され、その肉片を専用の処理場へと投げ捨てるのが”慣わし”
 弔われることもなく、死の痕跡も生きていた形跡も残されることはない。
 ラバティアーニはザロナティオンに喰われて消え去ったのだが、彼女はザロナティオンの身体の片隅に残り、皇帝として葬られた男と共に棺に収められた。
 たしかに痕跡はなく、誰もそこにラバティアーニがいる等とは考えていないが、彼であり彼女であるラバティアーニは残った。

―― それもザロナティオンに喰われたことを感謝した理由の一つなのかもしれない

 自分の記憶の海深くに消えたラバティアーニに、シュスタークはもう尋ねることは出来ない。だが聞けたとしたら、答えて欲しかった質問であった。
 シュスタークは自らの手でザウディンダルを処分しなくてはならないと考えると、陳腐に表現すれば”気が重くなる”
 だからと言ってデウデシオンや他の兄弟に任せようと考えることはない。
 最後だけは自分で片付けなくてはならないと思っている。
 シュスタークが退位しないのは、ザウディンダルのことも関係している。シュスタークは寿命を削ったこともあるが、ザウディンダルとは一歳違い。
 後継者にザウディンダルを処理させたくはないと考えて。これ一つだけが玉座に留まる理由ではないが、理由の一つではあった。
「エーダリロク」
「はい」
「余の嘘は完璧であったか?」
「は?」
「余はなんとなく思ってはいたが、確証など一つもなく信じきれておれなかった。そうザウディンダルのことを巴旦杏の塔で知った時と同じように」
「……さすが陛下。ヴェッティンスィアーンの血を引くお方だ。完璧でしたよ、この俺も騙されましたとも」
「そうか。エーダリロクを誤魔化せたのであれば良かろう」
「ですがカルニスは解りませんよ」
「カルニスタミアは良い。いずれ何らかの切欠で知れてしまうであろうからな」
「然様ですか」
 だが死後肉片にして溶解液に捨てることを止めさせることはできなかった。
 《なぜ捨てているのか?》それがシュスタークには解らないためだ。この理由について、正しく知っているものは、現在の帝国には存在しない。
 ディブレシアの暗示から解放されたシュスタークはその理由を神殿に尋ねてみようと思ってはいるものの、足を向けられないでいた。
 結婚式典の一つの、神殿に入るという儀式はある。だが挙式の合間に訪れ聞くのは避けたかった。神殿には正配偶者を連れて入るのだ。普通は全てを知っている王女や王子、親王大公や大公なのだがシュスタークの場合はロガ。
 僭主との交戦で異形を見たロガに隠さず全てを教えることを決めたシュスタークだが、それとこれに関しては別。
 デウデシオンから最深部に存在していた自らのクローンが《なぜか》現れ、アシュレートが戦い葬ったとの報告を受けたことも、深くまで行きたくはないという思いを募らせる。
 《自分》が居なくなったのだ。神殿に指示を出せるのは現皇帝シュスタークと、エーダリロクしかいない。だがエーダリロクが犯人ではないことは、己もそしてデウデシオンも認めている。

 ならば犯人は誰なのか?

 シュスタークに深い暗示をかけたディブレシア。
 その暗示のせいで、シュスタークは最深部のクローンが入り歴代皇帝順に並んでいるシリンダーの「一箇所」を見ることができないでいた。
 初陣前にエーダリロクを連れて確認した自らのクローンの隣。

―― 余の両隣は空であった

 シュスタークの片側が空なのは次ぎの皇帝が生まれていないのだから当然だが、もう片側は自殺した先代皇帝のクローンがまだ生きて眠っているはず。だがシュスタークは、それを見た記憶はない。
 幼い頃は持っていた母親に対する思慕。
 隣にまだ生きている母親のクローンがあるのならば、目覚めさせ”普通の母親”として傍におき過ごせるのではないかと思いながら行動には移さなかった。それは明確な意志ではなく、そこに存在しないことを知っていながら認識できなかった為。
 まだシュスタークはディブレシアを恐れている。
 だが越えられる気持ちも芽生えてきた。もうすぐ真実を知るために奥深くへと進むことが出来る自信もあった。

―― もしも両性具有を処分する理由がなければ、せめて肉片にすることは止めさせるように努力しよう

 様々な謎に直面し、まだ解けぬ疑問の中、シュスタークはラバティアーニの言葉を伝えるために、ここへエーダリロクを連れてきた。
「エーダリロク」
「はい」
「帝王に話があるのだが」
「畏まりました」
「……もしかしたら、帝王が壊れるかも知れんが」
「構いませんよ。どうぞお話ください」
「ではまた後で」
「はい」

 エーダリロクは目を閉じる。深い足も届かぬ冷たい海で空を見上げる。星一つ見えない、銀の月が照らす夜空を。

「シュスターシュスターク」
「確認するがザロナティオンだな?」
「そうだ」
「そうか。では伝えたいことがある。ラバティアーニからの伝言だ”うらんでいない”そして”愛している。殺されたことは恨んでなんていない。むしろ望んでいた”そうだ」
 シュスタークはやや早口で、ザロナティオンが口を挟む前に言いきった。
「……」
「確かに伝えたぞ、ザロナティオン」
 質問してくるだろうと長い指を握り絞めて待つ。
「……何故、消えた。お前が奴隷皇后以外を愛さないと言った後、あの両性具有が言った、あの言葉の意味を!」


うん。あのな陛下が二人きりになったときに教えてくださったんだが、確かに陛下の中の《帝王》を封じていたのは俺っていうか両性具有の存在だったらしいが……帝王は両性具有と離れたから、もう俺じゃあ駄目なんだってさ。意味は良く解らないけれども、陛下はそのように言われたよ。陛下の中の帝王は銀の月に向かって飛び立ったそうだ、両性具有は自ら望んで冷たい海に残ったと


「ラードルストルバイアのことか?」
 ザロナティオンの質問は、シュスタークに取って意外なものであった。てっきりラバティアーニやビシュミエラのことを聞かれるとばかり考えていたのに、まさかラードルストルバイアのことを聞かれるなどとは思ってもいなかった。
「そうだ。ロランデルベイは何故に消えた」
「解らぬ」

―― お前、意外と鋭いじゃねえか ――

「起こしてくれ!」
 シュスタークの両肩を掴み、エーダリロクとはまるで違う表情で叫ぶ。
「無理だ。あれは自らの意志で意識を閉じた。余ごときが起こせるような相手ではない」
 白に銀糸で刺繍が施されている布を指先が引き裂き、滅多なことでは軋むことのないシュスタークの肩の骨が悲鳴を上げる。
「起こせ! 起こして、もう一度! もう一度だけ!」
 突然声が高くなる。高い声で有名なキュラのような声で叫びながらシュスタークの身体を揺する。
「済まぬな」
 ザロナティオンが話しかけているのはシュスタークではなく、奧に潜んでいるはずの兄。
「ロランデルベイ! お前が! お前が!」

―― シャロセルテ。面白い記録を見つけた。帝国が崩壊した理由だ

「お前が私に! 私に!」

―― これでも人間を助けるか?

「お前が私に帝后の存在を教えた、教えたお前が……お前が! どうしてだ!」
 力の抜けたザロナティオンの手首を掴み、そっと自分の肩から外す。
「シュスターシュスターク」
「なんだ? ザロナティオン」
「ラバティアーニの言葉、もう一度言ってくれぬか」
「解った」
 シュスタークは息を吸い込み、脳内に響き渡った声を手繰り寄せてラバティアーニの言葉を再度発した。

[”うらんでいない””愛している。殺されたことは恨んでなんていない。むしろ望んでいた”]

 言葉を発したシュスタークも驚き、自らの首に強く触れる。
 声が自分の物ではなかったのだ。頭に響いた声と同じ声が、再生された。
 シュスターク眼球の裏側で逆さのビシュミエラが微笑む。
「ラバティアーニ……ラバティアーニ……あああ! 聞こえているか? 聞こえているんだな……エゴであったが、私はお前が、お前が死後粉々にされて溶かされるのが耐えられなかった。その……伝えたらお前は私を赦してくれることは解っていた」
 ザロナティオンは崩れ落ち、シュスタークに救いを求めるように両手を広げて、やはりその奧にいる存在に叫び続ける。
「だが、だが……私は解っていなかったのだな。言わずともお前は赦してくれていたのだな」

―― お前も話したらどうだ? ビシュミエラ
―― 要らないよ。僕はいいんだ、僕はね

 空の玉座の前で泣き叫ぶ帝王を前に、シュスタークはだた見ていることしかできなかった。

―― 僕は悲しんで、苦しんでいるシャロセルテを見続けることしか出来ない。僕はなんて無力なんだろう

「バオフォウラー、ラバティアーニが赦してくれた。赦して……バオフォウラー」

 喉元まででかかった言葉をビシュミエラはシュスタークの涙に変えて、苦しさに身を震わせて嘆くザロナティオンの前で死者を装った。