帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[201]
『干し草!』
サウダライトは毎日グラディウスの元へと通うことはできない。正妃たちは来て欲しくはないのだがそこは使命なので「くんな!」とも言えな……言っているが、それは言葉上の問題で実際は「通い」が無ければ問題となる。
それにサウダライトは根っからの女好きなので、折角の後宮の美女を顧みないなどということはない。
むちろんグラディウスの元へ訪れるのが最も楽しいのだが、正妃やら後宮の美女やらを除いても、皇帝主催の食事会を開き皇王族たちの話を聞いてやったりするのも仕事で、なかなか足を運ぶことができない。
「一人で寝るのは寂しいけど……でも平気だよ! あてし、もう大人! 家を出て一人で仕事しているから大人!」
独り寝が寂しいと少女に言われると、サウダライトの脳裏には平凡に「縫いぐるみ」が思い浮かび、
「おっさんの代わりに、なにかを抱き締めて寝るのはどうだろう?」
提案してみた。
最初は手袋(ケーリッヒリラ子爵作硝子ケース付き)を抱き締める! とグラディウスが言ったものの、硝子ケースの上にのしかかるようにして眠っている姿は非常に苦しげ。
硝子ケースの性能は完璧なので、怪我などの心配はないが、胸の圧迫はどうすることもできない。
その後色々とサウダライトが尋ねた結果 ――
「おっさん! ありがとう!」
肌触りのよい分厚いガーゼ布で袋を作り、中に干し草を詰めたものを抱き締めて眠ることになった。
「こんなにたくさんの干し草! おっさん、本当にありがとう!」
グラディウスが故郷では床に僅かながら干し草を敷いて寝るのが普通。干し草が詰まった袋が部屋の隅にあり、それに飛び込んだときの感触といったら――村で経験出来る最高の寝心地。
「あ、うん。でも、もっと豪華なの……」
返事はグラディウスらしくて楽しかった。グラディウスが好むものは然程高額ではない……それらは解っているのだが、袋に詰めた干し草であれ程喜ばれると、サウダライトとしては嬉しい反面、何とも言えない気持ちになる。
要はもっと贅沢をさせてやりたい――なのだが。
「グレス」
「おじ様? どうしたの」
「陛下から特別に、おっきな干し草が入った袋だ。遊んでいいぞ」
袋に干し草を詰めたのはケーリッヒリラ子爵。寵妃の一人寝のお伴となる干し草袋。故に警備の現場責任者が責任を持って詰めた。
その姿を見ていた普通の警備たちは”手先が器用だから、なんでも出来るんだな”と感動したほど。ケーリッヒリラ子爵は確かに手先は器用だが、干し草の袋詰めは学生時代に経験したことがある。
彼が通っていたのは最高の軍事学校であって農業学校ではない……と言いたい所だが、前線には食糧生産コロニーも伴うので、指揮官は食糧生産の全てを網羅しておかねばならず、あの学校は漏れなく実技のため、子爵は初めて巨大なフォークで干し草を馬車の荷台に積み上げる作業をした。当然のことながら授業なので採点され、完璧な首席はその実技でも完璧であった。
ケーリッヒリラ子爵は首席には遠く及ばなかったが、生来の手先の器用さでかなりの高得点をはじき出した。長い袋に一杯に詰まった干し草。機械では決して再現できな手作業の柔らかさ。熟練工の技にしか思えない均一さ。
「うわああ! すごい!」
グラディウスは干し草の詰まった袋にぶつかっては、はじき返されて大喜びする。
―― 人生なにが役立つか解らないものだなあ
サウダライトと一緒に干し草の詰まった袋に跨るグラディウスを見ながら、ケーリッヒリラ子爵は最近起こった出来事を思い出ししみじみと感じ入っていた。
ケーリッヒリラ子爵はエヴェドリット属なので、固有の武器としてデスサイズ(巨大鎌)を所持している。戦闘用の武器として使用するそれだが、子爵はほとんど使用せず、規定の本数を破壊して「壊しました」と書類を付けて実家に送り返す。
毎年武器は破壊しなくてはならないのが、エヴェドリット貴族としての嗜み。
武器はどこか人目に付かないところにしまっておくものではなく、いついかなる時でも直ぐに持ち出せるようにしておかなくてはならない。
寵妃の警備となったのだから、当然武器は手元に置く必要がある。だが刃渡りが140cm以上あるような危険な武器をそこら辺に置いておくわけにも行かない。
グラディウスに怪我をさせないよう、尚かつ自分は簡単に武器を取り出せるよう ―― ということを考えて精通している硝子を用いて保管ケースを作った。
人間には破壊できない、取り出し口のないケースを作りその中に収めた。人間が多少ぶつかっても割れず、潰れる程激突してもひびが入ることすらない。
だがケーリッヒリラ子爵の拳なら直ぐに割れる、そのような強度を持つ硝子で囲い壁に貼りつけた。
遊びにきたグラディウスは巨大な鎌を見て、
「これ、草むしりするの!」
草むしり用の鎌と勘違いした。きらきらとした藍色の眼差しを受けて、
「まあ、そんなもんだ」
武器と説明しても解らないだろうし、下手に恐がらせないほうが良いだろうと、まだ大量にあるデスサイズを自宅から二本ほど持ち込み、グラディウスと一緒に巴旦杏の塔側の草むしりに精を出した。
その際にデスサイズをブーメランのように使い、高い木の枝をうった所、グラディウスと塔の中から見ていたリュバリエリュシュスにとても感動されてしまう。
「おじ様すごい!」
少々照れを感じながらも、そんなに喜んでもらえるのなら――と、かなり”実家では叱られるような”技を披露した。
グラディウスがおじ様を見る眼差しが変わった。それは決して男性としてではなく、自分が知っている技術に優れている人に対する尊敬である。
袋に跨って遊んでいたサウダライトは、迎えにやってきた息子ザイオンレヴィと共に仕事へと戻り、そしてケーリッヒリラ子爵も仕事へと戻る。
子爵の仕事は館近くに運んだ干し草を荷台に戻して運ぶという、警備にあるまじき仕事だが、
「あてしもお手伝いする!」
「そうか。じゃあ頼むが。怪我するなよ」
「うん!」
グラディウスがご機嫌なので、仕事と言えば仕事である。
「おじ様は農場で働いていたことあるの?」
ケーリッヒリラ子爵の素晴らしい動きに、グラディウスは驚き手が止まり思わず”そう”尋ねた。
「農場で働いていたことはないが、農場は持っている」
”それと軍事学校で実習があった”は除いた。
話が通じないだろうと判断して。別にグラディウスだから……ではなく、一般人に話してもほとんど通じない。なにせ彼が通った学校は帝国軍将校を育成するエリート学校。人々の考える物と大きく隔たりがあることを子爵は良く知っていた。
「おじ様、のうじょうぬしさんなんだ! すごい!」
農場主と言えばグラディウスから見ると、とても偉い人である。
グラディウスと一緒に干し草袋に跨っていたサウダライトは農場主よりも偉いのだが、グラディウスにはよく解らない。
「そんなに偉いって程ではないが」
”のうじょうぬし・おじ様”を見つめるグラディウスの眼差しは尊敬に満ちていた。
「グレス」
外での作業(グラディウスはしなくても良いのだが)を続けていると、勉強の為にイレスルキュランがやって来た。
あの「胸が大きい人は馬鹿」以来、いろいろと手回しをして、最近ルサ男爵を講師としてグラディウスと共に勉強に励んでいるのだ。
「お、おっぱいさま」
イレスルキュランはルサ男爵よりも頭は良く、何でも知っているが……グラディウスと一緒に真面目に授業を聞いていた。
「ここはもういいぞ、グレス。イレスルキュラン殿下とお勉強してこい」
「はい。お、おじ様も無理しないでね。勉強が終わったら、あてし手伝うから」
「おう」
グラディウスを送り出しイレスルキュランに軽く頭を下げて、子爵は作業を続け、ある程度の所で放置して”グラディウスに最後に手伝って貰う”形にしてその場を後にした。
イレスルキュランが来た日の勉強時間は非常に短い。
「今日はこれで終わりです」
「ルサお兄さん、ありがとうございます!」
「いえいえ」
「ルサ。楽しかったぞ」
「ありがたきお言葉」
勉強が終わるとグラディウスは、必死にイレスルキュランに話しかける。
「庭に、おおきな袋あるの!」
グラディウスはおっさんからの贈り物である干し草袋を是非とも見せたいと、イレスルキュランの手を引く。
「それは楽しみだな」
「おじ様が作ってくれたの!」
「ケーリッヒリラか。あいつは器用だからな」
「おっぱいさまも知ってるんだ!」
「もちろん。あいつは本当に器用だから……ほう! これか」
庭につながる窓から表へと出た先に移動させられていた袋。
「これね、こうやって跨って……」
別に跨る用に用意したわけではないのだが、グラディウスが跨って楽しかったのだとしたらサウダライトとしては満足である。
「どれどれ、私も跨ってみようか」
イレスルキュランは長く、そして形の良い足で袋に跨る。その前で短い足で必死に跨っていたグラディウスがぷるぷると震え、そしてべちょりと転がり落ちた。
子爵は袋に跨ると思ってなどいなかったので、グラディウスの股下には辛い大きさの干し草袋を作製してしまったのだ。
「大丈夫か? グレス」
「平気。すてきでしょ! この干し草の袋」
何がどのように素敵なのか? イレスルキュランには……すぐに解った。グラディウスを笑顔にするアイテムなのだから、とても素敵であることは彼女も文句なしに認めることができる。
「ああ。いいな。さ、また一緒に跨るか……おい、ケーリッヒリラ、手伝え」
「畏まりました」
こうして二人は干し草袋に跨り、偶に子爵が引っぱって移動させたりして、地味ながらとても楽しい時間を過ごした ――
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