帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[188]
「ねえ、陛下」
「……」
 ケシュマリスタ貴族や近衛兵を並べた謁見の間で、玉座に腰を下ろしているサウダライト。その玉座の隣に立っているマルティルディが、サウダライトに何度も『陛下』と呼びかける。
「陛下」
「……」
 集められたケシュマリスタ貴族たちは――ダグリオライゼのやつ、なにをしてマルティルディ様を怒らせたのだ?――と思いながら黙っていた。
 サウダライトの”マルティルディに対する”失態を補佐できるケシュマリスタ貴族はいない。そのケシュマリスタ貴族の反対側に立っている近衛兵たちはというと……気にしていなかった。
「陛下、ねえ陛下。シュスター・サウダライト」
「は……はあ」
 マルティルディに「皇帝陛下」と呼びかけられるという精神攻撃。近衛兵は物理攻撃を阻止しても、精神攻撃は阻止しない。
 正確には阻止するのだが、彼らの精神は宇宙でも群を抜く図太さで、普通の人が精神攻撃だと思うようなことでも、彼らの認識では精神攻撃にはならず……見過ごされてしまう。
 とくにサウダライトは精神の図太さはケシュマリスタ随一。その為、近衛兵たちはまったく心配していなかった。

―― そういうの、ご褒美と感じる人もいますしね(ゾフィアーネ大公談) ――

 散々マルティルディに皇帝陛下呼ばわりされて精神的に疲れたサウダライトが解放され、並べられていたケシュマリスタ貴族たちも解放される。
「ダグリオライゼのやつ、一体なにをしでかしたんだ」
「分からん。だがあいつ、そんなにヘマしないはずなんだが」
「あれじゃないか?」
「なんだ」
「勿体ぶらずに言えよ」
「テルロバールノルの王女様が、マルティルディ様の玩具で遊ぶと言い張って、ついにダグリオライゼも認めたとか」
「マルティルディ様の玩具……ザイオンレヴィで?」
「気位高くプライド高く、ケシュマリスタを見下すあの御方がか?」
「違う、違う。ザイオンレヴィじゃなくて、最近サウダライトが囲った寵妃」
「ああ! もさもさした生き物と評判の」
 ケシュマリスタ貴族たちはそんな話をしながら、謁見の間から去った。

 近衛兵たちは特に話すこともなく、各自の持ち場に戻る。
 謁見の間に残ったサウダライトとマルティルディ。
「ダグリオライゼ」
「はい! マルティルディ様」
 いつものように名で呼ばれ、大喜びで玉座から降り、その前でマルティルディに土下座して返事をするサウダライト。
「いい返事だね」
「もちろんですとも!」
 マルティルディはポケットから指輪を取りだし、
「僕から君へのプレゼント」
 握っていた手を開き無造作に落下させる。サウダライトは頭を上げて受け止め、手を掲げたまま再び頭を下げる。
「ありがたき幸せ」
「君の幸せはどうでもいいいんだ。それ、僕からのプレゼントだって言ってあの子に見せてやるんだよ」
「畏まりました」
 サウダライトに贈られたのはグラディウスの瞳色の石が嵌められた指輪。
「最初さ、リュバリエリュシュスのプレゼント用に加工させようと思ったんだけど、よく考えなくても、あいつがあの子の瞳色の石を見て、幸せな気持ちになるなんて嫌だからやめた」
「私はよろしいのでしょうか?」
「いいよ。ただし、女を愛撫するときは外せよ」
「マルティルディ様からいただいた指輪を嵌めたままそのようなことは致しません」
「そう」
 マルティルディが自分のなにに腹を立ててこのようなことをしたのか? サウダライトは尋ねはしなかった。
 なにか腹立たしく感じることがあったのだろうと――理由を知らなくても、納得はできる。それがサウダライトである。

 こうして午前中、元同じ立場、現在は部下のケシュマリスタ貴族たちと、自分の身を物理的には守ってくれる近衛兵の前で散々マルティルディに責められたサウダライト。彼の今日の仕事は責められるだけで終わり。
 昼にはグラディウスの元に帰り、

「ただいま、グレス」
「お帰りおっさん! お昼ご飯!」
 昼食をグラディウスと一緒に取り、リュバリエリュシュスへのプレゼントを持って巴旦杏の塔へと向かうことになっていた。
 驢馬車に揺られ、
「エリュシ様喜ぶよね」
「そうだね」
「おっさんがほぇほぇでぃ様から貰った指輪、綺麗だね」
「ああ。グレスの瞳色の石が嵌められた指輪だよ。おっさん、本当に嬉しいよ。いつもグレスと一緒にいられるみたいで。もちろん指輪よりも本当のグレスと一緒にいられるほうが嬉しいけどね」
 そう言いグラディウスにキスをする。
「おっさん! ……あてしも、一緒にいられると嬉しい」
 間延びしたような笑顔を浮かべ、真っ直ぐにグラディウスも答えた。

 巴旦杏の塔に近付くと、歌が聞こえてくる。グラディウスのことを詠った詩。また途中で歌詞も確りとは決まっていないが『藍色の瞳の少女』というフレーズは随所に入っている。

「エリュシ様!」
「グレス」
 プレゼントを持ったグラディウスが驢馬車を降り、巴旦杏の塔へと駆け寄ってそれを見せる。
「エリュシ様。これ、ほぇほぇでぃ様からエリュシ様へのプレゼントなの!」
「ほぇほぇでぃ様……」
 グラディウスの後をついてきたサウダライトが、一応説明をした。
「ケシュマリスタの王太子殿下です」
「は、はい。存じ上げております」
「おっさん! エリュシ様に渡してあげて!」
 巴旦杏の塔は皇帝以外の立入を阻む。窓越しに物を渡せるのは皇帝サウダライトのみ。
 グラディウスから小箱を受け取り、両手で包み込んで、塔内に侵入できるよう準備を整えて、大事なお願いをする
「リュバリエリュシュス様」
「は、はい」
 両性具有である自分のことを様付けで呼ぶ皇帝――
 リュバリエリュシュスは慣れず、様など付けないで呼んで欲しいと思うのだが、皇帝に意見するという意識がないので、慣れないまま黙って呼ばれていた。
「いつもは私めが膝をつき、受け取っていただいておりますが、本日はマルティルディ様からの贈り物ですので、リュバリエリュシュス様、膝を折って拝する形で受け取ってください」
「拝する形?」
「両手を合わせて、手のひらを上に向けるようにしていただければ」
 サウダライトはグラディウスに頼まれ、小物や花などをリュバリエリュシュスに渡すのだが、その際はいつも自分が膝を折って、掲げるようにして渡していた。
 いつもの品はそれで良いのだが、マルティルディからの品となれば別。マルティルディが見ている、見ていないなどサウダライトには関係ない。
 リュバリエリュシュスを様付けで呼ぶほどケシュマリスタ王家に忠誠を誓っている彼にとって、マルティルディからの品を受け取る際に膝を折る、それは当然のことであった。
 言われた通りにし、箱を受け取ったリュバリエリュシュスは、箱の中身に興味深々のグラディウスの顔を見ながら、細いリボンで飾られた箱を開く。
 中から出て来たのは小振りな真珠と紅玉が交互につなげられた、被って装着するタイプのネックレス。
「その赤い色はランチェンドルティス様のお家の色で、真珠はエリュカディレイス様が大好きな宝石でした」
「まあ……」
「エリュシ様、良かったね!」
 ネックレスで飾られたリュバリエリュシュスは確かに美しかったが、デザインする際にマルティルディがモデルになったため、彼女にはやや輝きが強すぎる ―― サウダライトにはそう見えた。

※ ※ ※ ※ ※


「お掃除、お掃除」
 グラディウスはサウダライトからの指示で、巴旦杏の塔前の家の掃除を一人で行っていた。遊ぶ約束をしておきながら、マルティルディに先を越されて、怒り心頭になったルグリラド。実家の父親(テルロバールノル王)をど突きまわし、実兄(テルロバールノル王太子)にも怒鳴りまくり、その惨状を背に、わりと有能な従姉妹の側近(メディオン)が必死に調整し「グラディウスと二人きりでお泊まり」を勝ち取り、やっとルグリラドの怒りが収まった。
 周囲に人がいないほうがルグリラドも素直になれるだろうと、彼女の性質をよく知る側近が考え、遊ぶ場所を巴旦杏の塔前の家い設定したのだ。
 そこで遊ぶことをサウダライトは拒否しなかったが、
「これも、これも、全部驢馬のお家!」
 見つかるとまずいものが多々ある(例・アナルビーズ)
 ルグリラドに楽しんでもらうためには、それらを片付けておく必要がある……ので、グラディウスに、

―― 箱につめて、驢馬の家の棚の上の扉を開けたところにしまっておいてね ――

 そのように指示を出した。
 グラディウスは疑うことを知らないので、サウダライトに言われた通り、渡された箱にそれらの品を詰め込み、驢馬の家へと運び込む。
 上手に詰められなかったので上蓋は開いたまま。それを土間に置き、棚の上扉を開くために椅子を取り家へと一度戻った。
 箱の中身を見た驢馬は、サウダライトがなにをしているのかを理解したのだが、彼は驢馬なのでなにを言う事も出来ない。
 椅子を運び込み、棚に箱を押し込み扉を閉めたグラディウスは、
「またお掃除してくるんだ!」
 椅子をそのままにして戻っていった。
 驢馬はしばらく棚の上扉を眺め、椅子に前脚をのせて首を伸ばして、箱が置かれた扉を開こうとした。
 中身が中身だったので、ルグリラドに知らせたほうが良いのではないか? と考えて、証拠の品を取りだそうとしたのだが、人間ならば簡単だが驢馬であったが為に扉を開くことができず……。
 人間であることを諦めた前歴のある驢馬は、無理と判断し……結構簡単に諦めた。

 驢馬でありながら証拠の品を取りだし、ルグリラドに知らせる――それを最後まで必死にやり遂げる精神力があったなら、彼はここで驢馬になってはいないだろう。彼は彼なのであり、諦めることは彼の彼である証明なのだ。

「睫のおきちゃきちゃまに遊んでもらえる! 楽しみだなあ!」


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