帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[171]
「リニア小母さんの膝あったけえ」
「そう?」
グラディウスはサウダライトが館を後にしてから、ソファーの上でリニアに膝枕をしてもらい、腹を撫でて貰っていた。
昨晩、サウダライトは《好機》に頬を緩ませて、グラディウスの体を堪能した。
その時エンディラン侯爵は、
「なんで私が貴方と同衾しなければ……まったく」
「それは僕も同じ……ごめん、ロメラ……じゃなくてジュラス」
ザイオンレヴィと床を共にしていた。絶対に結婚しないのだが、婚約期間が延びまくってし性交渉も含む期間となり「妊娠したら結婚してくださいね」なる不文律に従う日であり、
「今夜も来てくれたのですか」
「こちらこそ。今宵もお歌を聴かせてもらいに」
ケーリッヒリラ子爵はグラディウスを安心させるために、何より自分自身の感情に抗えずリュバリエリュシュスの元へ。
あとは行為を知っているリニアとルサ男爵。
ルサ男爵は書類の山に囲まれていた。グラディウスの館の維持から召使い達の給与、警備責任者との会談に、グラディウスの教育と。仕事が次から次へと沸いてくる。
本来であれば他にも人を置いて仕事を分散させてやるところなのだが、ザイオンレヴィやケーリッヒリラ子爵が慣れないルサ男爵のために、仕事を手伝うとサウダライトに申し出た際のこと。
「使える男爵であることを証明する必要があるから、今のところはね。許可さえいただけたら、あとは好きなだけ手伝ってあげなさい。私も手伝ってあげるし」
ルサ男爵の《未来》のために二人は引き下がった。
もちろんその様な理由は知らず、なによりも「手伝ってもらう」という事自体知らないルサ男爵は、必死に仕事をこなす。
ルサ男爵は仕事は早くはないが遅くもなく時間内に正確に終わらせる。本人の性格その物と言えばその物。
「男爵様、休憩なさってはいかがでしょうか」
「あ、ありがとう」
休憩という概念もほとんどないので、リニアが頃合いを見計らって軽食を出す。今夜は温かい紅茶、クリームチーズとスライス玉葱とスモークサーモンサンドイッチに焼きたてのプリン。
書類の近くではなく別のテーブルに置き、リニアは向かいに座り一緒に紅茶を口に運ぶ。
「毎日申し訳ありませんね」
「いいえ。男爵様の迷惑でないのでしたら」
「私は……迷惑ではありませんよ。ただ……」
「ただ?」
「寵妃殿に羨ましがられるのが……その、申し訳ないといいますか」
グラディウスはリニアの家庭料理が大好物。
「明日の朝はこれを出すことになってます」
「そうですか。ならば……」
透き通る琥珀の水色から昇る湯気を味わうルサ男爵に、リニアはカップを置き”あること”を尋ねた。
「男爵様、お聞きしたいことがあるのですが」
「なんですか?」
「あの……男爵様が”老人”と呼んでいる方のお名前を教えて欲しいのですが」
ルサ男爵を育てた”老人”は無事に館にやって来たのだが、名前が公表されなかった。”老人”も名乗ることはなく「好きに呼んで下さい」としか言わず、書類は全てルサ男爵が管理しているので、ルサ男爵の方から説明でもない限り”老人”の名は解らない。
二日、三日すればルサ男爵から”お達し”があるだろうと思っていた召使い達だがそれもなく、聞き耳を立ててみても”老人”とルサ男爵の会話に名はない。
”老人”はルサ男爵と同じく、人間の血はほとんど流れていない、狭い世界での交配なので人造人間の血が強く両目の色は違う。
左右の目の色が違う相手に気さくに話かけられるような召使いはおらず、”老人”は極端に小さい世界で生きて来たので「友人の知人の知人が知っている」などという手段は誰も持っておらず、謎のまま。
「……」
「男爵様?」
「済まない。私も知らない」
「あ、そ、そうですか」
二十年以上一緒に過ごしたのだが、ルサ男爵は”老人”の名は知らない。
”老人”は過去のこともあり、名乗るつもりもなかった。
「書類に名前があるかも知れない」
ルサ男爵はソファーから立ち上がり脛をぶつけながら机へと向かう。
「あの、男爵様」
「ちょっと待ってください」
「良かったらお聞きしにいきませんか? まだ起きていらしゃるようですし」
「……そうか、本人から聞けばいいのか」
「はい」
二人は連れだって”老人”の部屋へと向かい、少し話してからルサ男爵の部屋へ三人で戻って来て、新たにリニアが作った温かい軽食をつまみながら、夜遅くまで会話が続いた。
「おっさん……空が白くなってきたあ」
「あ、本当だね」
そしてサウダライトは朝方までグラディウスの体を堪能した。
グラディウスが眠りに落ちて二時間もしない内に、サウダライトは出かける準備を開始する。体を洗わせて着換えて軽い食事をして館を出ようとしていると、
「失礼いたします、陛下」
「どうした? リニア」
リニアが声をかけてきた。
普通の小間使いには許されないことだが、グラディウスの小間使いとしてサウダライトはかなり彼女のことを優遇していた。
「皇帝と話をして良い立場の侍女頭ロメララーララーラ」とあまり進んで、そして好んで話をしたくないということもあるのだが。
「グラディウス殿はお見送りをしたいと」
「え」
「前回、眠ったままで陛下をお見送りできなかったことで悲しまれておりまして。今度は絶対に起こして欲しいと依頼されていたので……陛下のお見送りを是非」
サウダライトは「朝まで好き勝手して御免ね」という気持ちで、見送りがなくても何とも思わないのだが、グラディウスはどうしても見送りたいので、リニアに起こしてくれと頼んでいた。
「そうか。じゃあ起こしてやってくれ。あ、そうそう。今日一日は君が付いていてあげてね」
「はい」
リニアは大急ぎでグラディウスを起こし、手を引いて連れて来る。
「おっさー。いってらー」
寝起きで目が半開きでただでさえ”もはっ”としている顔が、より一層”もはっ”としているグラディウスの頭を撫でて、
「うん、うん。おっさん行ってくるから」
「いってらさい……おっさんだいすき」
「うん、おっさんも大好きだよ」
仕事へと向かった。
館前に到着している、ザイオンレヴィ付きの迎えの車に乗り、今にも眠ってしまいそうな顔のまま手を振るグラディウスに後部座席で身を捩り手を振り返す。
「そろそろ……部屋に戻ったようだな」
車が見えなくなったグラディウスはリニアと共に館へと戻り、サウダライトは前に向き直る。
「……どうしました?」
そして向かい側に座っている警備担当の息子ザイオンレヴィを見て、
―― 私があの子に好かれる理由も曖昧だけれども……ザイオンレヴィがマルティルディ様に好かれる理由は、全く解らないねえ
「なんでもないよ。昨日はロメララーララーラと熱くて冷たい夜をしっかりと過ごしてきたかね」
「……はい」
「そんな顔をするな。親同士が決めた婚約者同士なんて、半数以上がそんなもんだから。お前だって覚えているだろう? 私とラチェレンバルの冷たい夫婦生活を」
「覚えてますけれど」
「もしもお前がロメララーララーラと結婚することがあったら、私たちの夫婦生活よりはマシだと思うよ」
―― ない、とは思うけれどね、お前とロメララーララーラの結婚は。婚期を大きく逃がすことになるロメララーララーラをガルベージュスが貰ってくれることを祈るしか私にはできないね
※ ※ ※ ※ ※
……という事情により、グラディウスはソファーの上でまどろんでいた。
朝方までの行為で腹部にやや鈍痛がある物の、我慢強いグラディウスは黙ってそれに耐え心配したリニアが隣に座り、腰や腹を撫でてくれることに喜びながら。
「リニア小母さん、気持ちいい。優しい手だ」
「そうかしら?」
リニアが作ってきてくれたサンドイッチを頬張り、焼きプリンに顔をほころばせつつグラディウスがそのまま眠りに落ちそうになった時に、家令が扉を強く叩き許可も取らずに血相をかえて部屋へと飛び込んで来た。
「どうしたの?」
家令の表情にグラディウスは自分で腹をさすりながら起き上がり、理由を尋ねる。
「マルティルディ王太子殿下が!」
「ほぇほぇでぃ様?」
館にマルティルディが輿ごと乗り入れてきたのだ。事前連絡もなく出迎えもままならない状態で。
「グレス。マルティルディ王太子殿下をお出迎えしないと」
ゆっくりと休ませたいと思うリニアだが、相手がマルティルディであってはそうも行かない。皇帝とは《恐れ多くとも》話ができるくらいになったリニアだが、マルティルディは目を合わせるどころか、その姿を拝する事すら怖ろしくてできない。
グラディウスと共に廊下に出ると、そこは甘い花の香りで満たされており、館は息を殺して訪問者を出迎えていた。
下手な出迎えはマルティルディの怒りを買うが、
「ほぇほぇでぃ様、こんにちは! あてし、グラディウス! グレスって呼んでね!」
「知ってるよ」
この館の主の下手過ぎる挨拶は、怒りを買うことはない。
輿を担いでいる者の手を鞭で叩き、降ろされた輿からゆっくりと立ち上がりグラディウスに近付くマルティルディ。
「ほぇほぇでぃ様、どうしたんですか?」
「遊びに来たよ」
「……」
「僕に遊んで欲しかったんだろ? だから来てやったよ。三時間だけどね。なにして遊ぶんだい?」
「ありがとう! ほぇほぇでぃ様! あてし、嬉しい!」
※ ※ ※ ※ ※
「……寝ちゃうし」
空が白むまでサウダライトと世間一般で言う所の”淫らな行為”をしていたグラディウスは、出迎えのお茶の時点で首が上下に動き、マルティルディが冗談半分で「僕に抱っこしてもらって寝るかい?」と両手を広げたところ、冗談が全く通じないグラディウスは信用して、幼児が母親に全身で抱きつくような体勢を取り、
「重くない? ほぇほぇでぃ様」
「平気だよ。僕は君と体の構成が違うんだよ」
「ほぇほぇでぃ様の体、細くて折れちゃいそうだけどなあ……」
「もう寝たのかよ! 早いなあ」
信じられない速度で眠りに落ちていった。
「この僕が放置されるとはね。信じられないね」
遊びに来て”やった”のに、まさかの相手の居眠り。思い起こすだけでマルティルディは笑いがこみ上げてきて、声を出して笑った。
一頻り笑った後、傍に控えていたリニアを傍に呼ぶ。
「僕の傍まできて、グレスが寝不足な理由教えろ。グレスを起こすなよ。僕の《この状態》の声はグレスには届かない。僕の声はそういうことができるんだよ」
リニアは小声で、昨晩サウダライトと性交渉があり、朝方まで起きていたことを震えながら伝えた。
「そうかい。じゃあ後は用はない。下がれ」
リニアを下がらせ、厚みだけなら自分よりもあるグラディウスの背中に手を回して、幸せそうな寝顔をのぞき込む。
「ほんと、不細工だな。もうちょっと、どうにかならなかったのかなあ、この顔。……スタイルも似たようなものか」
滅多に見せない微笑みを浮かべながら、悪口にも聞こえるが本当のことを喋る。リュバリエリュシュスと良く似ているマルティルディだが、微笑みはリュバリエリュシュスほど大人びておらず、むしろ実年齢よりも幼さが感じられる。
「三つ編み引っ張ったら、どんな顔するか……あー駄目だ駄目だ。僕いっつもこうやってお気に入りの玩具壊しちゃうんだ。気を付けないとなあ」
微笑みだけではなく精神にも残る幼児性。それは大人になれば消えるはずの、純粋さと残虐さの両方をはっきりとマルティルディの中に残している。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.