帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[157]
こうして正妃たち主催のパーティーが開催されることになった。
このパーティーこそが後に「帝后には嫌味が通じない」と伝説になったパーティーである。
「リニア小母さん! ルサお兄さん! 楽しみに待っててね!」
グラディウスは自作のキルト生地とカラーロープで作ったリュックサックに、料理を持ち帰るための箱を入れ、着飾った上から背負った。
「無理しないでね」
「マルティルディ殿下から許可をいただいて……”良いって言われてから”です」
「うん、わかった! ルサお兄さん」
グラディウスは前回、正妃たちとの食事で「極上の鴨肉」をリニアに持って帰ってくることを忘れたことを恥じ、今回のご馳走がたくさん出るパーティーでは、忘れずにリニアに持って帰ってこようと心に決めてリュックサックを縫った。
本来であれば止めるところだが、
―― ああ、いいよ、いいよ。あの子がしたいって言ってることだ。マルティルディ様から許可をいただけるだろうから、うん、うん。好きにさせてやりなさい ――
皇帝がそのように許可を出した以上、彼らに止める術はない《マルティルディ》から「好きにしなよ」と言われたら問題はない。
「グレス、用意はでき……」
「ジュラス綺麗!」
薄紫のベールの下に広がる、モスグリーンのドレスとレース調の彫刻が施された象牙のアクセサリー類を前に、グラディウスはパーティーに行く前から幸せになった。
「パーティー会場って綺麗なお姉さんが大勢いるんだよね。あてし、楽しみだ」
グラディウスは正妃たちの希望で化粧はしていない。髪型は何時もよりはマシなお下げ、着ている服は上下が藍色とクリーム色の切り返しワンピース。
心ゆくまで食べてもらおうと、腹を締め付けないデザイン。
膝丈までのソックスと、歩きやすさを重視した踵がないバレエシューズタイプのもの。
それにピンクのキルト生地と、茶色いカラーロープを通して作ったリュックサックを背負っている。
手袋は食べるのに邪魔だということで不必要とされた。
エンディラン侯爵の手袋でおおわれている手を握り、
「行ってきます!」
元気に挨拶をして会場へと向かった。
「何事もなければいいんだがなあ……」
後ほど驢馬を引いてグラディウスを迎えにゆく役目を仰せつかっているケーリッヒリラ子爵は一抹の不安を抱いていた。
ただグラディウスが動くとケーリッヒリラ子爵は毎回一抹の不安を抱くので、ある意味麻痺してもいる。
※ ※ ※ ※ ※
問題なくパーティー会場に辿り着いたグラディウスは、
「はー」
幸せの極地にいた。
綺麗な女性たちと、巨大なテーブルに所狭しと並ぶ料理。
きらきらのシャンデリア、前方壇上には各王家の色ごとに設えられたソファー。何時もの大きな藍色の瞳は、細められて楽しみこの上ない気持ちが溢れ出している。
「ロメララーララーラ」
「フェルガーデ」
「?」
「初めまして、グラディウス。私はフェルガーデ、ロメララーララー……ジュラスの友達よ。よろしくね」
ジュラスのように線は細いが、色調が全く違う美女に声を掛けられて、
「あてしグラディウス、グラディウス・オベラ。グレスって呼んでね、えっとえっと……フェ、フェ」
「フェルガーデよ」
「あてしすぐに覚えられないから、今度会う時までに絶対に覚えておくから! だから、お友達になって」
「……いいわよ。あなた可愛いわねえ」
「フェ……フェのほうが可愛いよ」
カロラティアン副王妃は、
「ちょっと良いかしら? ジュラス」
「いいわよ。グレス、少しだけここで一人で待っててね」
「うん! ジュラス。あてし一人でここで待ってるよ」
ジュラスを柱の影へと連れてゆき、イデルグレゼが発狂しジュラスの父親に斬りかかった経緯と、
「処理は良人が任されたんだけど、希望ある?」
「ないわ。ご自由に。ああ、幾ら恩を売ってくれても、買うつもりはないから。その程度の処分でお願いね」
事後処理について回答を貰った。
「わかった……あら? あの子、アランとダーヴィレストの二人組に話しかけられているわ」
エンディラン侯爵にとって父親が泣こうが喚こうが殺されかけようが知ったことではない。今の彼女にとって重要なことはグラディウスと一緒にいること。
「なにをしてるのかしら? アラン」
「ご挨拶をしていたまでよ」
「そうよ」
グラディウスの頭上で繰り広げられる、まさに火花散る視線の交錯。
そしてパーティーが始まった。
正妃たちが訪れ、壇上の席につき司会が開始を告げる。キーレンクレイカイムは会場内の人をさばく。
「いただきまーす! …………ジュラス、美味しいよ」
正妃たちの元に挨拶をするために我先にと訪れる人々。
それに正妃たちは興味はない。パーティーである以上受けはやるが、真の目的は食事中のグラディウスを見ること。
人混みで見られなかったら正妃たちが気分を害すること確実。そうならないように、キーレンクレイカイムは自ら正妃たちに「会場整備いたします」と売り込んだ。
姉のイダ王に「軍隊の指揮能力は凡庸だが、式典の運営能力は帝国軍上級将校級」と称されるキーレンクレイカイム。その実力を遺憾なく発揮して、人の波を上手くさばき、
「おいしいねえ。フェ……ふぇえええ……」
「フェルガーデだけど、好きに呼んでいいわよ。グレス」
「フェイちゃん!」
「なんてもぎもぎ……じゃなくて、美味しそうに食べるのかしら」
正妃たちの気分を良くさせ、パーティーはつつがなく進み、終わる筈……であった。
挨拶の第一陣が引き始めたのを見計らいキーレンクレイカイムがエンディラン侯爵に合図を送る。
「グレス。そろそろ挨拶に行ってらっしゃい」
言われて顔をあげると、舞台の傍には人が”まばら”
「うん! 行ってくるね」
人が大勢では押し潰されるから、人が居ないときに近付くといいとルサ男爵に教えて貰っていたグラディウスは「やった、おきちゃきちゃまにご挨拶にいける」と大喜びで、壇上へと何時も通り足音どすどすと登っていった。
「今晩は、おおきいおきちゃきちゃま。あてしグラディウス・オベラです」
挨拶を教えたルサ男爵が見ていたら間違いなく崩れ落ちるような挨拶だが、
「良く来たな、グレス。楽しんでいるか」
「うん! 楽しいよ。ご飯美味しいよ。大きいおきちゃきちゃまも食べてね」
「ああ。グレスよもっと我の傍に近づけ」
「はい」
座ったままデルシ=デベルシュはグラディウスの腰を掴み、腹を撫でる。
「おお、大分食べたようだな。もっと食べるといいぞ」
「うん! そうだ! 明日、あした遊ぼう!」
グラディウスは手紙の配達をした際に「あとで遊ぼう」と約束したことを覚えて、楽しみにしていたので、今が機会だと誘いを持ちかけた。
「……明日か。ふむ、グレスからの誘いだ。では明日遊ぼうか。ただし条件……約束がある」
グレスと遊ぶ約束をしている自分に”デルシ=デベルシュ、貴様”と凝視している約二名に対する年長者としてのフォロー。
「なになに!」
「我だけではなく、一応あの二人も誘ってやれ。都合が合わなくて遊べない事もあるかも知れぬが、全員均等……みんなで遊ぶと楽しかろう」
デルシ=デベルシュとしては別に必要はないのだが、
「う、うん! 解ったよ! そうだね、みんなで遊ぶの楽しいね」
グラディウスも喜ぶであろうし、親王大公が中々誕生しないことで、色々と難問を抱えている二人の気晴らしも必要だろうと。
「グレス……」
「なあに? 大きいおきちゃきちゃま?」
「良い呼び名だな、グレス。付けてくれたエリュシも……」
「?」
※ ※ ※ ※ ※
「きゅっと酸っぱくて。あてし走ったら、石がごろっ! 川でじゃぼん! エリュシ様がびっくりして泣いちゃって、あてし一生懸命! ぎゅっと絞って、絞って!」
グラディウスが走って小川で転び全裸でロヴィニア兄妹の前い現れた時、イレスルキュランの宮を訪れ、
「リュバリエリュシュスなら全てを知っていそうだな。どれ、我が聞いてきてやろう。あとは任せたぞ、イレスルキュラン」
デルシ=デベルシュはリュバリエリュシュスに会いに向かった。彼女であり彼であるリュバリエリュシュスに《会って話をしよう》と思ったのは、この時が初めてであった。
「警備が外れているな。杜撰ならばまだしも、ここまで緊張を維持した警備を外すとは……首筋が警戒で焼け爛れそうだ」
癖の強い赤い髪をかき上げながら、デルシ=デベルシュは巴旦杏の塔へとまっすぐ向かう。
「リュバリエリュシュス、話がある。我はリスカートーフォンおよびエヴェドリットの王女にして皇后デルシ=デベルシュ」
近くでガルベージュスが聞いていることを知りながら、ガルベージュスはグレスがどうしてびちゃびちゃになったのかも、驢馬がなぜロヴィニアの王族兄妹のところへ向かったのかも知っていることを”知りながら”敢えてリュバリエリュシュスに尋ねた。
戸惑いながらも必死に自分の質問に答える美しい両性具有を、蔦越しに見つめながら思うことは様々あったがグラディウスのこと以外は聞くこともなく背をむける。
「あの! デルシ……リスカートーフォン王女殿下」
「デルシ=デベルシュで良い。我は偶々単一性で生まれただけのこと。お前と我の立場が逆であった可能性もあるのだ、ケスヴァーンターンの王女よ」
自分に話したいことがある素振りを感じてデルシ=デベルシュは背をむけた。顔向き合っていては《王族に話しかけてはならない》と育てられている両性具有は話しづらかろうと。
「あの! あの! ランチェンドルティスさまは……ランチェンドルティスさまは貴方さまのことを……」
―― 妹が会いに来てくれるのは嬉しかった。その喜びがなんなのか? 解らなかった。解らないまま此処に来て、そして再会した時に理解した。両性具有が肉親と会ってはならない理由を。両性具有は肉親を愛する。その愛情がなんなのか? 我はずっと肉親にたいする情だと……だがリュバリエリュシュス、幼いお前と出会い育ててわかった。我が妹に対して持っている感情は、育てて愛おしんだお前に対する感情とは違う。それは…… ――
「ランチェンドルティスさまは貴方さまのことを……貴方さまのことを…………今の言葉は忘れて」
「解った。リュバリエリュシュスよ、言わねば後悔する気持ちというものはある。最早死んだ者ではなく生きているお前が言わなくてはならない言葉を。誰も代弁はしてくれぬ、されても受け取ったものが困るだけよ。お前に芽生えた気持ち」
―― エリュシ様! エリュシ様! あてし明日もエリュシ様に会いに来ていい? ありがとう! ――
「我のような狭量な王族には受け止められぬであろうが……我もこれ以上は言うまい。それではな」
※ ※ ※ ※ ※
「どうしたの? 大きいおきちゃきちゃま」
「いいや、なんでもない。さて我だけが独占していても駄目だな。次のイレスルキュランに挨拶にゆけ」
「はい! じゃあ、またね」
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