「陛下、カロシニア公爵殿下。失礼します」
笑顔と小鳥のさえずりのような笑い声を残し去った美容部員たちを見送り、皇帝は立ち上がる。
「次は親族定期会合か」
皇帝というのは、一人執務室に篭もって書類と向かい会って過ごしていれば良いというものではない。
家臣たちと会い話すことは大切で、それ以上に大事なのが家族との時間である。話の内容が面白くなかろうが、責めることになろうが、会って話さなければならないことが多数ある。
「はい」
「お前も立ち会え、デルシ」
「かしこまりました」
皇帝はマントを払い、デルシに尋ねる。
「デルシ。キュルティンメリュゼは懐妊したか?」
「いいえ」
「そうか。では今回も余は息子を責めねばなるまい」
「このデルシ、陛下の心中を察することはできませぬが、ご自身の負担にならぬように」
※ ※ ※ ※ ※
「それじゃあね、メディオン。また寮で」
「おう」
皇帝へのクラブ活動報告が休日で、他のほとんどの部員は皇王族のため、解散後そのまま自宅へと戻っていった。
メディオンは「泊まりにきませんか?」と誘われたのだが、丁重に断り帰寮することにした。
―― 大宮殿を一人で歩くというのは、どきどきするなあ
貴族というのは一人で出歩くことはなく、原則従者を連れて歩く。大貴族中の大貴族であるメディオンも、当然ながら学校に入るまで従者をつけずに出歩いたことはなく、学内でも単身ということはほぼない。
校舎内ではイデールマイスラやヒレイディシャ男爵と一緒に動くことが多く、寮内では子爵やゾフィアーネ大公、ガルベージュス公爵(イデールマイスラの絡みで)などと歩くことが多い。
いままでは「一人で歩きたい」などと思ったこともないのだが、メディオンは一人歩きに興味を持って、部員の誘いを断り大宮殿を歩いてみることにした。
大宮殿は身分により歩けない区画などもあるが、メディオンは身分上制限はないに等しく、将来、大宮殿に来ることが決まっているので、自分が歩ける区画は網羅している。
気分よく一人歩きをしていると、向こう側から見知った眩しいく輝く蜂蜜色の髪の持ち主が近付いてきた。
背が高く肩幅のあるエルエデスと、隣にいるヴェールで全身を隠したエンディラン侯爵。
「おや? エルエデス……とエンディラン」
奇妙な取り合わせに、メディオンは駆け寄り、
「なにをしておるのじゃ?」
疑問をそのままぶつけた。
「護衛よ、護衛」
ヴェールで全身を隠しているエンディラン侯爵だが、小首を傾げたのはメディオンにも解り、体はまったく見えないのに美しいことがはっきりと伝わってきた。
「……」
「……なんでエンディランの護衛を?」
無言のままのエルエデスに”なんでじゃ?”とメディオンが尋ねると、
「逆よ、逆。私がエルエデスの護衛なの」
エンディラン侯爵が歌うように返事をする。その美しい声に含まれている棘と毒と嘲笑と……様々な”ケスヴァーンターン”に、
「……」
「そうなのか?」
やはり無言のままのエルエデスに問い質す。
普通”護衛”というのは、強い者が弱い者を守ることを指す。エンディラン侯爵とは比べものにならない程強いメディオンだが、エルエデスの護衛など務まらない。
「ああ……そうだ。ゼフのやつが、こいつに頼みやがった」
―― 一番騒ぎが起こらないからさ。我が頼んでくるよ。大丈夫、絶対に引き受けてもらうから
「……」
エルエデスから”ゼフ”と聞き、メディオンは納得した。
―― 断り切れなかったんじゃな……
「ほら、私。ガルベージュスの思われ人じゃない。鬱陶しいけれども大宮殿内では、大勢力を誇ることができるの」
メディオンが思った通り、ヨルハ公爵が用意してくれた護衛だから断り切れなかったということもあるが、大宮殿で兄リスリデスが罠を張っているのも事実。
敵の敵は味方状態で、リスリデスの動向をもっとも詳しく掴んでいるのはバベィラ=バベラ。彼が奇妙な動き以外でも帝星に近付けば、誰よりも早く彼女が察知する。
それを”可愛いゼフ”に事細かに報告していた。その情報をヨルハ公爵がどのように使うのかは自由であった。教えようが教えまいが、どちらを取っても、リスリデスが世間で言うところの凶行に走ることは解っているからだ。
エルエデスに手出しできないリスリデスが次に取る行動、それをバベィラはよく理解している。
「主の兄も手出しが出来ぬと?」
ヨルハ公爵は今回”は”教え、そして大宮殿で最大の勢力を誇る皇王族たちの頂点に立つ男の威光を使って、騒ぎを押さえることにした。
「そういうことだ」
エンディラン侯爵は《悪い女》の典型なので、嫌いな男でも使えるのならば使い、褒美を与えず、焦らすことに罪悪感の一つもない。
「今日はデルシ様に夕食の招待を受けてるんだって」
ガルベージュス公爵は苦手だが、大勢力の男が歯軋りして拳を握り《ガルベージュス公爵に思われている》自分を恐れ、我慢する姿などを見ると楽しくてたまらない。
「夕食じゃと……まだ昼を過ぎたばかり」
それを楽しむために、エルエデスを早い時間から呼び出した。
「別にいいじゃない」
「からかわれておるのか? エルエデスよ」
エンディラン侯爵の笑い声に、メディオンが友情をベースにした憐れみの声をかけたのだが、
「……」
エルエデスは返事をしなかった。
「人聞きの悪いこと言わないでよ、リュティト伯爵」
「違うのか?」
「いびってるのよ」
「……そうか」
―― そう言えば、エルエデスはこやつにゼフが好きだと”ばれている”と言っておったなあ。ガルベージュスあたりに記憶を奪ってもら……ガルベージュスが好きなおなごの頭を弄るとは思えんしなあ
「ねえ、大宮殿での用事は済んだの? リュティト伯爵」
「済んだ」
「あと予定は?」
「ない」
「じゃあ、一緒にお話でもしましょうよ」
エンディラン侯爵は近くの休憩所で座り、軽食をとりながら話そうを声をかける。メディオンは”ちらり”とエルエデスの表情をうかがった。
―― 逃げろメディオン……と言いたいところだが、無理だろうな
執念深いケシュマリスタ女からの誘いを断るのは得策ではないと、エルエデスは不用意に”逃げろ”と視線で伝えることはしなかった。
「儂は貴様と話す……仕方ない、話すか」
「いいのか? メディオン」
「儂も聞きたいことがあるのじゃ」
「なにかしら?」
「アディヅレインディン公爵の趣味じゃ」
三人は歩きながら話を続ける。
「マルティルディ様のご趣味? ……ベル公爵に助言でもするの?」
「ま、まあ。そうじゃな」
「マルティルディが好きな物とかあるのか?」
「マルティルディ様が好きなものは、可愛いものよ」
「可愛いな。具体的には?」
「そうね。子猫とか子犬とか好きね。刃向かったら容赦しないけれど」
「動物相手でもそれか」
三人は休憩室の職員に寝長椅子を用意するように命じて、銘々が体を好きなように横たえ、鶏肉のカシューナッツ炒めと、ポットにウバ茶を淹れてくるように指示を出す。
炒め物は大皿料理だが小皿に取り分けることをせず、皿から直接口に運び、ウバ茶は一つのポットに一つのカップで”まわし飲み”
平和な生活を送っている平民からすれば、行儀悪く映るのだが、命の危険に晒されている貴族と同じテーブルで食事をとる際の一つの形式である。
この形式は、毒の耐性が会食をしている者の中で最も優れている人物が狙われている時に取る形式。
料理と茶が運ばれて来るまでも、三人は話を続ける。
「それとマルティルディ様は従順なものが好き。正直ベル公爵はマルティルディ様に好かれる要素がまったく無いのよね。顔は凛々しい美形タイプで、性格は懐いたり可愛がられて喜べる性質じゃないでしょ」
イデールマイスラが、バベィラに可愛がられ、その夫のトゥロエにも可愛がられ、妻の夫に嫉妬することなく、それどころか仲良くできてしまうヨルハ公爵のような性格であれば、事態はまったくおかしな方向に進むことはなかった。
「そりゃあ、儂等の王子には無理じゃ」
だがそれは、どこの王家でも王子の性格ではない。ヨルハ公爵は王の直系だが、決して王子ではないので、その性格が許される。
「贈り物は?」
王子らしい性格を保ちつつ、近付くにはどうするべきか?
メディオンより離れた位置で、エンディラン侯爵よりは近い位置でイデールマイスラを一年以上見続けたエルエデスは、第三者的に理解していた。
「贈り物?」
「マルティルディはなんでも持っているが、贈り物を拒否するような女でもないだろう。マルティルディの好みに合ったものを贈ることができたなら、両者少しは近づけるのではないか?」
「……」
「……」
「なんだ? お前等」
「エルエデス、意外と女の子。きゃあ、女の子」
「エンディランに同意」
年下二人に茶化されて、むかついたものの自覚もあった。
「煩い……この足音は、皇太子ご一行だ。立つか」
休憩室はギャラリーから見下ろされる位置で、そのギャラリーを歩くことが許されているのは皇帝とその近親者のみ。
多数の足音が近付いてきたのを聞き、三人は立ち上がり、休憩所の職員たちは皇太子たちの姿を直接拝領できる身分を持ち合わせいないので、控え室に下がる。
やってきたのは皇太子と皇太子妃。そして皇帝の夫四名。背後に従者や護衛などはいるが、彼らは数には入らない。
「メディオンか」
皇太子がここから直接声をかける事は珍しいが、
「皇太子殿下、お久しぶりなのじゃ」
未来の自分の妃の側近を素通りするようなことはしない。なによりメディオンは、血筋からしてテルロバールノル王家に王女がいなければ自分の妃として送られてくるほどの生まれ。
「ルグリラドは元気か」
「はい!」
「今日はどうした?」
「今日は陛下の元へ、クラブ活動報告に参ったのです」
「そうか。そっちは、エンディランか?」
「はい」
ウリピネノルフォルダル公爵の娘について、皇太子はさほど知らなかったのだが、ガルベージュス公爵が絡み絡まれ、心太を垂らしたとなると別。
「ガルベージュスが恋した容姿、見ることが出来ぬのが残念だが」
「見ないほうがよろしいですわ。隣にいる皇太子妃の薄っぺらい美貌に我慢できなくなりますから」
「……」
―― 本人目の前にして、皇太子を相手にそれか……
「……」
「実にケシュマリスタ女らしいな」
メディオンとエルエデスの”うがああケシュマリスタ女あぁぁぁ”な気持ちを他所に、皇太子は慣れたように流し、皇太子妃は黙っていた。
「これでも私、ケシュマリスタではマルティルディ様の次に美しい女と言われているのですよ。マルティルディ様は別格ですけれどもね」
「そうか。今度夜会に招待する。その時、是非ともその顔を見せてくれ」
「それでしたら。でもお話する機会はないでしょうね。ガルベージュス公爵に追い回されていると思いますので」
「私もガルベージュスには強くでられないのでな。最後になったが、ケディンベシュアム」
「はい」
「デルシの所ばかりではなく、偶には私のところにも来るがいい」
「お会いしたいのですが。殿下にお会いする上手い口実が見つからないので」
特に用事を見つけて会いたい相手でもないので、エルエデスは上手い具合にはぐらかした。
「そうか? では今度、エンディランと共に夜会に招待しよう。メディオンも来るがいい。お前の兄は呼ばぬから来てくれるだろう」
「ありがたき幸せ」
―― 面倒だ
三人に声をかけた皇太子は、
「皇太子殿下」
”時間が押しています”と従者に声をかけられて、
「解っている。それではな」
三人の前を去っていった。
「陛下と家族会じゃろうな」
見送ったあと、皇帝一家の行事に詳しいメディオンが二人に教えて、寝長椅子に横たわり、運ばれた来た料理に手を伸ばす。
「お前、皇太子妃相手でもアレなのか?」
ウバ茶で喉を潤したエルエデスが尋ねるが、
「今日の私は優しいわよ」
エンディラン侯爵の答えは『それ以上』と『何となくそう言うんじゃないかと思っていた』
「……」
エルエデスの想像の範疇内でありながら、想像の範疇外。
「そうなのか?」
メディオンはカシューナッツと鶏肉の両方を口に入れて、肉のうま味とカシューナッツの香ばしさを堪能しながら、目の前の《性格が悪い》と評判の《ケシュマリスタ女》に納得の意を込めながら尋ねる。
「ケシュマリスタ貴族たちだけで皇太子妃を囲む会の時は、もっと言うわよ。皇太子妃よりも綺麗じゃない女たちは文句は言わないけれども、美人なほうに肩入れするわね」
「エヴェドリットは生まれた時の才能で人生が決まると聞いていたが、ケシュマリスタもなんじゃなあ」
「テルロバールノルほどじゃないだろ」
「そうよ、テルロバールノルは家柄重視だから、どんなに綺麗でも家柄が悪かったら何も言えないし」
「どれ程軍略に優れていようとも、家柄が悪ければ出世できないだろ」
「……ま、まあ、そうなんじゃが」
両サイドから言われて、良い所の生まれであるメディオンは”ああ、そうじゃった”と。
「生まれつきの才能重視しゃないのって、ロヴィニアくらいなんじゃないの?」
ヴェールの切れ間から上手に肌を陽光に晒さぬように茶を飲みながら、エンディラン侯爵が”合理的実力主義王家”の名をあげたが、
「ロヴィニアは才能があれば存分な投資を受けて伸ばしてもらえるが、なければ無駄な飯を食わせて育ててやる筋合いはないとばかりに処分されるそうだが。なにせあの家は”替え”が次々生まれてくるからな。そして下からの突き上げも相当に厳しい」
それはエルエデスによって否定された。
「あー」
「ロヴィニアから見れば、少子ゆえに多少才能がなくても生かしてもらえるケシュマリスタは、緩く見えるらしい。あいつらも性格は……悪いからな」
どの王家に生まれても、生き延びるのは中々に大変なのである。
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