理容師は久しぶりにヒレイディシャ男爵の髭を整えていた。
「……」
「……」
　士官学校に入学する際に、日々の手入れは自分でせねばならぬと、ヒレイディシャ男爵に手入れの仕方を教えて、道具一式を用意した人物である。
　使用人と貴族という関係を越えることなく、節度と礼儀を持ち接している。
　ケープを外し「終わりました」と声をかけてから理容師は椅子を起こす。楕円形の大きな鏡に映る自分を見ながら、ヒレイディシャ男爵は顎の髭を撫でる。
「用意して欲しいものがある」
　部屋にはヒレイディシャ男爵と理容師の二人だけ。音楽が流れていることもなく、静まり返っている空間。
「なんで御座いましょうか？　閣下」
「理髪用の道具一式。最高級品で」
「期限は？」
「三年以内。使われることはないかも知れぬがな」
「畏まりました」
　ヒレイディシャ男爵は部屋を出て、理容師は膝をついて見送る。
「身支度も整ったな。さてと、ロヴィニアの守銭奴王の告別式に参加してやるとするか」

※　※　※　※　※

「余の個人財産をむしり取ってくれたロヴィニアめ。返却など望まぬから安心して死ね」
　皇帝はデルシを伴い、ロヴィニア王の葬儀に出席してやるために、ロヴィニアの主星へと向かっていた。その途中、酒を飲みながら狡猾であり憎たらしいが、役に立った今は亡き妹の夫王へ、讃辞には聞こえ辛いが彼らに対しては讃辞となる言葉で、死を悼んだ。
「陛下」
「デルシ」
「ロヴィニア王の遺言、いかがなさいますか？」
「お前が持っていろ、デルシ」
「はい」
　皇帝が到着すると次の王であるイダ王太子と、その夫の皇王族出身バーゼンウーデ。そして、
「陛下！　十二歳になりました！　初潮もきました！　結婚できます！」
　ナシャレンサイナデ公爵イレスルキュラン。皇太子の妃となることが決定しているロヴィニア王女が出迎えた。
「イレスルキュランか。大きくなったな、とくに胸が」
「はい！　葬儀が終わったら、陛下と一緒に帝星に行ってもいいですか」
　元気よく皇帝の腕にしがみつき、皇太子の妃になるのだと言い張る。その表情には「夢を見ている」ようなものはない。
　あるのは「勝ちに行く」即ち、皇太子の子を産むという意志。
「それはちょっと出来ぬな」
　夢見がちで物を知らぬ王女を息子の妃に迎えるつもりなどない皇帝にとっては、十二歳でここまではっきりとしている王女は頼もしい限りであった。
「そうですか。一緒に行く準備してたんですけれども」
「合理主義であるお前に、喪中であるからとは言わぬ。理由はもっと別のところにある。帝国政治的な面、即ち軍事面に関してだ」
「……」
「十二歳になり初潮をむかえたのであれば、大人として見なす。故に言っておく。お前を迎えられぬのは、エヴェドリット王太子トヴァイシュが王女を作れぬだけが理由ではない。ロヴィニアの軍事面に関しても様々な問題があるのだ。もうしばらく、待ってくれるな？　イレスルキュランよ」
「はい、陛下」
「お前が皇妃になることは確定だ。安心して待て」
「はい！　兄上を手伝ってきます」
　喪服の裾を翻して走りさったイレスルキュランに目を細め、
「元気が良いな」
　新王に褒め言葉を伝える。
「元気が良いことと、頭の良いこと、生殖機能が頑丈かつ正常機能していること、どんな王女にも負けないことが売りですので」
「それは完璧だな、イダよ」
「皇太子の妃には完璧な王女を送り込みますとも。キーレンクレイカイムはただいま葬儀の最終チェックを行っております。それまでの間、どうぞ北の城館でご休憩ください」
　ランカと”カムイ”が過ごした館。
「わかった」
「準備が終わり次第、キーレンクレイカイムを送りますので」
　皇帝は手入れはされているが人が住まず、すっかりと寂れている館で、一人過去と対面して時を過ごした。

　遺言は葬儀の最中に読まれ、皇帝は遺言を発表した翌日には帝星へと戻った。

※　※　※　※　※

「好みの男性はミーヒアス様でした」
「あー」
「そりゃあ」
「……」

　エンディラン侯爵とエシュゼオーン大公、メディオンにエルエデスは大宮殿に来ていた。彼女たちもロヴィニア王の葬儀関連の行事に参加しており、今日は皇帝の夫でロヴィニア王子、帝君ゼルピルボーグの元へ「お悔やみ」を言いにきたのだ。
　「お悔やみ」一つ言うのに格や血縁などが考慮される。
　ゼルピルボーグは皇太子の実父でもあるので地位は高い物の、彼は死んだロヴィニア王の弟であり、新ロヴィニア王の叔父でしかない。
　その上彼の弟にあたる現国軍総帥は、新国王の弟で新国軍総帥となるキーレンクレイカイムと折り合いが悪いこともあり、立場としては微妙であった。
　このような人物の所に、皇帝不在の時期に「お悔やみ」を言いに近寄り、痛くもない腹を探られるのも困る、然りとて言わねばまた問題になる。
　貴族の当主として王の葬儀に参列するのは簡単だが、それ以外の派遣する人選に苦慮するのだ。
　皇帝の夫であろうともロヴィニア王子ということで、挨拶できる家柄の当主たちは全員《女性》を派遣した。
　ウリピネノルフォルダル公爵家は跡取りで、帝国でも最も有名な美女となったエンディラン侯爵を。
　シセレード公爵家は皇太子の正妃候補ともなっているエルエデスを。
　メディオンはローグ公爵家の代表として。エシュゼオーン大公はテルロバールノル王の代理。そして四人は大宮殿の待合室で話をしていた。
　約束の時間よりも早く到着したというのもあるが、エンディラン侯爵がエシュゼオーン大公を捕まえて、
「ちょっと！　婚約者が他の女に現抜かしてていいの！　責任とってよ！　しっかりと捕まえてよ！」
　詰め寄ったのだ。
　エンディラン侯爵と一緒に来ていたエルエデスが肩を叩いて自重を促すが、聞く筈もなく、エシュゼオーン大公と一緒に来ていたメディオンは「言いたい気持ちは分かるが、こやつに言っても無駄じゃ」と、無言でエンディラン侯爵を見つめるしかできなかった。
　言われたエシュゼオーン大公はというと、
「婚約していても結婚するまでは自由！　結婚してからも自由！」
　まったく持って貴族らしい答えを笑顔で言い返す。
　それで納得できないとばかりに、エンディラン侯爵が待合室に連れ込んで、ガルベージュス公爵の話をしていたのだが、いつの間にか話は「好みの男」へと流れていった。
「私は可愛い男が好きなのよ！　ガルベージュス公爵は可愛いところがまったくないから嫌なの！」
　エンディラン侯爵は叫び、
「エシュゼオーンはどうなの？　ガルベージュス公爵が好みなの？」
　正式な婚約者である彼女に尋ねた。その答えが、
「好みの男性はミーヒアス様でした」
　だったのだ。
「あー。でも、酒乱の駄目男なんでしょ」
　噂でしか聞いたことのない、現物を見たこともなければ迷惑をかけられたこともないエンディラン侯爵は”容姿はガルベージュスでもいいんだ”と、見た目だけは格好良いキルティレスディオ大公が名に上がって納得した。
「そりゃあ」
　自分は酒瓶で殴った程度だが、同室のヒレイディシャ男爵が何度も酒宴に付き合わされて死にかけており、キルティレスディオ大公の駄目ぶりを知っているメディオンは、親戚の好みにちょっと不安を覚えた。
「……」
　何度かやり合ったことのあるエルエデスは「女皇は強い男が好きなのか？」と思った。それ以外は、特に何も思わなかった。
「私は才能のある男性が好きなんですが、父がテルロバールノル王子で堅苦しいこともあったので、自由人っぽいのに憧れて、そう言う人が殊更格好良く見えるんですね。それで子どもの頃、五歳くらいでしたかね？　そのくらいの年齢の時に、両親に聞かれて”ミーヒアス様！”と元気よく答えました。以来、私は自分で男を選ばないようにと言われましたとさ！」
「親の気持ち……解るがな」
　五歳の娘が自由を憧れた先で見つけたのが酒乱廃人中年大公では、両親は焦るは、親戚のテルロバールノル王も焦るわ、皇帝も心配するというもの。
「エシュゼオーン、キルティレスディオ大公は自由人ではなく、ただの駄目男らしいぞ」
「そうらしいですね！　ケディンベシュアム公爵。でも子どもの頃だったので違いが良く解りませんでした。いつも好きなことだけして、千鳥足で銃を乱射していて、とっても楽しそうだったので」
「それは酔っぱらって暴れて、手が付けられなかったということか？」
「そうみたいです」
　子どもに悪影響を与える男、それがキルティレスディオ大公ミーヒアス。
「キルティレスディオ大公みたいな男性が好みってことは、ガルベージュス公爵は好みじゃないってこと？」
「エンディラン侯爵に改めて言われると、そういう気もしますね」
　エシュゼオーン大公が冷静になりつつあるのを、エンディラン侯爵が”貴方はあの男が好きなの！　ガルベージュス公爵が好みなの！”と大声で洗脳している脇で、
「酒乱ではないが、ノリならジーディヴィフォ大公のような気がするがな」
　エルエデスが笑いながら二人のやり取りを見て声をあげずに笑う。

――　ゾフィアーネの話では、エシュゼオーンのもう一人の夫候補はジーディヴィフォ……陛下はそこも考えておられたのか

「呼ばれたぞ、エンディラン侯爵。行くぞ」
「貴方はガルベージュス公爵が好きなの！」

　皇帝としては血筋の維持を念頭に置いての組み合わせだが、もちろん当人同士の性格も考慮している。
　皇帝が性格を考慮に入れなかった組み合わせは、イデールマイスラとマルティルディくらいのもの。これは先細り、両性具有が産まれやすいケシュマリスタ王家の血を案じてテルロバールノル王家の双子を片割れを贈ったのだが……。

※　※　※　※　※

「僕ロヴィニア王の葬式なんて行きたくないな。代わりに行ってきて、ダグリオライゼ。君、縁戚だし」
「畏まりました、マルティルディ様」
「おや、どうしたの？　ケスヴァーンターン公爵ラウフィメフライヌ殿下ったら、なんで死んだ相手を羨ましがるの？　長生きしてね、曾祖父様。精々……ね。あ、ダグリオライゼ、僕、葬式に行きたくなった！　君も一緒にお出でよ、ダグリオライゼ。帰ってきたら教えてあげるからね、お葬式の様子。死にまつわるもので飾り立ててあげるよ。君はまだまだ死なないからね、ケスヴァーンターン公爵ラウフィメフライヌ殿下」

※　※　※　※　※

「儂らはこれから皇婿（テルロバールノル王子）の所へ行ってくるのじゃ」
「それじゃあ」
　帝君に「お悔やみ申し上げた」四人は分かれ、エルエデスとエンディラン侯爵は二人で大宮殿を歩く。
　エンディラン侯爵がデルシに頼まれて一緒に出歩いているのだ。デルシの居ない大宮殿をエルエデスが歩くと問題が発生する可能性があり、それは暴力である確率が非常に高い。暴力でくる相手に暴力をぶつけても良いが、権力をぶつけるのも策の一つ。
　ガルベージュス公爵が恋した戦闘能力が無いに等しい大貴族の跡取りエンディラン侯爵が一緒のまま、彼女を無傷のまま襲撃を成功させるというのは不可能。髪の毛一本でも傷が付けば大事で、二人を別けて襲おうとしてもエルエデスはその手の策には乗らない。
「これ、貸しね、エルエデス」
　ガルベージュス公爵の求愛は鬱陶しいが、それがもたらす利益は最大に享受して、有効に使う。
「我が返せなかったら、原因であろう兄から返してもらってくれ、ジュラス」
「五倍にして返してもらうから、安心して」