エンディラン侯爵はガルベージュス公爵に手を握られていた。
痛むほどではなく、だが逃げることができない力具合で。会いたくなれば帝星に来なければ良いようにも思えるが、親と大喧嘩したので領地にいるのも腹立たしく帝星までやってきたのだ。
エンディラン侯爵と父親はほんの些細なことでも大喧嘩に発展することが多い。むしろ大喧嘩に発展しない喧嘩はないといっても良いくらい。
夜空を背景に、陶酔のあまりこのまま酔って死んでくれないかしら? とエンディラン侯爵が思う程に、ガルベージュス公爵は彼女を口説く。
―― 鬱陶しいには鬱陶しいんだけど、陛下からのお言葉もあるし、絶対に安全だって僕も信じてるから手振り払い辛いのよ
普段であれば”きゃー襲われる!”で逃げられるが、相手が彼なのでこの手段は使えない。不名誉な噂を立てたとなれば、責任をとって嫁になるしかなく、ガルベージュス公爵がそんなことをしないのは、誰もが、そうエンディラン侯爵も知るところである。
飽きるまで愛を囁かせておくしかないのかしら?
六年間これが続くとしたら大変だと思ったその時、
「ジュラス!」
半重力ソーサーに乗ったザイオンレヴィの声が響き、
「ザイオンレヴィ! 早く助けなさいよ! 何してたのよ! 遅いでしょ!」
ガルベージュス公爵に握られていた手を引き抜いた。”抜けるはずな……”さきほどまでは抜けなかった手だったが、いまはあっさりとガルベージュス公爵の手から逃れることができた。
「……」
「ジュラス! 乗って!」
「どうぞ。ギュネ子爵が呼んでいますよ」
「追ってくるんでしょ?」
「はい。彼とわたくしの決闘ですから」
エンディラン侯爵は踵を返して、地表に降りて来た半重力ソーサーに乗り込みザイオンレヴィにつかまった。
「飛ばすから」
「私が耐えられる速度にしなさいよ!」
「ええ? それじゃあ、追いつかれちゃうよ!」
「私を第一にして逃げ切りなさいよ!」
最高速度で飛ばそうとしたザイオンレヴィだが、自分の腰に回されているエンディラン侯爵の腕の頼りなさに速度控え目で、通り抜け辛そうな部分を選んで走行することにした。
「だいたい、なんで安全装置がついてないのよ!」
「それを装備するとレースにならないから、クラブのソーサーは安全性皆無」
「ああー! もう、いやああ!」
エンディラン侯爵を逃がしたガルベージュス公爵の元へと降り立ったジーディヴィフォ大公は、
「半重力ソーサーの張りぼてです」
半重力装置が装備されていない空っぽの機体を差し出す。
「これを担いで追ってください、ガルベージュス」
そんな申し出断ればいいであろうし、無視すればよさそうなものだが、
「わかりました」
ガルベージュス公爵は受け取り頭の上に乗せて、両手で押さえて三段跳びを開始した。洒落ではなく宇宙を狙うことのできる、そして実際宇宙一の三段跳び。
「部員たちよ! ガルベージュスを追って妨害するぞ!」
「わかりました!」
「行くぞ体当たり!」
背後から迫ってくるガルベージュス公爵に、
「なんで律儀に張りぼて持ってるんだろう。捨てたらいいのに」
ザイオンレヴィは当時の彼には珍しい”まとも”な呟き思わず漏らした。
毎年、怪我で留年ぎりぎりになる危ないクラブの代表格とも言える半重力ソーサーレース部部員たちは、その名に恥じることなく、すこしは自重しろ! そう注意されそうな程、捨て身の体当たりを繰り出す。
「ガルベージュス公爵に体当たりで勝つなんて無理だよ」
勝てないのは部員全員わかっている。ただ彼らは《人の恋路を邪魔する部隊兼人の恋路を守る部隊》として、楽しんで体当たりしているだけである。
「心配無用! 気にせずに行くんだ! ギュネ子爵!」
ジーディヴィフォ大公の楽しさが隠せていない声を聞き、ザイオンレヴィはスロットを回して速度を上げた。
「きゃあああ!」
ザイオンレヴィにつかまっていたエンディラン侯爵の手がゆっくりと解けてゆく。”つかまり直せ!”と指示を出しても無理だろうことは解ったので、別の指示を出した。
「ジュラス! 腕が外れたら僕のこの首のロープを掴むんだ!」
「わかったけど、さっさと着地して……」
エンディラン侯爵の手が外れ体が宙に投げ出されるような形になる。
「ジュラース!」
ザイオンレヴィは頭を大きく振り回し、首に掛かっているロープをエンディラン侯爵の目の前に……
「びたん?」
前に投げたつもりだったのだが目測を間違い、エンディラン侯爵の顔を直撃。顔の中心に縦にロープがぶつかり「びたん!」という異音が風を切って移動している宙で響く。
「……あとで覚えてなさいよ」
誰にとっても不幸なことに、ロープを振り回す際に力は加減したので、エンディラン侯爵は気を失うことなく顔の前にやってきたロープを掴み、赤い痕がついたままの顔で睨み付ける。ここで気を失っていれば、なにが起こったのか解らず、そして落下していった彼女を助けるために全てが終わった筈なのだが、そうは行かなかった。
エンディラン侯爵の顔にロープが直撃したのを見て僅かな隙が出たガルベージュス公爵に、ジーディヴィフォ大公が”殺意はなけれど、殺せるくらいの”勢いで、ソーサーを「蹴り」飛びかかった。
「お兄さんの跳び蹴りぃ!」
エンジンがかかったまま操縦者を失ったソーサーは前へと暴走し、ロープを掴んだまま体が宙に浮いている状態のエンディラン侯爵と、
「ザイオンレヴィ! よけてぇ!」
「うあああ!」
ザイオンレヴィのソーサーに激突。二人は投げ出され、エンディラン侯爵は衝撃でロープを手放し落下していった。
「きゃあああああ!」
「ギャアアーアアーじゃなくて?」
「……」
地表に”ぶつかる!”と目を閉じたエンディラン侯爵であったが、衝撃を感じることはなかった。
「無事かえ、エンディラン」
見合いを終えてローグ公爵邸に帰る途中のメディオンと、送っていたゾフィアーネ大公が通り掛かり、無事にエンディラン侯爵を救出した。
「ありがとう……って、すっごく言い辛いんだけど」
「私は感謝されたくて助けたわけではないので、気にすることはありません」
エンディラン侯爵が”ありがとう”と言いたくないのは、落下原因が抱きとめてくれたゾフィアーネ大公の兄にあることと、言ったら殺すと明言している第三名「ギャアアーアアー」を告げてきたことだ。
エンディラン侯爵ロメララーララーラ・メティキキーキキー・ギャアアーアアー。
いつか父親を殺してやろうと思っている原因となった「名」である。
ゾフィアーネ大公は紳士的な動きでエンディラン侯爵を下ろす。
「……」
「どうなさいました? エンディラン侯爵」
「……」
無言のエンディラン侯爵の代わりに、隣にいたメディオンが答える。
「あのなあ。下半身腰布で、上半身が一般正装なのが……我慢出来ぬのじゃと思うぞ」
ゾフィアーネ大公はメディオンを送るために服を着ていた。見合いの相手をお届けするので、もちろん正装で。
そして落下してくるエンディラン侯爵と遭遇したのだが、決闘の最中の人物を助けるには、やはり最高の正装でなくてはならないと彼は考えて脱ぎ出したのだが、落下速度が思いのほか早く、全部を脱ぎきる時間がなかった。
その為、上半身は詰め襟で露出皆無で、下半身は腰布にこれまた脱ぐ余裕のなかったブーツ。
「弟さん!」
「兄さん!」
「新境地、開拓中ですか! 弟さん!」
「開拓中に見えますか! 兄さん」
二人でハイタッチして、ジーディヴィフォ大公はエンディラン侯爵に謝罪し、怪我をした部員たちを回収しに即座に戻った。
「今回の勝負もわたくしの負けのようですね」
「そうですね、ガルベージュス公爵」
張りぼてソーサーを持ったガルベージュス公爵が苦悩を表情を浮かべる。
「もう! 諦めてよ!」
「エンディランよ。こいつらに諦めるとか言っても無駄じゃ」
「な、なによ! ちょっと解ったような顔して!」
「儂は去年からゾフィアーネと見合いしておるんじゃ! あれと見合いしておるんじゃよ! 解るか? 主に儂の気持ちが解るか? だから解るのじゃ!」
その先にいるのはズボンを穿く途中のゾフィアーネ大公。
脱ぐ時は目にも止まらぬ速さだが、着る時は速度はわりと普通。
「……解んないけど、解る」
「ならばよい。ところでエンディランよ、主はガルベージュスのどこが好きになれんのじゃ? 改善できるものなら、ガルベージュスも改善すると思うぞ。ここははっきりと言ってみたらどうじゃ?」
「嫌いなところは!」
「嫌いではなくて、好きになれんところじゃよ。好みではない部分を言ってみろ」
「……可愛くないところ!」
「可愛くない?」
「そうよ! 私がザイオンレヴィを選んだのは、可愛いからよ。性格じゃなくて、見た目! わかる? 見た感じが可愛いのが私の好みなの!」
「あー可愛いなあ。なるほどな、それは納得いくし、可愛いのが好きであったらガルベージュスはまったく……じゃな」
ガルベージュス公爵は生まれた時から”凛々しい”や”整っている”とは言われて育ったが、可愛いと言われたことは無いに等しい。
「まさか、この格好良さが仇となるとは」
ガルベージュス公爵は敗北を認めて、張りぼてを持って退場。
「諦めてくれたかしら」
「無理じゃろ」
「ジュラス! 大丈夫だった?」
落下する途中、首にぶら下がっていたロープがジーディヴィフォ大公の乗っていた暴走ソーサーにひっかかり、そのまま巻き添えを食らったまま一緒に暴走し、かなり離れたところに激突したザイオンレヴィは、すべてが終わってからの帰還となった。
ザイオンレヴィが悪いわけではないのだが、
「大丈夫よ。私、マルティルディ様とお話したいから、寮に行くから付いてきて」
”ぼんやりした男だな”とメディオンが感じても仕方ない。
「わ、解った」
「ソーサーの残骸はあとで私が片付けておきますからご安心ください。始まりから終わりまで、貴方の決闘をサポートするジーディヴィフォ・ゾフィアーネ兄弟です。さ、メディオン帰りましょう」
メディオンは腕を引かれながら”始まりから終わりって、貴様等兄弟が今日の決闘を……答えろぉぉ!”ゾフィアーネ大公と共に帰途についた。
「……メディオンの言ってることって」
「本当だよ。僕が自分からガルベージュス公爵に決闘を申し込むわけないじゃないか」
「……そうね。そうよねー。でもね、悔しいから、今度からあんたがガルベージュスに決闘申し込みなさいよ」
「いいの? ジュラスに迷惑かかるよ」
「申し込まなくたってかかってるじゃない!」
「そうだけど……」
二人は寮へと向かい、面会時間を終えたマルティルディの元へと向かった。
「マルティルディ様!」
「聞かなくてもわかるよ。同情とか励ましとか僕が言うと嫌味に聞こえるし、僕も嫌味を込めてしか言わないけれど今日、君に向ける言葉は本心だ。苦労をかけたね、ロメララーララーラ」
「ありがとうございます。それでマルティルディ様、今度からマルティルディ様が寮に来る時には同行したいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんでだい?」
エンディラン侯爵は被害を、過大報告なしで端的に述べた。
「……ダグリオライゼ」
「はい、マルティルディ様」
「調整は任せたよ。次連れて来るのはロメララーララーラ」
「畏まりました。あとのことはお任せください」
こうしてまたエンディラン侯爵が寮にマルティルディと共にやってくるようになる。
騒ぎが終わりザイオンレヴィが疲れ果てて眠り、ジベルボート伯爵が『オヅレチーヴァ様が来なくて嬉しい……僕だけの秘密』頬杖をついて幸せに浸りにやけていた頃、子爵は二人を連れて帰寮した。
「来週も!」
「我も楽しみだ!」
「そうだな」
興奮冷めやらぬ二人と別れ、部屋へと戻り一息ついたところにヒレイディシャ男爵が訪問してきて、執事の部屋へと行きネックレスキットを触らせてもらった。
「貸しますよ。上級士官学校敷地内から持ち出さなければ構いません。好きに、みんなで組み立ててみてください」
このネックレスキットの組み立てに子爵が興味を持ったのは当然だが、意外なことにエルエデスも興味を持って、何度もチャレンジをした。
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