長期休暇中でも寮は変わらずに機能している。
どの生徒も経済的には恵まれているが、安全という面では訳ありな生徒や、寮に居ようが自宅に居ようがあまり変わらない生徒も多い。
「エヴェドリット女性との付き合いかたを教えて貰いに来ました」
「……ふーん」
両親が調味料の諍いの果てに離婚したベリフオン公爵が、酒を持参し大宮殿に帰ってきているキルティレスディオ大公の元を訪ねた。
キルティレスディオ大公は気のない返事はしたものの、そこに”座れ”とソファーを指さして、自分は向かい側に座る。
腰を下ろしたベリフオン公爵の顔を見ながら、
「俺からエヴェドリット女との付き合い方聞いてどうするんだよ、クロスティンクロイダ」
昔「エヴェドリット王女との結婚」を潰したことは知っているのか? どうかを言外に尋ねる。
「その正反対の行動を取ります。そうしたら完璧でしょう?」
ベリフオン公爵の答えは「知っている」
”ああ、そうかよ”と腕を組み視線を少し宙に浮かせてから、気を取り直してベリフオン公爵を見直す。
「何で知りたいのかは聞かねえが、十年くらい前にも同じことを聞きに来た皇王族の男はいたな」
両親を幼い頃に亡くし、帝国上級士官学校に入学し次席で卒業したその人物。
「誰です?」
「知りたいか?」
「はい」
「トゥロエ。今はバベィラの夫をやってるな」
「マーダドリシャ侯爵ですか」
「そうだ。あいつは、サディンオーゼルとデステハが在籍していた頃の後輩だったからなあ。あの二人の入れ知恵で聞きに来た……と推測してた。もちろん裏を取ってはいないし、取る必要もなかったんだが、お前”も”来たってことは、読みは当たりだな」
「マーダドリシャ侯爵には何度か会ったことはあります。両大公は交流が盛んですからね」
社交的な両大公のもとには、かつての後輩や先輩であった現部下たちが訪れ、仕事から離れた話に花を咲かせていた。
「トゥロエとは仲良かったのか?」
「いいえ。良かったとしても《殺すことに躊躇いはありません》が」
「良い旦那様になれよ。誰の旦那様になるのかは知らねえが、トゥロエの女房様は久方ぶりに気性の荒いバーローズだから、シセレードに喧嘩売る事もあるだろうなあ」
「喧嘩という名の戦争には勝てるかどうかは解りませんが、誰が相手でも良い旦那になる自信はあります。貴方ほど優れていないので」
「嫌味かい」
「いいえ、事実です。貴方のような優れた人には解らないでしょう。凡人というのはいつも失敗を恐れて、失敗を回避するための準備に余念がないのですよ」
「俺は人生の半分以上、失敗だらけだが」
「貴方は失敗していない。地位を失うこともなければ、牢につながれることもなく。陛下は諦めているといっているが、それは許しているのと同じこと。私程度が貴方と同じことをしたらすぐに見捨てられます。……だから貴方は生きる道を失った……という側面もありますけれどね」
孫のような年齢のベリフオン侯爵にそう言われたキルティレスディオ大公は、怒るわけでもなければ、言葉を受け入れるような表情をするでもなく「キルティレスディオ大公」のまま答える。
「とっとと見捨てて欲しいんだが」
「もっと失態を重ねてみますか?」
「具体的には?」
「凡人の私には、正直言って思い浮かびません」
「凡人ねえ……ところで自称凡人のクロスティンクロイダから見て、イデールマイスラはどうだ?」
「ベル王子?」
「ガルベージュスのこと聞かれるとでも思ったか」
「そうです。まさかここでベル王子が出てくるとは思いもしませんでした」
「正直なところ、俺はガルベージュスのことは心配してはいない。俺とガルベージュスは似てないどころか、ガルベージュスのほうが数段優れてる。むしろ……あいつのほうが俺に似ている」
「そうですか? 才能のレベルでいえば、ベル王子は遠く貴方には及びませんが」
「解らねぇか……解らねぇだろうなあ。でもあいつは俺の若い頃の、悪い面を確かに持ち合わせてる」
「若い頃の貴方はプライドが高かったそうですね」
いまはキルティレスディオ大公のプライドが低くなったのかと言うと、そうでもない。まだ人並み以上のプライドは持ち合わせている。若い頃、有りすぎただけのこと。そしてそのプライドが許されるほどの才能を彼は持ち、未だ持っている。酒で駄目になっても消えることのない、無数の才能が。
「プライドじゃなくて……いや、プライドか。ん……過程やら理由は説明できないが、あいつは俺と同じ失敗をしそうな気がする。このままいけば必ず失敗する」
「助言して差し上げれば」
「どう助言していいのか解らない。おまけに悪いことに、あいつはもう結婚している。それも相手は未来の王。俺は王女と婚約を破棄しただけだが、あいつは俺と同じ失敗をしたら、それこそ……」
「ガルベージュスに期待しておきましょう……ですがね、それを聞いて私も自分が漠然と持っている不安に気付きました」
「どんな不安だよ?」
「ガルベージュスはいま、ベル王子がマルティルディ王太子と上手くやれるように努力しています。ガルベージュスは挫折を知らなかった貴方と同じく、これまでの人生望んだ結果を、望まれた結果を確実に手にしている。だからもしもベル王子が《詳細はまったく知りませんが貴方と同じような失敗》をしたら、ガルベージュスが落ち込むのではないかと心配です」
「……なるほど」
「天才が望んだ結果を出せなかった時、どんな気持ちになるのですか?」
「お前達が思っているほど傷つきはしない。ただ回りの態度が困る」
「困る?」
「お前がさっき言った通り、天才を甘やかすからな……それが困る。他の奴等と同じように扱ってくれれば良いんだが、天才なもんで同じ扱いしてもらえなくて、今こうしているわけだ。凡人は気を回してくれても、天才の進む道は作れない」
「……」
「それでもガルベージュスが落ちかけたら、お前が引き上げるんだろう? クロスティンクロイダ」
「貴方が解っていてもベル王子に助言することが出来ないのと同じく、私は気持ちはあれど自分より遥かに優れているガルベージュスを引き上げる方法を知りません」
「一生懸命励ませばいいさ。凡人は数で勝負だ。億の慰めの言葉を告げれば、一つくらいは天才の心に響くだろうよ」
「そうですね。最高の一言を真っ先にかけることは無理ですが、億の慰めの言葉は今から用意しておけますね」
「成功することを信じないのか?」
「ガルベージュスがマルティルディ王太子の夫になるのならば成功を疑いませんが、夫になったベル王子の性格を直すのは……貴方が似ていると、同じ間違いを犯しそうだと言うのならば……」
―― お前の謙虚さがイデールマイスラに少しでもあれば……とは思うが、お前みたいなテルロバールノル王子なんざ、テルロバールノル王子じゃねえな
※ ※ ※ ※ ※
建物が半壊したり、
「バーローズの建築物が壊れたからどうした!」
「どうしたって……エルエデスさん」
「気にするな、ギュネ子爵。エヴェドリットは建物壊されたくらいは、問題にはならない」
「そうなのか、ケーリッヒリラ子爵」
食べたり、食べられたり、
「くすぐったいよ、サズラニックス」
「キィィーキィィー」
「シク、どう見てもヴァレンとキシャーレン王子がお互いを食べ合ってるんですけれども、問題はないのですか?」
「残念ながら、まったく問題にならないんだ、クレウ」
「問題にならないのなら良いんです……多分」
それらを気にせず、この領地の主であるバベィラが、
「案内する。ついて来い」
《尾》で行き先を指し示し、ついて来いと手を上げる。
エヴェドリットとしてはごく有り触れた出迎えが終わり、部屋で「普通」に持て成しを受け自己紹介をする。
「ジベルボート伯爵家、第十九代当主クレッシェッテンバティウです!」
「カロラティアンの稚児か」
「よくそう言われるのですけれども、本当は違うんですよマーダドリシャ侯爵閣下。でもこの永遠の紅顔の美少年顔ですから、勘違いされるのは当然ですし、訂正しても信じてもらえないので仕方ないなと受け入れています。紅顔の美少年の宿命といいますか、運命といいますか。受難の道と言いますか」
「……」
ジベルボート伯爵のいつもの自己紹介と、それからのお決まりの流れを聞きながら、子爵とザイオンレヴィは「ああ……」といった表情を浮かべ、無言になった夫の脇でバベィラが”にやり”と笑みを浮かべる。
「本当に違うんだよ、トストス! 信じるんだ! トストス!」
食われた皮と筋もすっかりと回復しているヨルハ公爵が必死に否定し、その感情に呼応するように、これまた同じく食われた肉と皮が完全回復したサズラニックスが暴れ出す。
「ごめん、ごめんヴァレン。もちろん知ってからかったんだけど、返事が思いの外”格好よくて”びっくりしてしまったよ」
大人なマーダドリシャ侯爵は、ヨルハ公爵の頭を撫でて謝る。このバベィラの正式な夫と、第二夫のようなヨルハ公爵は仲が良い。
「……(トストスってまさかトゥロエ様のこと?)」
「……(ええ! 僕が格好良い? 格好良いなんて初めて言われた! 嬉しいかも!)」
「……(主の夫の名を略すな、ヴァレン! そして許さないでください、ロフイライシ公)」
「……(ゼフに名前を略すことを教えたのは、この士官学校の卒業生夫か!)」
「ああ、トストスは我の夫マーダドリシャ侯爵トゥロエのことだ。これが帝国上級士官学校時代に、名前を省略するのが流行ったそうだ。その名残故、帝国上級士官学校の生徒であるお前たちも滞在中は気安く”トストス”と呼ぶがいい」
―― 国内にその名が流通してないってことは、誰もが避けているということではないのでしょうか? ロフイライシ公。そしてトストスって顔じゃないですマーダドリシャ侯。トストスがどんな顔にあるかは解りませんが、貴方様では決してありません
子爵の心の叫びはバベィラには聞こえはしなかったが、彼女の隻眼は子爵を捕らえた。片側しか存在しない瞳だが、子爵を射貫き動けなくするには充分。
「ケーリッヒリラ……ゼフが呼んでいるようにシクと呼んでもいいか?」
「あ、お好き……」
”お好きなように”と言おうとした子爵を遮り、
「駄目です! バベィラ様! トストスと同じくシクは帝国上級士官学校の生徒のみに許された呼び名です! バベィラ様はしっかりとケーリッヒリラ子爵と呼んでください」
正式名称で呼ぶようにとヨルハ公爵がはっきりと言う。そのヨルハ公爵のしっかりとした態度にバベィラは目を細めて、それは大きく笑う。その口元は最早顔全体が歪んだと言っても良いほど。
「解った、ゼフ。ではケーリッヒリラ子爵と呼ぶか。ケーリッヒリラ子爵、事前にフレディル一族とデルヴィアルス一族を招かないようにゼフに言われ、我もそれを守るつもりであった。約束を破るとゼフに嫌われてしまうからな」
「バベィラ様はヴァレンのことがお気に入りですからな。もちろん私も大好きですけれども。こんな可愛いライバルはおりません」
「そうですよ、バベィラ様。どうしてシクのお兄さんを。理由によっては我が殺しますよ」
ヨルハ公爵の事前の打診内容《フレディル一族とデルヴィアルス一族が居たら殺します。類縁は許しますけれども、ケーリッヒリラ子爵に言い寄ったら殺します》という、解り易いものであった。
「まあ聞け、ゼフ。我がネーサリーウス子爵の入領を許可したのは、かなり大きな問題があったからだ」
「問題? シクに問題ですか?」
ヨルハ公爵がいつも通り、首をがっくりと折れているかのように傾げ、サズラニックスはその折れ曲がりを見て自分の首をむりやり折る。
太い骨が折れる音が響き、首が折れた状態でサズラニックスが檻のなかで暴れ出す。
「ああ。返答次第では、大事になるだろう」
「は……はあ……」
子爵はバベィラが何を言おうとしているのか皆目見当がつかなかった。それは子爵だけではなく、バベィラのことをよく知っているヨルハ公爵やエルエデスにも解らなかった。
バベィラは細身の足を組み直し、真剣な表情で尋ねた。
「ケーリッヒリラ子爵、リュティト伯爵と交際しているとは本当か? 解っているとは思うが、あれはローグ公爵家の第三子でテルロバールノル王女を母に持つ娘だぞ。生半可な気持ちで付き合えば火遊びでは済まぬ所か、フレディル侯爵家とローグ公爵家で争いになるぞ。我等は軍備が《すごい》と他属に言われるが、あの大貴族の中の大貴族といわれるローグ公爵家は、我等バーローズや他方シセレードの軍備にも引けを取らぬぞ」
話を聞きながら子爵は兄オルタフォルゼに《そんな話になっているのか?》と視線を送る。兄は真面目な表情のまま深く頷き、いつの間にか兄の隣に移動していたマーダドリシャ侯爵も腕を組み深々と頷く。
否定せねば! と思う子爵ではあったが、話の腰を折ることは貴族として当然避けて、最後まで聞き、
「さてケーリッヒリラ子爵、お前の返答を聞こう」
バベィラが許可を与えてから話はじめた。
―― 話の腰を折らないあたりが、ローグの小娘にはエヴェドリット貴族としては珍しく映ったのかも知れんなあ。それと暴れないところか
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