「きゃーおもしろい! もっと食べて!」
純粋な美少女に免疫のないヨルハ公爵は、エンディラン侯爵が望むがままに口を開けて、様々な物を放り込まれては噛み砕き飲み下してゆく。
「すごいわ! 鉄鋼も簡単に噛み砕くのね!」
「あ、うん……そ、そうなの……」
「可愛い!」
エヴェドリットでは生まれたばかりの赤子がガイアラス鉄鋼(巨大施設用建材)を噛み砕いても驚かれることもないので、
「こんなに喜ばれるものだとは思わなかった」
子爵は喜ぶエンディラン侯爵に呆気に取られていた。
ケシュマリスタ勢はと言うと、微妙な表情で頬に赤い丸を描いたままのヨルハ公爵を眺めている。
「どうした? 二人とも」
「あーうん……」
十二歳の少年とは到底思えない憂いのある眼差しのザイオンレヴィが、ゆっくりと口を開く。
「僕さ……ロメラ……エンディラン侯爵に選ばれて婚約者になったんだけど……その時選ばれた理由がさ……”かわいい”だったんだよね……」
「……」
声を潜めて語るザイオンレヴィのつむじを見て、エンディラン侯爵に撫でられ挙動不審なヨルハ公爵を見てから、子爵はジベルボート伯爵と視線を合わせて意味もなく頷いた。
この場でそれ以外の行動は取りようがなかった。だが無言は肯定と取られる。この場合何がどのような肯定になるのかは不明だが、ザイオンレヴィとヨルハ公爵の容姿はまったく違うことは明かにしておかねばと、子爵は頭を振ってから言葉を選んで慰めにならない慰めをザイオンレヴィの耳元で囁いた。
「女性の可愛いは幅が広いし、なにより男の可愛いとは違うそうだ……だから、多分、我等には解らないなにかがエンディラン侯爵の中で、ギュネ子爵とヨルハを繋いでしまったのだろう」
その頃のマルティルディはと言うと――
「仕方なく来てやってるんだから、ありがたく思えよ。イデールマイスラ」
「ああ、礼くらいは言ってやるわい。感謝しとるぞ。これで満足か、マルティルディめ」
相変わらず不機嫌を一切隠すことなく、腕を組んでイデールマイスラと向かい会っていた。本日は部屋ではなく、屋外の運動会場のど真ん中での面会である。
真ん中には真ん中なのだが、二人の間はかなり離れており、それは歩み寄れない二人の心の距離を物語っていたのだが、帰るころには二人の距離は縮まり鼻先が触れるか? 触れないか? ギリギリの所まで近付いていた。
この二人の距離を縮めたのは、もちろんガルベージュス公爵。
彼一人の力だけではなく、
「さあ! 皆さん! 歌って踊るのです!」
腰布一枚のゾフィアーネ大公に、いつもイデールマイスラに熱く死体指導をしてくれているエシュゼオーン大公。今日も今日とて惜しげもなく髪を結い上げているジーディヴィフォ大公など……取り敢えず、来られる者全てが集まり、用意しておいた階段ステージに乗りラインダンスで協力した。このラインダンスそのものは、イデールマイスラもマルティルディも見慣れた光景なので、鬱陶しいとは思えど怯むことはない。
(何を企んでるんだ? ガルベージュス)
(何をしようとしておるのじゃ? ガルベージュス)
百八十度を軽く越える足の開きに、滑らかで波の如く揺れているように見える腕。髪の毛の舞具合、どれもが完璧な中にガルベージュス公爵はいなかった。
彼はどの場にいようとも、誰もがすぐ見つけ出せるものを持っている。
容姿だけではなく、言動でもなく、彼の本質とでも言うものが誰をも魅了する。半数くらいは驚きから魅了に移動する。移動までの時間は様々で一分と経たないうちに魅了される者もあれば、何年経っても魅了されない者もいる。そこら辺りは非常に曖昧である。
「ん?」
「なんじゃ?」
なにが来るかに備えていた二人は、頭上に反重力ソーサーが二機やってきたことに気付いた。
二機の反重力ソーサーを操ってやってきたのはガルベージュス公爵。
少し間を開けて停止した反重力ソーサーからなにかが落とされた。
「鎖?」
反重力ソーサーを繋ぐように両方を鎖が掛かっていた。ただし鎖は長く、両者の間で弛み、その長さはマルティルディたちの顔の辺りまであった。
見上げるほどの高さから降ろされた、二機を繋ぐ鎖。そしてガルベージュス公爵。
一人階段から降りて駆け出してきたゾフィアーネ大公が鎖を蹴り上げる。彼が本気で破壊しようとすれば鎖は簡単に壊れたであろうが、彼の目的は破壊ではない。
「私はこれからメディオンとお見合いがありますので! 失礼いたしまーす!」
腰布一枚で駆けてゆく彼の手足は長い。
「相変わらず、無駄に格好良いよな……あいつ」
美の一族の血を色濃く引いているだけのことはあり、ゾフィアーネ大公の容姿は美しい。動かなければ彼は、まさに芸術品である。動けば別の意味で芸術品と言えるが、その意味を正しく語れる者はそれほどいない。
「まあな……」
容姿良く、頭良く、性格も手の付けようはないが、決して悪くはない彼、ゾフィアーネ大公。
だが姉ルグリラドと共によく自分の所へもやって来て話をしていた、妹のような存在のメディオンの夫として考えると、全力を持って止めたくなる衝動がイデールマイスラ自身を襲う。
その気持ちをガルベージュス公爵に漏らしたことがあったのだが、彼からの返事は「親戚の婚約者にお節介を焼く暇があったら、自分の妻の機嫌を取りなさい」であった。まったく持っての正論を前に、イデールマイスラは何も言う事ができなかった。
その上追い打ちまでかけられ、
「イデールマイスラ、あなたマルファーアリネスバルレーク・ヒオ・ラゼンクラバッセロを止められる自信があるのですか? 一人で止められるというのでしたら、わたくしは止めませんよ。マルファーアリネスバルレーク・ヒオ・ラゼンクラバッセロを止められるような男であれば、わたくし一人で止めることは不可能ですので」
「……」
イデールマイスラは沈黙し、以降他者の婚約者問題に関して口を挟むことはしなくなった。
腰布をはためかせ、華麗に去っていったゾフィアーネ大公を名状しがたき感情で見送った二人に襲いかかってきたのは、エコーがかかったガルベージュス公爵の歌声。
「……なにしてんだよ……ブランコかよ……」
「その、ようじゃな……」
ガルベージュス公爵は鎖の弛みに腰をかけて、両脇の鎖を持ち歌い出した。
やたらと紐が長いブランコのような物。
「わたくしはぁぁぁぁぁぁぐえぇぇん、ほわわわわわわゎゎゎゎ」
二人の間を振り子のように抜けて歌うガルベージュス公爵。二人の視線はガルベージュス公爵に釘付けになり、
「さあああぁぁぁぁ、おはなしをぉぉぉぉぉ、してぇぇぇぇぇぇ……」
ブランコを漕ぎながら歌いつつ指示を出すガルベージュス公爵を前にして、二人の視線は合い、そして気付いた。二人の間の幅を狭くすれば、この巫山戯たブランコは抜けられなくなると。
”誰が好んで近付くか!”と内心で悪態をつきつつ、二人は近寄る。
「このくらいで充分だよね」
「じゃろうな」
二人は互いの半歩程度まで近付き、間を通り抜けられないようにし、マルティルディは白骨の尾まで出して構えた。
「弾き飛ばしてやる!」
「ガルベージュスだけを上手く狙えよ」
マルティルディは人を殴るのは禁止されていないが学内設備を壊すことを皇帝より固く禁じられていた。ちなみに殴ることは禁止されていないが、殺害することは設備と同じく禁止であった。「将来わたくしたちも、帝国の歯車という設備の一つになるからです!」とガルベージュス公爵が元気よく宣言していたが、
―― こいつが歯車だとして、こいつと組み合わせられる歯車って悲惨…… ――
マルティルディは純粋にそう思った。マルティルディの心に悲惨という文字を浮かび上がらせることにしなくても良い成功を収めたガルベージュス公爵は、二人の間を上手くすり抜けた。
「このていどおぉぉぉ、かんたぁぁぁんにぃぃぃぃ」
エコーが掛かる美声のあまりの憎たらしさに、
「うわああ! 運動場壊す! 壊してやる!」
「落ちつかんか、マルティ……」
暴れ出しそうになったマルティルディを諫めたイデールマイスラが張り倒された。
「顔が似てる上に、声まで似てるから。すごい苛々するんだよね」
「儂とて同じじゃ……」
「けんかしないでぇぇぇぇぇぇぇぇふうふぅぅぅぅぅなかよくぅぅぅぅぅ」
二人の間を上手く抜け続け、ガルベージュス公爵が火に油を注ぐ。その燃えさかる炎を天才的な技術でかいくぐり、彼は歌いながら指示を出し続け、
「もう! 苛々する! こうすりゃいいんだろ!」
白骨の尾で捕らえることができなかったマルティルディは、イデールマイスラの両手を握り絞め顔を近づけて間をなくした。
「……」
「……」
初めて違いの顔を間近で見合った二人は、相手が「こんな顔をしているのだ」と知った。手袋ごしではあるが感じる温もりに、初夜の肌の冷たさを思い出し、いたたまれない気分にもなった。
手を握ったので間をすり抜けることができなくなったガルベージュス公爵は、鎖のブランコがもっとも高い地点にある時に飛び出しそのまま運動場から消えていった。
「……」
「……」
「僕、そろそろ帰る」
マルティルディが握っていた手を開き放す。開かれた人差し指と中指をイデールマイスラが捕らえ、そんなことをした自分に驚き手を放す。
「驚かせたな」
「驚いたの君じゃないの? イデールマイスラ」
マルティルディは背を向けて、エンディラン侯爵の居る部屋へと駆け出していった。イデールマイスラは己の手を見て、どうしていいのか解らず困惑していた。見つめれば見つめるほど浮かび上がってくる、先程間近で見ることができたマルティルディ。
人間を完全に排した人工の美。
だがその美しさは建物よりも自然の中にあるほうが”馴染む”
イデールマイスラが見た数少ないマルティルディの姿。その一つに海原に立つ姿があった。何も纏わずに人には決して歩く事ができない海上を、軽やかに歩く。それは最早”人の姿”ではなく、イデールマイスラは”神”であると。口には出せないが強くそう思った。
手のひらに残るマルティルディの面影を、閉じた目蓋の上に置き、初めて会った日「なにがマルティルディを怒らせたのか?」を探るために、自分の言動を思い出すことにした。イデールマイスラにとっては初めてのことであった。そして残念ながら答えは出なかった。
「儂が考えても解らんか……ガルベージュスに聞いてみるか……」
青空に現れた帰還の船を見上げて、彼は少しだけ歩み寄ろうとした。さきほどマルティルディが手を握ってくれたことを想いながら。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.