ジベルボート伯爵の歌声は、怪音波でも超音波でもなかったが、普通の音痴なのか、治せない音痴なのか? 音楽に造詣が深い者が居なかったので、
「来週の休み、一緒にメルフィのところに行くぞ。いいな」
「ありがとうございます!」
まずはイルギ公爵に聞かせてみることにした。
ちなみにエルエデス以下エヴェドリットの感想としては「聞いていて不安になる」
不安とは縁遠い彼らの精神を浸食する、まさに《蝕》(発狂の一種)を持つ一族の歌声とも言える。
休みを堪能し、五人は帰寮するために大宮殿へと戻った。
「ちょっと話しをしてくる。それじゃあな」
エルエデスとザイオンレヴィの二人で、マルティルディを呼び出した宇宙港の待合室へと向かう。
「待ってたよ」
「マルティルディ様!」
帰寮便の発着は時間厳守なので、マルティルディが先に来て二人を待っていた。もっともマルティルディだけではなく、部屋の隅に面白くなさそうなイデールマイスラも居たが、視線を合わせようとはしなかったので、二人とも無理に挨拶はしなかった。
テルロバールノルの王子など進んで話しかけたい相手でもない。
「ザイオンレヴィ。僕に話したいことってなんだい?」
挨拶もそこそこにマルティルディは尋ねる。
本当に用事があるのはエルエデスだと解ってはいるが、呼び出した時に”お話ししたいことが”と言われたので、さあなんだよ? と。
「あのですね僕……ゆ、優勝したんです!」
優勝して良かったのか? 悪かったのか? 若干不明だが、とにかく優勝はしたので、そのことを報告し忘れていたと首から優勝メダルをぶら下げてやってきた。
「……反重力ソーサーレースで?」
マルティルディはメダルを手に取り「ふ〜ん」と、言いながら裏返すなどして刻まれていた文字を読む。
「はい! その優勝メダルなんです」
「へぇ〜。それで、エルエデスはなんの用? 君のお兄さんは陛下に必死に弁明して、君が皇太子の妻候補だと聞かされて、やや顔色を失ってたけど、まあ立ち直るのも早かったね。シセレード公爵から謝罪されて、僕は受け取らなかったけど陛下が受け取ったからさあ、陛下から渡されたら僕だってねえ。聞きたいことはこれだけだろ?」
「兄が迷惑をかけた。それを詫びるのを忘れていたのでな。これからも……まあよろしく頼む」
リスリデスのことよりもシセレード公爵家の者として、マルティルディに軽く頭を下げた。
「解ったよ。僕の玩具たちと仲良くしてやってね」
「ああ」
「ザイオンレヴィ」
「はい! マルティルディ様!」
マルティルディは首から下がっている優勝メダルに指をかけて引きちぎり、顎を掴んで同じ身長のザイオンレヴィに軽く口付ける。
「……」
「優勝のご褒美だよ」
―― この世界に、これ程までに美しいものが存在するとは
ザイオンレヴィの唇から離れたマルティルディを斜めから見たエルエデスは、ただその完成されているのに不完全さを感じさせる、幼児の持つ柔らかさと残酷さを兼ね備えたマルティルディの容姿にみとれる。
軽くキスされたザイオンレヴィは、キスそのものも驚いたがマルティルディの背後から此方を怒りの形相で睨んでいる相手に注意が向いて、それどころではなかった。
「あ、……ああ、あの、後ろのベル公爵殿下が……」
中程で千切れたメダルのリボン部分が落下する
「イデールマイスラなんて関係ないだろ。ザイオンレヴィ」
「あ、ああ……はい!」
「次も優勝して、その次も優勝して、ずっと優勝して僕にメダルやトロフィーを頂戴。これは命令だから。じゃあね」
マルティルディは背を向けて、千切ったメダルを高らかに掲げてイデールマイスラへと近付き、眼前に舌を出して挑発してゆっくりと歩き、ザイオンレヴィたちが入って来たほうとは反対側の出口から出ていった。。
「お前はいつも褒美としてマルティルディからキスをもらうのか? ザイオンレヴィ」
「今日が初めてですよ、エルエデスさん……たぶん、嫌がらせじゃないでしょうか」
「誰に」
「ベル公爵殿下に。マルティルディ様はベル公爵殿下を嫌ってますので」
部屋から出て行ったマルティルディを追いかけて飛び出していったイデールマイスラ。
「……お前がマルティルディの玩具でなければ、脳みそが五キロメートル四方に飛び散るくらいの勢いで突っ込んでたところだ」
「はい?」
「解らないならいい。さあ、戻るか……おい、ベル公爵。さっさと戻って来い。遅刻して減点されたくはないだろう」
エルエデスが大声で叫ぶが、その声をかき消すほどの叫び声が辺りに響き、
「……覚えておれ! マルティルディ!」
「やなこった」
大きくはないが、悪戯と笑いを含んだ美しい声が全ての音をかき消した。
「ぬあああ! マルティルディめ!」
姿は見えないのだが、イデールマイスラが床に膝を突いて頭を抱えて叫んでいる姿が、見た事もないのに簡単に想像できてしまった二人は、
「置いていくか」
「あ、はい」
床に落ちたリボンを拾い上げ、ザイオンレヴィはエルエデスと共に帰寮便発車時刻までに無事搭乗した。ベル公爵も、少し遅れたものの減点対象になることなく滑り込んだ。
ザイオンレヴィから離れた位置に座った彼の視線は、先程「妻」から褒美を貰った「玩具」にむけられて、
「ギュネ子爵……なんかお前、睨まれてるぞ」
「う、うん……どうしてか、僕もよく解らないいんだ、ケーリッヒリラ子爵」
一般的には睨まれていると表現されるくらいの視線。正しその視線に殺意はなかった。あったのは「男の嫉妬」
もちろん嫉妬も突き詰めれば殺意となるが、イデールマイスラの嫉妬は自分の本心に対する迷いがあり、殺意の域には到底届かず。
事情を知らない子爵は「嫌いなのか」程度で、事情と理由を知っているエルエデスは頬杖を付きながら曖昧な嫉妬しかできないイデールマイスラに《当然だろうな》と蔑みの視線をむけた。
本当に好きならば、なりふり構わず嫉妬すれば良いものを――
なんの障害もなく手に入れられたのに、自分で遠ざけてから他者に嫉妬するなど、信じられない程愚かな行動を取った男の信条など思い量ってやる気にはならなかった。
寮に到着し各々手荷物を受け取って、子爵は部屋へと戻る途中《寮母のところに殴り込み》に行った帰りのメディオンと遭遇した。
「メディオン」
※ ※ ※ ※ ※
メディオンは自宅で昼食を取り終えてからすぐに午後の便で寮へと戻ってきた。
暗い気分で戻ってきたメディオンだが、部屋に一歩入ってその沈んだ気持ちは消え去った。
「なんじゃ?」
部屋には異臭が充満していた。
有害物質かと慌てて袖で口元を押さえ廊下へと戻り、インターフォンから室内環境コントロールパネルに繋ぎ、部屋の内部を簡易スキャンして、
「アルコール?」
有害物質ではないことを確認して、空気清浄機能を最高レベルにして浄化が終わるのを待った。
「それにしても、なんじゃろうなあ、あの匂い……」
空気清浄が終わったという合図を聞き、恐る恐るメディオンは入り口を開く。
「……よし」
急いで共有スペースを横切り、自室のドアを開いて異臭が入り込んでいないことに安堵し、念のためにと空気清浄を動かして荷物を置いた。
「イヴィロディーグ、もしかして居るのか? イヴィロディーグ」
イデールマイスラと共に大宮殿にいる筈のヒレイディシャ男爵の部屋に人の気配があることに気付いて扉を叩く。
「……」
呻き声にも聞こえる音を聞き取ったメディオンは、息を止めて扉を勢いよく開いた。
そこに居たのは、屍にも似たヒレイディシャ男爵。顔色は悪く目も濁りきっているのだが、表情は相変わらず。
「どうしたのじゃ!」
メディオンの来訪に起き上がろうとしたが失敗し、ベッドから半分落ちたままの体勢で、
「挨拶ができんで……済まんな」
テルロバールノル貴族の体面を保った。
この状況で体面を保つ意味があるのか? と他者は言いそうだが、彼らには意味があるのだ。
メディオンはヒレイディシャ男爵をベッドに押し戻して換気のために窓を開けてから、現状似ついて尋ねた。
「酒がな……」
「酒を抜く薬があるじゃろうが!」
ヒレイディシャ男爵は部屋の前までフェルディラディエル公爵に連れてきてもらい、薬を手渡されて別れた。部屋に入るや否や倒れて《だが薬を飲まんと……》と遠ざかる意識のなか、必死に薬を喉に流し込みその場で意識喪失。三時間後に目覚めて、這いながら部屋へと戻り、再度薬を飲んで眠っていた。
「薬にも限界があ……頭が……声をもう少し」
楽になってきたので、頭に声が響いて辛いという感覚も出て来た。部屋に辿り着いたときなど、脳が完全に麻痺し、音も聞こえない状況であった。普通の人間なら死んでいる状況でもある。
「馬鹿者! 自業自得相手に考慮してやる必要はない! それともなにか? 誰かに飲む事を強要されたのか! 断れぬのならば酒宴の席に並ぶでないと教えられなかったか!」
「いや……まて……メディ……」
「どっちなんじゃああ! 言えぇ!」
彼が本当のことを言ったとしても、責められる必要はない。
箇条で事情を聞いたメディオンは、
「不可抗力じゃが、酷いな」
薬を貰ってきて飲ませてやってから、同属に”酷いことをした”寮母に「二度とこんなことはせぬように!」注意せねばと、キルティレスディオ大公の部屋へとやってきた。
寮母の部屋は基本立入は自由なので、許可も取らず扉を開いて中へとつき進む。寝室前に置かれたカートに山積みになった酒と薬の瓶に恐怖が襲い、同時にそれ以上の怒りが沸き上がり、
「キルティレスディオ大公!」
同室の尊厳を守るためにもと突入した。
「おや、リュティト伯爵」
「フェルディラディエル公爵」
四十代後半酒乱の部屋に飛び込んで来た十代前半の世間知らず。その間に位置する百歳声の老獪なる執事。
メディオンの必死の訴えを聞き、
「そうですか。まだ酒が抜けないで苦しんでいますか」
「そうじゃ!」
「当然の怒りですね。ちょっと待っていなさい」
フェルディラディエル公爵は寝室から出て、すぐに戻って来た。先程片付けた酒瓶が乗ったカートを押しながら。
そこから一本酒瓶を取り出し、上半身を起こしているキルティレスディオ大公の顔面を殴りつける。
「この人に話しても解らないことは、この私が誰よりも知っています。話すだけ無駄とも言うのですけれどもね。”こんなことは二度としないように”と言っても無駄なことも。ですがでも怒りが収まらないのも事実でしょう。だから好きなだけ殴っていいですよ」
「ヒロフィル!」
「煩いですね、ミーヒアス。さ、主に顔をどうぞ、リュティト伯爵」
瓶を渡されたメディオンは、二人の顔を見比べて、
「まあ、それ一本なら許してやる、ローグ公女」
キルティレスディオ大公の発言と、
「偉そうですねミーヒアス。元凶の分際で、よくそんな口がきけますね」
フェルディラディエル公爵の言葉を聞き、覚悟を決めて目を閉じて瓶を振り下ろした。
「顔は悪いじゃろうからな」
腹の辺りを押さえているキルティレスディオ大公を見下ろす形になったメディオンだが、顔よりは”まし”であろうと、汗を手の甲で拭う仕草をする。
「お姫様の底力というやつですね。さ、戻りましょうかリュティト伯爵。今日の点呼は私が代わりにやっておいてあげますから」
フェルディラディエル公爵はメディオンを連れて寝室を後にした。
残されたのは、目を閉じて頭を殴ろうとして、暗闇の中の目測を誤ったメディオンに胯間を強かに殴られたキルティレスディオ大公。
人造人間なので痛みはないのだが、それでもショックは受け動きが止まってしまうもの。砕けた硝子が反射し、美しさすら感じさせるベッドの上でキルティレスディオ大公はまだ酒の匂いがする息を吐き出した。
胯間を酒瓶で殴打されたキルティレスディオ大公ミーヒアスを部屋に残して、
「また誘われるかもしれませんが、すぐにデルシ様に連絡するようにもう一度言っておきなさい」
執事は瓶が無数に乗っているカートを押し、隣をメディオンが並んで歩く。
「解ったのじゃ」
「そうそう、ケーリッヒリラ子爵からの手紙はどうでした?」
「お、おお! 嬉しかったぞ!」
―― お爺さん、そういうこと聞いたわけじゃないんだけどね
手紙の作法はどうであったか? を尋ねたつもりだった執事に返ってきた意外な答え。
「そうですか。教えた甲斐がありました」
「おう」
自分よりも百二歳も年下の気位高き一族の素直な笑顔。
百年ちかくテルロバールノル王族と類縁に接してきた執事にとっても、初めての答えと態度に、まだ世界には驚きが残っているのか――
「私もこの年ですから、貴族や王族に色々なことをアドバイスできる自信があります。ですが一つだけアドバイスできないことがあるんです。何だと思いますか?」
「?」
「恋愛に関してです。それ以外のことでしたら、私になんでも聞いてください」
「お、おお……」
「私は貴方の父ローグ公爵が生まれるよりもずっと以前から執事です。貴方をローグ公爵以上の貴族に仕立てて差し上げることも可能です」
「……おお! 頑張るぞ! なにせ儂はルグリラド様の、未来の皇后の側近じゃからな!」
年の差から言えば玄孫のようなメディオンの、未来へ向かう輝きに満ちた眼差しに、公爵はゆっくりと頷いた。
※ ※ ※ ※ ※
「メディオン」
予想外の組み合わせに思わず子爵は声をかけて、執事は”お帰りなさい”と言い、脇をすり抜けてゆく。
「エディルキュレセ! 手に持っておるのは、遊園地で買ったのか?」
メディオンは子爵が抱えている長い部分が”くたり”としている、手触りの良さそうな大きい物に目が釘付け。
「そうだ。あの後、ソーサー部で遊園地に行ったんだ」
「聞いた。儂も行きたかった。帝星の遊園地には行ったことがないのじゃ」
「良いことを聞いた」
―― 帝星の遊園地に行ったことがないのなら、誘ったら喜んでくれるだろう
「なにがじゃ?」
「まずは、これプレゼントなんだが、貰ってくれるか?」
抱えていた兎の縫いぐるみを両手で持ち直してメディオンに近づける。
「儂にか!」
「うん。一人帰ったから、お土産をと思って。ご大層な箱は後日届くようにしたんだが」
「この兎の縫いぐるみ、貰って良いのか!」
「ああ」
「感謝する!」
「それともう一つ」
子爵はチケットが入っている小型の箱を取り出した。
「なんじゃ?」
「遊園地のチケットだ」
「二枚あるぞ?」
「一応我とメディオンの分だ。まあ他に一緒に行きたい人がいるのなら……」
「エディルキュレセでいいぞ。儂と一緒に行こうではないか」
「そうか。ちょっと立て込んでるから、一ヶ月以上後になるけれどもいいか?」
「もちろんじゃ。今度一緒に予定を立てよう」
「ああ」
二人で肩を並べて部屋へと戻ってゆく後ろ姿を、角を曲がったところで気配消して見守って居た執事が見送っていた。
「青春ですねえ」
寮の入り口でメディオンが何度も感謝を告げる。
「本当にありがとうな」
他にも言いたいことはあるのだが、上手く言葉にならず気持ちだけが膨らんでゆき、なかなか子爵と話しをすることをやめられない。
「いやいや」
あまりにも話していたらおかしく思われるだろうと、覚悟を決めてドアを閉めて少しばかり時間を置いてから貰った兎の縫いぐるみを袋から取り出す。
「………………ふ……ふふふふ……うふふふふふ! あははははは!」
メディオンはその縫いぐるみの首に抱きつき回りだす。首を抑えられた兎の下半身は遠心力で広がり、メディオンのマントも大きく広がり周囲の小さな置物を弾き飛ばすが、そんなことに気づく余裕などない。
あまりに嬉しくて回りすぎ、周囲が目に入らずついには壁にまで激突して、驚きと痛みにしゃがみ込むものの、それでもメディオンの笑いは止まらなかった。
壁にひびが入るほどの衝撃に、先程より少しは回復したヒレイディシャ男爵が何事かとドアを開けてると、そこには額を抑えながら笑みがこぼれているメディオンの姿。その姿に大事ではないなと、見なかったことにしてひっそりとドアを閉じた。
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