君想う[009]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[60]
 ヨルハ公爵は二人に肩を貸してもらい、食料を購入できる場所、先程子爵が補充していた自動販売機のある場所へと向かった。
「ヨル……ヴァレンの夕食はガルベージュス公爵に出された」
「我は敗者だからな! 当然だな!」
 寮では午後六時から四十五分かけて夕食を取るのだが、夜遅くまで起きていれば腹も減る。その空腹を満たすために、自動販売機が設置されていた。
 壁一面を埋め尽くす自動販売機、種類も豊富でパスタやスープ、パンにバターにジャム。フルーツジュースやお茶なども揃っている。もちろんデザートの類も充実しており、部屋に設置されているキッチンでの調理用にと食材その物も販売されている。
 それとは別に、一般階級に販売されている菓子やジュースの自動販売機もあり、市販の味も知れるように作られている。
 この自動販売機の中で、もっとも人気があるのは《軍用携帯食》
 上級のなかでも上級に属する彼らは”普通の”携帯食を授業の一環で食べることはあるが、ここにある携帯食は普通ではなく、ここでしか食べられない。
 内容はまったく同じなのだが、缶詰で販売されている。普通の携帯食は所持品の重量を軽減するために軽い素材でパックされているのだが、寮では重く場所をとる缶詰。
 特に人気なのは缶詰を缶切りで開けること。簡単に引きはがせる腕力の持ち主たちが、特注の缶切りを”きこきこ”言わせて缶詰を開き、これも特注の専用の柄の長いフォークやスプーンで直接食べるのだ。
 礼儀作法に煩いテルロバールノル一門であろうとも、この軍用缶詰は直接食べる。何故ならば、それが《決まり》だからだ。
 実はこの缶詰軍用食の歴史は開校当時からの伝統ではなく、フェルディラディエル公爵が仕えた十七代皇帝ヴィオーヴが在学中に缶詰を復刻したのが起源。

『晩年、ヴィオーヴ帝は帝国上級士官学校を見学する都度、なぜ缶詰が根付いたのだ? と不思議がっていた』

 鬼の如き執事フェルディラディエル公爵は缶詰販売機の前に立っては、最初に仕えた皇帝を思い出す。

「缶詰は持ち帰って部屋で食べるとして、他に欲しいものは?」
「特にないぞ! 適当に見繕ってくれ! あとで代金は返すからな」
 この自動販売機はもちろん有料。学生証をスロットルに挿すことで購入でき、毎日精算される仕組みになっている。
「気にするな。ジベルボート伯爵はどうする? ヴァレンの部屋で食べるか?」
「お邪魔してもいいですか! ヨルハ公爵」
「もちろんだ。さあ、宴会だ。大量購入して帰るぞ! シク」
 自動販売機の近くに置かれているカートに、主に缶詰を大量にその他様々な食料を買い込み山積みにして、三人はヨルハ公爵の部屋へと戻った。
 部屋には同室のケディンベシュアム公爵はおらず、子爵は大量の食料をヨルハ公爵の個室に放り込んでからカートを返しに行く。
「明日休みで良かった。予習できそうにない」
 寮には消灯時間がなく、学校も二十四時間出入りが自由で、学内の図書館や博物館など施設は何時でも使える。
 点呼はあるが、寮から学校へと向かう際には学生証を通過許可機器に通すので、それが点呼の代わりとなる。寮にいる生徒たちは点呼を取られるが、部屋にいることは義務づけられていない。
 カートを戻しヨルハ公爵の部屋に引き返す途中、
「ケーリッヒリラ」
「ケディンベシュアム公爵」
 同室のエルエデスに遭遇することになった。子爵はヨルハ公爵は苦手ではないが、このケディンベシュアム公爵エルエデスは若干苦手であった。
「ヨルハの部屋か」
「はい」
「そうか」
 子爵の中にある「ガルベージュス公爵と愉快な皇王族たちに対する苦手」とも「テルロバールノル王家に対する苦手」とも違う、同属相手に持つ特有の《あわない》感覚。
 普通にしている分にはエルエデスの方がヨルハ公爵よりも数倍マシなのだが《マシ》では言い表すことのできない物があった。
 無言のまま並んで歩き、エルエデスの後ろから部屋へと入る。
 すでにヨルハ公爵とジベルボート伯爵は個室へと戻っていたので誰もおらず、子爵もそのまま部屋へと向かった。
―― 心臓に悪い部屋だよな……
 普通個室の扉には刺繍された家紋がかけられて、それによってどちらの部屋かを示す。
 子爵が「心臓に悪い部屋」と言ったのは、ヨルハ公爵の紋とケディンベシュアム公爵の紋が並んでいること。この二つの家は同属ながらかなり違う立場で、通常はこのように紋が並ぶことはない。
 エヴェドリット初代王アシュ=アリラシュ。
 二代皇帝の夫でありエヴェドリット国王となり三代皇帝を殺害した、まさに反逆の王家を体現する人物なのだが、彼は皇帝である妻以外にも王妃がいた。
 帝国が始まったころは線引きが曖昧で、アシュ=アリラシュはかなり自分に都合良く物事を力尽くで進めていった。
 アシュ=アリラシュは二代皇帝との間に、三代、四代皇帝を儲け、王妃ウージェニーに次のエヴェドリット王を産ませる。
 アシュ=アリラシュの子どもはこの二人が産んだ子だけではなく、のちに双璧公爵と呼ばれることとなるラウ=セン・バーローズとガウ=ライ・シセレードとの間にも正式に認められた子どもがいた。
 シセレードが産んだ子はイルギと名付けられ、バーローズが産んだ子はヨルハと名付けられる。この二人が産んだアシュ=アリラシュの子は公爵家の主となることはなく、名を爵位として新たな家を作り、母方の勢力下に入った。
 イルギ公爵家もヨルハ公爵家も代々母方の祖先にあたる公爵家から配偶者を与えられており、それ以外とは婚姻を結んだことはなく、結ぶことを許されていない。
 そんな経歴を持つヨルハ公爵の同室ケディンベシュアム公爵は、シセレード公爵家の第二子。エヴェドリットでも仲の悪いことで有名な公爵家の直系とほぼ直系が同室に配置されているのだ、事情を良く知っている子爵の心臓が立ち去りたいと叫ぶのも無理はない。

 ちなみに子爵は王家直属貴族の分類で、この双璧公爵家とはあまり縁がない家柄である。

「戻ったぞヴァレン」
 声をかけて部屋に入ると、ジベルボート伯爵がテーブルに食事を並べており、
「ヨルハ公爵はシャワー浴びてます」
「そうか」
 子爵もソファーに腰を下ろして、
「話いいか?」
「もちろん!」
 エンディラン侯爵のことを聞くことにした。
「あのな、エンディラン侯爵とギュネ子爵だが……仲が悪いわけではないのか?」
「仲は良くないのですが、政略結婚ならあんな物だろうと、カロラティアン伯爵はおっしゃってます」
「カロラティアン副王か。そうか……で、お前はどう感じている?」
「仲は悪くないと思うんですよ。ただ、なんか……二人にしか解らない蟠りがあるようでして。だから会う回数が増えることは良いと思うんですよね」
「なるほどな。ではこれからも呼び出していいか?」
「はい! お願いします。予定は僕が押さえておきますので!」
 拳で胸を軽く叩くジベルボート伯爵に”わかった”と手を挙げて子爵は返事を返す。
「戻って来たか、シク」
 風呂上がりのヨルハ公爵はガウンを羽織って出て来たのだが、開いた胸の辺りからのぞく肋骨は、まさに”がりがり”で浮いていて違う意味で目のやり場に困る状態。
「……ヨルハ公爵、細いのに強いんですね」
「体の細さは関係ないだろう。食べるとするか!」
 人間であれば《病み上がり》と表現するのが最も近いような体格のヨルハ公爵だが、食事は普通。
 缶詰を開け、持ち帰った料理の蓋を開き、三人は料理を摘む。
 ヨルハ公爵とガルベージュス公爵の戦いを最後まで見ていたジベルボート伯爵の語りを聞きつつ、子爵は炭酸を飲みながら”よく戦ったもんだ”と思い、ヨルハ公爵は鮪のトマトソース煮込みを食べながら語りに耳を傾ける。
「ジベルボート伯爵」
「なんでしょう? ヨルハ公爵」
 話が一段落し、ヨルハ公爵の料理を運ぶ手が止まり、
「今日からお前は”クレウ”だ! 名前の短縮は友達の証! そして入部の絶対条件!」
 してはいけない入部勧誘と、非礼に当たる名前の短縮を宣言。
「まて! ヴァレン! 勝手に入部させるな。名前を縮めるな!」
 同属同士ならまだしも! と、持っていた炭酸飲料のボトルをヨルハ公爵の口につっこんで口を封じたのだが、
「いまのは気にするな。な!」
「いいえ。あの、僕としては入部したいなと。あと名前の短縮も問題ありません」
 意外な答えが返ってきて、そして口を一時的に封じた炭酸飲料のボトルは”ごりごり”という音と共にヨルハ公爵の胃袋へと消えていった。
「いいのか? ジベルボート伯爵?」
「はい。僕、早くに両親を亡くしてカロラティアン伯爵の下で暮らしてきたので、独自の交友がなく人脈が貧相なので、この学生生活で様々な国に人脈を作りたいと考えていました。ですからこちらこそ喜んで! ですよ」
「それならば良いのだが」
―― 家柄と勢力ならば問題ないが、人脈と言うところはどうか……
 ヨルハ公爵家はバーローズ公爵家の支配下で、王家もなにかと目をかけてやる名門なので交友関係を結ぶのは良いのだが、人脈となると元来あったものをすべて抹殺してこの地位についたため、ジベルボート伯爵が希望するような《人脈》は残っていない。
 人脈という点だけをみれば、この五代一族郎党皆殺しが起こっていない子爵の実家のほうが貴族人脈はある。
「我は貴族社会では役立つ人脈ではないが、お前の危機の時には友人として駆けつけて敵を倒してやるからな」
 そこら辺はヨルハ公爵も解っているので《役に立たんぞ!》と宣言したが、
「ありがとうございます! 僕に出来ることはまだ少ないのですけれども、ヨルハ公爵の友として……」
 ジベルボート伯爵もそれほど強固な人脈が欲しいわけでもなかった。とにかく知り合いができたら嬉しいなと。
「違うぞ、クレウ。我のことはヴァレンと呼べ」
「はい! ヴァレンさん!」
「ヴァレンでいいぞ」
「ですがヴァレンさんの方が年上ですし」
 ジベルボート伯爵は十二歳で、ヨルハ公爵は十五歳。ちなみに一族皆殺しで家督を奪ったのは十三歳の時。
 ジベルボート伯爵は三歳の頃に両親をクーデターで亡くしている。
「気にすることはないだろう、ジベルボート伯爵。同学年なのだからヴァレンと呼び捨てでも」
 子爵がそう言い、伯爵は笑顔になりヨルハ公爵に手を伸ばし握手を求める。
「ではお言葉に甘えて、ヴァレン! 教えて欲しいのですが、人体調理部とは具体的になにをするのですか!」
「マジパンを使用して死体を作りあげるのだ」
 がっちりと握手している二人を見ながら、子爵はクラッカーにアボガドのディップを塗り、海老を乗せて口に運ぶ。
「マジパンってなんですか!」
「解らんか。よし、新入部員二人に説明しようではないか! お前も解らないだろう? シク」
「ちょっと待てヴァレン。我は入部するとは一言も」
「気にするな! 幽霊部員でも構わん」

―― 死体菓子作ってるクラブの幽霊部員って……なんだろうなあ

 なんなのかは誰にもわかりはしないが、なんとなく誰もが解るような気がする不思議な気持ちである。
「解った。説明の前に入部届を出す必要があるな」
 拒否したところで勢いに負けるのは目に見ているので、子爵はさっさと事を進めることに決めた。
「そうだな」
「そうですね。学生証はありますので」
 三人は個室を出て共有スペースにある端末へと向かった。個室の端末からは提出できない仕組みになっている。
「エルエデス。戻っていたのか」
「そうだ、ゼフ」
 共有スペースのソファーには風呂上がりのエルエデスが、行儀悪くテーブルに足をかけて座っていた。
 誰とでも友達になりたがるヨルハ公爵は、
―― さすがにエルエデスにはヴァレンと呼べとは……
「ヴァレンで良いといったではないか、エルエデス」
「誰が呼ぶか」
 仇敵やら怨敵やら言われる相手にも普通に声をかけていた。
「……」
「どうなさいました? 子爵」
 困り果てた時に取るポーズはまさに万国共通で、伯爵にもすぐにばれたが、
「いや……なんでも」
 ただ困っている理由は伝わってはいなかった。
 この状況は前回エンディラン侯爵が子爵のことろに来た時と同じで、ケシュマリスタに所属している伯爵以外は全員相手の細かいところまで知っている。子爵は若干除外されるが、ヨルハ公爵とエルエデスはまさに互いの財政状況から軍備に家族構成(ヨルハ公爵は皆殺ししましたが)婚約者とその一族まで網羅している。
「ケーリッヒリラ」
「なんでしょうか? ケディンベシュアム公爵」
「お前はバーローズ側につくのか?」

―― 言われると思ったよ

 シセレード家としては同属がバーローズ側と仲良くしているのは気に食わないのだ。意図を理解した伯爵も硬直し、一気に空気が重苦しくなった……のだが、
「エルエデス、それは違うぞ」
 ヨルハ公爵は相変わらずで”違う”と、骨が浮いている手を振って否定する。
「違うと?」
「子爵はガルベージュス公爵の付き人してるから、我ともお前とも仲良くしなくちゃならんのだ。お前がそんなに好戦的に子爵を困らせるとガルベージュス公爵が出てくるぞ。ガルベージュス公爵は皇帝直属だ。お前が王家直属のフレディル侯爵家の息子に対して好戦的な態度を取れば、皇帝に報告が行くだろう。皇帝が誰に相談するかは解るだろう? 我はバーローズ公爵家当主の意志で当主になれるが、お前は王家の同意も必要だろ? 尻尾を振れとは言わんが《お前の理由を持ち込むな》解ったな、ケディンベシュアム」
 現皇帝の側近の中でも最も信頼されているカロシニア公爵デルシ=デベルシュ。《エヴェドリット間の問題》となればエヴェドリット王女でもある彼女に相談を持ちかけるのは当然のこと。
 特にエルエデスは実家で問題を抱えてここにやって来たので、入学準備などを実家ではなく、帝国軍にも籍を置くデルシを頼った。デルシはエルエデスに学業優先の場ではそれを露わにしないことも条件の一つとして、厄介毎そのものであるエルエデスの後見人を引き受けてくれた。
 デルシの性格上、エルエデスがどんなに問題を起こそうとも卒業するまで後見人を降りることはないのは明かだが、エルエデスは卒業が目的ではないので、言われたことは守る必要があった。
「解った。悪かったなケーリッヒリラ。いまの発言は無かったことにしておいてくれ」
 そう言いエルエデスは三人が出て来るまで遊んでいた携帯ゲーム機を手にして、再び遊び出す。
「はい」
 それ以上は話題に触れず居ることすら気にせずに、入部届けを出すことに。
「入部完了だ! これで晴れてお前たちは人体調理部員だ!」
「そうか」
「よろしくお願いします、ヴァレン部長」
「我が部長か! ではクレウが会計で、幽霊部員のシクは副部長でいいな」
「なんでも良いぞ」

 端末の前で騒いでいる三人を気付かれないように見ながら、エルエデスはボタンを無意味に押していた。


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