「面白いわね。あら？　特殊能力保持者なの」
　エンディラン侯爵が今見ているのはケーリッヒリラ子爵の履歴書。血筋や体質、能力などはもちろん公開。隠されているのはほんの僅か（女性であれば生理周期など）まさにゾフィアーネ大公の通常格好なみにさらけ出している状態。
「ああ」
「ロターヌ＝エターナ。ザイオンレヴィの逆なの」
「え？」
「見てないの？　ザイオンレヴィも特殊能力保持で、後ろに数字の羅列があるけれど、これが能力を現しているコードでしょう」
「ちょっとまってくれ、確かにそうだがコードを全部覚えてはいない」
　特殊能力は様々あり、同じ能力でも強い弱いもある。
　それらの情報を一目ですべて解るようにしたのが数字コードなのだが、なにせ細かいので普通の人は一目で解らない。
　だが優秀者は暗記しているので、役立てることが出来る立場に就く人たちには役立つということで、そのまま使用されている。
「ロメララーララーラの言う通り、僕はエターナ＝ロターヌだよ。そうか君がねえ」
「ねえ、ついでに聞いても良いかしら」
「なんでも」
「ガルベージュス公爵の特殊能力ってなに？　0が四つあるだけで、間違い？」
　複雑な組み合わせの数字が並ぶ中、ガルベージュス公爵の欄だけは名前と違い、シンプルに「0」が四つ並ぶだけ。
「”0”は”死”を現す」
　ケーリッヒリラ子爵も同じ数が延々と並ぶ特殊な配列の意味は知っていた。
「ガルベージュス公爵は四つの死を持ち合わせています。だから四個の0が並んでいます」
「マルティルディ様が完全なる太陽の破壊者と言われるように、ガルベージュス公爵は静かなる停止者との異名を持っているんだよ、ロメララーララーラ」
「静かなる停止者……えっと”静か”の部分取っちゃ駄目なの？」

　マルティルディを見送った時に”ちらり”と見たガルベージュス公爵の立派過ぎる態度に、初見ながら思わずエンディラン侯爵がこぼす。

「ロメララーララーラが言いたいことは解るんだけど……」
「静かは”その”静かではないのです」
「エンディラン侯爵も知っているだろうが”静かなる停止者”で一つの言葉だから」

　三人も言いたいことは完全に理解した。理解はしても、なにも変わらない。

※　※　※　※　※

　四人が困惑していた頃マルティルディとイデールマイスラと、立会人のガルベージュス公爵がどうしていたか？
「……」
「……」
　BGMとしてガルベージュス公爵が奏でていたヴァイオリンに聞き入って、まったく会話などしていなかった。
　暑苦しそうで暑苦しく暑苦しい男だが、奏でる音は涼しげ……などということはなく、やはり情熱的。
　小さな音も良く伸び、大きな音は決して荒くならず。音すべてがまとまっているかというとそうでもなく、だが彼の性質を伝えるかのごとく決して横道に逸れることはない。優しくも静かでもない音だが、聞いていて不快になることのない完成された《ように》聞こえる音。
　マルティルディの美しさは年々増してゆく。だが最初から息を飲むほどに美しく、過去と現在を比べると比較のしようがないのだが、やはり今のほうが美しいと感じるように、ガルベージュス公爵のヴァイオリンも最初から完成されていると人々には聞こえるも、年々その技術は上がっていることが誰にもわかる。だが昔の音もやはり完成されているとしか表現できない。
　まさに高位の次元に存在するもの。
　すっかりと聞き入って、帰宅時間になり、
「すっごい悔しかった。次ぎ来た時は僕が歌うよ」
「では負けぬように、陛下より秘蔵のヴァイオリンを借りお相手いたしましょう」
　マルティルディが宣戦布告する。
「……」
　聞いていたイデールマイスラはというと、黙っていた。彼も王家の楽器であるハープは上手いが、姉のルグリラドには及ばない。ルグリラドの腕前でもガルベージュス公爵の域には達していないのだから、ここで下手に混ざろうとしても《自分の力量を弁えるんだね》と言われ、笑われるのが”おち”。
　それに、これはガルベージュス公爵の作戦でもあった。
　事前に聞かされているので、イデールマイスラは黙っているしかない。
「次から来ないつもりだったの、解ってたんだろ」
　マルティルディは頭一つ半ほど身長差のあるガルベージュス公爵に、キスを求めるように上を向きつま先立ちで話しかける。
「もちろんに御座います。陛下はわたくしに命じられました。美しきアディヅレインディン公爵に命令違反をさせるなと」
　意図を隠し通すつもりのないガルベージュス公爵も、あと少しで唇が触れるほどの距離まで顔を近づけて返事をする。
「じゃあ僕、次ぎ来なかったら君は人生初の失態だね」
　顔を背けたマルティルディから一歩後退し、彼は何時でも彼であり続ける。
「わたくしの人生初の失態は今から十四年前の二月二十日の午前三時四十一分五十一秒、その時です。夢のトイレと現実のトイレを間違い、陛下よりいただいた祝いの一つである柔らかい白タオル地のシーツに漏らしたこと。両親に許可を貰い、陛下よりいただいた祝いの品である白きタオルシーツになにも装着せずに眠り、まさかのお漏らし。じわじわと広がる背中の暖かみ、それは出血した時の感触にも似ている。その内腿を濡らす……」
　同じ顔のイデールマイスラが「…………」と目を細めて優しくはなく、諦めでもなく。見つめている本人ですら自分の気持ちが解らないものを呼び起こさせる。
「もう良いよ。そうかい、僕が生まれる前に失敗してたんだ。それじゃあ恐いものなんてないね。じゃあ何度目か解らないけど、失敗にしてあげるよ」
「わたくしが自殺すると言っても？」
　死ぬこと自体には問題はないが、理由が《マルティルディ》となると皇帝から不興を買う。皇帝はガルベージュス公爵を誰よりも高く評価しており、それはマルティルディも口には出さないが正当であると感じている。
　皇帝は皇太子ルベルテルセスがガルベージュス公爵に不満を持てば廃太子にすることを、王たちにはっきりと伝えていた。ルベルテルセスが皇太子ではなくただのルベルテルセスになれば、以前の「親王大公」たちにも皇位継承権は戻り、ガルベージュス公爵にも権利が発生する。
　ルベルテルセスの才能はただ一つ。ガルベージュス公爵を信頼しているということ。いまは皇帝である母親の部下だが、自分が皇帝になった時同じように仕えてくれると信じ、ガルベージュス公爵はその期待に確かに応える。
「…………次ぎは僕の歌声と勝負だよ。陛下からヴァイオリン借りておくんだね」
　皇太子が自分よりも優れているガルベージュス公爵を信じる理由は、帝国には皇太子よりも優れている者が多数存在するため。才能だけで見れば皇太子は中の下ほど。皇王族は皇帝に従順ゆえに恐れてはいないが、問題は王家。
「美しきアディヅレインディン公爵がいらっしゃらないと、わたくしの立場が危ういので」
　かつて水牢に閉じ込められていたが、己の力だけで破壊しその姿を現したマルティルディなどその最たる者。謀殺などが通じる相手はなく、通常攻撃すら当たらない。殺害できたとしてもその被害は甚大で、皇太子の位を剥奪されることは確実。皇帝に即位していたとしても確実に降ろされる。皇太子は生きる為にマルティルディを支配するしかない、だが皇太子だけでは支配できない。

「よく言うよ」

　マルティルディはエンディラン侯爵と、見送りに来た
「もう少し近づけよ、ザイオンレヴィ」
「はい……」
　出迎えにこなかった幼馴染みを殴り飛ばしてから引き摺って無理矢理自分を見送らせて帰っていった。

「君は楽しかったかい？　ロメララーララーラ」
「はい」
「そっか。しばらく通うことにしたけど、君も楽しんでるならいっか」

　見送りが終わってから部屋に戻ったガルベージュス公爵は、いつもと変わらない表情で、
「早く仲良くなってくださいよ」
　声を荒げずイデールマイスラを叱責する。
「仲良くなどできるはずなかろう」
「政略結婚はお得意でしょう？」
「たしかにそうじゃが」
「イデールマイスラ、政略結婚は簡単にできます。貴方は王子で、アディヅレインディン公爵は王女、王家同士の取引ですから個人は必要ありません。ですが政略結婚を維持、継続するのは王家の力以外に個人の力がおおいに必要です」
「解っておる」
「解っておいでしたら、それをわたくしに見せてください。今日の貴方の態度を陛下にお伝えしなくてはならないわたくしの身にもなってください」
「……それは悪かった。陛下を失望させたくないとは思うが」
「思うだけならば誰でも。イデールマイスラ、貴方は王子ですが王子以上の座には就けません。アディヅレインディン公爵はいずれ王となるお方です。解っているなどという言葉は必要ありません、態度で示して下さい」
　言い終えたガルベージュス公爵が着換えていると、
「儂も一緒に行っていいか？　陛下へのご報告は貴様が。儂は弁解はせぬので、立ち会わせてくれ。貴様の目からみた儂の態度を知りたい」
　腕を組んで表情を強張らせていたイデールマイスラが立ち上がる。
「もちろん。準備が整ったら共に参りましょう」

※　※　※　※　※

「そっか……これが一口サイズか」
　部屋に一人になったケーリッヒリラ子爵は、親指と人差し指で”つまめる”サイズのタルトを持って頷いていた。
　彼の属するエヴェドリットは人に噛みつき食べる性質もある。サラ・フレディルは噛みつくことで有名だった。
「我が家では、直系十三センチメートルくらいが一口サイズだもんな。自分の常識で作らせなくてよかった」
　彼らはかなり大きく口が《解放》される。彼らの口は大きく開くのではない　――　真に解放される　――　と表現されるのだ。

　菓子をクラブに依頼したのは良いこともあったが、悪いこともあった。

　数日後ケーリッヒリラ子爵はガルベージュス公爵に呼び出され、
「手紙……ですか？」
「そうですエンディラン侯爵の元に」
　由緒正しい貴族や誇り高き皇王族の紋が象られている封筒が机に並べられていた。
「見てもよろしいのでしょうか？」
「見てください」
　便箋を取り出して目を通し、ケーリッヒリラ子爵は頭をかかえる。
　差出人は違えども内容はどれも同じで《次回のご訪問の際は、是非当クラブの菓子をケーリッヒリラ子爵に推薦してください！》と熱烈な売り込み。
　ケーリッヒリラ子爵が依頼した調理部からは代表のロヒエ大公よりお礼とアンケート用紙が同封され《次回も！》と。
「貴族としては間違ってはいないかと……その……」
　礼儀作法としては間違いなく、文面も熱烈過ぎるが非礼では決してない。
　ただ　――　これ届いて困っただろうな……　――　とはケーリッヒリラ子爵も思った。
「間違ってはいないとわたくしも思う。だがエンディラン侯爵は人体調理部よりの見本映像が苦手なようだ」
　同封されていた菓子の映像に、
「…………済みません、ガルベージュス公爵閣下。あと我の勝手な解釈ですが、ヨルハは一番無難な死体菓子映像を送ったつもりだったと……」
　土気色した死体が一体。
「さすがリスカートーフォンに属する者。この映像をすぐに菓子と見破れるとは」
「死体か？　似せて作った菓子か？　その程度でしたら見極められます」
　エンディラン侯爵がこの映像が苦手で「味見して下さい！」とパーツが送られてくることを恐れている。
「依頼とお礼はすべてケーリッヒリラ子爵の元に届くようにしたいのだ。よいかな？」
　同系列のクラブ活動の一つだけ排除するというのは”しこり”となり、後々問題に発展する可能性もあるので、それは避けなくてはならない。
「クラブ活動規則違反では？」
　クラブ側からの接触は勧誘もそうだが、依頼希望もお礼も禁止されている。クラブ活動の内容を書いた冊子を専用のスペースに置いて手に取ってもらったり、学内公式ページに載せた情報にアクセスしてもらうしか方法がない。
　この接触禁止は在学生のみで、それ以外には適用されないため、今回このような事件が起こったのだ。
「大丈夫だ。美しきアディヅレインディン公爵が陛下に交渉してくださり、特例が許された。あとは卿が受けてくれるかどうかだ。嫌であればわたくしが処理する」

　ケーリッヒリラ子爵に断れるはずもなく、ガルベージュス公爵は本気であった。

「他の部はともかく、ヨルハのところは依頼のしようもないし」
　マルティルディの訪問予定とエンディラン侯爵の好みを教えて貰い、菓子発注のローテーションを組んだケーリッヒリラ子爵だが、どうしても同属が一人で楽しんでいる部活には依頼できないと判断し、交渉に向かうことにした。

「だからエヴェドリットは国外で調理関係の活動をしないほうが……はあ……」