君想う[003]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[54]
「ここが大宮殿か、噂通りだ」
 帝国上級士官学校の入学式は校舎ではなくバゼーハイナン(大宮殿)で行われる。
 皇王族出以外の貴族はここで初めて大宮殿に足を運ぶものが多い。もちろんほとんどの者にとっては”生まれ育った場所”だが。
 ケーリッヒリラ子爵は噂に違わぬ大宮殿の壮麗さに、上級貴族ながら驚いた。
 大宮殿は誰もが見上げる巨大建築物で大部分が平屋造り。天井が五十メートル上というのが普通の状態。たまに二階のある部分もあるが、部屋の中心部に螺旋階段を設け、スペースを大きく使う作りになっている。
 窓硝子も大きくカーテンは分厚く、絨毯も毛足が長く、彫刻を施された巨大な円柱が並び、室内に端が見えない程の中庭があり、海を引いている箇所もある。
 ケーリッヒリラ子爵たちが向かうのは、壮行式にも使われる大広間。
 現在は戦争はないに等しいので、大広間に足を運ぶのは今回の入学式と、卒業式の時のみ。壮行曲を奏でる宇宙で最も古く巨大なパイプオルガンが”ぐるり”と囲む。そこで、来賓を前に入学生代表が宣言をして、総長が祝いの言葉をかける。

 帝国上級士官学校のトップは「総長」と呼ばれ「皇太子」がその座に就くのが慣わしとなっている。

 総長のルベルテルセス皇太子だけではなくケシュマリスタのキュルティンメリュゼ皇太子妃も並ぶ。ただし彼女は軍人ではないので、皇太子妃の正装で。各王家の王は王国軍の正装を着用し並ぶ。病気で伏せっているケシュマリスタ王以外。
 王たちは帝国上級士官学校に入学した自らの配下の者たちの為に出席。入学式は両親などではなく、一門の代表が並ぶのが慣わし。
 ケシュマリスタからの入学者もいるので、ケシュマリスタの代表も居なくてはならないのだが、代表者である「彼女」が並びたくはないと言い張り、皇帝がわざわざ席を用意させて自らの《護衛》として隣に置いて場をまとめた。
 皇帝は入学した皇王族たちの代表として出席している。
 その皇帝の隣には堂々たる体躯を誇る側近のカロシニア公爵デルシ=デベルシュと、《護衛》という名目で席を用意され、嫌々並んでいる小さく繊細に見えるアディヅレインディン公爵マルティルディ。
 単純な戦闘能力ではデルシには叶わないが、マルティルディはそれを補う《超能力》を幾つも持ち、皇帝の護衛に足りる能力を持っている。
 そんな彼女は今、夫であるイデールマイスラを露骨に無視し横を向いてしまい、式典に臨む態度ではないが、皇帝は並んだことを褒めてやり、それ以上は無理強いしなかった。
「子どもには退屈であろう」
「僕、子どもじゃないもん」
「そうか。余は退屈だがな。余よりずっと大人だなサーヴィレイ」
「僕、爵位をアディヅレインディンに変えたよ」
「そうであったなあ、失念しておった。許せよ、美しきファライア」
「僕、陛下のこと苦手」
「皇帝とケシュマリスタ女は元来”合わない”ゆえ当然であろう」
「じゃあ陛下は皇太子妃も嫌いなの? 嫌いでも構わないけどね」
「あれはケシュマリスタ女ではかろう。そなたのように波打つ黄金髪でもなければ、皇帝眼でもなく、処女雪で化粧した大理石のような肌でもない。息を飲むほど美しくはない。あれが好きか? 嫌いか? 聞かれた場合は、どちらでもないとしか答えられないくらいに凡庸だ。違うか? アディヅレインディン」
「まあね。そうそう陛下。僕はロターヌよりずっと綺麗だよ。そこの所、間違わないでよね」
「そうだな。そなたは”容姿に関して”はロターヌの良いところと、エターナの良いところが合わさった、まさに”美”そのものだ」
 二人がそんな会話をしているうちに、例年通りの皇太子の言葉は終わり、
「新入生代表。ガルベージュス公爵《ローデ》」
「はい!」
 帝国至上最も名前の長い男が呼ばれ、皇太子の前まで進み、良く通る大声で式辞を述べる。声の通りが良すぎて、会場だけではなく聞こえなくても良い場所まで軽々と、そして通常では考えられない箇所まで声が響き渡る。
 式辞を終えて礼をしたガルベージュス公爵に沸き起こる拍手。
 会場は皇帝と以外は誰一人座っていない状態で、入学生たちは立ったまま会場を割りかねない大きな拍手をする。
「耳痛いんだけど、陛下」
「なにか言ったか? アディヅレインディン」
「ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス!」
 巻き起こるガルベージュスコール。
 ここは帝国上級士官学校の入学式会場であって、ガルベージュス公爵を讃える場ではない。片腕を何度も振り上げて、声の限り叫ぶ皇王族たち。
「……意味わかんない」
 空をも砕くかのような叫び声を前にマルティルディが呟く。そんな彼女よりも訳が解らないのが王国出の入学者たち。
 テルロバールノル勢は《名門の誇り》で完全無視し腕を組む。
 ケーリッヒリラ子爵は勢いに飲み込まれ力無く腕を振り上げて、口パクしていた。名前を呼びたくないのではなく、完璧な帝国語ではないので不協和音になりかねないと謹んでのこと。
 ケーリッヒリラ子爵の「ガルベージュス」はエヴェドリット訛りがあり「ガルベィジュス」となってしまう。
「ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス! ガルベージュス!」
 足並みが揃った「ガルベージュス」を乱すことは子爵にはできなかった。
 沸き起こったガルベージュスコールは皇帝によって収まり、最後の儀式であるシャンパンによく似た飲み物の入ったグラスを渡される。
 これを高らかに掲げて国歌を歌い、終わると同時に一気に飲み干しグラスを床に落として割る。これが入学式の「しめ」であった。
 こうして入学式は終わり、次は入学祝賀式典へと移る。
 祝賀式典は皇帝は臨席せず、軍の重鎮たちが並ぶ。
 彼らは入学式の最中は皇帝の代理として帝国を預かり、防衛に専念しているのだ。

―― 座っての食事か

 祝賀式典はテーブルについて料理が運ばれてくる。皇帝が臨席の場合は、立食でなくてはならない(皇帝の御前でそれ以下の身分の者が着席することは許されていない)
 成績順に配置され、末席に名前のあったケーリッヒリラ子爵だが、前方で作戦参謀長官(カロシニア公爵)やら総統合本部長官(デステハ大公)やら帝国軍筆頭元帥(サディンオーゼル大公)の近くに座りたくはないので、全く問題はない。

 ちなみに総統合本部長と筆頭元帥は夫婦で、一人息子はガルベージュス公爵。

 息子同様、夫妻も帝国上級士官学校の首席同士で(夫は一歳年下)元は親王大公で……羅列する必要もないほどに完璧な軍人夫婦。
 ケーリッヒリラ子爵は焼きたてのロールパンをちぎり、バターを塗って口に入れて一息つく。周囲は同族ばかりなので気が楽だった。
 こうして新入生の入学を祝うと同時に軍の重職たちとの顔合わせも終わり、続いて校舎へと向かい、他学年たちと顔を合わせて夜は立食パーティーが行われ……やっと学校生活が始まった。

※ ※ ※ ※ ※


 ケーリッヒリラ子爵は白兵戦技術などに関しては問題ないが、学業面に関しては追試覚悟で入学し、その覚悟通りの生活を送ることになるのだが、親からのプレッシャーもなく好きなことをしていても叱られることない時間も僅かながら持てるので満足していた。
「今月中に六つの補習と、五つの免許と……」

 これでガルベージュス公爵の付き人としての仕事もあれば、余裕はなかったであろうが、拒否されたのことで、趣味の時間も持つことができた。

 ただケーリッヒリラ子爵をガルベージュス公爵の付き人として送り込んだ人達の「顔」もある。潰すのは容易いが、そこら辺はガルベージュス公爵が配慮をして、たまに《付き人》としての仕事を与えた。
 大宮殿にいる人々の耳に入りやすい仕事を与えることで、明かにして。

 その日もケーリッヒリラ子爵は追試の為の勉強をしていた。
『ケーリッヒリラ子爵』
 部屋の通信機がある人物を映し出す。
「はい……エシュゼオーン大公閣下!」
 顔を上げた先に映し出されていたのは、隣室のエシュゼオーン大公。
『閣下は要りませんよ、ケーリッヒリラ子爵。親しく呼んでください。そう女皇殿下《デセネア・ダーク=ダーマ・プロレターシャ》と』

―― 位上がってる上に、呼び名長くなってます

 そうは思えどケーリッヒリラ子爵に言うことなどできない。皇帝より下賜された帝国で三名の女性しか名乗る事の出来ない称号。
「畏まりました、女皇殿下」
 ガルベージュス公爵と婚約が整った際に、この称号を与えられた。
『用件ですが、ガルベージュス公爵がお呼びです。すぐに部屋へ』
「あ、はい!」
『それでは』
 映像が消えてすぐにケーリッヒリラ子爵は訪問着に着替えてマントを羽織り、ガルベージュス公爵へ訪問の連絡を入れてから部屋から出る。
 隣の部屋へとすぐに辿り着き、インターフォンを鳴らして、
「来てくれたか。入ってくれたまえ」
「わざわざありがとうございます」
 出迎えてくれたガルベージュス公爵に礼をして、案内されるままに進む。
 部屋にはイデールマイスラの姿はなく、共有スペースのソファーを勧められて腰を下ろし、依頼を聞くことになった。
「話相手? ですか」
 ガルベージュス公爵自ら淹れた紅茶を手に説明を聞き、
「そうだ。引き受けてくれるか?」
「畏まりました」
 引き受けて部屋をあとにした。
 ケーリッヒリラ子爵に与えられた仕事は「エンディラン侯爵の話相手」
 マルティルディはイデールマイスラと結婚しているので、当然ながら定期的に顔を合わせる必要がある。本来であれば性交渉も含むところなのだが、マルティルディが、
『ど下手くそ! 少し練習してこいよ、馬鹿!』
 皇帝に「嫌だ」と言い張り、
『なんだと。大体貴様だって、まったく!』
『ふん! お前達は少しでも上手く動くと、すぐに相手を淫売とか罵るじゃないか! 違うのかい』
『……』
『僕の祖先が《なに》か知ってるんだろう。僕は練習しなくたって上手だもんね』
 面会は必須だが、十六歳までは性交渉無しが許可されることになった。
 定期的な顔合わせの証人としてガルベージュス公爵が立ち会うことも条件に盛り込まれる。マルティルディは特例として寮に足を運ぶ形になるのだが、王太子が単身で来る訳にもいかないので、最低でも一人の”連れ”は必要で選ばれたのが、
「エンディラン侯爵な。でもギュネ子爵の婚約者だから二人で……気を使ってくれたのか」
 エンディラン侯爵ロメララーララーラ。
 当初はエシュゼオーン大公が、
「お相手いたします!」
 元気よく立候補したのだが、
「ここはケーリッヒリラ子爵をな。推薦した者たちと推薦された者の顔を立ててやるのも必要だ」
 ケーリッヒリラ子爵が考えた通りガルベージュス公爵が気を使って取り計らってくれたのだ。ちなみにイデールマイスラの側近たちがエンディラン侯爵の相手することは、

―― アルカルターヴァにケスヴァーンターンを相手させるなど許可できんな

 皇帝が許さなかった。


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