帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[49]
 サウダライトは昼食のメニューを急遽、食べやすいサンドイッチに変更させた。
 手紙の返事を書くために、片手はあけておきたいので。
 グラディウスからの手紙はまず封筒で”あの子らしい”と思わせ、内容も封筒から受けたものと同様の感じであった。
「結構難しいものだねえ」
 サウダライトは食事が運ばれてくるまでの間、丹念に手紙を読んだ。文章そのものは短く、文字は下手くそながらも足を運んだ際には目を通しているので”解読”あるいは”判読”できた。
「短く簡単な文章ですべてを伝えるって、本当に難しいなあ」
 呟きながら下書きをしては首を捻り、新しい紙を手元におきペン先を二三度ぶつけ”はて”と言うような顔をする。
「良い子で待っててね……これは駄目だなあ」
 この文面では訪問がないことが、良い子ではないと否定に繋がる恐れがある。
「おっさんもとっても会いたいよ……なんか違うなあ」
 グラディウスが受け取って喜ぶとはとても思えない文面。
「私は貰って嬉しかったけど、あの子を喜ばせるとなると……」
 料理の味などほとんど感じぬまま、推敲を繰り返しなんとか文を完成させた。完成させたが文そのものが短いので余白が目立つ。
 意味のない装飾過剰気味な文章で余白を埋めることが得意なサウダライトだが、グラディウスにはその方法は使えない。
「目立ち過ぎるよね。どうやって埋めようかなあ」
 いままでこれ程手紙で悩んだことはないというほど悩んでいるサウダライトのもとに、
「ダグリオライゼ」
「おや、サルヴェチュローゼン。それにシャリエンまで。どうしたの」
「皇帝陛下へのご機嫌伺いだ」
「君たちの口からそれが出るとねえ。それでなにが目的だい」
 サウダライトは下書きから手を離した。
「ねえ、これ? なに」
「絵を描こうとおもって」
 下書きに描かれている「変な模様」に気付いたサゼィラ侯爵が指さす。サウダライトは余白の部分に自作の絵を入れようとしたのだが、
「絵心のないお前がか?」
 サウダライトの絵心は、まさに母体に忘れてきたというレベル。
「思い立って」
「いまマルティルディ様がお気に入りの愛妾にか?」
「そうだよ」
 だがこの二名は絵心があった。
「では代わりに描いてやろう」
 そう言ってペンを取ったカロラティアン伯爵が描き上げたのは、
「君の原型をそんなにリアルに描かれても困るんだけど」
 かつて”バフォメット”と呼ばれていた黒ヤギの頭部を持つ両性具有。
 大喜びで封筒を開いたグラディウスが一目見て泣き出すと言い切れる、充分過ぎるほどに迫力がある代物。
「そうか? サバトの生贄などは描いていないから」
「そんなもの要らないから……ってシャリエン」
 対するサゼィラ侯爵は、一言で表すならば”不気味”
「なかなかイイできだと思うだろ」
 構図が幼児と同じで、空に太陽と月があったり、空飛ぶ鳥の足が変な方向を向いていたり、人などは頭から手が出ていたり……なのだが、それがリアルなのだ。
 上手いのに構図が幼児。そして色彩は「いってしまった人」その物。
 構図だけでも恐いのに、色彩でも人を恐怖させる。
「君の前衛的な絵は、あの子には理解できないから」
 確かに上手いのだが、まさに人を選ぶ絵。それを紙全面に描いていた。
 やれやれと思いつつ、サウダライトは手紙を描き上げ絵も自分で付けて届けるよう命じ、二人と共に会議室へと向かった。
「この会議が終わったら、貴族だけの会食をひらくから。その時に意見を聞くよ」

※ ※ ※ ※ ※


 サウダライトから届いた手紙を読んでグラディウスは大喜びした。
「おっさんからのお手紙だ! お手紙」
 手紙を受け取ってもらえるだけではなく、即日返信があったことにリニアとルサ男爵は驚くと同時に、寵愛の深さを実感した。
 本来実感しなくてはならないグラディウスが、もっとも理解していない辺りが、グラディウスらしいとも言えるが。

―― グラディウス、お手紙ありがとう。お仕事終わったら行くからね ――

 それだけの文面と、右下に描かれている記号的なチューリップ。
「これなんだろ?」
 緑のペンで書かれた一本の棒と斜めにやや太めに描かれている、細長い葉が二枚。半円の上部が三つの”ぎざぎざ”があり、色はピンク。
「チューリップじゃないかしら?」
「……」
 ルサ男爵は記号化され、他人に通じやすいように描かれている絵を解釈することはできないが、
「”ちーりぷ”ってなに?」
「お花よ」
 リニアの答えは当たっていた。
 そしてグラディウスはチューリップそのものが解らなかった。
「おっさんが描いてくれたのかな? ちーりぷ」
「そうでしょうね」
「おっさんが描いてくれたんだ。あてしも描けるようになりたいなあ」


 その日は三人でメニュー変更となった夕食を部屋でとり、食後の会話を楽しんだあとにルサ男爵は帰途につく。寝る準備を終えてからしばらく二人で会話した。
「グラディウス、そろそろ寝ましょうか」
「……うん」
 一人ベッドに乗り、しょんぼりと毛布を持ち上げた。
「グラディウス」
 大きなベッドに一人で寝るのは寂しいと、常々言っているグラディウス。それでも”あてしはもう大人だから平気”と続ける。
「リニア小母さん。どしたの?」
「今日リニア小母さんと一緒に寝ない?」
「?」
「小母さんグラディウスと一緒に寝たいな」
「……」
「寂しいから一緒に寝てくれる?」
「うん!」
 寝心地の良い大きなベッドを蹴って、リニアに抱きついた。
 昼寝用のベッドをリニアの部屋へと持ち込み、ベッドを並べる。合わせた隙間が少々体に痛いが、そんな事は気にならないとばかりに二人は横になった。
 嬉しさ一杯に話続けるグラディウスに”早く寝なさい”とリニアは言わなかった。枕元の淡い灯りだけの部屋で、手を繋ぎながら話続ける。
 村の話、農閑期に遊んだ話。一番の友達・エチカの話。どれもこれも、グラディウスにとってて宝物なのだろうと解るものばかり。
 その話が段々ゆっくりになり、元気がなくなってゆく。
 大きな瞳は眠りに後押しされた目蓋がおりかかり、もういつ眠ってしまってもおかしくはない。
「またお話しましょうね」
「リニア小母さん……一緒に寝てくれて……ありがと」
 グラディウスは子供特有の”体力の限界まで遊んで眠ってしまう”そのままに目を閉じ、すぐに寝息が上がった。

※ ※ ※ ※ ※


 深夜に警備のゾフィアーネ大公率いる部隊と”おみやげ”のピンクのチューリップの花束を持たせて愛妾区画へとサウダライトはやってきた。
 部屋の前で花束を受け取り、扉を開かせて入る。
「おや?」
 だが寝室にはグラディウスはいない。寝ようとしていた形跡だけが残っているベッドを前に、テーブルに花束を置きソファーに腰掛けた。
 ゾフィアーネが気配を消し、室内を確認してグラディウスとリニアが一緒に寝ていることを告げる。
「愛妾殿、連れてきましょうか? 起こさずに運ぶこと出来ますが」
「要らない。さて、私も寝るとするか」
 グラディウスとリニアを起こさずに身支度を調えることを前提として連れてきた召使いたちに着替えをさせて、サウダライトは乱れているベッドに潜り込んだ。
「じゃあね、ゾフィアーネ」
「失礼いたします」

 チューリップの花束はグラディウスが目覚めた時に驚かせようという目論見があったので、一晩放置しておいてもしおれることはない。

 夜更かししたグラディウスとリニアは、何時もより遅めに起きた。
 今日は一般のカレンダーでは休日。小間使いのリニアには休みはないが、ルサ男爵は休みとなり今日は訪れない。
 ルサ男爵は今日一日、自主的に射撃訓練を行う予定だ。
 ぽっかりと空いた休みの日。いつもよりもゆったりと流れる時間に、二人は寝間着のままリビングへと向かう。
「朝ご飯なに食べようかなあ」
「そうね」
「おはよう」
 そこには既に目を覚ましたサウダライトが新聞を読みながら待っていた。
「陛下!」
 まさかサウダライトが居るとは思っていなかったリニアは、身支度も調えていない状態だが頭を下げる。
 対するグラディウスは、
「おっさん!」
 大喜びして駆け出し、飛び付いた。
「おっさん! おっさん! 来てくれたの!」
「うん。お仕事終わったら行くって、お手紙に書いたでしょ。だからお仕事終わってから来たんだよ」
「そうなんだ! お手紙ありがとう! ちーりぷ、おっさん描いてくれたんでしょ!」
 頭を下げているリニアに音もなくゾフィアーネ大公が近付き、着替えて来るように指示を出す。リニアは急いで部屋へと戻った。
「ちーりぷ? ちーりぷ……そうそう、解ってくれたかい? チューリップだって」
「わかんない! あてし、ちーりぷ知らない! リニア小母さんが、ちーりぷって言った」
「そう。それじゃあねえ、これがチューリップだよ」
 サウダライトはソファーの影にかくしておいた、大きな花束を差し出す。
「お土産」
 目の前に差し出された、淡くはなく濃くもない、もっとも人に好まれやすい色調のピンク色のチューリップ。包装紙は光の加減で透明な虹色にとなり、皇帝からの贈り物の証としての白いリボンで括られている。
「……! ちーりぷ! ちーりぷ!」
 グラディウスは両手では抱えきれない程の大きさの花束に、それこそしがみつく。
「おっさん、絵上手くないから伝わらないかと思ったけど」
「あてし、ちーりぷ知らなかった。でも知ってたら、解ったよ! うまいよ、おっさん!」
「そう? そう言ってもらえると嬉しいね。今度からグラディウスから来る手紙には、小さな絵をつけるよ」
 花束を”がさがさ”言わせているグラディウスを見ながら、時間を作ってイラスト描き方に関するレクチャーでも受けようかとサウダライトが思う程に喜んでいた。
「グラディウスがベッドにいなくて、おっさん吃驚したよ」
「昨日はリニア小母さんと一緒に寝たの」
「楽しかった?」
「うん!。おっさんも一緒に寝れば良かったのに」
「そうだね。確かにおっさんには”その趣味”もあるけど。色々と手続きが必要だからねえ」
「?」

 ”その趣味”とは三人プレイ、それも男は自分一人で女二名の限定三人プレイ。


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