帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[18]
「んぁ……騒がしいな。どうした?」
 女を五名ほど寝室に引き入れて、享楽に耽り惰眠を貪っていたキーレンクレイカイムは、突然の現れた 《姉王からの使者》 に、大きな欠伸をしながら立ち上がり、一応 ”家臣としての礼” をとった後、手紙を開く。
「ああ? マルティルディが、次の皇帝をダグリオライゼ? ……おい、ダグリオライゼなんて直系王族いたか? 私は傍系王族くらいしか知らないな」
 再び欠伸をして、目元に浮かんだ涙を拭う。
「イネス公爵ダグリオライゼです」
「ふあぁ〜……本当か?」
 使者からの手紙を開いた瞬間から、イネス公爵ダグリオライゼであることは理解できたが、あえて適当な態度で受け取ってみせた。
「はい」
「宮殿は混乱状態になってる?」
「はい。陛下の葬儀の責任者であるガルベージュス公爵閣下も呼び出される事になりましたので、殿下方が代理で取り仕切るように」
 キーレンクレイカイムは話を聞きながら歩き、湯にひたり髪や体を洗わせながら、これから自分がするべきことを黙って聞く。
「へえ。王三人と、テルロバールノル王太子とエヴェドリット王太子、それにガルベージュスと皇王族の代表六名の計十二名で、マルティルディ一人を吊し上げるのか」
 使者は ”へらへら” と笑う王子の表情の奥底を読み取ることができぬまま、余計な感情を挟まずに話を続ける。
「葬儀は殿下とベル公爵殿下、それと一応にキシャーレン公爵殿下も名前が掲載されています」
 キシャーレン公爵サズラニックス=サズラニアクス。エヴェドリットの王子で、生まれた時から完全発狂状態に陥いっており、正気というものを持ったことのない二十歳になる王子。
「サズラニックスは名前だけだろ。この状況じゃあ、デルシ=デベルシュあたりが抑えて式典に並ばせるのかな。実質的には私とイデールマイスラが取り仕切る、で良いんだな?」

 キーレンクレイカイムは着衣を整え、臨時の責任者同士の簡単な顔合わせ場所へと向かった。会議室に使われたのは 《オルゴールを聴くための部屋》 
 正式な会議ではないので会議場は使われず、
「人目を忍ぶには丁度良い大きさだ」
 大宮殿にある部屋という区切りの一つとしては、かなり小さめということで選ばれた場所。
「待たせたな、イデールマイスラ」
 昨晩の事など全くおくびにも出さずに声をかけるキーレンクレイカイムに対して、
「貴様はいつものことじゃろが」
 イデールマイスラも何時も通りだった。

 葬儀の段取り等は、賢帝と名高い十六代皇帝が自らの葬儀の詳細を決め、その通りに葬儀を行わせて以来、それに則っている。
「問題が起こった場合、対処するだけでいい訳か。ここは一つ、区画で意見の優先順位を決めておこう。どうせお前と私では、意見が一致することはないだろうから」
 キーレンクレイカイムは事件が起きた ”場所” によって、自分がイデールマイスラ、どちらの判断が優先されるかをはっきりとさせて、早くに対処できるようにしようと持ちかけ、イデールマイスラもそれには同意を見せた。
 配分も奇を衒わず、キーレンクレイカイムはロヴィニアとエヴェドリット。イデールマイスラは、テルロバールノルとケシュマリスタ。
「我が代理で皇室の支配する区域に対して、処断を下せば良いのだな」
 それらの意見を持ち、別室でもう一人の責任者であるサズラニックスを抑えているデルシ=デベルシュの元へと向かった。
「そうだ。皇室支配の区画は、長年シャイランサバルト帝と共にあったデルシ=デベルシュなら、現状に即した判断を下せるだろ?」
「良かろう」
 檻の中に閉じ込められ、手枷と足枷で拘束されているサズラニックスは非常に大人しかった。
 初めて見るサズラニックスの大人しい姿に、キーレンクレイカイムは思わず傍に近寄り、その顔をまじまじと見つめる。
「あまり近付くと、噛みついてくるぞ。キーレンクレイカイム」
「いやあ、大人しいなと思って。この男もこんなに大人しくなるんだ」
「我の威圧で萎縮しているだけだ。我がこの部屋から去れば、何時も通り暴れ出す。それは動物的生存本能だけで生きているのだからな」
 普段は暴れて手が付けられず、本能の赴くままに生き、性欲が支配するままに犯す王子は、叔母王女の威圧に恐ろしく小さく、寂しがり屋の子供のように檻の中で縮こまっている。
「デルシ=デベルシュ、ちょっと聞きたいんだが、サズラニックスは人間以外の生き物でも平気で犯すって本当か?」
 サズラニックスが老若男女見境無く襲いかかることは ”狂っている” で片付けられるが、キーレンクレイカイムが聞いた噂では家畜や愛玩動物、果ては観賞用の魚類などまで、見境がないと。
「ふむ、それを聞いてどうする気だ」
「いやあ、もしかしたら同じ女の夫になるかも知れないだろ? 実際この狂王子を此処まで連れてきたのって、夫にするためだろ? でなけりゃ、王城に閉じ込められたままのはずだ」
 現エヴェドリット王には息子が二人いる。
 一人は王太子で、もう一人がこのサズラニックス。前者はごく普通で、後者は完全に発狂しているため、滅多に人前に出る事は無く、独身のままだった。
 王子故、妻を貰うのは簡単だが、キーレンクレイカイムのように政略結婚に使う訳にはいかない。だが生かしておけば 《なんらかの時に役立つだろう》 という判断でここまで生かされていた。
「うあ……あああ……」
「涎、だらだら。口を閉じることができないのか?」
「犬歯が成長しすぎて、上手く閉じられないようだ。質問の答えだが、噂は本当だと思って構わんぞ。我が何度か引き剥がした事がある」
 暴れているサズラニックスしか知らないキーレンクレイカイムは、今日初めて口から大量の涎を流し続けていることを知った。
「そうか。出来るだけ近寄らないようにしておこう。夫同士、親交を深める必要もないから、近寄るつもりもないが」
 人間なら死亡と判断されるだろう開ききった瞳孔と、極端に少ない瞬き。正装させられているために階級章などが、小刻みに揺れる体と共に檻にぶつかり、不規則な音を奏でる。
「マルティルディ相手ならば、それも大人しかろう。我程度の圧力で、親に捨てられた憐れな幼子のようになるのだ。狂っているが、本体の能力を測る力は失われていない。マルティルディには良く従うであろうよ」
 深紅で癖の強い長髪が特徴の、今葬儀が執り行われている皇帝の親友であった王女は、何時もと変わらずに ”狂っている甥” を眺める。
「本当に大人しくなるのか?」
「それは解らんが、上手くいく可能性は高い。昨日兄が、お前に先んじて顔合わせをさせておった。キーレンクレイカイム、お前ならば ”婿だ” と放り投げられても上手く遣り果せるであろうが、サズラニックスは親や親族がついていなければ、色々と問題が起こるのでな」
 ”顔合わせ” の所で、部屋にいたもう一人イデールマイスラが体を強張らせる。先日のイレスルキュランの ”陛下へのお見舞い” が ”皇太子との同衾” であるのと同じように ”顔合わせ” 他の意味を持つことは、誰もが知っている。
「出し抜かれたかな」
 キーレンクレイカイムは檻から離れ、デルシ=デベルシュが差し出したブランデーグラスを受け取り、琥珀色の液体の揺らめきに自らの姿を映し、視線をイデールマイスラの方へと移動させた。
「さあな。だがマルティルディ”が”二人きりにしろと言ってきたので、兄王は暫く席を外したそうだ」
「なんだとっ!」
 グラスの載っているテーブルを両手で叩き、イデールマイスラが叫ぶ。グラスが揺れて、硬い音を上げ、その叫び声に檻の中で大人しくしていた ”狂人” が呼応するかのように、叫び出す。
「ぐああああああ! あああああ! わああっ! マル……リルリア……あああマル、リルリア!」
 意味のない言葉しか発することのできないと言われていた狂王子の口から、
「もしかしてマルティルディって言ってるのか?」
 初めて意味のある言葉が発せられた。
 これには狂王子の成長をつぶさに見てきたデルシ=デベルシュも驚き、
「マルレルリルアと言いたいのか? マルレルリルア? マルレルリルア? サズラニックス、マルレルリルア?」
 彼が発音し易いであろうエヴェドリット語に変換して、優しく話しかけてやる。
「マルレルリルア! マルレルリルア!」
 狂王子はデルシ=デベルシュの言葉に、喜びに満ちた表情を浮かべ、手首を固定されている腕を持ち上げて檻を掴み叫ぶ。
「さすがマルティルディって言うべきか」
 狂王子に ”なにを施し” 言葉を言えるようにしたのか?
 キーレンクレイカイムは王族の知識を持ってしても解らなかった。
「誰が貴様にマルティルディの名を、勝手にマルレルリルアと変えて教えたのじゃ!」
 イデールマイスラが駆け寄り、柵の間から手を差し込み掴もうとした時、狂人は反撃に転じた。
「マルレルリルア!」
 先ほどまでの無邪気にも見えた狂王子サズラニックスの笑顔は一転する。その時の表情は ”してやったり” としか表現できないものであった。
 腕の肉を爪で剥がれたイデールマイスラは、怒り狂って檻を破壊し枷のはまっているサズラニックスへと殴りかかる。
 手枷と足枷をされているサズラニックスには避けることはできない。
 振り下ろされたイデールマイスラの右の拳がサズラニックスの顔に命中すると、頬骨が砕けた音が響く。だがキーレンクレイカイムは同時に動く腕に危険を感じ、勢いに飲まれながらも声を上げた。
「イデールマイスラ! 腰の剣!」
 狂っていても戦う為に生まれてきた王子と言うべきか、戦うために生まれてきたので狂っているのかは解らないが、サズラニックスは不用意に近付いたイデールマイスラの腰から剣を奪い、手枷と足枷を破壊して咆吼を上げて首の辺りに噛みつく。
「この下郎があ」
 イデールマイスラは怒鳴り、サズラニックスの腹を殴り自分の首の肉ごと吹き飛ばした。
 檻に再び叩き込まれた形になったサズラニックスは動かない。キーレンクレイカイムから見えるのは、仰向けで足の側で ”頭部” は見えないが、何をしているのかは音でわかった。
 生肉を咀嚼している音が、はっきりと聞こえてくる。
 首の肉を食われた形になったイデールマイスラは怯むこともなく剣を拾い、仰向けになっているサズラニックスへと躍りかかった。
 轟音と共に檻が砕け散り、四散し、その破片は弾丸のように周囲に被害を及ぼす。
 自分の頬の脇を破片が高速で通り過ぎた所で、キーレンクレイカイムは逃げることにした。
「私は逃げるぞ、デルシ=デベルシュ」
 皇族よりの軍人系身体能力を持つマルティルディの夫と、狂った戦闘用王子の間に割って入る能力も気概も、そんな義理もキーレンクレイカイムスにはない。
「ああ。下がっておれ。キーレンクレイカイム、今夜もイデールマイスラ相手に ”頑張るがいい”」
 争いを好む一族リスカートーフォンの血が濃い王女は、目を輝かせ赤い髪を両手で払いのけて、二人の間へと突進していった。

 無事に逃げ果せたキーレンクレイカイムは、離れた場所で柱に手を付いて、項垂れつつ自嘲する。
「騒ぎ起こしてるの、私達じゃないか……ん? ばれてるのか? でも、マルティルディの性格からすると、デルシ=デベルシュとは相性が悪いってか……まあいいか」


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