忠実なる老犬よ 宇宙の果てを見遣れ【02】
 開拓団の出発は二人が戻ってから。
 各地から集めた奴隷たちは移民管理局コロニーに集められ、そこで再度人員を調整して、先遣隊が発見した惑星に、数名の技術者たちと共に送られる。
 ゾイやシャバラが生きている間に、そこが「帝星領」になることはない。
 そんな余力があるのなら、最初から帝星領として開発する。残念ながら現在の帝国には失われた惑星を取り戻すために使える予算がないので、このような変則的な開発を行うことになっている。
 ある程度開発されて、税収が見込めるようになったら平民を送り込む。ただ働き ―― 平民ならばそう取る者もいるが、奴隷たちは元々使役されるために生きているので、その様な考えを持つものはほとんど居ない。
 ごく少数の、そのような考えを持つものであっても、自分の立場を弁えているので、命令には従う。

「陛下と親王大公殿下にもお会いしてきた」
 ゾイはボーデンの遺体を入れた旅行鞄を抱えている。
 この旅行鞄はロガの父ビハルディアが、かつての主レッシェルスから買ってもらい、一時期海賊たちに捕まっていた時も手放さなかった物。
 しっかりとした作りで、手入れをするとまだまだ使えるのだが、ロガはこの大切な鞄をボーデンに差し出した。
 ゾイは断ろうとは思わなかった。
 ロガの望み通りにと、鞄を受け取り、自分が縫った布を敷き、そこへボーデンを寝かせる。
「ナイト、良い奴だったろ?」
 ゾイとシャバラはロガの生家、墓地脇にボーデンを埋葬することに決めていた。話合ったわけではないが、そこが最適であろうと。
 誰も居なくなった、もう二度と戻って来ることなど出来ない故郷を歩き、墓地へと向かう。
「ナイトって……確かに良い人だった。あれで本当に皇帝なんてやっていけるのかな? って思うくらい」
 満開の桜の花びらが、二人を導く。
 地面を埋め尽くす薄いピンク色の小さな花びらを踏みながら、墓地へと辿り着いた。死刑囚の墓は移動され、目印の墓石は全て撤去されている。
 抉られた土の窪みの中でくるくると回る無数の花びら、放置されたままになっている、墓穴を掘るための重機。
―― あの重機を操って、地面を上手に掘ってたなあ
 ゾイは操縦席を眺めながら顔を半分隠し、重機を操るロガの姿を思い出した。
「怒ると恐いんだぜ、ナイト」
「そりゃそうでしょう。だって皇帝陛下だもの」
 シャバラが重機に飛び乗り、機動スイッチを押すと、重機は問題なく動いた。精密機械とは正反対の、頑丈さを求められる単純作業用重機は、四年程度放置されていても壊れることはない。
 もう人がいなくなる場所なので、死臭を気にして深く掘る必要などはないので、二掻きほどして、浅い穴を掘る。
 ゾイはその穴に身を乗り出すようにして鞄を置いた。
「最後にボーデン、見せてくれよ」
 重機を停止させてシャバラが近付き、最後のお別れをさせてくれとゾイに申し出た。留め金を開き蓋を開く。

 そこにはシャバラも見慣れたみすぼらしい犬が、満足げな表情を浮かべて眠っていた。

「ナイトのことだから、最高の扱いしてくれただろうに……みすぼらしいまんまだな」
「本当にね。シャバラ、このボーデンの口元の白い花が秋桜、皇帝の花よ。胸元にあるのは白い朝顔。腹の近くにあるのが白い蒲公英、そして背中にあるのが白い夕顔。四隅を飾っているのが白い――」
「鈴蘭。ロヴィニア王家の花だったか?」
「そう」
「へえ……秋桜に朝顔に、夕顔に蒲公英に鈴蘭かあ。初めて見た……ボーデンはお前が縫い合わせた布だけで、帝国の花なんて要らなさそうだけどな」
 シャバラは立ち上がり、近くの桜の木から花を一房千切りボーデンの耳元へと置く。
「じゃあな、ボーデン」
 鞄を前にして泣いているゾイの背後に回り、肩に手を置いて、泣き止むのを待つ。
 そうしている間に桜の花びらが数枚入り込んできた。
「ボーデン……見守っててね」
 ゾイはそう言い蓋をおろし鍵をかける。
 二人は向かい合って脇に寄せた土を手で盛ってゆく。土まみれになった手で、地面をならしその汚れたままの手を繋ぎ、風に乗り舞う花びらを背に受けて二人は故郷を後にした。

**********


ダーク=ダーマに乗り込んで、お二人で奴隷たちを見送りたいと? 一つだけ条件があります。デキュゼーク親王大公殿下を大宮殿に。はい皇帝と皇太子候補というのは、同じ乗り物に乗り、同じ場所へ旅行へ行くことは禁じられています……皇后がもう一人産んでくだされば、もっと自由になれます。
デキュゼーク親王大公殿下のことは、このデウデシオンにお任せください。ザウディンダルも? あれは精神年齢が近いので、親王大公殿下とよく遊ぶことでしょう

**********


 試験に合格し晴れて省庁勤めとなったロレンに見送られ、ロガが住んでいた衛星にいた奴隷たちは全員旅立つ ――

「ゾイ!」
 外を見ていたシャバラが声を上げる。
 シャバラだけではなく、宇宙空間を眺めていた奴隷たちや、それ以外の乗組員も悲鳴に似た声を上げて騒ぎ出す。
「な……」
 ”何ごと?”尋ねようとしたゾイだが、驚きの理由が一目で解り声を詰まらせる。
 現れたのはダーク=ダーマ。白き”漆黒の女神”、皇帝の旗艦がゾイたちが乗っている宇宙船を追ってきたのだ。
 巨大な旗艦が僅かニメートルほどまで近付く。
 ダーク=ダーマの大きな窓にお腹の大きなロガと、軍服を着たゾイ以外の奴隷たちには見覚えのあるようで無い背の高い貴族男性。
「あれが皇帝陛下?」
 顔を隠して鬘を被っていたので、姿を見たのは初めての者ばかり。
 あの知的な顔立ちであの変な動きを繰り返していたのか ―― 奴隷たちは微妙な気持ちになったものの、悪い人ではなかったことを思い出し”お見送りありがとうございます”とばかりに一斉に手を振る。
 少々驚いたシュスタークだが、奴隷たちに手を振られて悪い気などするはずもなく黒い手袋で覆い隠された手を優雅に持ち上げ、慣れた手つきで臣民たちへと手を振ってやった。

 その隣でロガが手を振り、ゾイも手を振り返す。二人とも泣きそうだったが、涙は出なかった。ただ必死に手を振り続ける。

 輸送船は離れ小さくなってゆくダーク=ダーマと帝星をゾイは眺め、隣にはずっとシャバラが立ち続けていた。
 その後「やっぱり一緒に行く!」と移民管理局コロニーへ連れてきてもらったロレンを加え、ゾイたちは帝国外惑星へと旅立った。
 皇后の身内とも言える奴隷たちの一団には、誠実で有能にして、精神的に優れている技術者たちが同行し、豊かな惑星へと降り立った。ここから計画書に沿って、惑星を開拓してゆくことになる。
 楽な生活とは程遠く、生活の糧を得るために肉体労働を繰り返す日々が続くものの、ゾイは苦しいと感じることはほとんどなかった。楽ではないが楽しい ―― それが彼女の偽らざる気持ち。

 生活が軌道に乗り、最初の惑星生まれの子供が走り回れるようになった頃、
「あ、ない……採りに行ってこよう」
 夕食の支度をしていたゾイは、スープ作りに必要な草の実の備蓄がないことに気付き、鍋の火を消し篭を持ち家を出た。
 暮れゆく夕日の眩しさに目を細めながら、近くの草原へと向かう。
 赤く染め上げられている草原で調味料代わりの草の実を摘み採っていると、ふと背後に気配を感じた。
 手を止めて振り返ろうとした時に、ゾイは気付いた。この気配はボーデンの物だと。幽霊などの姿のない怖いものなどは苦手なゾイだが、この気配だけは別である。
「ボーデン、ありがとう。ロガは元気?」

―― 肯定の鳴き声を聞いたような気がした

「ゾイ」
 夕暮れの眩しい赤の輝きが薄れ、藍色の空が支配し始めたころ、シャバラがやってきた。家に帰ったシャバラは作りかけの温くなった料理と、空の調味料瓶を見て場所に心当たりがあったので迎えにきたのだ。
「シャバラ」
 ゾイが振り返るとそこには当然ボーデンはいるはずもなく、
「どうした?」
「ちょっと、景色が綺麗で手が止まっちゃった」
 居るのは夫となったシャバラだけ。
 ゾイの手元にある篭をのぞき込んだシャバラは、
「それだけありゃ、充分だろ。帰ろうぜ」
「うん。御免ね、帰ってきた時には作り終わってるつもりだったんだけど」
「気にすんな。晩飯楽しみだ」
 ゾイから篭を受け取り、二人は帰途についた。

**********


皇帝シュスタークと皇后ロガがどのような人生を送ったのか? ゾイもシャバラも解らない。ゾイとシャバラがどのような人生を送ったのか? シュスタークもロガも知らない。

**********


「陛下、到着いたしました」

 奴隷たちだけが住む、帝国外惑星に白い戦艦が降り立った ――

 帝星近くに住んでいた奴隷、それがこの開拓奴隷たちの祖先である。彼らの祖先の一人が、いつか退位した皇帝がこの惑星にやって来ると言っていた。
 奴隷たちは、その言葉を信用していた。何故なら彼ら祖先は皇帝のことを”よく”とは言わないが知っていたからだ。

 彼らの仲間の一人を后に迎えた第三十七代皇帝シュスターク。

 彼らの住む村の近くに降り立った白い戦艦から降りて来たのは、この惑星の夕焼けよりも赤い、真紅で真直な髪を持つ男。
 祖先たちが言っていたお人好しな美形とは違う、皇帝という存在を初めて見た奴隷たちが一目で”皇帝”だと解る威圧感。
 赤毛の皇帝に付き従うのは、黒髪に赤の多い服を着た目つきの鋭い男。

 一人の老人、彼らの最年長で”大爺”と呼ばれている彼が前に進み出る。
「お前か。盟約通り参ったぞ」
 両手を広げ、風を受ける舞う真紅の髪。奴隷たちは大爺一人を残して、膝をつき彼を仰ぎ見る。
「お待ちしておりました、陛下」
「確かに待たせたであろうな。余は大皇サフォント、約束通り退位した皇帝だ。本来であればこの場に皇后ロガと同じ琥珀色の瞳を持った伴侶を連れてくる予定であったのだが、それは叶わなかった」
 皇帝であった人が語る”ロガ”に大爺は体を震わせる。
 大爺が幼かった頃”ロガ”の友人であった大婆が語った名。
「教えてください、陛下。この大爺の大婆が”あの方”と約束を交わした時からどれ程の時が流れたのか」
「今は四十七代皇帝が君臨しておる。余は第四十五代皇帝であった」
「あなたのお孫様ですか? 大皇サフォント陛下」
「そうだ」

 こうしてこの開拓惑星は皇帝直轄領となり帝国に組み込まれた ――

「そなたはここに残るのか」
 大皇サフォントが帝星へと行きたい者は名乗り出るように告げると、最初に若い男が名乗りを上げた。彼はロレンという男の子孫。その若い男は帝星で身を立てたいと申し出る。
 彼が名乗り出てから数名が希望したが、多くの者たちは此処に残りたいと希望した。
「はい。ここがこの大爺の故郷です」 
「そうか」
 大皇サフォントは頷き、移動を願いでた者たちを別の戦艦へと乗せ帝星へと行くように告げる。
「陛下はどちらへ?」
「余はこれから前線へと赴く」
 大爺は深い皺の刻まれた顔を強ばらせ大皇サフォントに尋ねた。
「僭主狩りはいまでも?」
 大爺に帝星での様々な出来事を教えてくれた大婆は、対異星人戦役へと赴いたことはない。”彼女”が遭遇したことのある争いは、僭主狩りのみ。
 ロガに近い者として、厳重に警備された際に感じた恐怖を、曾孫たちに寝物語の一つとして語っていた。
「そうだ。だが、今日この時をもって僭主狩りは終わる」
 僭主たちは最早、力などはもたず、身を潜めて生きている状態。
「何故でございますか?」
 だが彼らが人造人間である限り、彼らの頂点に立つ皇帝は完全に支配下に置く必要がある。大皇サフォントは若い頃からその為の策を講じていた。
 幾重にも張り巡らせた策。
「余は皇帝に即位したときから決めていたのだ。皇后ロガの親友の子孫と面会した時をもって僭主狩りを終わらせると」
 その一つがこの訪問と対面により終わり、そして始まる。
「そうですか……では戦争は終わりですか?」
 大爺は大皇サフォントが帝国史上最高の名君であることを知らない。生前から名君の誉れ高く、死後千年以上経っても人類史上最高の名君と謳われ続ける男は、
「いいや。余とこのゾフィアーネ大公が赴く戦争は違う。対異星人戦役だ」
 最後のその時まで帝国の為に在り続ける。
「まだ続いていたのですか?」
「終わるのは五百年以上先であろう」
「……」

「そんな顔をする必要はない。余と帝国は必ずや異星人相手に完全勝利を収める。そなたに誓っても良いぞ」

 大爺は頭を下げ、その必要はありませんと申し出た。
 帝国の外にあるこの惑星までやって来た大皇が、約束を守らないはずはない ――

「そうか。ところでそなた、名は何と言う」
 大爺は嗄れた声で、かつて大婆がつけてくれた名を口にする。近くに居た若い者たちの中には大爺の名を初めて聞いた者も少なからずいた。
「ゼークと申します」
「それは良い名だな。その名をこの惑星の名と定める」
 大皇サフォントはゾフィアーネ大公シャタイアス=ゼガルセアと共に惑星ゼークから飛び立った。
 青い空に消えてゆく白い戦艦を見送り、ゼークは目を閉じて在りし日の大婆との会話を思い出す

―― 帝星にはね、この宇宙で一番偉い人が住んでるんだよ。大婆は会ったことあるよ、嘘じゃないよ。大婆の友達は一番偉い人の奥様になったんだからね。友達の名前? ロガだよ、ロガ。何時か退位した皇帝陛下、大皇陛下って言うんだけど、その方がやって来る。絶対に来るよ、だって約束したもの……人の良い皇帝陛下だったんだよ、シュスターク帝 ―― 

 約束を果たした大皇サフォントは、腹心であり「裏切りの忠犬」でもあるエヴェドリットの血が濃い彼に、死地を与えるために前線へと向かった。
「前線に向かうぞゾフィアーネ大公」
「はっ!」
「そなたの最後の戦いだ、心行くまで戦い死ぬが良い! 余の忠実なる老犬よ! 宇宙の果てを見て死ぬが良い!」
「御意」
 過去の歴史との盟約を違えぬサフォントに頭を下げて、かつての帝国最強騎士は出撃する。

**********


 “ザデュイアルが死んだ空間” に一人で佇む。
「ザーデリア陛下が逝かれ、お前と陛下の子が皇帝に立ったぞ、ザデュイアル……さて、これからお前に菓子を届けに行きたいと思うのだが、紅茶の用意は出来たか?」
 ベルカイザンの濃度を上げ、注入を開始する。
 脊椎の奥が痺れてうごめき出し、耳には延々と歌が聞こえだす。さあ、射程を視る声よ私の前に広がれ。

「それでは大皇サフォント陛下、このゾフィアーネ、先にいかせていただきます」

**********


 僭主狩りが打ち切られた同年、ゾフィアーネ大公シャタイアス=ゼガルセアは戦死した。

『忠実なる老犬よ 宇宙の果てを見遣れ』【完】





【BL】琥珀色の瞳を持った最後の青年皇族の物語



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