繋いだこの手はそのままに −79
 この時点で告げればカルニスタミアは間違いなく動くとエーダリロクは解った。そして解った以上、この場で動かさないようにする為に事態を一時収めることに決めた。
「落ち着けよ……あーとな、殺してはならぬ辺りが巴旦杏の塔の中にもある。付け足されたくだりだから、それの隠語か何かなんじゃないか?」
 カルニスタミアに父の遺言に従って動かれては困るのだ。
 カルニスタミアが簒奪をして、カレンティンシスを生かしておけば生体データを収集する必要が出てくる。
 そうなればカレンティンシスが両性具有であることがばれてしまう。その後、今まで自分の大事なザウディンダルを虐げていた女王に対し、新王となったカルニスタミアがどうでるか? そして本人は認めていないがカレンティンシスを殺害対象として “みていない” 親友のビーレウストがどう出るか?
「“殺してはならぬ” が隠語だと? 思いあたる節はないが」
「んーあまり詳しく教えられねえけど、ちょっとシステムに異常があってな、それが同じこと言ってんだ “殺してはならない” って。その対象は当然両性具有・ザウディンダルなんだが、陛下に向かって言うんだそうだ。ザウディンダルを殺してはならないって、システムがさ」
 敵意や殺意は簡単に理解し対処できるが、好意や性的な行為を含む感情にはシュスターク並みに疎い良く言えば “清らかな” 既婚者エーダリロクは、どうしようか? と会話しながら考えていた。
 この種類のことに関しては、一人で事前に考えても全く解らないので相手と会話しながら “より良い策” を推察して、何とかしなければならない。
「両性具有の生殺与奪権は全て陛下の元にある筈ではないか。それに関しては<ライフラ>であろうが口を挟むことは出来ぬはずだが?」
「だからおかしいってことで、陛下が俺にシステムの見直しを命じられたのさ。誰も入っていないのに稼動してるから内部を探れないのが痛い、閉鎖すりゃあ見れるが巴旦杏の塔を[閉鎖]するとなると、四王の同意と協力が必要不可欠だろう? 今此処で稼動している条件は[ザウディンダル]だから、お前の兄貴なんか絶対に同意しねえだろうし」
 塔の稼動は簡単だが、閉鎖するとなると厄介な手順が必要。厄介というよりは “危険”
 閉鎖する為には四王の協力が必要で、それは生死の境を彷徨う事をしなければならない為、誰もが自分の身可愛さで閉鎖に同意などしない。
 だが、
「儂がテルロバールノル王の座を取れば……どうだ?」
 カルニスタミアは自分が王に就けば、塔を閉じることに積極的に同意し、他の王をも説得したいと考えていた。どれほど考えても、先ずは王にならなければ意味がない。
「本気か?」 
 カルニスタミアの口から簒奪の意志が出たのはこの時が初めて。
 どれ程仲が悪くとも簒奪する意志があることを仄めかしたことは一度もなかった。長年に渡るザウディンダルに対する態度に燻っていた簒奪の意志が、先日遂に臨界点を突破した。
「ビーレウストが儂に教えたぞ、ザウディンダルはテルロバールノル系僭主ハーベリエイクラーダの末裔だと。ビーレウストが知っていること、お前が知らぬはずなかろうが」
「まあね……」
「知れてしまえば兄貴はザウディンダルを処刑しようと躍起となるのは明らかだ。今は知れていなくとも、何処から情報が漏れるか解らぬし」
 兄はザウディンダルが自家出の僭主であると知れば、間違いなく処刑すると考え、それはエーダリロクも違う意味で同意するところだった。
「ラティランにはもう伝わってる可能性はある。ラティランからカレティアに漏れてるかも知れねえなあ、あの二人仲は悪いがお前に関しちゃあ、手組むことも多いしよ」
 カルニスタミアが側近に戻ったのも、二王が結託して帝国宰相に圧力をかけたことによるもの。一王対宰相ならばデウデシオンも引かないが、二王相手では分が悪いことも多い。全て負けるわけではないが、カルニスタミアが側近に戻ることに関し帝国宰相はテルロバールノル王に譲った。
 譲ったといっても、元々若いカルニスタミアがラティランクレンラセオに嵌められたことは知ってはいたし、宰相には宰相の思惑もあったので引いたのだが。
「キュラに教えたのか?」
「一応な。でもキュラだぜ? 本当に知らなかった! みたいな表情してたけど、本当に知らなかったかどうかは解らねえ。もしかしたら帝国最強騎士サマから聞いてたかもしれねえしよ。俺にはキュラの表情の奥を読むなんてことは不可能だ。だから教えた。知らないかもしれない、知ってるかもしれないってのはリスクが高い。こちらから教えた、だからキュラは確実に知っている。それはラティランに伝わってると考えた方がこちらとしては動きやすい。違うか?」
 最悪を想定して動くべきだとエーダリロクは言い切り、
「確かにそうだな。ならば兄貴から奪うしか道はあるまい」
 カルニスタミアもそれに頷く。
 その確りとした、最早惑いなど感じられない態度に、
「……で、それなんだけどよ、ちょっとだけ待ってくれねえか?」
 少しだけ制止をいれてみた。ダメかな? と思いつつだったのだが、
「いいぞ」
 意外とあっさりとカルニスタミアは引いた。あまりの態度の変わり方に、
「いや、そんなあっさりと……また、どうして?」
 不思議そうに尋ねると、当たり前であろう? と言った口調で答えが返って来た。
「兄貴から王位を取るとして、色々な準備が必要だ。エーダリロク、まさかいきなり戦いを仕掛けて玉座を奪い取るとでも思ってたのか? いくら儂でもそんな軽率な真似はせんよ」
 “いやあ、お前なら出来ないこともないぞ。俺が計算した結果じゃあ、100%に近い確率でお前が勝つ” カルニスタミアとカレンティンシスの行動パターンを計算して、今仕掛けても勝てると知っていたエーダリロクだが、当人にその気がないなら今は……と意見を合わせる。
「あーそうねえ。いやあ、あんまそういう事考えたことなかったし、簒奪ったらリスカートーフォンしか思い浮かばなかったから、すぐ武力かなってさ」
「確かに簒奪といえばリスカートーフォンだな。……儂としては玉座は陛下と后殿下の間に御子が誕生してから狙うつもりだ。それまでは御傍でお守りさせていただきたい」
 后殿下の身分からしてご苦労なされるだろうと思ってなあ……呟くように言ったカルニスタミアに、
「随分悠長ってか、何時になるか解らねえぞあのお二人は」
 笑顔で答えたエーダリロクだが、
「お前がいえた口か、エーダリロク」
 結婚してから四年間、夫婦生活から完全逃避をしている男が言って良いセリフではなかった。
「まあ、そうなんだけどよ。なんにしてもさ、お前が行動を起こす時期が俺の考えている時期と合えば協力する」
 そんなエーダリロクだが、簒奪自体は協力するつもりだった。
「お前の考えている時期というのがよく解らんが」
「まあね。それじゃあまあ、王になる為にも死ぬなよ」
「ああ。気にするな」
「気にはしねえがよ……なあ、カルニス」
 エーダリロクは少々気にかかることがあった。
「どうした? エーダリロク」
「お前さ、死にたがってない? 自分じゃ気付いてないかもしれないが、死にたがってるぞ」
 いつも一緒にいるビーレウストと同じような雰囲気をカルニスタミアが持ち始めたこと。
 自らの死を含めて死を望む雰囲気、その中で唯一にして絶対的に違うのが “後ろ向き” な所。ビーレウストのように死ぬために行くのではなく、結果が死であってもどうでも良いという態度や口調。
 それを指摘され “困ったな” といった表情を浮かべるも、カルニスタミアは否定しなかった。
「これを死にたがっている……と言うのか。そうかも知れないな。喪失感と言うのだろうか?」
「ザウか?」
「そうだな。妙に……口にするのも億劫なんだが」
「今は関係ないし俺聞いてもあんま解らないから聞かねえが、巴旦杏の塔を探っている時にヘマするなよ。お前が【柱】付近で死んだらまずいから、どうやっても逃げろよ」
「解っているさ」

 【柱】は四つあり一柱を一王が管理している。【柱】は【塔】を稼動・停止させる為の装置で王と、王が許可した者以外は立ち入ることはできない。
 エーダリロクは正面から巴旦杏の塔に向かい、カルニスタミアは隠れて塔へと向かった。
「こっちだカルニス。ロヴィニア柱は俺が立ち入れるようになってるから」
「そうか。だが何故? あのロヴィニア王が無料でお前に柱の立ち入り許可を与えるとは到底思えんが」
「……まあ、な。俺も兄貴との間にも色々あるのさ。取引ってヤツがよ、その一つな」
 露骨に不信さを表に出してエーダリロクを見た後、無理矢理自分を納得させたカルニスタミアは言われたとおりに塔の制止に協力した。

**********


「…………此処までくれば、何とか……」
 塔の制止に協力したカルニスタミアが首を切られ、一度中断することになった。
 エーダリロクが証拠を消す為に残り、カルニスタミアは一人【柱】から離れた。頚動脈を切った為に血が噴出しさしものカルニスタミアも歩くのが精一杯であったが何とか皇帝宮の外れ辺りまで来ることが出来た。
 部屋に入り大きめな家具に背を預け、首を押さえていた手を離す。
「頚動脈、切れても死なぬとはいえ……中々に苦しいものだ」
 攻撃システムを回避しきれなかった自分の不甲斐なさに苦笑いしながら “本当” に自分は本気で全てを避けようとしていたのだろうかと自問する。
 エーダリロクに言われたことでカルニスタミアは自分が死にたがっていることを認識した。
 血を吸った手袋や太股の辺りまで伝っている血を見ながら、本気ではなかったような気がするな……そんな事を思っていると、
「誰か居るのですか?」
 ロガが部屋に入ってきた。
「后殿下……」
 皇君宮の外れにロガがいるとは思ってもいなかったカルニスタミアは呆然として座ったままロガを見ている。カルニスタミアに気付いたロガは、
「カルさ……カルニスタミア王子。どうしたんですか! その怪我!」
 その怪我に驚いて駆け寄ってきた。 “大丈夫ですか!” と声を上げそうになったロガに、口の前に人差し指をあて、
「お静かにお願いいたします」
「あ、はい……あの……怪我大丈夫ですか?」
 ショールを外して手当てをしようとしたロガを制し、
「ここに居た事と怪我をしていた事は内密にしておいて欲しい」
「内密?」
「誰にも言わないでいただきたい。陛下であっても」
「あの……」
 ショールを抱きしめたまま不安を露わにするロガに、
「頼む、と理由も告げず依頼したところで納得はしないか。実はなこの怪我は陛下のご命令で調べ物をしている際に負ったものだ。これが知れれば陛下が気になされるだろうから。あとショールはありがたいが、貴方の持ち物が紛失しようものなら誰かが “いらがらせ” をしたに違いないと大捜索が行われてしまう。そこから足がつくと困るのだ」
 カルニスタミアは心配するなと表情を緩め、血に濡れていない方の手でロガの前髪を軽く触れる。
「解りました、でも怪我の治療を」
「着衣に血などついたら直ぐにばれるから、少し離れていてくれないか?」
「はい……」
 薄暗い部屋で心配そうにしているロガに、カルニスタミアは何故ここに居るのかを尋ねた。
「ナイトオリバルド様……じゃなくて、陛下がこちらの方に、用があるそうでついて来ました。でも《ふそく》の事態になったから、ちょっとこの部屋の隣で待って欲しいって言われて、待ってました」
「そうか。……何か困ったことなどはありませんか?」
 カルニスタミアの言葉に少し躊躇ロガは、宮殿に来てから久しく人に見せていなかった笑顔で答えた。
「今のところは平気です。何か困ったことがあったら……陛下に一番にお知らせしますので」
「そうですか。良かった」
 皇帝とロガの仲が良いことを確認し少しだけ寂しくもあったが、カルニスタミアも笑顔で答えた。それから小声で少々会話をしていると、この部屋に向かってくる足音があった。皇帝の足音ではないことに気付き、見つかると困るがこの場に来てロガに危害を加えても困るとカルニスタミアはカーテンの陰に隠れた。
 足音の主はヤシャル公爵ケルシェンタマイアルス。
 現ケシュマリスタ王の第一子で皇位継承権暫定第一位を持つ十二歳になる少年。だがどれ程身分が高くても、この場にいる理由にはならない。
 “何故此処にヤシャルが?”
 カルニスタミアはヤシャル公爵に気付かれないように気配を消し、動きに細心の注意を払う。
「誰ですか?」
「初めてお目にかかります后殿下。私はケスヴァーンターン公爵の第一子ケルシェンタマイアルスと申します……この場に参りましたのは……その……父には注意してください! 父は世間一般で言われているような無欲な善王ではありません! 他の王族達は気付いていますが……で、でも陛下にはできれば……」
「注意とは具体的には何をすればいいのですか? 私が出来る範囲の注意で済むのでしたら陛下には言いませんよ」
「出来る限り父の配下に気を許さないでください。ガルディゼロも含めてです。后殿下が気を許していいのは陛下の異父にあたる庶子の系譜だけです、他の王族も信用しないでください……もちろん私のことも」
 泣きそうな顔をして頭を下げたヤシャルにロガは、
「でもそれですと、今言われたことも信用できなくなってしまいます」
 どうしたものか? と聞き返す。
「そうですね……上手く説明できない自分に怒りすら覚えます……信じてくれなくても良いです、私も出来る範囲で努力しますので……お願いですから早く陛下の御子を生んでください! 我侭なのは承知です。でも早くしないと……弟も私も父に殺されます。失礼いたします!」
 去って行ったヤシャルを見送った後にロガは振り返り、
「あの人がお父さんに殺されるって、どういう事ですか? カルニスタミア王子」
 カーテンの陰から出たカルニスタミアは、ヤシャル公爵が次ぎの皇帝になる権利を持っていることを告げ、
「陛下はラティラン……ケシュマリスタ王を信頼しているし、実際証拠もない。ケシュマリスタ王が皇帝になる為に除外しなくてはならないのは陛下と息子達だ。陛下を殺害することは帝国の現状からして無いが、息子はな……だが、息子が皇位を狙っている父の差し金でないとも言い切れぬ。あのような言い方をして后殿下が儂に対し疑いを持つように差し向けたとも邪推できる。……儂のこと信じてくれと言っても良いか」
「はい」
「だが気をつけることに越した事は無い。身内なのじゃが儂の兄であるアルカルターヴァ公爵はケスヴァーンターン公爵と共謀している節があるので、あまり信用せん方が良い。儂は兄公爵とは不仲じゃからな。ま、不仲かどうかを確かめたくば他のものに聞いてみてくれ。儂はそろそろ戻る……儂のことなど信じずとも良い。陛下と帝国宰相は絶対に貴方の味方だ。迷う時はその二人の言葉を信じてくれ」
「ロガ? 何処だ? 隠れているのか?」
 隣の部屋から皇帝が呼ぶ声にロガは駆け出し、扉に手をかけたところで振り返り、
「カルさんのことも信頼してます! ナイトオリバルド様、御用は終わりましたか」
 扉を少しだけ開き身を滑らせて皇帝の下へと戻って行った。

 カルニスタミアは何とか人に気付かれぬように部屋へと戻った。

 その頃兄であるカレンティンシスの機嫌はこれ以上ない程に斜めだった。
「カルニスタミアはまだ戻らぬのか?」
 陛下の初陣の前に一度領地もどる際に《やっと両性具有と別れた実弟》を同行させてやろうとしていた兄は、時間までに戻ってこない弟に腹を立てていた。
「はい」
「全く何をしているのだ」
 機動装甲の最終確認にそれ程時間がかからない事を技術部門のトップにいるカレンティンシスは知っている。これ程時間が掛かるはずは無い、戻ってこないのは同行が嫌で何処かに隠れているのだと思うと怒りが沸々と湧き出してきた。
 もしかしたらまだ調整中では? 家臣達がエーダリロクに連絡を入れるが[とっくの昔に終わったよ。ちゃんと出立予定時刻に間に合うように終わらせてるぜ]と家臣達にしてみれば冷たい返事が返ってきただけ。
 実際は怪我をして何処かで休んでいるのだろうということは解っているエーダリロクだが、カルニスタミアを使って巴旦杏の塔を調べていましたとはとても言えない。特にカレンティンシスに対しては。
「先に戻りましょうか?」
「……早く探し出して来い! どいつも、こいつも!」
 ヒステリー王の名に相応しい叫び声を上げて、とっとと探し出せと家臣を部屋から追い出した。
「落ち着いてくださいませ、テルロバールノル王」
 側近のローグ公爵が宥めるが、出立予定時間を無視されたカレンティンシスの怒りは収まらないで、怒りながら部屋の中を歩き回っていた。
「まだ居たのか」
 そこに戻ってきたカルニスタミアが呆れたような声を上げる。
「何をしておるカルニスタミア! ……カルニスタミア? カルニスタミア! その怪我はどうしたのだ?」
 反射的にカルニスタミアの声に反応し、怒鳴りつけたカレティンシスだが怪我を見て息を飲む。
「喋るのも億劫だ。放って置いてくれ……」
 もう出発していてゆっくり休めると思ったのにと、ソファーに腰を下ろし溜息を付くカルニスタミアに近寄ってきて腕を掴み立ち上がらせようとするが、
「早く治療しろ」
「要らん。放っておいてくれと言っておるだろが……喋らせるな、首が切れているのだから」
 カルニスタミアは拒否する。
「だから早く治せと!」
「やかましい。治せぬ理由があることくらい察しろ」
「貴様! 誰に向かって口をきいておるのか解っておるのか」
「ああ……解っている。解っているから先に戻れ。傷が落ち着いたら後を追う。放っておいてくれ」
 背もたれに体を預けたカルニスタミアの傍に、
「不要かもしれませんが」
 ローグ公爵が簡易治療キットと水を置き、王に王弟をこのままにして戻る方が良いと促す。
 何一つ理由を言わない弟に苛立ちながらもカレンティンシスは黙って部屋を出てた。
「死んでしまったりはせぬだろうか?」
「ライハ公爵の再生能力はエヴェドリットでも驚くほど。ゆっくりと休まれれば明後日にでも帝星を発たれるでしょう」

「しかし一体何をしてあのような傷を負ったのだ……あの馬鹿」


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