繋いだこの手はそのままに −42
一眠りしたキュラはシャワーを浴び、着替えてエーダリロクの元に向かう準備をしていた。
交代すると休む前に約束したわけでもなければ、そんな決まりがあるわけでもないのだが、最年長者で “王子ではない” キュラはそれらの事に良く気が回る性格だった。
通常の言動が言動なので、余程の知り合いでなければ解らない事ではあるが。
どれ程調度品を運び込んでも、元々が簡素な作り。どうやっても豪奢な部屋にはならない自室を後にして、最低限の明かりしか灯されない廊下を歩いてエーダリロクがソファーで寝こけているだろう管理室へ向かう途中、キュラの足が止まった。
「カルニスタミア?」
カルニスタミアの部屋の中に気配が無い。
皇帝の意識を引き戻すという大仕事をしたカルニスタミア。極度の疲労で休んでいるはずの彼の気配が無い。
ドアノブに手をかけると鍵はかかっておらず、簡単に押し開く事が出来た。
声もかけずに中に入り、部屋の隅々を見て周るキュラ。ベッドには一度入った形跡がある。そこに手を入れると、
「まだ、温かいね」
温もりが確かに残り、
「……窓から出て行った……って訳ねえ」
窓は開いたまま、静かな夜気が部屋を冷たくしている。
警備システムは稼動しているが、それは[外部]からの侵入と、内部からの[脱走警官]を見張る程度のもの。脱走したところで10m以上の壁に覆われ外に出る事も、入って来る事も常人には不可能。宇宙に出るにしても小型艇は全て上空にある空母の倉庫に格納。
此処にあるのは機動装甲のみとなれば、見張る必要はほぼ無いのだが万全を期すために彼等はモニターの確認を行っていた。
「近衛兵団団長級の男にしてみれば、警備にもなりはしないんだろうけど……何をしにいったのかなあ。まあ、君も大人だからねえ」
キュラはカルニスタミアの全てを欲しいとは思っているが、彼の行動の全てを制御しようとは思っていない。
窓を閉め、ベッドを直して部屋から出て、エーダリロクとの交代に向かう。
「あれ? 起きてたのエーダリロク」
「当たり前だろうが。眠いには眠いが、昼間の事もあるからな。そうそう、陛下の誕生式典は問題なく開始されるようだ」
完全機械制御でも十分だとは解っているのだが、人間の勘というのも中々に効果を発揮する事が今でも偶にある。
「そりゃ良かったねえ。でも陛下も残念だね、折角好きな子に良い所見せたのに、間三週間も置かなきゃならないなんて」
言いながらキュラは水を沸かし、ティーポットに紅茶を入れてカップにお湯を注ぎ温める。
厚切りにしたパンをトースターにセットして、棚からエーダリロクの好きなラズベリージャムの瓶を降ろして小皿に取り分けナイフを添えてテーブルに置く。
「さあ。奴隷娘に引かれてなけりゃいいけどよ。どう見ても人間じゃない有様だったしよ。まあ、奴隷と俺達は殆ど違うモンだから仕方ねえが」
「そうなったら、どうしようかねえ?」
「記憶飛ばせばいいじゃねえか。そうしてもう一回やりなおし」
人間の記憶を無くす装置は存在している。記憶を操るのではなく、記憶を完全に消去してしまう装置。
過去の記憶に苦しめられる人や、自分にとって不利な証言をする人を捕まえて記憶を消去してしまう……など、良い方向に使う事も出来れば、都合の良くも使われてしまう為、軍部法相の管理下に置かれている「記憶消去装置」
ロガがシュスタークを恐怖し、今まで通りに接する事ができなくなるのならば、今日の部分の記憶を消去してしまう事も帝国の方では既に視野に入れている。
勿論その場合、記憶を消されるのはロガだけではなく、衛星にいた奴隷全ての記憶を消し去る事になるが、その程度の『作業』は『皇帝』のためならば些細なこと。
淹れた紅茶とトーストをエーダリロクの前に出して、キュラは自分のカップに口をつける。
エーダリロクは出されたトーストにジャムを塗り噛みつきながら、再び監視映像に目をやり、帝国の方から連絡が来ていないかを調べる。
「あーそれ良いかも知れな……」
紅茶を飲み終えたキュラが突如テーブルにカップを叩きつけるように置く。
「どうした? キュラ」
「……交代しようと思ったんだけど、もう少し待ってくれる?」
「何かあったのか?」
「カルニスタミアが消えたんだ。窓から出てったんだけど、当然映ってないよね、監視映像には」
エーダリロクは画像解析プログラムにカルニスタミアの全データを注入する。
「映ってねえよ。カルニスが本気になりゃ、映らないのは可笑しくはないが……あいつ、奴隷の所にでも通ってんのか? ザウに知られたら大変な事になるってのに」
「奴隷の所だよ、そして知られたら命はない……いや、あるかも知れないが大変な事になる」
キュラは真剣な表情でエーダリロクを見つめ、握りこぶしを作り声を上げる。
「ロガだよ、ロガ! 我が永遠の友と皇帝は記憶が両方向に流れるんだ。[陛下の感情]ごと流れてくるんだよ。陛下はロガに対する御自分の感情に気付かれてはおられないが、その感情を受け取ったカルニスタミアは完全に理解できる。隠れて出て行ったってことは、あの馬鹿、最悪な事仕出かしてないだろうな……」
“最悪な事仕出かしていないだろうな” と言いつつも最悪な事しか二人には思い浮かばない。
隠れて出て行った、この行動事態が最早 “最悪な事をする決意” のようなもの。
手を握るのもドキドキしているような皇帝だが、それが深い愛情の裏返しならば、そして同じ感情も人によって違う。皇帝にとり、その愛情は楽しく会話をし大事に接する事であったとしても、他人がその愛情をどう昇華するか?
「ビーレウスト起こしてくるか?」
カルニスタミアはロガを抱きに向かったのだ。そしてカルニスタミアが本能に従った行動を取ろうとしてるのを阻止するとなると、キュラ一人では無理。
身体能力の強さ的に同等クラスのビーレウストを連れていかなければ、鉢合わせした時点で殺される可能性もあるのだが、
「いや、良い。居なくなった時間から考えて、即座に事に及んでたらもう間に合わない……僕、行ってくるよ。ビーレウストは起こさなくて良いから」
キュラは手を上げて、軽く行ってくると告げて駆け出した。
管理区画の門を飛び越え、ロガの居る家に向かって駆け出す。
『ったく……だからさ、こんな能力必要ないっての……ああ! もうっ! ……待ってよ……最悪! 下手すりゃ帝国終わるじゃないか!』
精神感応能力というのは、彼等が持っている能力の中で “最も性能の悪い能力”
人と人が言葉も文字もなく、能力だけで伝達できる力。それが伝達する事柄だけが上手に伝われば良いが、決してそんな事にはならない。人間である以上、意志の中には無数の感情が存在する。
排除しようとしても、排除しようとすればする程、意志が混じりこむ。
だが意志のない人間は、事柄を伝えるだけの感情を持つ事もできない。
感情の昂ぶりが精神感応器官の動力である以上、そこには伝えたくない自分の心の奥底にある感情も相手に伝わってしまう。
カルニスタミアは皇帝から流れ込んできた “ロガ” に対する感情を持て余し、それを処理するべく “ロガ” を抱きに向かった。人により感情の処理の仕方が違うので、一概に悪いとは言えないのだが、相手が『皇帝の想い人』であり『奴隷』である事が大問題。
普通の『皇帝の想い人』に手を出せば、我が永遠の友だろうが『処刑される』
過去、感情が混同してそういった事は何度か起こった。だが、その処刑に異議を唱える者も出て、争いになった事もある。
『皇帝の想い人』が『四王家が出した正配偶者』であれば処刑は簡単に行われるが、実際はそんな事は無いに等しい。『皇帝が真に愛するのは別の者』というのは、昔からあること。血筋も生家もない者である場合が多い。先に述べたとおり『我が永遠の友(其の永久なる君)』は皇帝の縁者であり、大体が四王家の血縁。
その家柄の者が、『奴隷』に手をつけただけで処刑されるのは『おかしい』と王家の方で異議を申し立ててくる。
王家としては、皇帝の意志に介入できる『我が永遠の友(其の永久なる君)』を失いたくないと考えるのは当然。カルニスタミアの兄で、現アルカルターヴァ公爵(テルロバールノル王)カレンティンシスも、突っぱねるのは明らか。テルロバールノル王家にしてみれば四代続けて自王家に縁のない皇帝が即位している。
そんな中、現皇帝の意志に介入できる “テルロバールノルの王子・カルニスタミア”
王としては王家を挙げて守る価値がある、カルニスタミア本人と仲が悪いとしても。
カルニスタミアと現テルロバールノル王は元々仲が良くはなかった。
王よりも11歳年下のカルニスタミアは、生まれた時こそ「王女であれば皇后になれたものを」と父王がこぼしたが、帝国でも最高の能力と、皇帝の「我が永遠の友」になれた事に父王は喜び、王太子よりもこの第二王子に断然期待をした。
実際、自分がこの弟に劣る事を理解していたカレンティンシスは、父王が即位している最中からあまり弟に対して良い顔をしなかった。感情としては当然だろう。
カルニスタミアが八歳、カレンティンシスが十九歳の時に父王は死去し、当然王太子であったカレンティンシスが玉座に就く。気分は良くはなかったが、カレンティンシスは容姿的にも皇帝に自由に会えない(ケシュマリスタ系)の為、完全なテルロバールノル系の容姿を持った我が永遠の友を皇帝との橋渡し役にして、宮殿での勢力を伸ばしにかかる。
幼いながら、自分の父親が期待をかけていた弟は、それなりの成果をもたらし、憎らしいと感じながらも能力を認めていた。
カルニスタミアが品行方正にその役割を果たしていれば良かったのだが、此処で『ザウディンダル』という、テルロバールノル王にしてみれば「倒錯色情狂」に弟が “引っかかる”
同性愛者を極端に排除して育成されていたシュスタークの永遠の友が、それに匹敵する危険な[男性型両性具有]と関係を持った者は、陛下のお傍に置くのは『好ましくない』として、カルニスタミアは一時期皇帝から遠ざけられる。
『何を好んで、あんな出来損ないに手出したのだ! お前は自分の役割というものを!』
元からカルニスタミアに対して不満を溜め込んでいたカレンティンシスは此処で爆発し、暫く領地に戻ってくるな! と追い出す。それはカルニスタミアが永遠の友として、皇帝の側近の座に就くまでかなりの年数になる。皇帝の友として、側近としての地位を復活させたカルニスタミア、勿論ザウディンダルとの関係は持ったままで。
[そんな結婚も出来ない両性具有(両性具有は結婚する権利はない)]と遊んでいないで結婚しろとテルロバールノル王が命じても、全く意に介さず、二人の関係もこじれた状態のまま。
実はカルニスタミアがザウディンダルに興味を持ったのは[他家の王]が仕組んだ事なのだが、カルニスタミアはその事を知らない。兄であるテルロバールノル王は気付いているが、それを黙殺している。頑固なカルニスタミアにそれを告げたところで、何の解決にもならない事を知っている為に。
他に[王が仕組んだ事]を知っているのは帝国宰相と、
『冗談じゃない。間違って陛下がザウディンダルに興味を持ったらどうするんだよ! 唯でさえ、両性具有 “系” に惹かれる性質の強い方だってのに……カルニスタミアの感情が流れ込んでない事を……願っても無駄か! それ程都合よく出来てないもんね! だからこの力要らないっての! 本当にもう!』
このガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサ。
カルニスタミアがロガに対して感情を抱いたと言う事は、シュスタークがザウディンダルに対して何らかの感情を持った可能性が高い。
『奴隷はまだいいよ……皇帝の正妃、いや妾妃にだってザウディンダルは、両性具有はなれない! なっちゃ駄目だ! ……っとにやるねえ、ラティラン』
カルニスタミアに両性具有に興味を持つように仕向けたのは、キュラの異母兄にあたるケシュマリスタ王・ラティランクレンラセオ。最も多く[我が永遠の友(其の永久なる君)]を輩出している、両性具有にして精神感応器官を持っていた人造人間を祖に持つ一族。その現王は我が永遠の友の “弱点” を誰よりも知っていると言っても良い。
感覚が紛れ込めば皇帝が「配偶者にしてはならない」という決まりを持つザウディンダルに興味を持ち、そこから誘導してやれば両性具有と関係を持つ事を期待して。
そうならなかったとしても、自家から出たのではない「我が永遠の友」を遠ざけるだけでも価値はあると。
『切欠さえあれば、なし崩し的に関係持つでしょうよ! ああ! だから君は皇帝には向かないんだよ、ラティラン! こういう小賢しいのはトップよりも下の方が似合ってるんだよ!』
キュラはこの時点では[皇帝の意識を取り戻したのがザウディダル]だとは知らない。
知っていれば余計に焦っただろう。
そしてこの事は後で報告され[奴隷正妃]の誕生の後押しの一つとなる。[奴隷]と[両性具有]を天秤にかけ「奴隷の方が断然いい」なる理由で。
足音を消して走り、ロガの居る墓地の近くに到着したキュラは、膝を付いて両手を付いて頭を下げているカルニスタミアを発見した。
『間違っても、やってないだろうねえ。君が奴隷に、ロガに手出したらラティランは喜んでカレンティンシスと手を組んで陛下を追い落とすよ』
「カルニスタミア」
小声で呼びかけると、カルニスタミアは弾かれたように頭を上げ、傍まで来たキュラの服の端を掴み、
「キュラ……」
混乱した面持ちで伺うような声を上げた。
「何深刻な顔してるの? まさか」
最悪の事態が脳裏をよぎったキュラに向かって、
「お前、ガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサだよな」
妙な事を聞いてきた。
「……どうしたの? カルニスタミア」
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